2022年06月12日

頑張るリック君

 知人の家に、リックという名のオスのミニチュアダックスがいる。かなり前から飼っていて、人間の歳にするともう七十歳を超えているという。なるほど目は白内障になっていて、歩きもヨタヨタしている。

 ところがそのリック君、そんな体になってはいてもあちらの方は元気な様子で、何かにつかまっては必死に腰を振っている。それが原因なのだろうか、ヘルニアにもなっているという。

 そういえばこのリック君、ずっとお座敷で飼ってきたせいで、メスとの接触がまったくなく、この歳まで童貞で通してきたらしい。そのせいかもしれないが、お気に入りの対象がちょっとずれている。

 申し訳ないけどリック君、ぼくの脚はメスではないんだよ。
posted by 新谷雅老 at 07:19 | 日記 | 編集

2022年06月11日

じゅげむじゅげむ

 小学三年生の頃、ひょんなことから130文字以上ある『じゅげむ』を一日で覚えた。当時はその程度の文字数なら、何の苦もなく覚えられたのだ。

 徐々にきつくなったのは中高生の頃で、歴史の年号や数学の公式などに、いつも手こずっていたものだ。

 社会に出てからさらに酷くなった。深酒やたばこやストレスが老化を早め、次第に脳が暗記を拒むようになったのだ。おかげで延命十句観音経(42文字)程度の言葉でさえ、覚えるのに数日かかってしまった。次に覚えようとした般若心経(262文字)は一週間以上かかり、ついでに覚えようとした観音経(2062文字)に至っては数行覚えるのが精一杯で結局は断念してしまった。

 以来暗記物はまったくだめだ。そのせいで結婚式のスピーチなんかは、いつも即興でやっている。最初は緊張があるものの、次第に言葉に酔ってきて、最後はいいスピーチだったなと思うに到る。ところが後でチェックしてみるとこれが最低で、実に無茶苦茶な内容になっている。

 そういえば、じゅげむは意味のない言葉の羅列だし、般若心経だって音読みだけだと何を言っているのかわからない。きっとぼくの脳細胞は、そういうものばかり覚えてきたせいで、意味のない羅列になってしまったのだろう。
posted by 新谷雅老 at 06:45 | 日記 | 編集

2022年06月10日

クラクション

 車を運転していて怖いのは、夜の歩行者の飛び出しだ。子供や年寄りが飛び出すのではない。ウォーキングに励む中年男女が飛出すのだ。
 自分のペースを乱されるのが嫌なのか、信号のあるところでも、青になるのを待とうとせずに、好き勝手に道路を渡っている。これなら違反にならないと、横断歩道の手前を歩く御仁もいる。
 いくら歩行者が悪くても、はねたら運転者の責任だ。彼らはその辺も計算に入れて歩いているのだろう。

 運動だけが健康の条件ではない。安全も立派な健康の条件なのだ。もっと自分の身の安全を考えろよ。
『赤は止まれ、青は進め』、そんな簡単なルールが守れないのなら、ウォーキングなんかやめてしまって、一生高血圧と太り気味を悩んでろ!
「ブーブーブー」
posted by 新谷雅老 at 06:08 | 日記 | 編集

2022年06月09日

問題は夜が明けてから

 朝7時になると、いつも家の前にある公園の周りから、ヒップホップが聞こえてくる。数年前から始まったことで、最初はさほど感じなかったのだが、日が経つにつれて音がだんだん大きくなってきて、うるさく感じるようになった。

 近くにヒップホップをかけるような店はないから、それを鳴らしているのはその辺に住む住民なのだろう。もしかしたその人がらその人は、ドラゴン桜のようにエクササイズをやりながらそれを聴き、英語の勉強をしているのかもしれない。しかし、朝の忙しい時間に大音響でこれをやられると、イラッとする。

 昨日ここに夜中に聞こえてくる子どもの声のことを書いたが、それよりも夜が明けてから聞こえてくるヒップホップの音の方が、ぼくの中では耳障りになっている。
posted by 新谷雅老 at 06:30 | 日記 | 編集

2022年06月08日

問題はそこなのだ

 夜中になると、いつも家の前の公園から二、三人の子どもたちの遊ぶ甲高い声が聞こえてくる。最初は子どもだなんて思わずに、女子中学生がたむろして、騒いでいるのかと思っていた。ところがそれはどうも違うようだ。
「あははは−、きゃっきゃっ」
 中学生にしては声が若いし、思春期特有の臭みがない。時折「オレ」などという男の子の言葉遣いも混じっている。ということは声の持ち主は、おそらくは幼稚園児か小学校低学年の声だ。
 そんな幼児が、そんな夜中に、いったい何をやっているのだ。いったい親は何をしているのだ。

 しかし待てよ、問題はそこにあるのではない。ここに引っ越してきて十数年経つけれど、
「あははは−、きゃっきゃっ」
 その声は引っ越してきた当初から今までずっと聞こえていて、なぜか同じ子どもの声なのだ。
 果たしておよそ二十年前の幼児が、二十年後も幼児であることが、ありうるのか。いや、そんなことは絶対にない。ということは、
「その子どもたちはこの世の人なのか・・」
 という疑問が出てくる。問題はそこなのだ。
posted by 新谷雅老 at 06:34 | 日記 | 編集

2022年06月07日

流れ

 好きな言葉の一つに「流れ」がある。
 昔ある問題を抱えていたことがあって、何をやってもなかなか解決しようとしない。そういう時に読んだ本が、老子であったり禅書であったりしたのだが、こうなりゃどうにでもなれという気持ちで、そこに書いてあった「流れ」というものに任せ、慌てず、力まず、来るもの拒まずでやってみた。するとどうだろう。あれだけ悩んだ問題が、するするとうまく解決できたのだ。それこそ流れがよくなったのだろう。以来この言葉が好きになったというわけだ。

 会社を辞めた時も、再就職先を決めた時も、すべて流れに従った。もちろん流れの中の出来事だから、退職したことによる落ち込みもなかったし、再就職のストレスもほとんど感じなかった。

 最近は最近でこの「流れ」に任せていると、結構いいことがあったりするようになった。
 要は慌てず、力まず、来るもの拒まずだ。余計なことを考えるとうまく流れなくなるから、今は好きな歌を歌ったり、般若心経などを唱えたりしながら、事に当たっている。
posted by 新谷雅老 at 07:58 | 日記 | 編集

2022年06月06日

やまとなでしこ

 知り合いに26歳の女の子がいるのだが、その子から同い年の彼氏のことで相談を受けた。彼女は結婚の目標年齢を27歳に決めていて、それが原因で彼氏ともめているという。彼氏は30歳前後に結婚を見据えているようで、その三年の溝が埋まらないらしい。

 それを聞いて、昔見たドラマを思い出した。そのドラマの主人公が結婚目標年齢としていたのが、彼女と同じく27歳だったのだ。
 ドラマの中で主人公は
「27歳を過ぎると値崩れが始まる」
 と言っていた。
 主人公は目標通り27歳で、もう一つの目標であった大金持ちとの結婚にこぎつける。ところが結婚式当日にある事件が起こり、その結婚が自分の心に反したものだったことを主人公は悟ることになる。結局その結婚は破談になった。
 28歳の誕生日に主人公は、結婚してない自分を顧みて、
「わたし何やってたんだろう」
 と涙ぐむ。
 だが、彼女が本当の幸せをつかんだのはその後、つまり値崩れした後だった。

 そう、その時がくれば、ちゃんと幸せをつかめるものなのだ。結婚目標年齢を定めてしまうと、結局はそれに振り回されることになる。ドラマのように破談になることだってある。
 そういうことを考えてはいたのだが、ぼくはその子の相談に対しては、何もアドバイスしなかった。下手なアドバイスするよりも、そのドラマを見せたほうがいいと思ったからだ。
 今度『やまとなでしこ』のDVDを貸してやろう。
posted by 新谷雅老 at 08:26 | 日記 | 編集

2022年06月05日

もう一人の自分

 自分の心をどこまでも掘り下げていけば、別の人間にたどり着くのではないかと、常々ぼくは思っている。
 時々、現実とはまったく違った環境の中で、生活している夢を見る。なぜかその内容がえらく現実味を帯びていて、そこでの生活が自然に感じるのだ。その中に登場する人物も、現実では知らない人ばかりだが、夢の中ではえらく親しく懐かしい。

 そういうことを、ぼくは夢の中だけで体験しているのではない。ちょっと瞑想している時にだって体験している。ふと気づけばそこの人たちと、親しげに会話し盛り上がっているのだ。
 夢と瞑想、そのどちらの場合も、現実に戻った後には、すっかり内容を忘れている。だけど、そこで生活し、そこで会話したという現実味を帯びた感覚だけはしっかりと憶えている。これはいったい何なのだろうか。

 話は飛ぶが、地球空洞説というのがある。この地球は実は空洞であって、その空洞部分、つまり地球の内側に、別の世界が存在するという説だ。その説どおりだとすると、大地をどこまでも掘り下げていけば、別世界にたどり着くことになる。もしそうなっているとしたら、それはオカルト的なことではなく、未知の自然ということになる。

 心も自然のものなのだから、そういうことが当てはまりはしないだろうか。冒頭に書いたように、心を掘り下げていけば別の人の心に行き着くということだ。その人とぼくとは心の奥底で繋がっていて、夢だとか瞑想だとかいった現実を超えた次元で交信しているのではないか。そうであれば冒頭に書いた体験も説明がつく。
 もしかしたら、その別の人というのは、実はこの大地の裏側で生活する、もう一人の自分かもしれない。
posted by 新谷雅老 at 06:02 | 日記 | 編集

2022年06月04日

河童

 前の会社にいた頃、昼食後いつもぼくは自分の車の中で寝ていたのだが、そこで時々不思議なことが起きていた。何者かが車内で横になっているぼくのお腹の上に乗り、ドンドン飛び跳ねるのだ。
『誰だ!?』と目を開けても誰もいない。おかしいなと思いながら目をつぶると、しばらくしてからまた飛び跳ねる。おかげでゆっくり昼寝が出来なかった。

 ところで、その会社はいつも水に祟られていた。プロの水道屋さんが水道管を破ってしまって、社内の床が水浸しになったとか、専門業者が来て消火栓を点検していると、なぜかホースが外れて天井から水が降ってきたとか、とにかく普通では考えられない水の事故がしょっ中起きていたのだ。

 昔からその地に住んでいる人に聞いてみると、そこは元々池があって、その会社が建つ時にすべて埋めてしまったということだ。池にしろ川にしろ、元々水場だった場所は、不思議と水を呼ぶものなのだ。それはそこに棲みついている『何者か』が、奪われた水を呼び寄せているからだ。

 さて、ぼくの腹の上で暴れる『何者か』だが、実はその水を呼び寄せている『何者か』と同一のものではないのだろうか。同じ場所に『何者か』が二ついるとは、どうも考えにくいのだ。
 では、その『何者か』とは何者なのか?ぼくはそれを『河童』だ思っている。もともと河童伝説のある地域だし、あながち外れではないのではないか。
posted by 新谷雅老 at 06:22 | 日記 | 編集

2022年06月03日

それは天職なんですよ

何が楽しいというのではなく
楽しくない場面がなぜか少ない。
だから長丁場でも堪えられるのだ。

不思議なことにそれをやっていると
何度もいい運に巡り会う。どんな
修羅場でも不思議と救いの主が現れる。

仮にそれを辞めたとしても
回り回ってまた同じことをやるだろう。
そういう時なぜか力が増しているものだ。

同じことをやると言っても
それは決して逃げ場などではない。
本能がそれを好んでいるのだ。

だからいい自分をイメージできるし
だから他人にもやさしくなれる。
つまりはそれがいい運を運んでくるのだ。

不器用などという言葉で片付けてはならない。
それしか出来ないからやっているのではない。
それが天職だからやっているのだ。
posted by 新谷雅老 at 08:23 | 日記 | 編集

2022年06月02日

あと十年経ったら

 ウェブ日記を始めたのは、二十世紀最後の年だった。その前の年にパソコンを手に入れ、ホームページという存在を知り、とりあえずそれまでノートなどに書きためていたものを打ち込んで、小出しにサーバーに上げていた。
 内容は多岐にわたっていたが、基本は思い出話や体験談だった。今そういうものを読み返してみると、その頃思い出となっていた多くのことが、今では思い出になってないことに気づく。つまり忘れているわけだ。
 思考の忘却ならわからないでもないが、体験の忘却だからしゃれにならない。
 二十年でこの有様か・・。あと十年経ったら、どれだけのことを忘れているのだろう。
posted by 新谷雅老 at 17:54 | 日記 | 編集


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