2001年03月13日

岩屋海岸

今日は終日晴れ間が広がって、比較的暖かい一日でした。
パソコンばかりやっていると健康によくないので、ドライブに出かけました。
相変わらず近場ドライブで、今日は若松の岩屋海岸に行きました。
家から車でなんと10分少々、北九州はこんな近くに海があるのです。(まあ、歩いて2,3分のところに洞海湾があることはありますが、これを海と呼ぶべきかどうか)
エメラルドグリーン、今日の海は本当にきれいでした。
サーフィンをやっている若者が二、三組、海を眺めているアベックが二組ほどいたぐらいで、春先の海は静かでした。
ぼくは10分ほど海を眺めていたのですが、体が冷えたのでトイレに行って帰りました。
posted by 新谷勝老 at 13:33 | TrackBack(0) | ローカルな話 | 編集

2001年05月15日

あじさいの湯

結局登った山は花尾山でした。
標高477メートル(?たしかこう書いてあった)ぐらいの山で、この間よりも楽だろうと思っていたら、途中から階段ばかりで、途中何度も休憩しました。
今日は午後から用事があったので、登ったのは午前中でしたが、気温は高く汗びっしょりになりました。
今度からは着替えも持っていかないと。

ところで、どの山に登ろうかと帆柱山系の周りをまわっていたのですが、「あじさいの湯」やっと見つけました。
あんなところにあったんですね。
時間に余裕があったら、そこに車を停めて、皿倉に登り、降りてから「あじさいの湯」に入りたいですね。
疲れも癒えるでしょう。
そこからだと15分もあれば市ノ瀬に抜けられるので、渋滞を避け家に帰ることが出来るし。
うん、いつかやってみよう。
それが病みつきになったりして。
posted by 新谷勝老 at 18:45 | TrackBack(0) | ローカルな話 | 編集

2001年07月01日

祭りばやしが聞こえる

毎年この時期になると、3号線沿いで決まって聞こえる音がある。
黒崎祇園」のお囃子の音である。
ぼくは43年間、このお囃子に慣れ親しんでいる。
上のサイトを見ればわかるけど、元々は戦国時代の陣太鼓だったんですね。
どうりで血が騒ぐはずだ。
小倉の「チャンカ、チャンカ・・・」というあくびの出るような単調なリズムに比べると、ずいぶん勇ましいものである。
よく、小倉祇園のキャッチフレーズに「勇壮な太鼓祇園」とあるが、あれのどこが勇壮なんだろう?
ただ、映画「無法松の一生」が当たったので有名になっただけじゃないか。
太鼓なら「黒崎祇園」のほうが勝っている。
九州夏の三大祭り、博多、戸畑は納得行くのだが、どうして「小倉祇園」が入っているのか?
ぼくは不思議でならない。

さて黒崎だが、例年どおり7月20日が前夜祭、翌21日から23日までが本番になります。
人出はショーモナイ小倉祇園よりは少ないですが、祭り気分は充分に満喫できますよ。
行ったことない人は、太鼓の音を一度味わってみて下さい。
暇がある人は小倉と比べてみてはどうでしょうか?
posted by 新谷勝老 at 21:21 | TrackBack(0) | ローカルな話 | 編集

2001年07月28日

戸畑提灯山笠

今日は戸畑の提灯山笠の競演会があったせいか、会社帰りは車や人が多かった。
ぼくの家のほうに向かって混んでいたわけではないので、別に問題はなかったのだが、戸畑駅方面に向かう車や人は多かった。

戸畑の提灯山といえば過去何度か見たことがある。
ただ、中日に市民会館前で行われる競演会は小学生の頃、一回だけ見たことがある程度だ。
今日がその中日に当たっていたため、車や人が多かったのだ。
戸畑の提灯といえば、昔は7月14日が中日だった。
この競演会を見て、博多祇園の追い山に流れるのが定番だった。
博多の追い山は、15日の午前4時59分に一番山がスタートするから、戸畑が終わってから博多に移り、時間まで中洲あたりで一杯引っ掛けるのが、当時の人の粋だったのだろう。
戸畑も博多も、ともに国の無形文化財に指定されている勇壮な祭りだ。
こんな有名な祭りを身近に見ることのできる福岡県民は幸せである。

さて戸畑祇園が終わったら、一応北九州市の夏祭りは終わるわけだ。
「わっしょい百万夏まつり」はあくまでも夏祭りの総集編に過ぎない。

今年は「北九州博覧祭」でも、フィナーレで市内や近郊の祭りを紹介するらしい。
だが、それだけを見るために高い入場料を払う人が何人いるのだろうか?
23日に行われた「HIROMI GOコンサート」のために入場料を払った人よりは確実に少ないだろうが、9月2日に行われる“よしもと爆笑フェスタIN北九州〜「笑う博覧祭」”よりも多いだろうか?
posted by 新谷勝老 at 22:29 | TrackBack(0) | ローカルな話 | 編集

2001年08月12日

今NHKで「北九州博覧祭」の再放送を見ています

明日は休みなので、ちょっとゆっくりしています。
今NHKで「北九州博覧祭」の再放送をやっています。
ふーん、萩尾みどりは黒崎出身だったのか。
実はぼくも黒崎出身なんです。
2歳くらいまで住んでいました。
まあ、今もあまり変わらんところに住んでいるんだけど。
でもせっかくの全国放送なんだから、高倉健も呼べばいいのに。
地元出身じゃ一番メジャーなのに。
それと、舛添要一も呼べ。
あの人は北九州出身が恥ずかしいのか、あまり北九州の話をしない。
北海道や東京都の知事選に出馬するくらいなら、どうして福岡県知事選に出ないんだろう?
きっと目立つほうに走りたがる性格なんだろうなあ。
わけわからん人だ。
八幡高校から東大に行ったのが恥ずかしいんかのう?
自慢できることなのに。
それとも八幡東区の大蔵出身が嫌なのか?
あそこは田舎だからわからんでもない。
でも、自分の出身地はもっと誇りに思ったほうがいいと思う。
ぼくは東京にいた頃、八幡出身だといってみんなに自慢していた。
何せ日本史に出てくるところだからだ。
「日本の近代化は八幡から始まった」と教科書に書いているくらいだから、これは自慢に値する。
舛添さんもこの辺を切り口にして自慢しまくればいい。
そうしたら衆議院議員でも、福岡8区で当選できるだろう。

ああ、やっとNHKは終わったか。
なんかわけのわからん番組だった。
posted by 新谷勝老 at 16:52 | TrackBack(0) | ローカルな話 | 編集

2001年09月04日

福岡のローカル番組

KBCラジオを聴いていると、チューリップの財津和夫が出ていた。
新しいアルバムのPRで来たそうで、今日は一日KBCラジオにいたようだ。
なんとダイエーホークス情報の番組にまで登場していた。
財津さんは地元出身で、アマチュア時代からKBCに世話になっていたので、これもわかる気がする。
地元出身といえば、9月1日、田村亮子が「ダイエーVSオリックス」の中継(TVQ)にゲスト出演していた。
午後7時からの中継だったのだが、その日は6時30分からのスポーツバラエティーの番組(福岡ドームから中継)にも出演していた。
福岡吉本のコンバット満から谷のことでかなり突っ込まれていたが、地元ということでこの間の「スクープ21(テレ朝系)」出演の時よりはかなりリラックスしていたようだ。
その時は、鳥越さんから「ぼくも福岡出身だから博多弁で話そうよ」と言われ躊躇していたが、今回はちゃんと博多弁を混ぜてしゃべっていた。
面白かったのは、コンバットの「ヤワラちゃんはどちらを応援しているんですかねえ?」という問に、「福岡出身ですから、もちろんダイエーですよぉ」と言いながら、しっかり谷を応援していたことだ。
谷の打席の時に田村の表情を流していた。
谷が登場すると田村は両手を前に突き出しこぶしを握っていたが、谷が凡退するとガクッとしていた。
その後の野球中継では、なんと衣装を変えて出演していた。
もはや芸能人である。

そういえば最近は、こちらの放送にもわりと有名な人が出演するようになった。
KBCテレビの“アサデス”という番組には、おすぎと福岡翼がレギュラーで出ているし、TNCの“アジバラ☆7”という番組は、蓮舫とビビアン・スーが司会をやっている。
“ももち浜ストアDX”というトーク番組には、毎週「おお、こんな人が!?」という人が出ている。
ちょっと前には三谷幸喜(意外!福岡出身だった)やいっこく堂が出ていた。
先々週は稲川淳二だった。
FBS福岡放送のシンボルマークは藤井フミヤがデザインしたものだが、その宣伝で“めんたいワイド”に出演していたし、志村けんが頻繁に出演するなど、こちらの放送局も変わってきたようだ。
以前の、ばってん荒川や安田栗之助など地元タレント中心の時代とは、確かに違ってきている。

せっかくだから、地元出身者の番組なども作ったらいいのに。
例えば、郷ひろみと松田聖子司会の歌番組などをやるのも面白い。
氷川きよしと浜崎あゆみの組み合わせがあってもいい。
タモリと原口あきまさのトーク番組とか。
高倉健・田中麗奈が主演のドラマを作るとか。
戸塚宏の教育番組とか。
鳥越俊太郎の司会で、山崎拓・麻生太郎・神崎武法・舛添要一出演の政治討論会をするとか。
しかし、林葉直子の将棋教室だけは見たくない。
posted by 新谷勝老 at 21:39 | TrackBack(0) | ローカルな話 | 編集

2001年10月06日

ラジオの話

今日テレビで、RKBラジオ開局50周年の記念番組をやっていた。
日本で3番目に古い民放ラジオ局ということだ。
開局当初の社屋の写真を映していたが、当時は粕屋郡にあったそうで、田んぼの中にぽつんと木造の放送局が建っていた。なんとアンテナも木造だったということだ。現在RKB社屋は、福岡ドーム横の一等地に建っているが、昔の社屋と比較すると、放送局はいかに儲かるかというのがよくわかる。

それはそうと、かの井上陽水はアマチュアの頃、RKBラジオにデモテープを頻繁に送っていたそうだ。あまりに陽水がテープを送ってくるので、スタッフのほうも、「彼をレコードデビューさせようか」と思うようになり、レコード会社に働きかけたということだ。そしてついに陽水は、アンドレ・カンドレの名前で「カンドレ・マンドレ」というレコードを出した。
ということで、今日は陽水も録画で参加していた。

それにしても、RKBラジオの各番組のパーソナリティが出演していたが、全然知らんなあ。名前を聞いてもわからん。
だいたい、ぼくの住んでいる地域はRKBの入りが悪く、中学の頃からライバルのKBCラジオばかり聴いていた。
“スマッシュ11”の代わりに“ヤングポップス”を、“パックインミュージック”の代わりに“オールナイト・ニッポン”を聴いていたのだ。
友だちから「野沢那智」とか「落合恵子」とか言われてもピンとこなかった。カメ&アンコーや(今仁)哲ちゃんの毎日だった。
それもこれも、地元なのにRKBの入りが悪かったせいだ。そんな電波状況の地域なので、友達の家から聴けたという文化放送なんか入るはずもなかった。

余談だが、もうひとつ聴いていたラジオ局があった。
北京放送の日本語放送だ。
「こちらは、ペッキン放送局です」と、流暢且つたどたどしい日本語でニュースを読んでいたが、要は「中国はエライ、中国はエライ」と繰り返しているだけの間抜けな放送だった。
まあ、これはシャレで聴いているようなものだったが、毛沢東が死んだ時は、真っ先にこの放送を聴いた。
「中国の偉大な指導者、毛沢東同志が・・・」とやっていたが、内容は「中国はエライ」だった。

さて、RKBの電波状況はあの頃に比べるとずっと良くなった。
FM局も増えた。
現在福岡県内のラジオ局は、NHKも含めると、AM・FMとも4局ずつ、計8局ある。さらに山口のラジオもよく聴こえる。
だけど、ぼくは相変わらずKBCラジオばかり聴いている。
たしかに、ホークス戦を全試合やってくれるというのもある。
ドカベン香川より高橋慶彦の解説のほうがわかりやすい、というのもある。
和田アナウンサーが面白いというのもある。
しかし、これは30年以上も続いている習慣なのだ。
ぼくの車のカーステレオは、CDやMDを聴くことが出来るのだが、それでもKBCラジオばかり聴いている。
これから先も、KBCラジオばかり聴いていくんだろう。
posted by 新谷勝老 at 13:41 | TrackBack(0) | ローカルな話 | 編集

2001年11月17日

今日一日

今日は休みだった。
実は夜中、日記を書いた後に、昨日発売になった「Windows xp」をインストールしていたのだ。
とにかく時間がかかった。結局インストールが終わったのは、朝の5時を過ぎていた。
昼まで寝ようと思いながら寝たのだが、起きたのは平常通りの午前8時だった。いつものように、携帯電話にセットしているアラームが8時に鳴り出したのだ。ちなみにアラーム音にしているのは「ラジオ体操第一」である。
8時に起きてから、昨日日記に書いた「シンプルバージョン」を作ったりしていた。シンプルといいながらも、センスの悪さは相変わらずで、色合いやレイアウトはほとんど変わっていない。ただ、バナーや余計な掲示板を外しているので、かなり軽くなったとは思う。
まあ、そのうち公開します。

結局その作業が12時までかかってしまった。
少しは寝ようと思っていたが、それも「シンプル」のおかげで寝られなくなった。どうもぼくは「シンプル」な休みの過ごし方はできないようだ。
その後昼食を取り、昨日黒崎にオープンした「COM CITY」に行った。
ここはJR黒崎駅の西側にできた、地下2階地上12階のターミナルビルだ。
ここと先日移転オープンした「井筒屋黒崎店」で、「JR黒崎駅」を挟むような格好になっている。
このターミナルビルの構想は、もう20年前からあったもので、当時から関心を持っていた人にとっては「やっとオープンですか」という感じである。
行ってみると、さすがにオープン2日目だけに人が多い。
ここは1階のバスターミナルと筑豊電鉄の駅を除く、地下1階から地上6階までが専門店街、7階が「子どもの館(館長はカズ山本)」、8階から上はホテルになっている。
ビルに入ってまず感じたことは、通路が狭い。人が多いせいでそう思えたのかもしれないが、それでも3人並んでは通れない。もしかしたら人通りを多く見せるための戦略なのかもしれない。
いろいろ見て回ったが、まあこんなもんだろう。どこにでもある商業ビルだった。

この人の賑わいと対照的だったのが、先日閉鎖を発表した長崎屋がある駅前通りだ。
土曜日というのにあまり人がいなかった。昔は一番賑わっていた通りなので、すごい寂しさを感じた。このまま街が発展していけばいいのだが、長崎屋の跡地をどうするかも決まってないのだから、発展は当分ないのかもしれない。
このままJR九州管内乗降客数第3位の駅のある街は、駅ビルだけの街になるのだろうか。
とくに黒崎という町は、ぼくが生まれた頃に住んでいたという理由もあって、いろいろ思い入れの多い場所である。廃れていくのを見るのは忍びない。
とにかく、新しくできたビルを素直に喜べなかった一日であった。

さて、家に帰ったのは午後5時を過ぎていた。
「ちょっと寝ようか?」と思いながらも、今度は日記に取り組んでいた。
それがまだ書いているのだから、ぼくの頭の中は確実に廃れている。
とにかく眠たい。
posted by 新谷勝老 at 14:50 | TrackBack(0) | ローカルな話 | 編集

2001年11月24日

いまだに日本は平和です

くだらない思い出話を書いているうちに、11月も後半を迎えている。
この1週間はわりと平和だった。
とくに大きな事件もなかった。

あ、そういえば、19日にちょっとした事件らしきことがあった。
その日は背中が痛く気分が悪かったので、家に帰ってからすぐに横になった。
2時間ほど寝てから、あまりに腹が減ったので、起き出して軽い食事をした。
食事が終わってから、「さあ、また寝ようか」と思った時である。
消防車のサイレンが鳴り出し、こちらの方向に向かってくる。
「お、近くで火事か?」と窓の外を見たが、火や煙が上がっている様子はない。
そうしてるうちにもサイレンは近づいてくる。
そして、ぼくの住んでいる団地内でサイレンは止んだ。
野次馬が続々と集まってくる。
「しかし、何があったんだろう?火事ではなさそうだし」と思っていると、今度は救急車が走ってきて、やはり団地内で止まった。
ここまできて、やっとぼくの野次馬根性が起動した。

はんてんを羽織り、突っ掛けを履いて外に出た。
相変わらず気分は悪かったが、そのことも忘れて、ぼくは小走りにその場所へと向かった。
そこには消防車ではなくレスキュー車が2台止まっており、救急車がその後ろにあった。
ぼくがその場所に着いた時、救急車が担架の準備をして、そのままレスキュー車のほうに向かって行った。
「病人か?」と思ったが、それならレスキュー車が来るはずはない。
「さて、どうしたんだろう?」と思っていると、担架が空で戻ってきた。
その間にも野次馬は集まってくる。
その中にうちの会社でアルバイトをしているおじさんがいた。
おじさんはぼくに、「どうなりました?今電話で市の消防局に確認したら、子供が何かに挟まったとか言ってたんやけど」と言った。
しばらくその人と話していると、レスキュー隊の一人がマイクを手に持ち、笑顔でぼくたちの前に現れた。

彼は一礼をしてから、
「えー、こちらは八幡西消防署です。先ほど“子供がベランダの手すりに頭を挟まれ取れなくなった”と通報がありました。早速駆けつけ救助にあたりましたが、午後11時53分、無事救助いたしました」、そこで少し間をおき、「ご近所の皆様には大変お騒がせしました」と言った。
集まった人たちは「親はこんな時間に、子供をベランダで遊ばせていたのか?」とか「こんな時間にマイクを使うな」などと言っていた。
しかしその時、ぼくはレスキュー隊員の「間」のことを考えていた。
「あの“間”はなんか!? もしかしたら“やったー、みんなおれを見てるぜー”と、一種のスター気取りで、皆様の拍手を待ってたんじゃないのだろうか?」
ぼくは“一人浮かれて皆様の拍手を待つレスキュー隊員の図”を思い浮かべ、「間抜けなレスキュー隊員やのう」と、一人笑っていた。

まあ、こんな間抜けなレスキュー隊員でもちゃんと社会の役に立っている。
日本という国はまだまだ平和です。
posted by 新谷勝老 at 14:55 | TrackBack(0) | ローカルな話 | 編集

2001年11月26日

言葉の話

昨日の日記で、「ぎりぎり」という言葉がわからないという声が多数あったので、説明しておきます。
「ぎりぎり」とは「つむじ」のことです。
会社でいろんな人に聞いてみたのだが、半分くらいは知らなかったようだ。
でも、うちの母親は大阪出身なのだが、「大阪にいた頃も“ぎりぎり”と言っていた」と言っていたので、九州の方言ということでもなさそうだ。
ということは、おそらく「つむじ」の古い言い方なのだろう。

方言ではないけれど、その土地特有の言い方というのがある。
東京にいた頃のことだが、ある日友人と池袋の西武百貨店に行った。
その当時、西武の屋上の食堂に評判の料理があったので食べに行ったのだ。
ウエイトレスがオーダーを取りに来たので、その評判の料理とビールを頼んだ。
さらにウエイトレスが「他に何かご注文はありますか?」と聞いたので、ぼくが「何か、腹の太るものを下さい」と言った。
ウエイトレスと友人は声を揃えて、「え?」と言った。
北九州の方では「お腹いっぱいになる」ということを「腹が太る」と言う。(「ぎりぎり」と同じように、使わない人もいるかもしれないが)
しかし、これは方言ではないだろう。
どこに住んでいても日本人なら、よく考えればその意味はわかるはずだ。

逆に方言というのは、どう考えても意味が解せないものを言うのだと思う。
福岡県では「さっち」という言葉をよく使う。
「王監督は、さっちが鳥越にバンドをさせて、チャンスを潰すっちゃね」
わかりますか?
「さっち」とは「何かにつけ」とか「決まって」とかいう意味がある。
つまり上の文章は、
「王監督は、決まって鳥越にバンドをさせて、チャンスを潰すんだよ」という意味である。
この「さっち」というのは福岡の純粋な方言だと思う。
以前熊本の人に「熊本では“さっち”という言葉を使いますか?」と聞いたことがあるが、「なんですか?それ」と言われた。
お返しに、その人から「しんたさん、武者んよかですね」と言われた。
今度はこちらが「なんですか?それ」と聞く番だった。
「武者んよか」とは熊本の方言で、「かっこいい」という意味らしい。
「そういえば・・・」と、ダイエーホークスの松中選手が熊本のファンから、「武者んよかですね」と言われていたのを思い出した。
そこでぼくは「熊本の人は、さっちが“武者んよか”を使うんやね」と言ってやった。

柳川ではひな祭りの頃になると、「さげもん」という飾り付けをする。
ちょうどその頃に、川下りに行ったことがあるが、その時船頭さんがその「さげもん」なるものを見せてくれた。
天井から糸で飾り物を吊るしているのだ。
ぼくは、それを見て「さげもん」とは「下げ物」つまり下げた物であることがわかった。
「もの」と言うのをこちらでは「もん」という。
例えば、「わるもの」は「わるもん」である。
「さげもん」とか勿体つけるから、何か特別なものと思ってしまう。
下げた物だと知ると、実に味気のないものである。
せめて「下げ飾り」とかにしてもらいたかった。

沖縄に行った時に聞いた話だが、例の「うちなーぐち」は奈良時代の日本語に近いそうである。
そうであれば、沖縄の人が本土の人間を「やまとんちゅ」というのはおかしい。
沖縄の人も結局は「やまとんちゅ」じゃないか。
沖縄の開祖は鎮西八郎源為朝だというし、琉球王国の時代から文字はひらがなカタカナを使っていたわけだし、立派な「やまとんちゅ」ですよ。
しかし、中国が「沖縄は中国の神聖なる領土である」と言うのは解せませんな。

そういえば子供の頃よく「ぎったんはなふくき」と言っていた。
「うそついたら針千本飲ます」と同じような意味だったと思うが。
友だちと何か約束する時に、「ぎったんね」とかいうふうに使ったような覚えがある。
似たような言葉で「チック、タック」というのがあった。
大ぼら吹いたり、出来もしないような約束をすると、決まって「チックねー(そんなことある<出来る>わけないやろ、といった意味で)」と言って腕をつねる。
「タック」と言うまで離してもらえなかった。
そして、それがうそだったり、出来なかった時は、デコピンの刑が待っていた。
こんなこと、今の子供はしないだろう。
今の子なら、ターゲットはいつも同じ子になり、いじめに繋がるだろう。
ぼくたちの頃は平等だった。
それにしても、する奴はいつも決まっていた。
posted by 新谷勝老 at 15:13 | TrackBack(0) | ローカルな話 | 編集

2001年12月03日

ばってん

NHKの大河ドラマ「北条時宗」は来週が最終回である。
昨日が元寇(弘安の役)だった。
このドラマに関しては、方々から「時宗はそんなやわな男じゃない!」とか「これではまるで戦後民主主義で育ったリーダー像じゃないか」などという批判が多い。
ぼくはこのドラマは文永の役から見だしたので、このドラマに関しての詳しいことはわからない。
しかし、一点だけこのドラマに文句をつけたいことがある。
それは方言だ。
九州の武将のセリフのほとんどは九州弁でやっている。
「〜たい」とか「なんば言いよっとか」などであるが、その中にこの時代に絶対使ってはいけない言葉がある。
それは「ばってん」である。
「ばってん」とは、北原白秋も言っているが、オランダ訛りなのである。
時宗の時代は13世紀、オランダ人が長崎にやってくるのは3世紀以上も後のことだから、当然その当時には使われてない言葉である。
風俗や衣装や鎌倉武士の考え方など、十分に考証した上でNHKはこのドラマに臨んだのだろうが、思わぬところに落とし穴があった。

さて、その「ばってん」であるが、英語にすれば「BUT」となる。
おそらくこの言葉は、その当時の西洋かぶれ野郎が使っていたのが、九州全域に広まっていったものだろう。
つまり、九州の方言というよりは、九州の流行語だったわけだ。
ということは、今日発表された流行語大賞の「ブロードバンド」や「ショー・ザ・フラッグ」などと同等の言葉だったということである。
みんなが方言と思っているから廃れないで残っているが、今年流行った言葉だとしたら、2,3年後には、
「え?“ばってん”?、お前古いねえ。それはもう死語やん。いつの時代の人ね」
などと言ってからかわれるようになっていただろう。

そういえば、九州のタレントに「ばってん荒川」という人がいるが、これも考えようによっては「トータス松本」や「ジャニー喜多川」といった「外国語+苗字」のネーミングと同じものだ。
もし江戸時代に「ばってん荒川」などと名乗っていたら、「なん艶つけとうとや!」となっただろう。
今だから許される名前なのだ。
ということは、何世紀か後に「ブロードバンド鈴木」とか「ショー・ザ・フラッグ田中」などという人が現れるかもしれない。

外国語+名前、ぼくも何か考えてみようかなあ・・・
「ホワイト げしんた」
posted by 新谷勝老 at 15:22 | TrackBack(0) | ローカルな話 | 編集

2002年01月14日

明太子

ここ何ヶ月か、休みの日の朝食にはいつも明太子を食べている。
これほど、ご飯がおいしく感じられる食べ物はない。
朝食といえば納豆が一般的だろうが、あれは面倒くさい。
とくにぼくは、納豆をムキになってかき混ぜるので、腱鞘炎になりかねない。
ノリの佃煮も確かにおいしいのだが、歯ごたえの点で明太子に遠く及ばない。
あの「プチ」感がたまらなくいい。
以前読んだ「博多っ子純情」というマンガで、「博多の朝食は“おきゅうと”たい」などと言っていたが、あんな味気のないものでは食は進まない。
それに博多のほうでは“おきゅうと”だろうが、北九州のほうでは“おきゅうと”は一般的ではなかったようだ。
ぼくの周りは圧倒的に明太子が多かった。
ぼくが初めて“おきゅうと”を食べたのは20歳を過ぎてからだった。

さて、この明太子、昔はどこの家庭の食卓にも登るほど一般的なものだった。
そのへんの魚屋や乾物屋で売っていたが、今のように一つ一つご丁寧な箱入りにしているのではなく、漬物みたいにまとめて桶に入れて置かれていた。
グラムいくらの量り売りで、他の魚などと同じように、竹の皮に包み新聞紙などで包装していた。
一般的な食べ物だったから、価格も今みたいに高いものではなかった。
高くなったのは、辛子明太子が「福岡のお土産」扱いになってからだ。
ぼくが子供の頃は、明太子なんか土産にする人もいなかっただろう。
そういえば「辛子明太子」なんて言ってなかった。
ただの「明太子」だった。
詳しいことはよくわからないが、おそらく「辛子」とういうのは、土産化する時に付けたのではないだろうか?
例えば「辛子れんこん」のように、語呂がいいということで。

似たような話で、以前ブームになった「モツ鍋」というものがある。
これも福岡発らしいが、こちらでは「ホルモン鍋」と呼んでいた。
だから初めて「モツ鍋」という言葉を聞いた時、「こちらにそんな鍋物あったかのう?」と思ったものだった。
じゃあ話のネタに一度食べに行こうと、仲間と行ったところ、なんとそれは「ホルモン鍋」だったのである。
これなんかも、「ホルモン鍋」よりは「モツ鍋」のほうが宣伝効果があるんじゃないか、という意図があったにちがいない。
そういえば、「キムチ」だって昔は「朝鮮漬け」と呼んでいた。
これも最初聞いた時は、何のことかわからなかった。
店頭に並べられているのを見て、「なんかこれ、朝鮮漬けやないか」と思ったものである。
これも本場の言葉で言ったほうがインパクトがあると考えたのだろう。

ところで、「長浜ラーメン」というものがある。
これはただ福岡の長浜という所にラーメン屋がたくさんあるからそう呼ぶだけで、別に「長浜ラーメン」という特別のブランドがあるわけではない。
細めんを使って、替え玉をしているだけのことで、ただの「ラーメン」である。
最近よく「長浜ラーメンの店」などというのぼりを立てている店を見かけるが、まずおいしくないと考えていいだろう。
十何年か前、まだ「長浜ラーメン」が有名になる前に、夜中に長浜までラーメンを食べに行っていたことがあるが、あの頃の「長浜屋」のラーメンはおいしかった。
テレビで紹介しだしてから、味が落ちたような気がする。

話は明太子に戻るが、ここ八幡に「石原軍団御用達の店」というサブタイトルのついた明太子屋がある。
なんでも、石原裕次郎がここで明太子を買っていたということらしく、今でも石原軍団はここで明太子を買っているらしい。
しかし、である。
石原軍団が買うからおいしいとは限らないのである。
ぼくはこういう売り込み方をする店が嫌いなので、この店の明太子を食べたことがない。
だから味がどうこう言える立場ではないのだが、確かに裕次郎にはおいしく感じたのだろう。
だけど、峰竜太はどうなんだろうか?
海老名みどりは喜んでいるのだろうか?
「軍団の付き合いだから、しかたなく買った」と説明しているのではないのだろうか?
軍団といっしょに写真に写ることが、おいしさの証明になるとは思わないのだが。
posted by 新谷勝老 at 03:56 | TrackBack(0) | ローカルな話 | 編集

2002年01月17日

県民性について考える

帰りに本屋に寄って、県民性のことを書いている本を立ち読みした。
福岡県は、昔「筑前」「筑後」「豊前」と3つの国に分かれていたせいか、それぞれ特徴があるようだ。
ぼくは筑前に属しているから、「個人主義者」ということらしい。
筑後は粘り強い性格、同じ北九州市でも旧豊前の小倉は「保守的」ということである。
全体的には、「酒好き」「祭好き」「新しい物好き」「ギャンブル好き」「金遣いが荒い」ということらしい。
ぼくの場合、「ギャンブル好き」以外は当たっている。
つまり「個人主義者」でもあるわけだ。

県民性といえば、博多気質、川筋気質などという分け方もある。
川筋気質というのは、遠賀川流域、いわゆる筑豊の炭鉱気質である。
五木寛之の「青春の門」の世界である。
ぼくは遠賀川の近くに住んでいるので、当然川筋気質というものが入っている。
地元では、多かれ少なかれみなそういう気質を持っているのでわかりづらいのだが、他の地域に行った時にその気質というのが見えてくる。
例えば東京に住んでいた時、「おれはここの人間じゃない」といつも意識させられたものだった。
もちろん言葉の違いもあるが、やはり一番大きかったのは気質だった。
もう少しいたら、その違いも埋まっていたのだろうけど、2年住んでいたくらいでは到底埋まるものではなかった。

しかし、どうして県民性というものが出てくるんだろうか。
福岡県というのは、かつては北九州工業地帯や筑豊や大牟田の炭鉱に、全国から多くの人が集まった場所であり、今も九州の中心地ということで、県外から多くの人が集まってくる。
先日の新聞にも、人口が初めて500万人を超えたと書いていた。
反面、土着の人間の割合は以前に比べ、確実に減っているといえるだろう。
そのくせ、県民性というのはあまり変わってないようである。
江戸時代の本に、国別の気質が書いていたのを読んだことがあるのだが、その時の性格と今の県民性はほとんど変わっていない。
ということは、県民性というのは遺伝ではないようだ。
おそらくそこには、人の気質を形成する、何か地霊のようなものがあるに違いない。
アメリカ人の理想のヒーロー像はインディアンだと言うし、やはりそこには何かがあるのだろう。

ぼくは、その何かを「水」だと見ている。
人間の体の大半は水で占めているのだから、その気質に何らかの影響を与えているのは確かだろう。
その水の象徴が「血」である。
血液占いがあるくらいだから、血は人の性格や気質に多くかかわっているのだろう。
ということは、水が気質を作っているということになるではないか。

よく兄弟を示すのに、「同じ血が流れている」などと言う。
血は水から出来ているのであるから、同じ水から出来ている血は、同じ血であると言うことが出来るだろう。
ということは、出身地が違っていようが、祖国が違おうが、その地域である程度生活した者は、同じ水で血を作っているのだから、みな兄弟ということになる。
だから、気質が似てくるわけだ。
他の土地で出会った人が、同じ出身地だった場合、何か親近感を感じるものである。
それは兄弟だからである。
知らない土地に引っ越しても、いつしかその土地の人間と馴染んでくるのは、その土地の人と同じ血、つまり兄弟になったからである。

ぼくは高校の頃、朝鮮高校の生徒から理由もなく殴られたことがある。
その時は、かなり悔しい思いをしたものだ。
しかし、今ならそのことを許せる。
なぜなら、彼らは同じ遠賀川の水で育った、兄弟であるからだ。
posted by 新谷勝老 at 04:00 | TrackBack(0) | ローカルな話 | 編集

2002年02月22日

もうすぐ春ですね

さあ始めよう。
今日も上り坂だけど、明日は早出だからそうも言っていられない。
早く書いて、早く寝ることにします。

20日が給料日だったので、今日は銀行に行ってきた。
約一ヶ月ぶりに黒崎に出たが、以前と比べると人通りも増えてきたようである。
去年の「黒崎そごう」閉店後の最悪の状態から比べると、かなりいい回復してきているようだ。
今月11日に長崎や黒崎店が閉店したが、その影響も少なくてすんでいるみたいだ。
3月6日には、個人的に心待ちにしていた「ブックセンター・クエスト」が移転オープンするし、北九州副都心の再建は着々と進行している。

さて、今日は黒崎に出る前にちょっと寄り道をしていった。
月明り掲示板の契約が3月で切れるので、更新の手続き、つまりお金を払い込むために郵便局に行ったのだ。
実は「月明り掲示板」は有料レンタルである。
このホームページを立ち上げた当初、別の無料掲示板を使っていたのだが、動作が安定せず、さらに訪問客同士がバトルを繰り広げる展開になった。
嫌気が差したので、その掲示板を閉鎖して、新しい掲示板を探していたところ、今の掲示板が見つかったのだ。
当初は無料版にしていたのだが、使い勝手が悪かったので、有料版の無料体験版を一ヶ月借りてみることにした。
もちろん、お金を払ってまで借りようとは思ってはなかったのだが、有料版は高機能で使い勝手がよかった。
「一ヶ月限定なので、ほかの掲示板にしようと思います」と言ったところ、「この掲示板がいいので、やめないで」という声まであがった。
「しかたない」と思い、「しろげしんたさ〜ん」と呼ばれるのを覚悟で、郵便局に払い込みに行った。

あれから一年が経つ。
今日も去年と同じように、歩いて郵便局に行った。
家から郵便局まで、歩いて20分ほどかかるのだが、その途中春に出会った。
ぼくが待ち望んでいた香りがしたのである。
沈丁花の香りである。
毎年この香りがすると、「これで嫌な冬から解放される」という思いがしてホッとする。
キャンディーズではないが、重いコートを脱いだ気分になるのだ。
天気予報などで「三寒四温」という言葉が聞かれるようになったのも、嬉しいことである。
あとは春一番を待つばかりだ。
春はもうそこまでやって来ている。

ーーーーーー

そういえばさっきから救急車の音が鳴り止まない。
けっこう長い時間なっているような気がするのだが。
もしかしたら、宗像の列車衝突事故のケガ人を運んでいるのだろうか?
あのへんは病院が少ないから、こちらに運んできたのだろう。
今回はイノシシが原因らしい。
おそらく、城山から降りてきたイノシシが軌道内に入ってきたのだろう。
つい最近うちの近くで、JRの線路で遊んでいた小学生が電車にはねられる事故があったばかりだ。
JRも線路脇に有刺鉄線を張り巡らすとか、金網に電流を流すとかして、線路に入らせないようにしないと、また同じような事故が起こるだろう。
posted by 新谷勝老 at 22:15 | TrackBack(0) | ローカルな話 | 編集

2002年03月14日

夜逃げ屋

最初は「またこの手の事件か」と思っていた。
しかし日を追っていくうちに、実に興味深い展開になってきている。
小倉で起きた「少女監禁事件」である。
この事件の舞台になったマンションは前に勤めていた会社の近くにあり、男児4人が見つかったマンションは今勤めている店の近くにある。
もしかしたら、犯人とされている男女二人は、うちの店に生活用品を買いに来ているかもしれない。
もしそうであれば、クレジットで買って欲しかった。
名前などはどうでもいいのだが、職業欄に何と書くか見たかったからである。
いくら彼らがそうだったとしても、まさか「夜逃げ屋(自営)」とは書かないだろう。

ところで彼らは、仕事に行った時、映画のように「お待たせしました。夜逃げ屋本舗です」などと言って登場するのだろうか?
あの逮捕時の映像から察するに、無表情に現れ、無表情に去っていくタイプだと思う。
冗談にもそういうことは言わないだろう。
ああいう組織は、そういう軽口を叩くことをタブーにしているはずである。
軽口ばかり叩く人間が夜逃げ屋であったら、大変なことになる。
「こんばんは。夜逃げ屋で〜す。今日は頑張って、よう逃げや! なーんちゃって」
これでは夜逃げするほうは安心できないだろう。

そういえば彼らが捕まった時、近所の人は、彼らは「普通の人」に見えたといっていた。
何を基準にした普通の人かは知らないが、こういう稼業は一見して普通じゃない人には勤まらないだろう。
スキンヘッドで眉毛がない人に、夜逃げという重大事を任せようとは決して思わないはずである。
そういう目立つ人が夜逃げ屋なら、取り立て屋も安心だ。
「スキンヘッドが行くところ夜逃げあり」で、スキンヘッド氏をマークしていれば大丈夫だからである。
車幅の広い外車に乗っているから、居場所もすぐにわかる。
しかも、声が大きく口調も荒く興奮しやすいので、夜逃げもうまくいかない。

さて、今回の事件は別として、ぼくは「夜逃げ屋」なるものに大変興味を持っている。
野暮ったいネーミングの中に、「裏街道まっしぐら」的な響きがある。
これが実にいい。
また名前を変え、住所を転々とし、自分を隠すことに全力を挙げて生きていく姿に、なぜか憧れを覚える。
こういう人が近くに住んでいたと思うと、何かワクワクしてくる。
夜逃げ屋の業務広告には、「離別代行」「生まれ変わり工作」などといった言葉が並んでいるということである。
普通の感覚なら、こういう野暮ったい言葉には見向きもしないはずである。
しかし、人間追い詰められると、こういう言葉が美しく思えるのだろう。
「『離別代行』、なんとすばらしい言葉なんだ」
「『生まれ変わり工作』か、しみるねえ」
・・・悲しい性である。
考えてみると、夜逃げ屋というのは、映画で見たようなかっこいいものではなくて、野暮ったさで成り立っているようにも思えてくる。
この野暮ったさにぼくは惹かれるのである。
「闇稼業」「仕置き屋」「仕事人」「よろず請負人」という野暮ったい名の稼業にも、そういった響きがある。

そろそろぼくも、今までとは違った稼業で生きてみようかなと思っている。
いつリストラされるかもわからないし、もしかしたら会社が倒産しないとも限らない。
そのためには下準備をしておかなくては。
クレジットの職業欄に堂々と野暮ったい稼業名が書けるようにしておこう。
しかし、ぼくは上に書いたような、命を張った稼業をやる性根は持ち合わせてはいない。
そういう理由から、「よろず日記屋」「闇詩人」「歌のおじさん」といった安易な稼業を目指している。
posted by 新谷勝老 at 20:30 | TrackBack(0) | ローカルな話 | 編集


Copyright(C) 2000-2022 しろげクラブ. All rights reserved.