2022年06月21日

ゲーコ

 ぼくの家のそばに、そこそこ幅のある川が流れている。今でこそ魚が跳びはね、それを鷺がジッと狙っているような、自然を象徴する川になっているが、かつては魚も住まないような、それはそれは汚い川だった。

 ま、そのことはさておいて―。
 二十年ほど前まで、その川に沿ってもうひとつ、狭い川が流れていた。汚い川に輪をかけたようなドブ川で、何とも形容しづらい臭いを放ち、黒いヘドロの上に奇妙な色の液体が泡立ちながら浮かんでいた。それを初めて見た時、ぼくは吐き気を催したほどで、さすが死の海と呼ばれていた洞海湾に注ぐ川だ、と思ったものだ。

 ところが海と違ってその川は死んではいなかった。実はそこにはちゃんと生物が生息していたのだ。その生物は夏になると一斉に「ゲーコ、ゲーコ」と鳴き出した。
 そう、カエルである。生息する場所が場所だけに、案外奇形種だったかもしれない。だけど場所が場所だけに、そこでカエルを捕るような子供もいない。だからそれはわからない。

 さて、そういうゲーコの声にかき消されてはいたものの、ショッカン(ウシガエル)の牛の鳴くような低い声もそこにはあった。
 ぼくが中学生の頃だった。近所のおっさんが、床屋のばあさんに、
「この間、ショッカン捕まえてきて食べたんやけど、焼き鳥みたいな味がしてうまかったばい」
 と言っているのを聞いた。
 どこで捕まえたとは言ってなかったが、ぼくの脳裏にあのどぶ川の何とも形容しづらい臭いと、奇妙な色の液体が瞬時に浮かんだ。そしてゲーコと吐き気を催したのだった。
posted by 新谷雅老 at 06:46 | 日記 | 編集

2022年06月20日

火薬の臭い

 夕方になると、どこからともなく火薬の臭いがしてくる。実際のところ何の臭いかわからないが、昔遊んだ2B弾だとか、ロケット花火の臭いによく似ている。
 とはいえこの辺に花火を作る工場はないし、炭鉱がない今は火薬を扱うような現場もない。
 そういえば近くに弾薬庫のようなものがあったらしいのだが、それも何十年も前の話だという。
 とにかく、最近は火薬のことを聞いたことはない。

 ということでそれは火薬の臭いではなく、火薬の臭いに似た何かということになるのだろうが、いったい何の臭いだろう。
 火薬という危険物よりも、正体不明の臭いのほうが、却って気味悪く、怖いです。
posted by 新谷雅老 at 18:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 編集

梅雨怪談

 この時期に幽霊が出てきた。頬にホクロの二つ並んだ、青黒い顔の女幽霊で、彼女がトイレとか部屋の中とかを、浮かぬ顔して往き来している。

 そこでぼくは除霊しようと思い、伝家の宝刀である般若心経を唱えた。ところが、肉体のぼくは寝ているので、口が機能しないのか、はっきりとした言葉になって出てこない。
「マーカハンニャーハーラー」が
「ファーファーファーファー」となってしまう。
 それが実にもどかしく、つい意地になって何度も何度もやってみる。しかし相変わらず言葉にならず、女幽霊はいつまで経っても消えようとしない。

 幽霊の横には嫁さんがいるのだが、きっと彼女には見えてないのだろう、『何やってんだ?』みたいな顔をして、ジーッとこちらを見ている。その時だった。

 誰かがぼくの後ろから肩をポンポンと叩くのだ。
『誰だろう』と思い振り向くと、
『エッ!?』、何とそこには幽霊の横にいるはずの嫁さんがいるではないか。『何でここに・・』
 幽霊のいる場所に目を戻すと、誰もいない。
「変な夢でも見たの?うなされてたよ」と嫁さんが言う。何が何だかわからない。

 それまでのことはすべて夢だったということがわかるまでに、ぼくの中で5分くらい(実際は1秒くらいか?)かかったのだった。
 しかし何だったのだろう、あの女幽霊は。
 もしかしたら、夜中に公園で騒いでいる子どもたちの母親・・・。
posted by 新谷雅老 at 07:00 | 日記 | 編集

2022年06月19日

夜中に目が覚めると

 夜中に目が覚めると、なぜか眠れなくなる。別に仕事のことを考えているわけでもなく、頭に嫌な奴のことを描いているわけでもなく、神経質になっているわけでもない。眠たくないのではない、気持ちは眠たいのだ。
 きっと体や心のどこかに、睡眠を妨害する奴が潜んでいて、しきりにちょっかいかけているんだろう。

 以前はそれを七人の小人がやってるんだと思っていた。ところが七人の小人の姿を想像すると、逆に落ち着いて眠れていた。
 ということは彼らがやっているのではないのだろう。人の睡眠を妨害するような奴だから、七人の小人みたいにかわいくはなく、おそらく悪魔顔なんかしてるはずだ。

 こうなりゃとことん闘ってやるぞ。
「出でよ、デーモン・・」
 ああ、今夜も眠れない。
posted by 新谷雅老 at 07:19 | リライト | 編集

2022年06月18日

遠い灯り

 幼い頃から、遠い灯りを見ると、何か惹かれるものがあった。心がウキウキしてきて、夢や希望がふくらんでくるんだ。ところが昼間そこに行ってみると、別に大したところではなく、パチンコ屋のネオンだったり、カラオケ店の看板だったりする。

 そういえば人生のイベントだって、同じようなものだ。そこにたどり着くまでは、遠い灯りを見るように心を弾ませているのだが、着いてしまうと何のことはなく、そこには日常生活が待っているだけだ。

 たとえば修学旅行がそうだった。行くまでは何かと心がウキウキして、期待に胸をふくらませたが、ふたを開けてみると何と言うことはない。最初のうちこそ気も浮かれているが、そこにいるのはいつもの友だちや先生なので、そのうち浮いた気分も吹き飛んでしまった。「つまりは場所を変えた学校生活じゃないか。そんな中でいったい何を期待していたんだ」などと考えて、一人興ざめしていたものだ。

 たとえば成人する時がそうだった。それまでは二十歳になると、何かが待っているような気がして、心がワクワクしていたものだ。それでもって期待に胸を弾ませながら、二十歳の時を迎えるわけだ。いちおうその日は周りが祝ってくれたけど、その日を過ぎると何のことはない、それまでの生活の延長が待っていただけだ。

 遠い灯りはあくまでも遠くの灯りであって、決して足下を照らしてくれるわけではない。とはいうものの相変わらず、ぼくは遠い灯りに憧れて、今でもウキウキワクワクしているんだ。
posted by 新谷雅老 at 07:05 | リライト | 編集

2022年06月17日

古い歌

1,
 ラジオから古い歌が流れていた。例えば50年以上前の歌謡曲だとか、その頃流行ったGSの歌だとかだ。
 番組を制作しているプロデューサーは、きっとぼくと同じ世代の人なのだろう。その時代に生きていた人にしか、出来ないような選曲になっているからだ。

 ところでそういう歌を聴いていて、気づいたことがある。それは歌詞がおかしいということだ。
 メロとサビの歌詞の内容が違うものだったり、誰も知らないのに伝説だったり、うぶな女性が一人で飲み歩いていたり、とにかく現実味を感じないものが多くある。

 さらに思うことがある。それは、安易に人が死んでいるということだ。
 死んだ人のほとんどが恋人、それも女性で、病死したり、冬山で遭難したり、神隠しにあったり、湖に身を投げしたりして、その生涯を終えている。あの当時、それほど恋人と死別することが多かったのだろうか。

 さて、その気持ちを代弁する歌手は、死んだ恋人に「逢いたい」と言っては変な振りをつけながら、溌剌と歌っていた。威圧的に歌ったり、格好つけて歌ったり、時には笑顔を浮かべて歌っている人もいた。
 そういう過去の映像を思い浮かべながら、ぼくは笑ってラジオを聴いていた。

2,
 歌詞といえば、いつも思っていることがある。それは、『22歳の別れ』の中で、目の前にあった幸せ(金のことか?)にすがりつき、5年間付き合った彼に、「あなたは変わらないでくれ」と別れ際に言い放った、身勝手な女のその後を知りたい、ということだ。

 さて、彼女はどうしているんだろう。
 ぼくは結ばれた人とも別れていると思っている。5年も付き合った彼を、幸せに目移りしたと言って袖にするような女だ。彼女の中にある貪欲さは、一人や二人の男で満たされるものではない、と考えるからだ。
posted by 新谷雅老 at 05:45 | 日記 | 編集

2022年06月16日

好きだった有名人

映画「お嫁においで」の頃の内藤洋子
ドラマ「これが青春だ」の頃の岡田可愛
ドラマ「キイハンター」の頃の野際陽子
ドラマ「柔道一直線」の頃の吉沢京子
ドラマ「おくさまは18歳」の頃の岡崎友紀
ドラマ「姿三四郎」の頃の新藤恵美
ドラマ「おひかえあそばせ」の頃の鳥居恵子
ドラマ「おれは男だ!」の頃の小川ひろみ
中山律子、須田開代子、並木恵美子よりも野村美枝子
ドラマ「コートにかける青春」の頃の森川千恵子
ドラマ「光る海」の頃の中野良子
ドラマ「雑居時代」の頃の浅野真弓
同じく「雑居時代」の頃の竹下景子
ドラマ「水もれ甲介」の頃の村地弘美
「欽ドン」の頃の香坂みゆき
ドラマ「花吹雪はしご一家」の頃の相本久美子
ドラマ「前略おふくろ様」の頃の坂口良子
キャンディーズの藤村美樹
ドラマ「俺たちの朝」の頃の長谷直美
ドラマ「気まぐれ本格派」の頃の水沢アキ
ドラマ「おていちゃん」の頃の友里千賀子
posted by 新谷雅老 at 20:00 | 日記 | 編集

バランス

 ここまでの人生、ぼくは惜しみもなく支出ばかりに重点を置いてきた。おかげで収支のバランスは崩れたままだ。しかも支出は増え続けていく一方で、返済のめどさえ立っていない。

 だけどぼくは諦めているわけではない。どちらか一方に重点が置かれたまま物事が進むはずがないのを、ぼくは知っているからだ。

 自然はいつも中庸であろうとする。ということは、自然はこのバランスを修復すべく収入攻勢をやってくれるはずなのだ。それがいつになるのかはわからないが、ぼくはワクワクしながら待っている。
posted by 新谷雅老 at 05:54 | 日記 | 編集

2022年06月15日

十番目の夏

一番目の夏が来て人は、
来年からネクタイをしなければならないというルールを作った。
二番目の夏が来て人は、
ネクタイをすることになった。
三番目の夏が来て人は、
ネクタイをすると体感温度が上がることがわかった。
四番目の夏が来て人は、
体感温度と地球温暖化の因果関係がわかった。
五番目の夏が来て人は、
「もうネクタイをやめよう」と言いだした。
六番目の夏が来て人は、
ネクタイを外そうとしたが出来なかった。
七番目の夏が来て人は、
なぜネクタイが外せないのかを考えた。
八番目の夏が来て人は、
ネクタイを外すためのルールがないからだとわかった。
九番目の夏が来て人は、
来年から夏はネクタイを外してもよいというルールを作った。
十番目の夏が来て人は、
ようやくネクタイを外すことができた。
posted by 新谷雅老 at 19:33 | 日記 | 編集

印象

 たとえば深夜、街が寝静まっている時に一匹の猫の子が鳴いたとしましょう。これが妙に心に響くのです。昼間、喧噪の中で重大な事件があったとしても、人にはその声の方が一日の印象として残るものなのです。

 仕事でも同じことでしてね、会議が行き詰まって誰も発言が出なくなった時に、意見を吐く人がいたとしましょう。そういう意見は大体が下らん意見だったり、誰かの意見の受け売りだったりするわけですが、人々の印象にはその人の意見が残るのです。いや、その人が残るのです。結局そういう人が勝ち組なっていくんですね。

 組織は目立って何ぼのもんだから、例えその人が馬鹿であっても、印象に残ったその人は、いい方向に向かっていくものなのです。
 同じく目立って何ぼでやってきた上司から、
「おっ、おれの若い頃に似ている」と思ってかわいがられる。
 そしてその上司が、例の印象術を利用して、
「あいつが適任です」と、その人を引き上げるのです。

 そうやって出世した要領のいい人が、何人かいました。そうやって出世したものだから、あまりいい印象は残ってないんですけどね。
posted by 新谷雅老 at 06:00 | 日記 | 編集

2022年06月14日

まさにドラマだ

「生きていることの意味」、そんなことを考えるのはおそらく人間だけで、他の生物はそんなことを考えることはないだろう。なぜなら他の生物は人間のように暇じゃなく、生きることに精一杯だからだ。
 たとえばさっきからぼくの周りをしつこく飛んでいるハエが、
「おれは何のために生きているんだ?」などと考えながら飛んでいたら、いとも簡単に叩き殺されてしまうだろう。
 つまりハエは生きることに一生懸命で、
「おれは何のために生きているんだ?」なんて暇なことを考えて生きていないから、今のように子孫繁栄しているわけだ。

「子孫繁栄」、ああそうだ、子孫繁栄だ。われわれはそのために生まれてきたんだ。つまり生きている意味というのもそこにあるわけだ。種の保存、結局はそこに行き着くんだな。
 ということはだ、
「われわれ生物というのは、ラブストーリーを完成させるために生きている」、ということになるわけか。
 おお、まさにドラマだ。
posted by 新谷雅老 at 06:26 | 日記 | 編集


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