2001年03月05日

啓蟄

昨日と打って変わって、今日は大変いい天気だった。
啓蟄。
風は冷たかったが、虫達も冬眠から覚めたようで、今日は変な虫にまとわり着かれた。
顔の周りをぐるぐる回って、本当にしつこかった。
コバエじゃないけど、それに似た虫でした。
結局、ぼくの目の中に飛び込んで死んでしまいました。
春に浮かれたバカだったんですね。

そういえば明日はラーさんがホークスの応援に行くらしい。
彼女が行くとホークスは負ける、もしくは勝っても故障者が出る、というジンクスが今年も生きているかどうかお試しに行かれるそうだ。
どうか、明日は平和な一日であってほしい。
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2001年07月05日

梅雨明け

「これでもか!これでもか!」と気合の入った雨が降っている。
でも、もう梅雨も終わりだろう。
今日の雷はなんとなくそんな気配だった。
むかし観天望気の本を読んだことがあるのだが、梅雨明けの時は東風が吹くと書いてあった。
最近は煙突が減ったので、東風を確認することが難しくなったのだが、その本を読んだ当時は「梅雨明け=東風説」は当たっていたように思う。
明日もし煙突の煙を見ることがあれば確認しておきます。

梅雨明けといえば、不思議と梅雨が明けた後、何日かは晴れないんですよね。
あれはどうしてだろう?
北上した梅雨前線が低気圧を呼ぶんだろうか?
素人のぼく達から見れば梅雨が続いているとしか思えないのだが。
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2001年07月19日

梅雨明け

さて、いよいよ梅雨明けです。
昨日の詩は、今日書けばよかったと思っています。
あまり夏の詩がないんですよねえ。
このHPに載せている詩は20年程前の作品がほとんどなので、辛いとか 悲しいとか 疲れたとか、いわゆる青春の悩みというのが多い。
今読み返してみると、実にくだらん。
でも、その頃の自分からあまり抜け出せていないのも事実なんですよ。

さて、最近車の調子が悪かったんです。
ブレーキのかかりが良くなく、踏めばキーキー音もするので、「これは一度見てもらわんと」と思い、知り合いの修理屋さんに頼みました。
見積りをしてもらったところ、パッド交換・タイヤ交換・オイル交換他で、消費税を入れて5万5千円ということでした。
9月に車検なのに、なんでこの時期に5万5千円も払わないけんとか!?
さらに追い討ちをかけるように、「もうすぐ10万キロやけ、何と何を交換せないけん。けっこうかかるよ」とのこと。
どうやらぼくは、金払いのいい星に生まれついているようです。
次から次と、出費が付きまとう。
おかげで、お金が貯まらない。
これでも自粛しているんですけどねえ。
2,3年前から自粛体勢に入り、今ではポケットの中にはいつも2、3百円しか入っていません。
かつてはCDや本を買うのに月5万円以上使っていたのです。
でも、最近はCDを買ってないし、本は月2冊程度に抑えている。
昼食も弁当持参にかえるなどして節約している。
なのに、いつもまとまった金が出てしまう。
一昨年の11月に10万円、去年の今ごろ4万円、どちらも車の修理代に使っている。
去年の11月はスピード違反の罰金だ。
楽器店に販売委託していたギターも売れ、やっと楽になると思った矢先に、その楽器屋が倒産。 結局ギターの代金は入ってこないままだ。
昔読んだ占いの本に、「ドラマチックな人生をたどる」と書いてあったが、こういうドラマが準備されていたわけだ。
でも、めげてないということは、わりと面白い人生なのかもね。
posted by 新谷勝老 at 22:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | 歳時記 | 編集

2001年07月21日

花火大会

今日は隣の直方市で花火大会があったそうだ。
地元出身の魁皇関の優勝もあって、今日はさぞ盛り上がったことだろう。
それにしても今日の魁皇は強かった。
最初から攻勢に出ていて、危なげのない相撲だった。
横綱武蔵丸を土俵際まで追い詰められはしたが、最後は余裕で投げ飛ばした。
ここ一番の運に見放されてはいるが、おそらく今の角界ではNO.1の実力の持ち主だと思う。
つくづく、今場所の活躍が先場所にできていたら、と思う。
もしそうなっていたら、今場所は横綱になって初めての場所になっていたはずだ。
まあ、来場所も優勝して、地元九州場所で横綱デビューしたほうが、本人も嬉しいだろうし、地元も喜ぶだろう。

さて花火大会だが、ぼくは満足に花火大会は見たことがない。
見たことのある花火大会といえば、地元では「わっしょい百万夏まつり」と「洞海湾花火大会」ぐらいで、直方のも芦屋のも関門海峡のも見たことがない。
直方はどこでやっているのか知らない。
芦屋は何度か挑戦したのだが、道路が渋滞してしまって、着いたときには花火大会は終わっていた。
関門海峡は何十万人もの人が訪れるのだから、最初から諦めている。
わっしょい百万夏まつりは、前に勤めていた会社が会場に近かったので、花火の日は会社の屋上でバーベキューパーテイーをやるというのが恒例になっていたのだが、仕事の関係でまともに見たことがなかった。
洞海湾も見たといっても、会社帰りに花火が見えたので、そこに車をとめてちょっと見たという程度だ。
学生の頃、小倉球場(現在の北九州市民球場)でKBC九州朝日放送主催の花火大会のアルバイトをやったことがあるが、そのときもKBCのアナウンサーにこきつかわれて、満足に花火を見ることができなかった。

最近見た花火といえば、福岡ドームの開幕戦の時だったろうか。
ドームの中だからそんなに大きなものじゃなかったし、そう何発も打ち上げなかった。
スペースワールドの花火も時々見るが、会社の帰り、信号待ちしているときに、たまたま上がっているのを見たというもので、その状況では一発や二発ぐらいしか見れない。

以上みてきたとおり、どうもぼくは花火大会とは無縁の人間らしい。
一度でいいから大きな花火大会を、見晴らしのいい場所でビールでも飲みながら、最初から最後まで満喫したいものです。
posted by 新谷勝老 at 22:18 | Comment(0) | TrackBack(0) | 歳時記 | 編集

2001年07月30日

夕立

珍しく月曜日に休みだった。
今日は特に用がなかったので、久しぶりによく寝た。
目が覚めたら正午を過ぎていた。
昼食後に本屋にでも行こうと思っていたら、激しい夕立が降りだした。
今日の雨は凄かった。
一瞬周りの景色が見えなくなったほどだった。
前の家に布団が干してあったのだが、買い物にでも行っていたのだろう。布団を取り込んだのは雨が小降りになってからだった。
おそらく今日はあの布団では寝られないだろう。
雷も凄い音で鳴っていた。
かなり近くで聞こえ出したので、ぼくは慌ててパソコンのコンセントを引き抜いた。
前回の故障の原因は雷だったからだ。
まったく動かなくなったため、バックアップも取れずに修理に出す羽目になった。
結局ハードディスクを交換したため、大事なデータを失ってしまった。
こういう思いを再びしたくなかったので、必死だった。
雨が止むまで出かけられないし、パソコンも使えない状態なので、この間買った本を読むことにした。
が、そのまま寝てしまった。
起きたらもう5時前だった。
外を見ると晴れていたので、「さあ出かけようか」と服を着替えていると、また雨が降り出した。
昼間よりひどい雨だ。
「あーあ、出られん。もうやめた」とまた寝てしまった。
目が覚めると10時を過ぎていた。

結局今日は夕立のせいで何もできなかった。
でも、日頃の睡眠不足を少しは解消できたので、良しということにしておこう。
posted by 新谷勝老 at 22:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | 歳時記 | 編集

2001年08月02日

海水浴

今日も暑い一日だった。
昨日のおいちゃんではないが、噴水やプールなんかを見ると本当に飛び込みたくなる。
そういえば、最近海水浴に行ってない。
海に行くことはよくあるのだが、泳ぐところまでは到ってない。
10年前に沖縄に行った時、万座ビーチで泳いだのが最後だった。
地元で泳いだのはもっと遡って、20年前芦屋海岸に会社の人と行った時だ。
会社の人とは、Oさんというぼくより3つ上のドルーピーみたいな顔をした男性である。
他の人が仕事の都合で行けず、しかたなく二人だけで行ったのだ。
Oさんは「しんちゃん楽しいねえ、楽しいねえ」を連発していたが、男二人で海水浴に行って何が楽しいだろう。
20年前と言えば、Oさんは26歳、ぼくはまだ23歳だった。
「海パン姿の若い男が二人っきりで、じっと海を眺めながらかき氷を食べる図」を想像してみて下さい。
気持ち悪いのう。

あれから20年、別に海水浴が嫌いなわけではないのに、どうして行かなくなったのだろう。
家から、一番近い脇田海水浴場まで車で15分、県内でメジャーな津屋崎海水浴場まで40分。
関東でいえばすぐそこが湘南、という位置にある。
それでも海水浴に行かないのは、近すぎるからなのだろうか。
それとも「疲れるのが嫌」という世間並みの中年になったからなのだろうか。
おそらく今年も海水浴には行かないだろう。
posted by 新谷勝老 at 16:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | 歳時記 | 編集

2001年08月03日

夏休み

午前中、郵便局と銀行に行ってきた。
いつものように歩きです。
9時半ぐらいに家を出たのだが、もうすでに暑い!
郵便局に着いたときは、汗びっしょりだった。
ぼくは最近あごに汗をかくようになったのだが、これが嫌いだ。
あごが冷っとして何か気持ち悪い。
休みの日にはひげを剃らないので、汗がひげにまとわりつき、さらに気持ち悪い。

さて、帰りにちょっと寄り道して、小学校を見てきた。
もちろんぼくの通った小学校(先輩に高倉健がいる)だが、変わってしまっていた。
昔校舎だったところが運動場に変わり、運動場だったところが校舎になっていた。
ぼくたちの頃は木造だったが、立派な鉄筋の建物になっている。
ところで、今日気がついたのだが、今は夏休みに学校のプールを開放しないのだろうか?
近所の子供が何人か遊んでいる姿しか見えなかった。
ぼくたちの頃は、1時間単位でクラス別に開放していた。
その日ばかりは、通学での使用禁止になっていた自転車で行っても怒られなかった。
夏休みの楽しみは、そういうところにもあった。

8月1日、11日、21日と3回あった登校日も、今は平和教育などで日にちも変わり、回数も減っているらしい。
平和教育などといいながら、「日本人は(つまり我々の先祖)は悪いことをした」と教え込んでいるんだろう。
そんな、国や先祖に誇りを持たせない教育が、今みたいな乱れた世の中を生んだともいえるだろう。
尊敬すべき先生から「私達は、凶悪な殺人犯の子孫です!」などと言われたら、子供達はいったいどんな気がするだろう。
「どうせおれたちは凶悪な殺人犯の子孫だから」と言って、好き勝手なことをやるバカも出てくるだろう。
殺人を犯した少年が、「先祖はもっと悪い事したやろうが!」と開き直ったらどうするんだろうか?

さて、最近は外で遊ぶ子をあまり見かけなくなったが、いったい何をしているんだろう?
ぼくたちの頃の夏休みと言えば、外で思いっきり遊ぶことができることが何よりも嬉しかった。
クーラーを持っている家なんてなかった時代だが、それでも涼しい所でじっとしていることなんかなかった。
確かにいじめもあったけど、それなりにみんな外で仲良く遊んでいた。
外から帰ってがぶ飲みする水のおいしさを、今の子供達は知っているんだろうか?
posted by 新谷勝老 at 16:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | 歳時記 | 編集

2001年08月22日

閑かさや岩にしみ入る蝉の声

今まであまり意識しなかったのだが、街の騒音というのは凄いものがある。
車の音・工場の音・工事の音・電車の音・船の音・電化製品の音など、いろいろな音がミックスされて、街の音を作っている。
言い換えれば、音が垂れ流し状態になっているということだ。
ぼくの家は、工場団地の真向かいで、港の近くで、JRの鹿児島線と筑豊線に挟まれ、国道3号線と199号線のバイパスに囲まれ、その2線を繋ぐバイパスがすぐ前を走っているので、夜でもかなりうるさい。

もし江戸時代の人が現代に来たら、耳を悪くしノイローゼになるかもしれない。
江戸時代は、上に列記した音がまったくなく、あるのは風の音・波の音・鳥の声・虫の声ぐらいだったろう。
大八車を引いて大声をあげ、暴走行為をする若者もいなかったと思う。
当時の騒音といえば、蝉の声ぐらいか。
自然環境のよさや、昆虫採集などの人為的な淘汰がなかったおかげで、今以上にうるさかったのかもしれない。
それでも、「お代官様、蝉の声がうるそうてかないませぬ。何とかしてくだされ」と訴えるようなことはなかっただろう。
「蝉騒音追放!」という立札もなかっただろうし、「藩は蝉騒音の原因である樹木を伐採しろー!」という抗議行動もなかったに違いない。
日本民族というのは、元来、自然と共存してきた民族である。
今と同じように、蝉の声を騒音として捉えずに、夏の風物詩として捉えていたことだろう。

それにしても、江戸時代はどのくらい静かだったのだろうか?
日露戦争の時、日本海海戦の大砲の音が数十キロ離れた港町まで聞こえたという。
いかに海の上といっても、今なら数十キロ先の音は聞こえないだろう。
この時にはすでに八幡製鉄所は開業しており、鉄道は引かれていたのだから、多少の騒音はあったはずだ。
そんな明治後期にしてこの調子だから、製鉄所も鉄道もなかった江戸時代はどんなに静かだっただろうかと考えてみたくもなる。
「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」
静寂きわまる世界を、ぜひ一度体験したいものである。
posted by 新谷勝老 at 17:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | 歳時記 | 編集

2001年12月24日

12月の話題から

「正当防衛射撃」
こんな間抜けな日本語は聞いたことがない。
あまりに解説めいた事務的な言葉である。
というより、ダサい。
それに、自分たちで編集したビデオに、わざわざこんな下手なタイトルをつけていること自体おかしい。
まさか彼らは、この言葉に酔っているのではないだろうか?
こんな間抜けなネーミングしか出来ないのなら、「射撃!」とか「応戦中」とかにしておけばいいじゃないか。
もしくは、それに見合った言葉を民間から公募しろ。
全国には公募マニアといわれる人が腐るほどいるのだから、ネーミングはそういう暇な人たちに任せて、海上保安庁は職務に専念しろ。
まったく、くだらん言葉を作りやがって、「新聞」や「経済」といった後世に残る新語を、続々と作りだした祖先に対し、恥ずかしいとは思わないのだろうか?


「田代まさし」
テレビで活躍していた頃の田代を、面白いと思った人はいるだろうか?
ギャグのセンスはヤクルトの高津以下である。
まあ、高津の場合は本職じゃないので許されるが、歌を捨てた田代は人を笑わせることを本職として選んだじゃないか。
くだらん駄洒落ばかり言いやがって、そのクラスの人間ならうちの会社にもたくさんおるわい。
と、ぼくは思っていた。
しかし、それは大きな間違いだった。
こいつほど面白い男はいなかった。
次から次に、いろんな事件を起こしてくれる。
そのつどワイドショーは、時間を割き田代の特集をやる。
某テレビ局は、その特集の中で、学者を登場させ、田代の顔の表情や行動を分析させていた。
その学者は、散々ひどいことを言っていたが、あげくに「彼は性的不能者でしょう」とまで言うしまつだった。
これには笑ってしまった。
会ったこともない人から、「性的不能者」呼ばわりされるほど面白い奴だったのか、田代は!

「しかし、ここまで来ると田代も終わりだ」
と思っていたら、意外なところで彼は蘇った。
その場所は、あの米誌「TIME」であった。
なんと「今年の人」のオンライン投票で、1位に輝いたのだ。
もちろん日本人の組織票だったらしいが、あのビンラディンに大差をつけての、堂々の1位だったらしい。
こういったことも、田代の面白さがさせる業であろう。
「もっと田代の面白い余罪を探してくれんかなあ」と思うしだいである。


「サッチー逮捕」
ワイドショーでサッチーの特集をやるたびに、いつも気になる人が出てくる。
フルネームは忘れたが、元南海ホークスマネージャーのS氏である。
以前、「サッチーVSミッチー」の時に、突然この人が出てきて、「克ちゃん、目を覚ませ」とか「克ちゃん、帰って来い」などと言って泣いていたのが不思議でならなかった。
野村前監督の前妻正子さんのことも、涙ながらに語っていたが、「結局この人は、正子さんのことが好きじゃなかったのか?」とぼくは思いながら見ていた。
今回「サッチー逮捕」の時も、S氏は登場していた。
あの頃よりは少し老けたように感じたが、杉浦節は健在であった。
しかも、まだ泣いていた。
この間、南海時代の野村前監督とS氏の2ショットの写真を、テレビで紹介していたが、ただの男二人の写真には見えなかった。
何か、ちがった世界があるように見えたのだ。
それが愛情だったのか、嫉妬だったのかはわからないが。
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2002年01月02日

正月の遊び

明日から仕事だ。
実は、1月1日,2日というのは、ぼくにとって年に一度しかない連休なのである。
別に連休が取れないわけではないのだが、3勤1休の生活に慣れると、連休をとるとどうも落ち着かない。
旅行などの用事がない限り、うまく連休を過ごせないのだ。
この二日間の連休も、昨日こそ予定を組んでいたものの、今日は何も考えていなかったために、一日中寝ていた。
寒いということもあって、今日は一歩も外に出てないから、おそらく明日は半病人状態だろう。

そういえば、ここ二日間で感じたことだが、外で遊んでいる子供がいない。
ぼくたちが子供の頃は、元日からみんな外に出て、コマ回しや凧揚げをしたものだった。
凧揚げは正月だけの風物詩であったが、コマ回しは、ぼくの住んでいる地区では、唯一のウィンタースポーツであった。
ひと冬通じて、みんなが投げゴマに熱中した。
当時のコマは、今のコマのように民芸品化したものではなく、コマ本体、心(しん)、紐と、駄菓子屋で各パーツごとに売られていた。
コマはベーゴマではなく、木製のものだった。
心を火であぶって本体にさし込み、自分の好きなようにカスタマイズしていく。
相手のコマを割るために心の先を尖らせたり、長く回すために心を短く削ったり、紐を細くしたり、と各自が工夫していた。

ゲームは、ジャンケンで暫定的に将軍を決める。
ジャンケンに負けた順にインビ、ニビ、サンビ・・・、副将という地位になり、勝った者が将軍となった。
将軍が「天下の号令、インビ参れ」と言って、地位の低い者から順番に投げさせていく。
最後まで回っていたものが、次の将軍になる。
ぼくはコマがあまり得意ではなかったので、よくインビをやらされていた。
インビはいろいろと不利であった。
最後の将軍が投げるまで、1分ほどの時間差があるので、当然将軍に勝つことは出来ない。
当てゴマがOKだったので、割られることが多い。
割られたら、他にコマを持ってないものは、当然遊ぶことが出来なくなる。
当時コマ一式で20円ほどだったから、一日10円しかお小遣いをもらってない子供は翌々日までコマを買うことが出来ない。
もしコマをやらないということになると、コマを見るのも辛いし、家にいてもつまらないし、外で遊ぶとすれば女子とゴム跳びをするしかない。
こんなの嫌だったから、お年玉などをもらった時などに、コマの買い置きをしておいた。

そういう遊びも、ぼくたちの世代が最後だったようだ。
ぼくが中学生の時には、この時期に外でコマを回している者はもういなかった。
合わせて、ダンチン(ビー球)やパッチン(メンコ)も廃れていったようだ。
ぼくが小学校高学年の頃から徐々に流行り始めた、ローラースケート(ローラーゲームの影響か?)やボーリング(中山律子の影響か?)など、金を使う遊びが主流になっていったんだろう。
その後はテレビゲームの普及などがあり、その延長に今がある。
そういえば最近、「子供は風の子」という言葉を聞かなくなった。
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2002年03月20日

三温四暑

「もう初夏やん」と思えるほど、今日は暑かった。
職場は熱気でムンムンしている。
ぼくは、ユニホームであるジャンバーの袖をまくりあげ、下にはTシャツ1枚という夏の装いをしていたが、全身汗ばみ、頭は痒くなる。
タバコを吸いに外に出ると、日差しが強く、店内とはまた違った暑さがあった。
いつも腰をかけているパレットは焼け付き、まるでオンドルの上に座っているようだった。
なんでも、今日の福岡の最高気温は24度、これは5月中旬の陽気だそうである。
気温がもう1度上がっていれば夏日である。
テレビの天気予報では、水着を着た子供が浜辺で遊んでいる姿を映し出していた。
桜も例年より早く咲いている。
桜が咲けば、当然花見をする。
が、ちょっと待てよ、まだお彼岸じゃないか。
本来なら花見ではなく、墓参りに行く時期なのである。
花見や海もいいけれど、明日は春分の日、ちゃんと墓参りに行ってください。
かく言うぼくは、昨日墓参りに行ってきた。
前にも言ったが、墓とはいってもお寺の納骨堂なので掃除はいつも行き届いている。
ぼくたちがやることといえば、「お寺に行き、お供え物をし、拝み、本尊にお賽銭を上げ、帰る」という、簡単なものである。
しかしこんな簡単な墓参りでも、行くと行かないとでは大きな違いがある。
行くと、なぜか安心するものだ。
別に墓参りに行くのに、目を輝かせて、
「今日は墓参りだから気合を入れて行こう」
などとは思っていない。
なんとなくお墓に行って、なんとなく帰るだけである。
拝むといっても、念仏やお経を唱えるわけではない。
ましてや、「ああしてくれ、こうしてくれ」と願い事を言うわけでもない。
ただ軽く手を合わせるのみである。
逆に行かないと、何か落ち着かない。
この落ち着かない気持ちが、次のお参りまで続く。
何か事件が起きるたびに、
「そういえば、墓参りに行かなかったからなあ・・・」
といつも後悔してしまう。
別に「墓参りに来なかった」と言って先祖に恨まれているわけではないだろう。
「墓参りに行ってない」という後ろめたさが、そう思わせているだけのことである。
要は気持ちの問題、ということか。

そういえば、ぼくは墓参りには行くけれど、家の仏壇にはめったに手を合わさない。
よく金縛りにあうと言っているが、もしかしたらそれは、先祖が「手を合わせろ」と言いに来ているのかもしれない。
そういえば以前母が、
「仏壇に水をやり忘れると、決まって金縛りにあう」
と言っていた。
霊ののどが渇くとは思えない。
まあ、それも気持ちの問題なんだろう。

再び天気の話に戻るが、明日は雨が降るらしい。
この雨を境に冷え込むらしい。
冷え込むと言っても、平年の気温に戻るということだろうが。
今年の気象は異常である。
しかし、この異常も何年か続けば、平年扱いにされるだろう。
そうなるとこの時期は、「三温四暑」と呼ばれるようになるのだろうか。
posted by 新谷勝老 at 20:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | 歳時記 | 編集

2002年06月30日

旧暦

最近、『Eメール暦全書』というメールマガジンをとっている。
翌日の暦を教えてくれるメルマガで、毎日お昼ごろ届く。
なぜそのメルマガをとっているかというと、二十四節気と旧暦を知りたかったからである。
だいたい、日本の季節というのは二十四節気通りに動いている。
体験的に1年を通して、一番寒いと感じるのは1月20日前後である。
そう、ちょうどその頃が「大寒」である。
そのことを知ってから、ぼくは二十四節気に興味を持つようになった。
二十四節気を知ってから、ぼくは本当の意味での季節がわかるようになった。

旧暦に興味を持ったのは他でもない。
月の満ち欠けを知りたかったからである。
40歳を越えた頃から、ぼくは星を見るのが好きになった。
その星の鑑賞を邪魔するのが月である。
星がきれいに見えるのは、月が出てないときである。
そのためにぼくは月齢付きのG-SHOCKを買ったのだが、時計をしているとかぶれてしまうので時計を腕にするのをやめてしまった。
だいたい、月の満ち欠けというのは新聞を見ればわかることなのだが、毎日それを見るのも面倒だ。
そこで思いついたのが旧暦だった。
旧暦だと1日が新月、3日が三日月、15日が満月になる。
こんな便利な暦を、どうして使わなくなったのだろう。
これだと、山で遭難しても、海で漂流しても、だいたいの日付がわかるじゃないか。

日本の文化というのは、いまだに旧暦が根強く残っている。
芭蕉に『五月雨を 集めて早し 最上川』という句があるが、これを現在の太陽暦に当てはめると、『集めて早し』が全然生きてこない。
梅雨時期(今の6〜7月にかけて)の雨だから生きる句である。
七夕もそうである。
生まれてこの方、7月7日に晴れていたという記憶がない。
太陽暦の7月7日は、日本では梅雨の真っ盛りである。
「織姫と彦星は今年も会えなかった」と、小学生の頃いつも思っていたものだった。
しかし、これも旧暦なら合点がいく。
太陽暦だと、七夕は8月の中旬にあたる。
歳時記でいえば、「夜の秋」というのが妥当な時分か。
月は半月、台風さえ来なければ、星の見ごろである。
旧暦に戻そうという声が、最近あちらこちらで聞かれはじめている、と何かの本で読んだことがある。
ぼくもそうなればいいと思う一人である。
posted by 新谷勝老 at 10:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | 歳時記 | 編集

2002年07月17日

通り雨

  『通り雨』

 通り雨犬といっしょに 夏、背中を濡らし
 大きな雲が頭の上で 黒くにじこむ

 息を詰まらす 俄かな夜の中を
 走ってきた雲は光を放ち 大地を震わす

  ついさっきまでの太陽の中 ぼくは影を落とし
  座り込んでの手探りの中 もう帰ってこない

  傘をさせる人は笑いなさい 深い水たまりの中で
  車で行く人は急ぎなさい あの雲を超えて

 通り雨ぼくと似た人が 黒い喪服を濡らし
 降り続く雨はまた轟々と 影をにじます


いやはや、すごい雨だった。
昨日の日記を書いたあと、狂ったように雨が降り始めた。
空は真っ暗になって、時折雷も鳴っている。
「これは大渋滞に陥るな」と、ぼくは慌てて会社に行く準備をした。
いつもより少し早く家を出た。
その頃は雨はやんでいた。
この状態が続いてくれればいいが、とぼくは車に乗り込んだ。

運転し始めて2分ほどたった頃、また雨が降り出した。
最初は小降りで、だんだんと雨脚が強くなり、降り出して2,3分で土砂降りになってしまった。
免許を取って以来、こんな大雨にあったことはない、と思わせるほどの大雨だった。
空は真っ暗になり、フロントガラスに雨が叩きつけるので、見通しが悪くなった。
前の車は見えるのだが、距離感がまったくつかめない。
雨水が道路に氾濫して、まるで川のようになっている。
そのせいか、ブレーキの効きも悪くなっているように思える。
そういう状態の時に、3号線という一番交通量の多い場所に出た。
ラジオでは「福岡市内は今小降りです。雨雲は北九州の方に向かっているもようです。まもなく北九州地区は大雨になると思われます」と言っている。
思わずぼくは「もうなっとるわい」と、車の中で叫んでいた。

さて、その交通量の多い場所だが、今日はそれほど車の量は多くなかった。
9時をちょっと過ぎた頃だったので、通勤による渋滞はもはや終わっていたのだが、普段は大型トラックや営業車が多く走っている時間帯である。
おそらく、雨がやむのを待って待機しているのだろう。
ぼくとしては、それが返って好都合だった。
混乱もなく、スムーズに車は流れた。

最後の難所である戸畑バイパスでも、大きな混乱はなかった。
しかし、ここは坂になっている上、水はけが悪く、道路上を雨水が滝のように流れている。
ここで、いつも困ることがある。
対向車や追い越し車のハネがかかるのだ。
フロントガラスめがけて、大量の水が飛んできて、一瞬何も見えなくなる。
当然徐行はしているのだが、こういう場合思わずブレーキを踏んでしまうものである。
そういう時、車間を詰めていると、当然追突事故につながる。
今日もそういう状態だった。
幸い今日はみな車間を空けていたので、追突したりされたりはなかったが。

まあ、そういうわけで、なんとか無事に会社までたどり着いた。
予報では今日は一日、こういう天気が続くと言っていた。
しかし、会社に着いたとたん、雨は小降りになり、その後は晴れ間も出ていた。
午後からは完全に晴れていた。
posted by 新谷勝老 at 11:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | 歳時記 | 編集

2002年08月11日

盆踊り

今日は8月11日か。
ぼくが小学生の頃、この日は登校日だった。
先生が黒板に山の絵を描いて、「7月21日がふもとで、8月1日の登校日が5合目付近、そして今日8月11日はちょうど山頂にあたります」と言っていたのを覚えている。
祭や海水浴といった夏休みの楽しいイベントは、大半がこの日以前、つまり前半で終わってしまう。
一つ残ったイベント、盆踊り大会も、後4日すれば終わってしまう。
それから後は台風が来たり、宿題に縛られたり、あまり面白かったという記憶はない。
高校野球も、次の登校日である8月21日頃には終わってしまう。
それを過ぎると、「夏休みはあと○日しか残ってない」という焦りと寂しさでいっぱいになる。

さて、いよいよお盆である。
そういえば、最近ぼくの住んでいる地域は盆踊り大会をやらなくなった。
いろいろ事情があるのだろうが、一番大きな理由は、高層マンションやアパートが急に増えたため、この地域を故郷にしている人の割合が極端に少なくなったということだ。
つまり、お盆になると、この地域に住む人の多くは故郷に帰るということである。
これでは盆踊りも出来ない。

地域の連帯感がなくなったこともある。
以前は町内を細かく区切っていたため、町内会長がいろいろ世話を焼いてくれていたが、区画整理をしてからこちらは、より町内が広域になったせいもあり、手が回らなくなった。
何せ、ぼくの住む1丁目だけでも、5千人以上の人が住んでいるのだから。
その中には外国人もいる。
習慣や宗教の違う人たちに、「盆踊り大会に参加してください」と言っても、所詮無理な話だろう。

また、高層の団地がたくさん建ったために、公園の数が減ってしまった。
以前は各町内に一つの割合で公園があったのだが、今は広いだけがとりえの、とってつけたような公園が一つあるだけである。

とはいえ、町内会としては、何かやらないと示しがつかないので、最近は8月の頭にその公園を利用して、カラオケ大会なんかをやっている。
しかし、その頃は北九州最大の祭とかぶるため、すこぶる人の集まりは悪い。

ぼくが小学生の頃は、盆踊り大会も賑やかだった。
町内のあちらこちらから、盆踊りの歌が流れていた。
踊りに参加すると、アイスクリームをもらえるという特典もあった。
また、盆踊りのある8月13日から15日の3日間だけは、駄菓子屋も夜の9時までは店を開けていた。
いわば、子供たちが公然と夜遊びのできる3日間だったわけだ。
盆踊り大会で一番よかったのは、夜も友だちと遊べることだった。
夜に友だちと会うというのは、昼間会う時とはまた違った感じがしたものだ。

幸いぼくは盆踊りという習慣を通して、日本の伝統や文化を体験して生きてこれたのだが、今この地域に住む子供たちは、それも知らないまま大人になっていくのだろう。
それを考えると、ちょっとかわいそうな気がする。
でも、まあいいか。
彼らのことだから、盆踊り大会があったとしても、相変わらず家にこもってゲームをやっているのだろうから。
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2002年09月20日

彼岸の入り

「序」
今日は午前中仕事だった。
先週の火曜日に休んで以来、休みの日には会社に出ているから、これで10日連続して会社に行ったことになる。
無料奉仕なので、必要以外の仕事はしないことにしている。
終わったら長居せず、さっさと帰る。
これが疲れをためないコツである。
とはいえ、一日中仕事のことを考えなくていい時間がほしいものである。
あと4日、仕事に行かなくてはならない。


「暑さ寒さも彼岸まで」
さて、早めに仕事を終えたぼくは、午後から墓参りに行った。
そう、今日から彼岸である。
今日も日中は暑かった。
心なしか風は冷たかったのだが、何といっても日差しが強い。
「暑さ寒さも彼岸まで」と言うが、別に太陽が「おお、今日から彼岸か。じゃあ、火を小さくしようかのう」などと、焼肉屋みたいなことを思っているわけではない。
太陽の熱さはいつも一定だ。
福岡県のデータでは、秋の彼岸以降30度以上の真夏日になった日が過去4度あるらしい。
もしかしたら、今日は5度目だったのかもしれない。
それほど暑かった。
「暑さ寒さも彼岸まで」では、裏切られた時の苦痛が大きい。
いっそ「暑さ寒さは彼岸から」にしたほうがいいのではないだろうか。


「ティッシュ」
墓参りから一度家に戻り、今度はJRで黒崎に向かった。
そう、今日は20日、給料日である。
月例の銀行周りの日だ。
午後4時を過ぎてからも日差しは強かった。
駅に着いたぼくは、さっそくティッシュ攻撃を受ける。
武富士、アイフル、レイク、三洋信販などなどである。
それにしても消費者金融業界は馬鹿だ。
ティッシュしか頭にないのだろうか?
他に何かしゃれたものをくれたら、こちらも受け取るのに、どこもかしこもティッシュだから、一つもらったら充分である。
こちらは、そんなにたくさんもらうほどの入れ物を用意しているわけではないのだ。
ただでさえ、小学校以来、ハンカチやちり紙をポケットに入れるのが嫌いなのに、二つも三つもどこに入れろというのだ。


「ハト攻撃」
さて、ティッシュ攻撃が終わると、今度はハト攻撃である。
人を見ると、ハトが寄ってくる。
「当然、あんたも何かくれるんでしょ」とでも言いたげな顔をしている。
お前らにやる餌なんか持ってないわい!

だいたい、誰かがいい人ぶってハトに餌なんかやるもんだから、ハトが人を恐れなくなるのだ。
昔、ある坊さんが、寺に鹿が来るたびに棒で叩いて、山に追い返したという。
ある人が見かねて、「どうして罪もない鹿を叩くのですか?」と尋ねた。
すると坊さんは、「こちらも鹿が憎くて叩いているのではない。ただ鹿が人を恐れなくなると、返って困るのは鹿のほうだ。ゆくゆくは悪い人間から殺されるだろう」と言ったという。
これこそ本当の慈悲心である。

いい人ぶる人は、ハトに餌をやるという行為が、ゆくゆくハトを不幸にするというということがわかっていない。
いずれハト公害が叫ばれ、ハト駆除へと続いていくのは目に見えている。
さらに、いい人ぶる人は、自分が街を汚しているということに気づいていない。
ばら撒いた餌の残りや、ハトの糞は誰が掃除するんだろう?
自分がいいことをやっていると思うのなら、ちゃんと掃除までやるべきである。
彼らこそ無慈悲で無責任な人間であるといえるだろう。


「総括」
今日は天気予報では「くもりのち雨」になっていたが、実際は「くもりのち晴」だった。
ま、こんなことどうでもいいや。
posted by 新谷勝老 at 15:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | 歳時記 | 編集


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