2003年08月20日

皿倉山の夜景

昨日、銭湯から帰ったのは午後6時頃だった。
実は、昨日は予定していたことがあった。
それは、家族と皿倉山に夜景を見に行くことだった。
先日、会社で皿倉山のケーブルカーとリフトの割引券をもらっていたのだ。
有効期限は8月24日までである。
次の休みは22日だから、まだ日にちに余裕はあったのだが、その日は金曜日でが多いことが予想されたため、19日に晴れたら絶対に行こうと思っていた。
この日なら、ケーブルカーにゆったりと座って山頂まで行ける。

家を出たのは7時を過ぎていた。
家から見える夕日が沈むのを確認してから出かけた。
途中寄り道したため、麓のケーブル駅には7時40分頃着いた。
平日なので駐車場も空いているだろうと思っていたが、甘かった。
駅前の駐車場はすでに満車で、その一段下にある駐車場に停めなければならなかった。
ぼくが駐車場に入れている間にも、何台かの車が入ってきた。
駅前の駐車場と、この駐車場に停まっている車を合わせると、結構な人数になる。
これでは、ゆったりと座って行けそうにもないではないか。

極めつけは、バスだった。
近にある八幡Rホテルのバスで、泊まり客から希望者を募り、皿倉山に連れてきたらしい。
バスの扉が開くと、次から次へと客が降りてきた。
いったい何人の人が、112人乗りのケーブルカーに乗って行くのだろうかと思うと、だんだん不安になってきた。

駅に入ったのは、ちょうどケーブルカーが出発した後だった。
次の出発まで、20分待たなくてはならない。
すでに多くの人が並んでいる。
ぼくたちは、何とか次のケーブルカーに乗れる範囲に並べた。

20分後、出発である。
これだけ人が多いと、座ることも出来ない。
とはいえ、2年前に替えたばかりの新しいケーブルカーは、実に快適だった。
しかも速い。
標高600メートル以上ある山頂駅まで、何と5分で着いてしまう。
以前のケーブルカーだと、こうも速くなかった。

山頂駅に近づいた時、「ウォー」という歓声が聞こえた。
黒崎方面の夜景が見えたのである。

山頂駅から展望台まではリフトで向かう。
足元に広がる、宝石を散りばめたような夜景は、何ものにも喩えることの出来ないような素晴らしいものだった。

さて、山頂に着いた。
ぼくは用意してきたデジカメを取り出し、夜景を写してみた。
ところが、所々に光の点があるだけで、何を写しているのかわからない。
何度かやってみたが、まったくだめである。
当然の事ながら、携帯電話についているカメラなんか話にならない。
ということで、その夜景を日記に載せるのは断念した。

とはいえ、ぼくの文章力では、この美しさや感動を充分に伝えることが出来ない。
そういうわけで、家に帰ってから、この感動を伝えるサイトはないものかと探してみた。
ありましたよ。
これです。
これがぼくの見た風景です。
皿倉山の夜景(『瀬戸の夜景』より)
携帯の方は、こちらの皿倉山のところをご覧下さい。
(この画面に映っている洞海湾の左端のほうに、ぼくの家があります)

市はこの夜景を『100億ドルの夜景』と名付けている。
30日は『夜景フェスタin皿倉山』というのが開催される。
その日は仕事なので行けないが、夜景の協力だけはしようと思っている。
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2003年11月25日

日帰り旅行

今日も天気予報が外れた。
昨日の天気予報では「晴」だったが、朝から曇天、昼からは雨が降り出す始末だった。

今日、ぼくは家族と、福岡の小京都と言われている秋月に紅葉を見に行く予定にしていた。
天気予報を信じて、それなりの準備をしていた。
ところがいつまでたっても晴れない。
一時は断念しようかとも思った。
しかし、前回も雨で流している。
今日を逃したら、今年の紅葉は見られないままで終わってしまうだろう。
ということで、今日は強行して出かけることにした。

まあ、雨とは言ってもパラつく程度だったので、さして車の運転には影響はなかった。
特に渋滞もなかったので、比較的快適なドライブだったと言える。
ただ、運転出来るのがぼく一人しかいない、という気の重さはあったが。

さて、昼の12時半に家を出て、着いたのは2時半だった。
高速を使っていれば、もう少し早く着いたかもしれない。
が、行き先は県内なので、高速を使うほどのことはないと思い、一般道で行くことにした。

秋月につくと、それまでの曇天や小雨が嘘だったかのように晴れ上がった。
少し雲はかかっていたが、ほとんど快晴と言っていい状態である。
気温のほうだが、秋月は山あいにあるため、風は冷たかったが、日差しの強さが手伝って、あまり寒さは感じなかった。
秋月城趾を散策するには、もってこいの気候だったと言える。

秋月には何度か行っているので、別段感動するような場所はなかった。
また、お目当ての紅葉も、所々色づいてはいるものの、目を奪われるといった風景にはお目にかかれなかった。
「ちょっと遅かったか。この程度なら、家の窓から見える紅葉のほうがまだましだ。わざわざやってくるまでのことはなかった」と少し後悔した。

ところが、この後悔を打ち消すものが現れた。
日照庵というお寺で飼っている猫である。
ぼくは今までいろいろな猫に接してきたが、いつも迷惑がられてばかりいた。
ところが、日照庵の猫はそうではなかった。
ぼくを歓迎してくれたのだ。
その猫たちは、檻の中に飼われていた。
アメリカンショートヘアとペルシャとシャムの3匹である。
ぼくの姿を見つけると、その猫たちは嬉しそうに「ミャーオ」と言いながら、ぼくを手招きして呼んだのだ。
近寄っていくと、檻の網に体をすりつけて喜ぶ。
猫大好き人間のぼくには、このしぐさが可愛くてたまらなかった。
抱くことが出来ないので、網から指を差し出すと、猫たちは首をこすりつけた。
3匹が3匹とも同じしぐさなのだ。
おそらくこの猫たちは、この寺に奉ってある虚空蔵菩薩の化身なのだろう。
おかげで、ぼくの心も癒やされたのだ。

秋月には2時間ほど滞在した。
垂裕神社と、例の日照庵に行ってから、腹が減ったので名物の「くずきり」を食べた。
モチモチしてはいたが、空腹を満たすだけの量はなかった。
このままだと家まで持たないと思い、甘酒を注文しようとした。
が、糖尿恐怖症のため思い直し、漬け物を食べることにした。

店を出ると、辺りは薄暗くなっていた。
5時が近くなっている。
あまり遅くなると困るので、「今日はここまで」ということになった。
その後、また2時間かけて家に戻った。
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2004年03月26日

旅行に行きたい

「今年こそは」、と思っていることが、ひとつある。
それは旅行である。
前々から行きたいと思っていたのだが、暇と金がないためいつも諦めていた。
しかし、今年は何とか金の工面が付きそうなので、ぜひ連休を取って行きたいのだ。
で、どこに行きたいのかというと、それは東京である。

当初は沖縄もその候補に入っていたのだが、時期的なものもあるし、たった一泊では、沖縄を満喫することが出来ない。
ということで、行き先は東京ということになった。

まあ、東京に行くとは言っても、ディズニーランドやお台場といった、メジャーなところに行くわけではない。
それではどこに行きたいのかと言えば、それは浅草と神田神保町である。

十数年前、横須賀の叔父が亡くなった。
たまたまその日ぼくは休みだったので、すぐさま飛行機に乗り、横須賀に向かった。
横須賀に着いてから、しばらく通夜の準備をしていたのだが、それが終わると、通夜まで時間が余ってしまった。
そこでぼくは、「ちょっと、出かけてくる」と言って、京浜急行に乗り、そのまま浅草まで行った。
その後、神保町に行って、本を買い漁った。
横須賀に戻った時には、すでに通夜は終わっており、親戚一同からさんざん文句を言われた。

その少し後のこと。
KORG(楽器メーカー)の新製品発表会が東京であった。
出張扱いにすると、日帰りしなければならないので、ぼくは公休を利用し、東京で一泊することにした。
発表会は初日だけだった。
翌日はもちろん自由だった。
ということは、当然例の場所に行くことになる。
朝10時にホテルを出て、すぐさま浅草へと向かった。
観音さんにお参りした後、神保町の古書街に行き、そこで本を数冊買った。
その後、食事もせずに羽田に向い、帰りの飛行機に乗った。
午後1時の飛行機で、その30分前に搭乗手続きをしたから、ホテルを出てから2時間半後には羽田に着いていたことになる。
「もっとゆっくりしてくればいいのに」と、帰ってから母に言われたが、ぼくはそれで充分だった。
東京と言ったって、ぼくの興味がそこにしかないのだから、しかたがない。

おそらく、今回も同じところを回ることになるだろう。
とはいえ、今回は一人旅ではない。
当然嫁さん同伴になるだろうから、もしかしたら鎌倉まで足を伸ばすかもしれない。
しかし、ディズニーランドやお台場には行かん。
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2004年07月30日

角島に行く

さて、今日は日記を更新したあと、山陰に行った。
山陰、イメージ的には遠い所のような感じもするが、うちから高速を飛ばせば1時間もかからない。
今日行ったのは、2年前に橋が架かり、新たな観光名所となっている山口県の角島という島だった。
ここには昨年も行った。一昨年も行った。
ぼくにとっては、何度行っても飽きない場所の一つである。

実は、昨日からそこに行く計画を密かに立てていたのだが、日記の更新が大幅に遅れたので、また次回にしようかと半ばあきらめ加減でいた。
ところが、嫁さんが「せっかくの休みだから、どこかに連れて行って」と言う。
時間を見ると、もう午後2時近くである。
「こんな時間からどこに行くんか?」
「近くでもいいけ」
「近くのう…。山口はどうか?」
つい口走ってしまった。
「行く!!」
「なら、高速代とガソリン代出せよ。それなら行ってやる」
「わかった」
ということで、結局行くことになった。
最初は一般道を走って行こうと思っていたのだ。
が、その時間から一般道で行くと、市内や下関で渋滞に巻き込まれてしまい、着くまでに3時間は優にかかってしまう。
こういう時は、高速に限る。

さっそく家を出たぼくたちは、山口に向かった。
都市高速は多少混んでいたが、小倉を過ぎると流れがよくなった。
都市高速は、門司で九州道と合流する。
九州道を下関方面に向かい、関門橋を渡ると、そこからが中国道である。
下関に入った時に時計を見てみると、家を出てからまだ30分しかたっていなかった。
さすが高速道路である。
一般道を通ると、いくら空いていてもここまで早く下関に入ることはできない。

角島は小月インターで降り、そこから4,50分走ったところにある。
2年前、仲間と川棚温泉に行ったことがある。
その時、温泉に入るにはまだ時間が早いということで、ちょっと足を伸ばして西長門リゾートホテルまで行った。
西長門には何度か行ったことがあった。
だが、その時そこには、ぼくがそれまで見たことのない風景があった。
「海の上を道路が走ってる!」
『海の上の道路』、もちろん橋のことなのだが、関門橋や平戸大橋のような吊り橋ではない。
海の中に何本もの橋桁を打ち込み、その上に道路を乗せているのだ。
いわば海の上の高架橋といった感じである。

さっそく、その橋を渡りに行った。
大海原の上を車で走るのは、実に爽快である。
ただ、その時は空が曇っていたので、海も濁って見えた。
橋が出来て日が浅いこともあって、いろいろな施設もまだ建築中だった。
そこで、「来年またここに来たいものだ」と思ったものだった。

冒頭にも書いたが、角島に行くのは今日が3度目となった。
台風の余波もなく、空は完全に晴れ上がっていた。
海はエメラルドグリーンが映え、橋を渡っている時、吸い込まれて行くような錯覚すら覚えた。
昨年もここに来ているのだが、薄雲がかかっていたため、今日ほど美しくはなかった。

島に渡ると、夕方近くとはいえ、まだ多くの人が海水浴を楽しんでいた。
その海水浴場の前に売店がある。
そこでぼくたちはアイスクリームを買い、しばらく夏色の海を眺めていた。
ところが、そこで現実に引き戻された。
その海水浴場には拡声器が取り付けてあったのだが、そこから聞こえてくるのは音楽ではなく、AMラジオの音だった。
しかも、山口なのに、なぜか福岡の放送を流していたのだ。

もう一つ興ざめすることがあった。
それは、

mamushi.jpg

これです。
こんなこと書かれていたら、誰もそこで泳ぎたくなくなるじゃないか。
ただでさえ無防備、つまり真っ裸に近い状態なんだから。
これでは浜辺で寝ることも出来ない。

結局、角島には30分ほど滞在しただろうか。
その後川棚温泉で瓦そばを食べ、それから家路についた。

(追記)
今日ぼくが行った角島のことは、ここに詳しく書いてあります。
posted by 新谷勝老 at 02:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行記 | 編集

2004年08月10日

皿倉山灯籠まつり

『空の日記』にも書いたが、今日、新日本三大夜景の一つである皿倉山に行ってきた。
新日本三大夜景」などと書くと、どこか遠くのように感じるが、うちのすぐそばである。
今日の新聞に『皿倉山灯籠まつり』をやっていると書いてあったので、行ってみる気になったのだ。
この祭りに行くのは、昨年に続いて2度目になる。
祭と言っても夜店が出ているわけではなく、ケーブルカー駅前の山道に約300個の灯籠がただつり下げられているだけの簡素なものだ。
だが、この祭はそれだけで充分なのである。
山道の静けさの中、灯籠の不器用な灯りと、そこにつり下げられたガラス風鈴の「からから」という乾いた音色が、幻想的な世界を醸し出す。
その雰囲気を味わいたかったわけだ。

昨年と同じく麓に車を停め、そこからケーブルカーに乗り山上駅まで行く。
祭はその駅前で行われているが、それは後回しにして、まず山頂へと行く。
山上駅から山頂までは歩いてもそう遠くない距離なのだが、夜景を満喫するためにリフトを選んだ。
このリフトに乗ると、足下に夜景が広がり、体が夜景の上に浮かんでいるような錯覚に陥る。
それほど街が近くにあるのだ。

さて、山頂に着き展望台に行ってみると、昨年同様に多くの人が展望台を埋め尽くしていた。
その隙間に割り込んで、さっそく街を見下してみた。
が、今日は何か霞んで見える。
」普段はもっと街の灯りがくっきりと見えるのだが」
そう思って空を見上げてみると、こちらも星が霞んで見える。
これも暑さのせいなのだろうか。
しかし、せっかく来たのである。
ぼくはその夜景を携帯のカメラに収めることにした。
ナイトモードに切り替え、何度かシャッターを切ったが、『空の日記』にあるような画しか撮れなかった。
これくらいの画を撮りたいと思っていたのだが、やはり無理だった。

その後、山上駅に戻り、幻想の世界に浸った。
下界の華やかな夜景をバックにした淡い灯籠の灯りは、もの悲しくもあった。
そろそろお盆である。


ぼくが特に気に入った灯籠を紹介します。
これらの画を見ながら、「からから」というガラス風鈴の音を思い浮かべれば、もしかしたら幻想に浸れるかもしれませんよ。
posted by 新谷勝老 at 02:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行記 | 編集

2004年11月15日

久しぶりの大分行き

12日の日記にも書いたが、明日は耶馬渓に紅葉を見に行くことになっている。
その日の日記に『問題は、果たしてそれまで紅葉が持つかどうかだ』と危惧していたのだが、昨日一昨日のテレビで「耶馬渓は今紅葉のピークです」と言っていた。
明日は天気も良さそうだし、絶好の紅葉日和になりそうだ。

しかし大分に行くのも久しぶりである。
前回行ったのが昨年の8月だったから、1年3ヶ月ぶりということになる。
以前は毎月のように大分に足を運んでいたものだ。
一番多く行ったのが九重で、たまに湯布院や竹田などにも足を伸ばしていた。

うちから大分に行くには、だいたい三つのルートを通ることになる。
一つは熊本から入るルートで、熊本までは高速を利用する。
阿蘇によく行っていたので、帰りに大分県を抜けるのである。
まあ、素通りルートといったところか。
もう一つは、飯塚経由で日田に抜けるのだが、この道は湯布院や黒川温泉に直接行く時によく利用したものだ。
途中有料道路などなく、一番経済的なルートだった。

さて、もう一つが問題の東九州ルートである。
都市高速で小倉南まで行き、そこから10号線に出て、中津に入るルートで、別府や耶馬渓に行く時に利用していた。
このルートが距離的に言えば一番近い。
が、感覚的に言えば、熊本に出るよりもずいぶん遠く感じる。
おそらく小倉から行橋までの渋滞と、それから先の風景がずっと同じようなものであるからだろう。
このルートには、有料道路が一ヶ所ある。
その同じような風景の途中にあるのだが、これが将来東九州道の一部となるらしい。
が、それがいつ出来るのかはわからない。

その東九州道だが、かなり以前からその計画がったように記憶している。
しかし、いまだ手つかずの状態のようだ。
これが出来ると、大分はもちろん、宮崎も近くなる。

以前、10号線を通って宮崎に行こうとしたことがある。
ところが、何時間走っても大分を抜けないのだ。
「えらく大分は長いなあ」と思っていると、急に道が狭くなった。
そこでようやく道を間違えていたのに気がづいた。
後戻りして、再び10号線に乗ったのだが、相変わらず大分が長く感じる。
ようやく宮崎県に入ったのだが宮崎市は遙か向こうである。
結局、延岡まで行ったところで、宮崎行きは断念し、高千穂経由で帰ったのだった。

地図で見てもわかるように、北九州からだと宮崎はただ南下すればいいだけなのである。
が、実際には、かなり時間がかかるのだ。
そのため、九州道を利用することになるのだが、わざわざ熊本経由で行くのは不自然である。
それゆえに早く完成させてもらいたいものだ。

ということで、明日は東九州ルートを通って耶馬渓に行く。
したがって明日の日記は、久しぶりのドライブ日記になるだろう。
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2006年11月21日

紅葉の名勝

二年前に一家総出で、秋月に行ったことがある。
11月のこの時期だったと思うが、『紅葉の名勝』があるとテレビで紹介されていたので、行ってみようということになったのだ。
高速を使うとさほど時間もかからないのだが、そうすると時間が余ってしまい「せっかくここまで来たんだから、○○に行こう」などとなりかねないので、この時は国道を使ってのんびりと行くことにした。
秋月に着いたのは、出発してからおよそ2時間後だった。

さて、秋月は普段でも観光客が多いのだが、やはりテレビの効果だろう、この時はさらに多くの人が来ていた。
メイン通りは人でごった返しており、なかなか前に進めなかった。
嫁ブーは「さすがに紅葉のシーズンやね」などと言って感心していた。
ぼくたちは流れに押され、別に目的にはしてなかった史跡の観光ばかりして歩いた。
その折々に周りの木々を見てみたのだが、紅葉はおろか、まだ緑だらけだった。

茶店で休憩し、それからようやく紅葉を訪ねることにした。
ところが、テレビで見た『紅葉の名勝』がどこにあるのかわからない。
そこで茶店の人に聞いてみた。
「ここの先を左に折れて、まっすぐに行くとお寺があります」
と言う。
どうやら、そこが『紅葉の名勝』らしい。

茶店の人が言ったとおりに歩いていくと、遥か向こうにお寺らしきものが見える。
「ああ、あそこやん」
と、ぼくと嫁ブーは率先して歩いていった。
あぜ道を抜け、民家を抜けて、山道にさしかかったところにそのお寺はあった。

小さなお寺だった。
一面木々に囲まれて、なるほど『紅葉の名勝』と言われるだけのことはある。
しかし、それは赤く色づいていれば、の話である。
その時、若干色づいた部分はあったものの、まだどの木も緑色に覆われていたのだ。
テレビではあんなに赤く色づいていたのに、もう終わったのだろうか。
いや、それはないだろう。
ぼくの中の常識では紅葉が終わると、あとは散るばかりで、緑に色づくなどということはない。
ということは場所が違うのだろう。

ぼくたちはいったん茶店のところまで戻り、その場所を探してみた。
だが、周りの山の中にも、赤く染まっているところはない。
しかたなく、帰路に就いたわけだが、何か釈然としないものがあった。
テレビで見た、あの赤く染まった風景は何だったのだろう。
確かにテロップでは秋月となっていたし、レポーターもそう言っていた。

その二年前の疑問がようやく解けたのだ。
実は先日テレビを見ていて知ったのだが、秋月の紅葉はこの時期ではなく、もう少し後らしいのだ。
11月下旬から12月にかけてらしい。
つまり二年前、あと一週間ほど遅らせて行けば、『紅葉の名勝』にお目にかかることが出来たわけだ。
ということは、テレビは「紅葉すればこうなります」と、その前の年あたりの画像を見せていたのだろう。
画像だけ見て、早とちりしていたわけだ。
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2007年01月09日

太宰府天満宮に行く

tobiume.jpg

上の写真は、有名な『飛び梅』である。
そう、今日太宰府天満宮に行ってきたのだ。
あいにく飛び梅のほうは、まだつぼみ段階で、一輪も咲いてなかった。
が、今日はいい天気だった。
風は少し冷たかったが、日差しは春を思わせた。
この調子でいけば、飛び梅は、一週間もすれば咲くのではないだろうか。

天満宮はかなりの人出だった。
日本人はもちろんだが、台湾や韓国の人たちも大勢来ていた。
おそらく彼らは、ぼくたちのような受験祈願という目的ではなく、観光目的で来たのだろう。




さて、お参りをすませたあと、ぼくたちは『お石茶屋』で食事をした。
『お石茶屋』での食事は、ぼくが太宰府に来る楽しみのひとつである。
昔ながらの茶店で、飾り気のない素朴な店造りが痛く気に入っている。
かつて観梅のシーズンになると、ぼくはここでおでんをつまみながら一杯やっていたものだ。
今日は車で行ったために、残念ながら酒は飲めなかったが、それでも風情を味わいながら昔を満喫できた。




お石茶屋の店の中である。
暖房は各席に配置されたストーブのみで、電気暖房の類は一切ない。
これがまたお酒をおいしくしている。
が、何度も言うようだが、今日はお酒は飲めなかった。
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2007年08月06日

英彦山

(1)
昨日、滝を見た後に山水を汲みに行った。
オナカ君は水マニアで、いつでも持ち帰りが出来るように、いつも車にポリ容器やペットボトルを積んでいる。
どうやら、昨日の小ドライブも、それが目的だったようだ。

行き先は英彦山だった。
そこの水は市販されているくらいだから、かなりの名水だ。
九重町から耶馬溪に戻り、そこから山国町経由で英彦山に登った。
途中、台風のせいで土砂崩れしていると、張り紙がしてあった。
だが、オナカ君はそんなことお構いなしに、どんどん進んでいった。
途中何ヶ所か木が倒れているところはあったものの、通行には支障はなかった。

数十個あるカーブを曲がり、車は無事に目的地の豊前坊(高住神社)に着いた。
夕方の豊前坊はヒグラシの声に包まれていた。
空気がひんやりとして気持ちいい。
水は山頂の方から、チョロチョロと流れてきていた。
少し飲んでみたのだが、冷たくておいしい。
オナカ君は、そのおいしい水をポリ容器3つに入れた。
20リットルの容器が1個、10リットルの容器が2個だったから、計40リットルである。
オナカ君はそれで満足したのだろう、長居せずにすぐに山を下りたのだった。

(2)
修験道のメッカである霊峰英彦山は、福岡県で一番高い山(標高1200メートル)である。
ぼくは、車では何度も行ったことがあるが、歩いて登ったことは二度しかない。
中学2年時の遠足と、高校2年の時に1年時の同級会遠足でだ。
山の中腹にある駐車場から山頂まで、ずっと石段を登って行くのだが、これが山道を歩くよりきつく辛い。
翌日は足がパンパンに張っていたのを憶えている。

そうそう、中学2年時に英彦山に行った時のこと。
行きのバスの中で、友だちが森田健作の『友達よ泣くんじゃない』を歌った。
それがえらく好評で、翌日担任の先生に名指しで褒められたのだ。
先生は他にも歌の上手い奴の名前を何人か上げていたが、ぼくはそれを聞いて、なぜか嫉妬していた。
実は、その時ぼくは歌ってはいない。
歌える歌もなかったし、何よりも緊張して歌えなかったのだ。
歌ってないのだから、ぼくが褒めらることはないのだが、それでもぼくは嫉妬していた。

それからだ、ぼくが歌の練習を始めたのは。
とにかく、3年時の遠足と修学旅行で、「歌の上手い人」と評価されるようになろうと思ったのだ。
それからおよそ1年後、ぼくは遠足の時にあがた森魚の『赤色エレジー』を歌った。
必死に歌のを練習した甲斐あって、みんなの視線を一身に集めた。
ところが、もらった評価は「歌のうまい人」ではなく、「変な人」だった。
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2007年08月07日

水を求めて

まだ日曜日の話は続く。
英彦山を下りた後、水マニアのオナカ君が、
「他にどこか水の出る場所はないかのう?」と聞いた。
「白川水源」
「どこか?」
「熊本」
「ああ。あそこ熊本でも阿蘇の向こう側やないか」
「おう。南阿蘇やの」
「今から行ける場所やないやろ。近場でないんか?」
「ある」
「どこ?」
「東区の景勝町と戸畑の菅原神社。あと芦屋にも湧き水があるらしいけど、そこは自衛隊の基地の中やけ入れん」
「そうか。じゃあ、景勝町と戸畑に行くか」
ということで、オナカ君は家に帰ろうとしていた車の方向を、急きょ東区・戸畑方面に変えた。

景勝町は新・日本三大夜景の一つである皿倉山の麓にある。
皿倉山にはいくつか水汲み場がある。
そのほとんどが山中にあるのだが、景勝町の水汲み場だけは違っていて、ほとんど平地の幹線道路に面したところにある。
わざわざ山に登る必要がないので、けっこう利用している人が多い。

ぼくたちがそこに着いた時も、何人かの人が水汲み場に集まっていた。
いくら県内とはいえ英彦山は土地が違うので、そこの水を飲むのを遠慮していた。
だが、さすがに景勝町は地元の水という安心感がある。
そこで、堪能するまで飲んだのだった。

さて、もう一つの場所、戸畑の菅原神社は、景勝町から車で10分ほどで着いた。
景勝町の水汲み場は山水ということもあり垂れ流しなのだが、ここは違う。
湧き水ということもあり、蛇口で水を出して汲むようになっている。
さらに、20リットルまでという制限までついていた。

そこの水には歴史がある。
平安の頃、菅原道真公が太宰府に赴任する際、菅公が足を洗ったのがそこの水であったという。
それ故に、菅原神社というらしい。

オナカ君が水を汲んでいる間、ぼくはその菅公の水で育ったであろう、その神社の主の写真を撮っていた。
こいつです↓

kurako.jpg
posted by 新谷勝老 at 23:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行記 | 編集


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