2022年06月02日

あと十年経ったら

 ウェブ日記を始めたのは、二十世紀最後の年だった。その前の年にパソコンを手に入れ、ホームページという存在を知り、とりあえずそれまでノートなどに書きためていたものを打ち込んで、小出しにサーバーに上げていた。
 内容は多岐にわたっていたが、基本は思い出話や体験談だった。今そういうものを読み返してみると、その頃思い出となっていた多くのことが、今では思い出になってないことに気づく。つまり忘れているわけだ。
 思考の忘却ならわからないでもないが、体験の忘却だからしゃれにならない。
 二十年でこの有様か・・。あと十年経ったら、どれだけのことを忘れているのだろう。
posted by 新谷雅老 at 17:54 | 日記 | 編集

ジャニス・イアンのライブ

 もう十数年前になるが、ブルー・ノートが博多にあった頃に、ジャニス・イアンのライブを見に行ったことがある。
 ドラマ『グッドバイママ』や『岸辺のアルバム』の主題歌がえらく気に入り、それから彼女の歌を聴くようになった。現在主だったアルバムはすべて持っている。

 さてそのライブ、彼女を見てその歌が聴けるだけで充分だったのだが、よくよく考えてみたら、そこは狭い会場だ。あのジャニス・イアンが、ぼくから10メートルも離れてない場所にいて、同じ空気を吸っているのだ。
 そのことに気づいた時に、ぼくは一気に感動してしまい、止めどなく涙が流れたものだった。

 それより以前にボブ・ディランのコンサートに行ったことがある。ミュージシャンというよりも、詩人として好きな方で、昔から本物を見れば確実に泣くと思うほど深く傾倒していたのだが、厚生年金会館(当時)の広い会場でやったこともあり、その時はただのミュージシャンのコンサートという感覚で、ジャニス・イアンのライブのように身近さを感じるような感動はなかったのだった。もちろん、涙の一滴も流れはしなかった。

 この差はいったい何なのだろう。やはりその人との距離の関係なのか。それとも異性への憧れが招くことなのか。
 いずれにせよ、その人と同じ時間を同じ目線で過ごしたという仲間意識が、そこにあるのは間違いないと思う。
posted by 新谷雅老 at 06:11 | 日記 | 編集

2022年06月01日

一日の疲れ

 眠っている間は完全に忘れているのに、目が覚めて、布団の上で今日の予定などを考えていると、なぜか昨日あった嫌なことが蘇ってしまう。
 嫌なことなんだから見過ごしてしまえばいいのに、思考の回路は必ずその部分にも光を当てる。まあ、それはそれで呆けてない証なのだから良しとしよう。要はそこにとどまらずに次の項目に進めばいいのだ。

 ところが思考回路はその部分ばかり照らしている。仕方がないのでつきあっていると、それが元で、もっと過去にあった嫌なことまでが蘇ってしまい、嫌なこと、嫌なことが心の中を覆ってしまう。
 そういう心の状態を払拭しようとすると、くだらない心の葛藤が始まってしまい、さらに嫌なことが巨大化してしまう。一日の疲れはそこから始まっているのだ。
posted by 新谷雅老 at 17:49 | 日記 | 編集

もう一つの家族

ぼくら家族が住むこの家には
もう一つの家族が住んでいる。
彼らは老若や男女の区別なく
酷く好戦的で無慈悲で野蛮で
ぼくらの姿を見つけるや否や
きゃーきゃーと奇声を上げて
はきもの片手に襲ってきたり
猛毒の霧をふりかけてきたり
時に凍死させようと試みたり
こちらの息の根を止めるまで
その手をゆるめず攻めてくる。

例えその場で取り逃がしても
通り道に罠を仕掛けてみたり
毒煙を撒いて住めなくしたり
手を替え品を替え攻めてくる。
世間に迷惑がかからぬように
人目を避けながら生きている
大人しいぼくらを滅ぼそうと
しつこくしつこく攻めてくる。
ぼくら家族が住むこの家には
酷く好戦的で無慈悲で野蛮な
もう一つの家族が住んでいる。
posted by 新谷雅老 at 06:44 | ぶるうす | 編集

2022年05月31日

うつぶせ

 今日は休み。昼寝しようかどうしようか、微妙なタイミングでこれを書いている。いちおう布団の上にいて、今うつぶせになっている。枕元のタブレットの横には、読みかけの『鎌倉ものがたり』が置いてある。

 そういえばこの姿勢、けっこう以前からやっていて、古くは四十数年前、歌詞なんかを作っていた頃。あの頃も今と同じように、いつ眠ってもいいように、このポーズを取っていたんだった。
 そうそう、大学ノートの横には、読みかけの『マカロニほうれん荘』が置いてあった。

 そうなんです。昔と何ら変わらない、進歩のない男なのでございます。
posted by 新谷雅老 at 19:26 | 日記 | 編集

怒る

 小学生の頃ぼくは怒ることのない子だった。他人から馬鹿にされても意地悪されても、まったく怒ることはなかった。
 決して気が弱かったわけではない。怒りがこみ上げることがなかったのだ。
「なんで怒らないのか」
 と、そのことで友だちから不思議そうな顔をして問われても、
『こいつ変なこと聞くなぁ』
 と友だちの顔を、不思議な気持ちで見ていたものだった。

 それが変わったのは中学生になった頃からで、あまりに周りが変なことを聞くので怒らないと何か損したような気がして、無理して怒るようになったのだ。
 そして、それがだんだん癖となっていき、社会に出てからは、いつもいつもいつも、怒ったり、怒ったような顔をしたりして、けっこう怖い人だと噂されるようになった。

 だけど何かが違っていたんだな。怒ったあとの気分は最悪だったし、その日はロクな目に遭わなかったし。怒った顔のために暗い人と言われたり、やはりぼくには怒りは似合わなかったのだ。

 ということで、四十代半ばで、ぼくはようやく本来の自分に気づいたのだった。
 とはいえ三十年怒り続けた癖というものは、そう簡単に抜けるものではない。徐々に本来の自分に戻っていくしかない、と心に決めて二十年近くが経つが、いまだに怒っている。
posted by 新谷雅老 at 07:58 | 日記 | 編集

2022年05月30日

持病と予防

『これはポケットに入れておかないと、いつか落としそうな気がする』
 そう思った時は、決まってそれをどこかに落としている。だから落としそうな気がした時は、それをポケットに入れるようにと言い聞かせている。

 ところが、実際にそんな気がした時、ぼくは落とした過去を忘れてしまい、なぜか無意識に手にそれを持ってしまうのだ。そして、またそれをどこかに落としている。

 それを落としそうな気がする時は、きっと神や仏が教えてくれているのだ。あとで悔やまないためにも、そういう声にぼくはもっと真剣でなければならない。
posted by 新谷雅老 at 17:44 | 日記 | 編集

アコースティックギター


 ギブソンに、『ダヴ』とか『ハミングバード』という名のアコースティックギターがある。高校の頃、ぼくたちギター仲間の憧れで、誰もが欲しがる一本だったが、あの時代の輸入物はやたら高くて、そうそう手の出る代物ではなかった。

 そうした輸入物への漠然とした憧れを、現実のものとして捉えられるようになったのは、ぼくが二十歳を過ぎてからのことで、その頃には円の力もついていて、少し背伸びすれば買えるようになった。

 そこで箔付けに筋の通った一本を買おうと、楽器屋に何度も足を運んで候補を絞った。もちろん『ダヴ』や『ハミングバード』もその中にあったのだが、どうも『ダヴ』や『ハミングバード』の赤い色が引っかかる。それに加えてピックガードの鳩や鳥の画だ。
「これだと飽きが来るに違いない」と思い、『ダヴ』や『ハミングバード』はやめた。
 他にもギブソンで気に入ったのがあったが、知り合いが持っていたので却下。

 結局、ぼくは薄型のオベーション(グレンキャンベルモデル)を選んだ。
 なぜオベーションにしたのかというと、テレビでポール・マッカートニーのオーストラリア公演を見たのだが、『ブラックバード』をやる時にポールが弾いていたのがオベーション・グレンキャンベルモデルだった。ホワイトアルバムでのギターの音色とは違う音色がそこにあり、それを聴いたとたんぼくは「これだ!」と思ったわけだ。

 しかし、このオベーションには泣かされた。本体は薄くて軽いものだったが、ケースが大きくて重い。これを持って飛行機に乗ったり、新幹線に乗ったり、船に乗ったりしていたのだから大変だった。確かにソフトケースにすれば、そこまで苦労しなくてもよかったのだろうが、何せぼくにとっては貴重品だ。ついつい慎重になり、純正の大きなハードケースに入れて持ち運びしていたのだ。

 とはいえ、その後買ったマーティンは、わりと乱雑に扱っていた。年を重ねるにつれ、ギターはぼくにとっての貴重品ではなくなっていったのだろう。
 ちなみにそのマーティンギターで、ちょっとした事件(ぼくにとっては大事件)に巻き込まれることになるのだが、それはまた別の話。
posted by 新谷雅老 at 06:57 | 日記 | 編集

2022年05月29日

最初で最後の思い出

 関門橋が開通した頃だったか、友人と門司港に遊びに行ったことがある。
 門司港は市の東の端に位置し、西の端にあるぼくたちの住むの街からは、およそ30キロ離れている。それだけ離れていれば、国鉄(当時)を利用するのが普通だが、ぼくたちはその方法をとらなかった。チンチン電車に乗って行くことにしたのだ。
 その理由は、友だちもぼくも、チンチン電車で終点まで行ったことがなかったからだ。もちろん幼い頃からチンチン電車はしょっ中利用していたが、利用するのはいつも2、3キロ離れた繁華街までだった。

 その日は、最寄り駅の二つ手前にある始発駅から乗った。せっかくだから始発駅から終着駅まで乗ることにしたのだ。その所要時間は、並行して走る国鉄(普通電車で40分程度)の4、5倍かかったような気がする。国鉄のように専用軌道ではなく、道路上を走るので、時速制限があったり、信号待ちにかかってしまったりして時間を食うのだ。
 ということで、「ノロノロ走るチンチン電車は、繁華街に遊びに行くのには都合がいいが、遠く離れた場所に行くのには適してない乗り物だ」と、その時思ったものだった。

 とはいえ、あの時チンチン電車を使ってよかった。なぜならそれからおよそ30年後にチンチン電車が廃止になるまで、それを利用して門司港に行くことはなかったからだ。つまりその時が、始発駅から終着駅までチンチン電車に乗った最初で最後だったというわけだ。
posted by 新谷雅老 at 06:42 | 日記 | 編集

2022年05月28日

只今大ヒット中

 20歳を過ぎてから40歳過ぎまで、ぼくはテレビをあまり見てこなかった。だからなんだろうけど、80年代と90年代の流行が、ほぼほぼ欠落している。
 その頃どんなファッションが流行っていたのかも憶えてないし、その頃どんなドラマが流行っていたのかも憶えてない。当時の流行語なんかも憶えてないし、どんな歌手がいたのかも、どんな歌が流行ったのかもはっきりとは憶えていない。
 とりあえず憶えているのは、『サボテンの花』のリバイバルヒットくらいだ。

 だからというわけではないのだが、そんなぼくの中ではいまだに70年代中期が新しく、その頃の歌が只今大ヒット中なのだ。
 ぼくの中では、サザンだって長渕だって浜省だって、いまだに新人なんだな、これが。
posted by 新谷雅老 at 06:04 | 日記 | 編集

2022年05月27日

水道水

 家に帰ってから水道水でうがいをする。口に入れた瞬間、あまりのまずさに水を吐き出してしまう。こういうことがしょっ中ある。いくらきれいだからといっても、最近の水道水はうまいものではない。

 そういえば子どもの頃の楽しみのひとつに、広場で野球をするというのがあった。組織化された少年野球とかじゃなくて、誰彼となく集まっては成り行きで野球を始める、つまり草野球だ。

 夏の炎天下でも厭わなかった。太陽の下で遊ぶのが子どもだったし、当時は誰もが暑ければ日陰で涼むという常識を知っていたから、倒れる子どももいなかった。

 野球を終えると渇いた子どもたちは、水道の蛇口に群がってがぶがぶと水を飲む。
 考えてみれば、あの頃の水道水は決してきれいではなかったけど、おいしかった。
posted by 新谷雅老 at 06:32 | 日記 | 編集


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