2001年02月20日

海に行った

今日はよい天気でした。
絶好のドライブ日和で、昼から玄界灘沿いを走ってきました。
しばらく車を停めて、浜辺で海を眺めていました。
波は少し高かったようです。
真っ青な海と白い波が印象的でした。
蕪村の句のような「ひねもすのたり、のたり」といった光景は臨めなかったのですが、もう春間近ですね。
本当に暖かかった。

それはそうと昨日、3月からこちらでサービスが開始になる「フレッツADSL予約」の予約をしました。
ADSLの使い勝手などについては、サービスを開始後またここで紹介します。
posted by 新谷勝老 at 00:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行記 | 編集

2001年03月31日

花見

関東では雪が降ったらしく、プロ野球2試合が中止になっていました。
こちらもかなり寒かったのですが、午後からホークスが負けた腹いせもあって、ドライブに出かけました。
渋滞している市内を避け、郊外のほうに向かいました。
桜のきれいな所を探して2時間ほど走り、行き着いたのは若宮の千石峡でした。
6時を過ぎていたのですが、まだ日は高く、充分に満開の桜の花を満喫できました。
千石峡には夏によく涼みに来るのですが、こんなにきれいな桜が咲くとは知りませんでした。
まだ何人かの人がいて、中にはバーベキューをやっている人もいました。
地元ではきっと桜の名所なのでしょう。
回り道さえしなければ、家からここまで1時間かからないので、近々暇を見つけてまた行こうと思っています。
posted by 新谷勝老 at 13:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行記 | 編集

2001年08月10日

谷内六郎展に行ってきました

昨日下関大丸で始まった「<A href="http://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/v-museum/taniuchi/index.html" target="_blank">谷内六郎</A>の世界展」に行ってきました。
朝から車で行ったのだが、途中門司港付近で渋滞に遭い、着いたのは12時前でした。
門司港の渋滞は、帰省と明日行われる「GLAY」のコンサートの影響だとラジオで言っていたが、おそらく「GLAY」のコンサートのために帰省を早めたと言ったほうが正しいと思います。
他県ナンバーの車は若い人が多かったようです。

さて谷内六郎だが、「行ってよかった」というのが感想です。
ぼくはあまり絵がわかる人間ではないのだが、この人の作品はよくわかる。
絵の中に言葉が見えてくるのです。
さすが「絵の詩人」と称えられた人だけのことはあります。
一時間以上かけてじっくりと鑑賞しましたが、何か創作意欲が湧いてきた気がします。
「この人とは逆に、詩の中に絵を描けたらどうだろうか?」
「そうするためにはどうしたらいいんだろう?」
「いっそ詩風を変えてみようか」
などと、帰る道々考えていました。
ちょっと詩から遠ざかっているので、いい刺激になったようです。
本当に行ってよかった。
posted by 新谷勝老 at 16:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行記 | 編集

2002年02月13日

長崎ランタンフェスティバル

昨日から「長崎ランタンフェスティバル」が始まった。
「長崎ランタンフェスティバル」とは、長崎の中華街の旧正月のお祝いを、長崎市がバックアップしたお祭りで、ぼくは過去2回ほど行ったことがある。
湊公園がメイン会場となり、数々のイベントが行われる。
印象に残っているのは、「中国雑技団」と「龍踊り(じゃおどり)」だ。
中国雑技団のほうは、身近な小道具を使った曲芸を見せてくれるおなじみのものだ。
ぼくはこの曲芸のほかに、楽しみにしているものがある。
その一つは、司会である。
このショーは中国の人が司会進行をやるのだが、実に話術が巧みである。
おそらく日本語はペラペラなのだろうが、「ゼンジー北京」みたいなしゃべり方をして受けを狙っている。
お客の拍手が少ないと、演技者はわざと嫌そうなしぐさをする。
そこで司会の登場である。
すかさず、「お客さんの拍手少ない、怒ってるあるよ」と言う。
その間の取り方が実に上手く、面白い。
しかし、会場から拍手が起こっても演技者はまだやる気を見せない。
「まだ拍手少ない、怒ってるあるよ」
一段と大きな拍手がおき、演技者は満足そうな顔をして演技に移っていく。
他国語でお客を乗せていく技術というのはすごいものがある。
もう一つの楽しみというのが、女の子の演技者だ。
背が低く、あどけない顔をしているので、日本でいう中学生か高校生だろうが、演技を見ながら思うことがある。
「この子たちは、化粧や髪型で若作りしているだけで、実際は20代後半から40代くらいじゃないのか?そばによって見たら、案外しわが多かったりして」とか、「演技が終わって楽屋に戻ったら、胸をはだけさせてあぐらをかき、タバコ片手に酒でも飲んでいるんじゃないのか? そして、『ああ、疲れたねえ。冗談じゃないよ。このくらいの安いギャラでやっとれるか』と、さながらストリップ小屋の踊り子さんのようなことを言っているんじゃないのか?」とか、ショーが終わったら宿でマージャンでもやってるんじゃないのか」などと、いろいろと舞台裏を想像してみるのも楽しい。
とにかく、中国雑技団というのは演技はマンネリ化して一度見れば充分なのだが、そういう裏の部分を想像する楽しみを提供してくれる。

一方の龍踊りのほうは、保存会か何かの会長さんが面白い。
龍踊りの説明をし、会場に集まった客に、「持ってこーい、持ってこい」と言わせて悦に入っている。
何でも、長崎の人は「おくんち」の時、龍が去って行くと「持ってこーい、持ってこい」と言って龍を何度も呼び戻させるという。
つまりアンコールである。
それをランタンに集まっている客に言わせるのである。
「声が小さいですねえ。これじゃあ龍は戻ってしまいますよ。はいもういっぺん。持ってこーい、持ってこい、はい!」
「持ってこーい、持ってこい」
この「持ってこい」を言うのが、嬉しくてしかたない様子である。
さて、一通り龍踊りが終わり、観光客へ龍踊りの体験をさせ、龍が戻って行く。
ここで、会長の登場である。
「いいですか、みなさん。ここですよ。持ってこーい、持ってこい。はい!」
「持ってこーい、持ってこい」
2度ほどアンコールをして、龍踊りは終わりになる。
ここで面白いことに気がついた。
観客が「持ってこーい」を言っている時、会長さんはマイクを持ち大声を出して「○○さん。もういっぺんいいですか?」と打ち合わせをやっているのだ。
何か合図を決めてやればいいのに、正直な人である。
おくんちの時は「持ってこい」で龍は何度も戻って来るということだが、このランタンでは2,3度しか戻ってこない。
すべてはこの会長さんの胸の中ひとつである。
会長さんの機嫌次第で何度やるか決まるのかもしれない。
もしかしたら、この祭りを一番楽しんでいるのは、この会長さんではないだろうか?

こんなこと書いていたら、なんか行きたくなってきた。
しかし、長崎まで車で行くと高速を飛ばしても2,3時間はかかる。
往復すると5,6時間ということになるので日帰りはきつい。
行くとしたらJRになるだろう。
今年のランタン祭りは26日までやっているから検討してみるか。
posted by 新谷勝老 at 21:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行記 | 編集

2002年02月16日

本場の喜多方ラーメンが食べたい

この4月で今の会社に入って丸10年になる。
今の会社の面接を受けたのは、10年前の今時期だったと記憶している。
「あれからいろんなことがあったなあ」などと考えていると、ふと喜多方ラーメンが食べたくなった。
そういえば、10年前に喜多方ラーメンを食べたことがある。

平成3年の10月末に前の会社を辞めたぼくは、その翌月の11月の中旬、10日ばかり友人と東京に遊びに行った。
別に東京で何かするために行ったのではない。
ただ急に20代の自分に会いたくなったのだ。
東京時代に住んでいた高田馬場、足繁く通った新宿、休みのたびに行っていた神田古書街、アルバイト帰りによく歩いた銀座、野球の練習をした明治神宮、ミニライブをやった代々木公園、他に浅草や池袋などにも足を運んだ。

ついでにというんで、福島まで足を伸ばし、東京時代一番仲のよかったK君にも会いに行った。
K君はラーメンで有名な喜多方に住んでいる。
上野から新幹線に乗り、郡山で下車、そこから磐越西線に乗り換え喜多方に向かった。
喜多方に着き、汽車を降りてまず感じたことは、空気が違うということだった。
これはおそらく、緯度のせいであろう。
それまでぼくは、埼玉より北には行ったことがなかった。
それも浦和である。
北九州と緯度はさほど変わらない。
そういうところでは、空気の違いというものはまず感じられない。
これを知っただけでも、喜多方に行ったかいがあったというものだ。

駅前はラーメン屋だらけであった。
K君に聞くと、「観光客相手の店ばかりで、味は今一」ということだった。
「じゃあ、地元じゃどこが有名なんか?」と訊くと、K君は一軒の中華料理店を教えてくれた。
その日は居酒屋に行き、K君と積もる話をした。
ラーメンを食べたのは翌日だった。
午前中馬車に乗って市内を観光した。
その中華料理店に行ったのは昼時であった。
腹も減っていたので、ぼくらは大を注文した。
しばらくしてラーメンが運ばれてきたが、どんぶりを見てびっくりした。
直径が30センチ以上はあるのだ。
中身もたっぷり入っていた。
ぼくは、ラーメンを食べる時はスープを残さないようにしているのだが、この時はさすがにスープまでは飲むことが出来なかった。
少し口をつけて、ぼくは「これをラーメンと呼ぶなら、九州のラーメンはラーメンではない」と思ったものだった。
とんこつラーメンで育ったぼくにとって、このラーメンはラーメンと呼ぶには異質なものだった。
どうも和風スープの中に、細いきしめんが入っているような気がしてならなかった。
しかし味のほうは、さすがに地元の支持を得ている店だけのことはあった。
かなりおいしかった。
何か懐かしく、郷愁を誘う味であった。
「これなら毎日でも食べれる」と思った。

翌日もこのラーメンを食べようかと思ったが、それはかなわなかった。
K君が会津若松の観光に連れて行ってくれたのだ。
昼食は田楽だったが、これもおいしかった。
昼食後喜多方に戻り、そのまま汽車に乗って東京に戻った。
その後2日ばかりして、北九州に戻ったのだった。

そうか、あれから10年経つのか。
しかし、いまだにあのラーメンの味が忘れられない。
なかなか時間が取れないから、今時点で喜多方まで行くのは不可能である。
出来るものなら、誰か直送してくれんかなあ。
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2002年03月12日

暇な一日

3月12日火曜日、休み。
暇な一日だった。
することもないので、前の日記を読み返していた。
前にも書いたが、この日記も以前は短かった。
無理せずに書いていこうと思っていたのだが、やっているうちに言いたいことを書かないと気がすまなくなってきた。
しかしここ最近、休みの日の日記は悲惨である。
何も変化がないので、書いている内容も精彩を欠いたものになっている。
ところどころに、苦悩さえ見える有様である。
そういえば、アクセス数が10000件を超えた時に、『火曜日恒例やすみな祭』を企画しようかと思ったことがある。
しかし、「一度休むと休み癖がついて、最後には何もしなくなる」という自分の性格を知っているだけに、それもできないでいる。

話は変わるが、今日久しぶりにうなぎを食べた。
昨年の夏に食べて以来である。
夏以外でうなぎを食べたのは、今日が初めてじゃなかっただろうか。
いや、待てよ。
そういえば、前に二度ほど食べたことがある。
一度目は4,5年前に島根県の津和野に行った時だった。
たしか、秋か冬だったと思う。
その時は別にうなぎを食おうと思って行ったわけではなく、たまたま飛び込んだ食堂にうな重があったので食べたのである。
二度目はちょうど今時期である。
そうそう、3年前だった。
それも本場で食べたのだった。
本場といえば、もちろん柳川である。
その時は『せいろ蒸』を食べた。
けっこう高かったけど、美味しかったのを覚えている。

柳川に行ったのはその時が初めてで、『川下り』もその時初めて体験した。
かねてから行ってみたいと思っていた、北原白秋の生家にも行った。
テニスや野球で有名な柳川高校も、その時初めて見た。
その日柳川にはけっこう長い時間滞在したのだが、帰りにはそこから100キロ近く離れた熊本の黒川温泉まで足を伸ばし、温泉に入って帰ったのを覚えている。
もちろん家に帰り着いたのは、午前1時を回っていた。

そういえば、最近は遠出をしなくなった。
日記を見ておわかりのとおり、休みの日の内容は、いつも「一日中寝ていた」とか「床屋に行った」とか「銀行に行った」とか「本屋に行った」とか、身近な生活のことが多い。
この日記を始めた当初は、月に一度は遠出をして各地の情報を書いていこうと思っていたのだが、それもかなわないでいる。
以前は鹿児島や宮崎にも日帰りで行ったものであるが、ここ一年は福岡ドームに行くのがやっとである。
今後は九州各地に足を運んで、桜の情報や祭りの情報をお伝えできたらいいなとも思っているのだが、以前と違って、疲れがそうたやすく取れないしなあ。
悩むところではある。
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2002年05月12日

沖縄 その1

新しいことを始めた。
日記ならぬ、時記である。
ゴールデンウィークが終わってから、お客が減り、暇な時間が多くなった。
「やることがない」ということは、つまらないものである。
ということで、今日から、その暇な時間を利用して、時記『ライブ!』を書くことにした。
携帯からの更新になるので、あまり多くは書けないが、素顔のしろげしんたをお伝えできたら、と思っている。

さて、今月の15日で、沖縄は本土復帰30周年を迎えるという。
もうあれから30年経つのか。
その当時、ぼくは中学3年だった。
あの日は月曜日だったと思うが、なぜか半ドンだった。
家に帰ってからすることもないので、折尾の親戚の家に遊びに行った。
親戚の家に着くと、テレビで沖縄返還の特集をやっていた。
その頃、ぼくが沖縄について知っていたことは、沖縄戦と屋良主席と琉球飴のことだけだった。
琉球飴は、ぼくが小学生の頃テレビでよくCMが流れていた。
「琉球飴は夢の味♪」というCMソングとともに、男の子と女の子の画が出てくるのだが、その画は戦前の雑誌に載っている「お坊ちゃん、お譲ちゃん」のような古臭い画だったのを覚えている。

沖縄返還特集で、「これからは、パスポートなしで沖縄に行けるようになりますね」と言っていた。
それを聞いて、「沖縄に行きたい」と、その時ぼくは思った。
それが現実になるのは、それから16年経ってからである。

初めて沖縄に行ったのは、昭和最後の年だった。
社員旅行で行ったのだった。
この時を含めて社員旅行は、3年続けて沖縄だった。
ぼくは、初めて那覇空港に降りた時から、沖縄に魅せられてしまった。
沖縄特有の匂い(ハイビスカスの香りか?)と風土が気に入ったのである。
そこに、なんとなく懐かしさを感じたものだった。
しかし、初っ端から、沖縄の嫌な面を見てしまった。
ある事件に遭ったのだ。

その事件というのは、沖縄最初の日、那覇市内で起こった。
その日、空港から観光バスに乗り、首里城跡(当時)に行った。
首里城跡を見学し、その後、ひめゆりの塔、真武仁の丘、玉泉洞、ハブ博物公園などを回ってから、宿泊地の那覇東洋ホテルに着いた。
小休止して、夕方からお決まりの宴会が始まったのだが、宴会が終わったら、ぼくは那覇一番の歓楽街である松山に行こうと思っていた。
そこにある民謡酒場に行きたかったのだ。
そこには「もしかしたら、喜納昌吉に会えるかもしれない」、という密かな期待があった。

宴会が終わってから、昼間いっしょに行動した人(二人)に声をかけ、外に出た。
さて、そうは言ったものの、松山がどこにあるのかわからない。
とりあえず、タクシーに乗り込み、「松山に行って下さい」と言った。
「お客さん、沖縄は初めてですか?」
「はい」
「じゃあ言っとくけど、松山は高いよ」
「そうなんですか?」
「ぼくが、安いところを知ってるから、よかったら案内するよ」
「でも、松山で行きたい所があるんやけど」
すると、誘った二人が「しん、せっかく案内してくれるんやけ、最初にそこに行こうや。松山は後で行けばいいやん」と言った。
結局、他の二人に押し切られて、行き先は運転手に任せることにした。
「そこは、安いよ。5000円ぽっきりよ」
ぼくはふてくされていたので、それに答えなかったが、他の二人は「本当ですか!よろしくお願いします」などと、運転手に相槌を打っている。

5分ほど走って、車は止まった。
運転手が、そこにいた呼び込みの兄ちゃんに、「兄ちゃん、ここは5000円よねえ」と聞いた。
兄ちゃんは「はい、5000円です! それ以上はいただきません」と答えた。
ぼくたちはタクシーを降り、店の中に入った。
ただのパブである。
事件はそこで起こった。
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2002年05月13日

沖縄 その2

その店に入ってまず気づいたことは、全然賑やかさがないということだった。
お客もそこそこ入っているし、それ以上にホステスもいるのだが、談笑している様子もなく、ひっそりとしている。
BGMも鳴っていることは鳴っているが、全体に音が小さい。
「変な店だなあ」と思いながらも、ぼくらは席に着いた。

ほどなく、三人のホステスがやってきた。
「いらっしゃーい」
その声には明るさがなかった。
「私、○○でーす。よろしくお願いしまーす」と、各自自己紹介を始めた。
若作りはしているものの、ぼくたちよりは歳が行っている。
しばらく談笑していたが、何か盛り上がらない。
いっしょに行っていたメンバーの一人であるGさんが、「よーし、おれが景気付けに歌ってくる」と席を立ち、ステージに上がった。
Gさんは調子に乗って3曲ばかり歌った。
しかし、拍手の一つもない。
こちらのパブなら、いくら下手でも拍手ぐらいはある。
Gさんは首をかしげながら戻ってきた。
そしてぼくに「しんちゃん、この店変やねえ」と耳打ちした。
ぼくは「うん」と言ったきり黙っていた。

あまり静かになったので、ホステスの一人が、「大人しいですねえ。いつもこうなんですか?」と言った。
もう一人のメンバーKさんが、「いや、初めてだから緊張してるんですよ」と答えた。
すると、他のホステスが、「まあ、緊張してるなんてかわいい。抱かれてみたいわー」などと言い出した。
その時、ぼくの隣にいたホステスが、ぼくの腕を触った。
「へえ、腕太いねえ。何かやってるの?」
「むかしちょっとね」と言って、ぼくは力こぶを出して見せた。
「わあ、たくましい。抱かれてみたーい」
いよいよ変だ。

もう一人のホステスが、「ねえねえ、ここを出てどこか行かない?」と言い出した。
どういうわけか、KさんとGさんは乗り気である。
しかし、ぼくは気が進まなかった。
そこで、「あまり気が進まん」と言った。
どうしても民謡酒場に行きたかったのだ。
「しん、いいやないか。ちょっと付き合え」と、二人が声をそろえて言うので、ぼくはしぶしぶ付き合うことにした。

「じゃあ、OKね」とホステスは、従業員を呼んで「精算してきて」と言った。
従業員が持ってきた勘定票を見て驚いた。
一人1万円になっている。
「これ、おかしいんやない?」
「ああ、これね。チャージが5千円で、連出し料が5千円なの。ごめんね」
それほど飲んでないのに1万円の出費である。

店を出ると、そこに2台のタクシーが停まっていた。
どうやらぼくたちを待っていた様子だった。
タクシーに分かれて乗り込むと、ホステスの一人が「例の所に行って」と言った。
3分ほど走って、タクシーは止まった。
タクシー代も、こちら持ちである。
ホステスたちはタクシーを降りると、ぼくたちの腕を掴み、建物の中に連れ込んだ。
慌てて入ったので、そこがどこかわからなかったが、中の雰囲気からすると、どうやらそこはホテルのようだった。
ホステスは「ここから分かれるのよ」と言って、ぼくたちをそれぞれの部屋に連れて行った。
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2002年05月14日

沖縄 その3

部屋に入ると、ホステスが口を開いた。
「あの店、こういうシステムになってるの。ごめんね。それで、3万円なんだけど」
「そんな金ない」
「今日じゃなくていいよ。何なら明日、泊まってるホテルに取りに行ってもいいから」
「ホテルに帰っても、そんな金はない」
「じゃあ、2万円でいいからさあ」
「しつこいねえ。ないもんはないんたい!!」
ぼくがかなり頭に来ていると気づいて、ホステスは困った顔をした。
ちょうどその時電話がかかった。
「ちょ、ちょっと待ってね」とホステスは電話に出た。
どうやら仲間からの電話のようだった。
方言、つまりウチナーグチでしゃべっているので、こちらはなんと言っているかわからなかった。
おそらく、「こいつ、金持ってないみたい」とでも言っていたのだろう。
しばらく電話でやりとりしていたが、突然「お友だちよ」と言って、受話器をぼくに渡した。

受話器の向こうはGさんだった。
「しんちゃーん、どうしょうか。おれ金ないよー」
「おれもないけど。もし金があってもせんよ」
「出ると?」
「当たり前やん」
ぼくは受話器を置いた。
「お友だち、何だって?」
「あんたに関係ないやろ」
「ね、どうする?」
「帰る!」
ぼくはそう言うと、ホテル代を置いて外に出た。

「さて、どうしようか」と思っていると、Gさんが出てきた。
続いてKさんも出てきた。
二人とも口々に「冗談じゃない。小倉のソープだって、1万5千円も出せば充分のに。ボリすぎやのう」などと言っている。
二人はどうもしたかったようだ。
「だけ、松山に行こうっち言うたやろ」とぼくが言うと、二人は黙っていた。
その時、突然雨が降り出した。
沖縄特有のスコールである。
もちろんぼくたちは傘を持ってない。
しかし、そこにいるのも変だから、歩いて宿舎に帰ることにした。
暗くてよくわからなかったが、ぼくたちが歩いている所は、どうやらソープ街らしかった。
歩いている途中に、何度か声をかけられた。
「3人さん、いい子いますよー」
怒りの収まらないぼくは、大声で怒鳴った。
「しゃーしい(せわしい)、黙っとけ。お前に用はないんたい!!」
びしょ濡れだったし、かなりすごい形相だったのだろう。
それまで威勢のよかった呼び込みのヤンキー風兄ちゃんは、急に声を落とし「すいません」と言った。

ホテルに帰ってから、ぼくたちはそのことをみんなに話した。
「この辺のタクシーはグルみたいやけ、気をつけとったほうがいいよ」
そんな話をしているところに、Sという男が帰ってきた。
ぼくが「そういえば、お前もあの店におったのう。あれからどうしたんか」、と言うと、Sはニヤニヤ笑うだけで、何も答えなかった。
「ふーん、そうなんか。やっちゃいましたか。お前はバカか」
その後、ぼくはSを見るたびに、「お前、病気もらってない?」と言うようになった。
Sはその話をすると、いつもニヤニヤしていた。
よほどいい思いをしたのだろう。

この旅行の帰り、那覇空港に行くバスの中で、またその店の話が出た。
「その店どこにあるんね?」
「知らん。タクシーが勝手に連れて行ったけ」
そんな話をしていると、バスがある店の前で止まった。
「お土産買う人はここで買って下さい」とガイドさんが言った。
お土産屋の前に、見覚えのある店が見えた。
その店の名前を見ると、『フェニッ○ス』と書いている。
「あの店の名前『フェニッ○ス』やなかったか?」
「そういえば」
ぼくは、大きな声でみんなに言った。
「おい、あの店、あの店。あれが例の店」
場所は那覇港の近くだった。
ということは、初日に泊まったホテルのすぐ近くじゃないか。
「タクシーの奴、こちらが知らんと思って、遠回りしたんか」
そう思うと、また頭にきた。

しかしそのことで、ぼくは沖縄を嫌いにはならなかった。
あの晩のことを除いては、いい思い出ばかりだったからだ。
最初に言ったとおり、風土も匂いもぼくに合っている。
「今度来る時は、民謡酒場のある場所をちゃんとチェックしておこう。
そこ以外には、絶対行かない」
そのことを肝に銘じた。

さて翌年、前年と同じく社員旅行は沖縄だった。
「今度こそ民謡酒場に行くぞ」、と意気込んで那覇の街に出た。
その時は5人で行動した。
那覇港にあるステーキを食べに行って、いよいよ松山の民謡酒場に行くことになった。
しかし、場所がはっきりしない。
1時間ほど探したが、それらしき店は見当たらない。
誰かが「もう時間がないけ、他のところに行こうや」と言った。
ぼくも民謡酒場に未練は残ったが、こうやっていても埒が明かないので、その意見に従った。
「じゃあ、どこに行こうか?」
すると、一人の後輩が「さっき、いい所がありましたよ」と言った。
じゃあ、そこに行こう、ということになった。

後輩はさっさと先頭を歩き、ある店の前で止まった。
「ここです」
唖然とした。
ぼくらは後輩に文句を言った。
「お前、沖縄に来てまで、こんな所に来んでもいいやろ。小倉で見ときゃいいやないか」
「いいじゃないですか。時間もないことだし。付き合ってくださいよ」
後輩の言うとおり、時間がない。
しかたないので、後輩に付き合うことにした。
その店の看板には、『本番、まな板ショー』と書いてあった。
そこは、どこにでもあるストリップ小屋だった。

翌年の社員旅行も沖縄だった。
夜になり、何人かの人が「しんちゃん、遊びに行こうや」と誘いに来た。
しかし、2年連続で後味の悪い思いをしているぼくは、夜の沖縄には行く気がしなかった。
「行かん」と言って、すべて断った。
夜は寝るためにあるものである。
それを沖縄は教えてくれた。
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2002年08月04日

宮崎S旅館1

昨日は宮崎のことを書こうと思っていたのだが、パイナップルのほうに話がずれてしまった。
日記も、あれを書こう、これを書こうとすると変になってしまうものである。

さて、宮崎の話である。
ぼくの住んでいるところから宮崎までは、高速道路を使っても4,5時間は優にかかる。
熊本までは楽に行けるのだが、そこを越え人吉に近づくと、道は一車線になる。
そこから、九州道最大の難所と言われるトンネル地獄が始まる。
連続した二十数個のトンネルをくぐらなければならないのだ。
トンネル内は対面通行で、対向車線とはパイロンで仕切っているだけである。
そのトンネルの長さだが、2キロ3キロはざらで、中には5,6キロのところも何ヶ所かある。
暗いトンネル、しかも道は狭く、遠くを見ると道はさらに狭まっているように見える。
こういう状態が延々と続くのだから、地獄と言わずなんと言おうか。

さてトンネル地獄を抜け、しばらく行くと「えびの」に出る。
そこから宮崎道の始まりである。
人吉付近と違い、道は二車線となり、視界は開けている。
南国の旅はそこから始まる。
宮崎道が終わると、そこから椰子の木が延々と続く。
同じ九州でも、北九州とは気候が大いに違っている。
気温はともかく、一番大きな違いは紫外線の量である。
宮崎は沖縄ほどではないが、北九州と比べるとはるかに多く感じる。
まさに南国宮崎の面目躍如である。

何年か前に、こういう道のりで宮崎の都井岬まで足を伸ばしたことがある。
その前にも何度か車で宮崎を訪れたことがあるのだが、青島どまりだったため、すべて日帰りだった。
しかし、その時は宮崎最南端に行くというので、一泊することにした。
仲間と綿密に計画を立ててのドライブだった。
ほぼ計画通りにことは運んだ。
が、肝心なところで手痛いミスを犯してしまった。
それは旅館である。
近くにグランドホテルがあったのだが、低料金でしかも露天風呂もあるということを本で読み、あえてそちらの旅館を選んだ。
旅館に着いて、まず拍子抜けした。
本で見た館内の画と、かなりかけ離れた風景がそこにはあった。
雑然と置かれた調度品の数々。
「掃除をしているのか?」という状況だった。
しばらくすると旅館の人が出てきた。
ウエイトレス風の制服を着ている女性だった。
しかしこれも予定外で、どう見てもその女性は60歳を超えている。
彼女は部屋に案内された時、露天風呂の事を聞いてみた。
なんと「今はやっていません」とのことだった。
「でも、館内にお風呂がありますので、そちらを利用して下さい」
食事の前にお風呂に行ったのだが、そのお風呂を見て仰天してしまった。
とにかく狭い。
しかも、肝心の風呂は、一般家庭でよく見かける空色のポリ製なのだ。
湯船も狭かった。
一人しか入ることが出来ないので、しかたなくぼくたちは二人一組で風呂に入ることにした。
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2002年08月05日

宮崎S旅館2

風呂から上がった後、食事をした。
大広間という名の、10畳ほどの部屋に通された。
汚いテ-ブルの上に、刺身を中心とした料理が用意されていた。
しかし照明の加減か、色が今ひとつさえず、新鮮味に欠けた。
中でもメインのかつおのたたきは、実際の色も悪く最低だった。

ところで、この部屋には大きな蚊がいて、色の悪い照明器具に集まっていた。
通常の倍の大きさがある。
ぼくが、ちょうどかつおを食べようとした時だった。
蚊取り線香をつけているものだから、その蚊がかつおの上に落ちてきたのだ。
運転で疲れ、風呂に騙され、古びた刺身を食べさせられ、挙句の果てに蚊による被害である。
いよいよぼくも切れそうになった。

その後部屋に戻り、友人と「この旅館、最悪やのう」などとこぼしていると、水の流れるような音が、廊下のほうから聞こえてきた。
「何だろう」と思い調べてみると、トイレから聞こえてくるのがわかった。
この旅館は2階建てで、ぼくたちは2階部屋に泊まっていた。
その2階の廊下の角にトイレがあった。
昔ながらのポットントイレで、タンクは1階にある。
そのため便をすると、便は一階まで落ちていく。
お尻を離れてからタンクに到達するまでに、ちょっとした時間差があった。
それはそれで面白かったのだが、こういうトイレは臭いが外に漏れるので困る。
廊下に出ただけでもその臭いがしていた。

さて、その音だが、結局トイレから発しているのはわかったのだが、原因はわからなかった。
トイレを覗いても、水が出ている様子でもない。
もしぼくに疲れと怒りがなかったら、これを怪奇現象として捉えていただろうが、その時は「ホント、つまらん旅館やのう」で終わらせた。

翌朝早々、ぼくたちはこの旅館を出た。
前日来た道を戻って行った。
昼ごろ宮崎市内に出たのだが、どうも心残りがある。
それは、ろくな風呂に入れなかったということだ。
そこにいたメンバーもみな同じ気持ちだった。
「それでは」ということで、帰りは高速を通らず、10号線を北上し、延岡から高千穂を通って、熊本の黒川温泉に行くことにした。
もちろん家に帰り着いたのは、夜中だった。

今その旅行の写真を見ながら書いている。
その中に一枚だけ、実に味わいのある写真がある。
それはS旅館に着く直前に偶然撮ったものだ。
都井岬は、野生の馬がいることで有名である。
そこの道路は車よりも馬が優先で、ぼくたちも何度か足止めを食らった。
停車している時のこと。
そこから100メートルほど離れた位置に、馬の群れがいた。
その時ぼくに、ある種の勘が働いた。
カメラを持っている人に、「あの辺を撮ってみて」と言った。
そして何枚かその人が撮っていると、ぼくの期待した場面が訪れた。
ある牡馬が雌馬にちょっかいをかけだした。
その度に後ろ足で蹴上げられた。
しかし、牡馬は諦めなかった。
何度か試みた後で、ようやくその「画」を作り上げた。
「撮れ!」
一瞬だった。
実に野性的である。
posted by 新谷勝老 at 11:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行記 | 編集

2002年11月06日

哀しき社員旅行

毎年この時期になると、店を休みにして、社員旅行などの催し物がある。
まあ、社員旅行と言っても、日帰りの小旅行に過ぎないのだが。
今日はその日だった。
1ヶ月ほど前に、「バスハイクがいいか、食事会がいいか」というアンケートをとった。
その結果、食事会と決まった。

行き先は、宗像にある玄界灘に面した国民宿舎だった。
この国民宿舎のすぐ前は海水浴場なのだが、季節に関係なく魚を食べに来る人でいつも賑わっている。
ぼくも友人と、何度か食べに来たことがある。
「清酒白鶴まる」のCMの舞台になった漁港のすぐ近くにあるので、魚はいつも新鮮だ。
そんな新鮮な刺身の定食が、1000円程度で食べられるのも魅力の一つになっている。

今日は午前9時に会社集合になっていた。
そこから国民宿舎の送迎バスで、途中みかん狩りをし、宗像大社と鎮国寺に参拝してから、宴会場に向かう、というスケジュールになっていた。
国民宿舎着は12時の予定だった。
最初はぼくもこのバスに乗るつもりでいた。
しかし、バスに人員制限があるのと、早起きしてみかん狩りに行くよりは、ゆっくり寝ていたいという自分勝手な理由から、直接車で行くことにした。
ぼくの家は会社と国民宿舎のほぼ中間に位置しているため、国民宿舎の逆方向にある会社に行く手間を考えたら、直接行くほうが楽である。
また、団体行動をしなくてすむので、好きな時に帰ることができる。

さて、12時半に宴会が始まったが、最初から白けた。
そう、車で来ているので、酒が飲めないのだ。
道路交通法改正前なら少しは飲んでいたかもしれないが、今日は乾杯で飲んだコップ1杯のビールだけだった。
後は、ウーロン茶や緑茶ばかり飲んでいた。
酒なしで魚を食べるということは、ぼくの過去の経験ではなかった。
お茶で食べる魚のまずいこと、脂が乗った魚の脂をお茶が分解してしまう。
そうこうしているうちに、お決まりのカラオケが始まってしまった。
すぐさまぼくは部屋を出、ロビーのテレビで北朝鮮関連の報道番組を見ることにした。

最近、以前にも増して北朝鮮は異常な国だと思うようになった。
いや、あそこは国じゃない。
以前、北朝鮮のことを「カルト国家」と言った人がいたが、それは正しい。
しかし、あそこは国ではない。
2000万人の信者を抱える新興宗教の団体と言ったほうがいいだろう。
近所に新興宗教の教会があったら、そこに住む人が迷惑するように、あの国があるおかげで、東アジアの国々はみな迷惑している。
たちの悪いご近所さんを持ったものである。
昨日のニュースで、「日本が交渉に応じないなら、ミサイル実験の延期を再考する」と言っていたが、彼らにとってのミサイル実験というのは、近所に住んでいるたちの悪い人が、気に入らない人の家の玄関に、小便やうんこをばらまくのと同じ感覚である。
「そういう嫌がらをされたくなかったら、金を出せ」と恫喝してくる。
拉致・核・麻薬・偽札、彼らは金のためには手段を選ばない。
まるでオウムの世界である。
尊師は目が悪かったが、将軍様も目が悪いのだろう。
世界や世の中がまったく見えてない。
あの一連の将軍様を称える歌を聞いた時、ぼくは「ショーコー、ショーコー、ショコショコショーコー」という歌を思い出した。
まだあったなあ、「ショ、ショ、ショ、ショ、ショ、ショ、ショ、ショーコー」、・・・馬鹿らしい。
案外、あの国が崩壊した時に、将軍様は薄暗い隠し部屋で金を抱えて寝ているのかもしれない。

そんなことを考えながらテレビを見ていると、いつの間にか、お開きの時間になっていた。
結局、酒は飲めず、お茶の作用でまずくなった魚を食べ、北朝鮮を見、あげくの果てにオウムを思い出してしまった、年に一度の社員旅行は終わった。
帰りの車の中、まだ頭の中では「ショ、ショ、ショ、ショ、ショ、ショ、ショ、ショーコー」が鳴っていた。
posted by 新谷勝老 at 16:41 | Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行記 | 編集

2002年12月01日

夕方の風景

いよいよ12月である。
今日、笑点の大切りが始まる前に、外にタバコを吸いに行った。
あたりは薄暗くなっており、西の空にわずかながら残っていた夕焼けに、季節を感じた。
あと3週間もすれば、その時間帯は確実に夜になるだろう。

そういえば、10年ほど前に、会津喜多方に旅行に行ったことがある。
そこで2泊したのだが、2日目に山形県との県境にある温泉に泊まった。
季節は今頃で、その日は日曜日だった。
旅館に着いた時、ちょうど笑点をやっていたのだが、あたりは夜。
というよりも、もはや深夜だった。
裸電球の街灯が、初冬の寂しさを奏でていた。

その旅行では、喜多方に行く前に、東京で何泊かしている。
その時、東京の夜は北九州より少し早いな、くらいの感覚しかなかった。
しかし、さすがは東北である。
時差というものを、まじまじと感じたものだった。


東京に出る以前、つまり10代までは、午後4時が夕方というのがピンとこなかった。
北九州で午後4時といえば、まだ昼間である。
夏場などは、5時台もほとんど昼間状態である。
東京に出てみて、最初に思ったことは、『なるほど午後4時は夕方である』だった。
北九州の午後5時の風景を、午後4時に見たのだ。
空には、もう夕焼けが出ている。
カラスの群れが、夕方を演出する。
街灯が点き始める。
道行く車は、スモールランプを点灯している。
街が一気にあわただしくなる。
夕方のにおいが立ちこめる。

東京の夕方の風景で、一番好きだったのは中野だった。
駅前の雰囲気に何か郷愁めいたものを感じていた。

  「街の灯」

 ほんのひとときの黄昏が
 今日のため息をつく
 病み疲れたカラスたちが
 今日も帰って行く
  昔描いた空は消えはてて
  さて帰る家はあったんだろうか
 琥珀色の時の中で
 街の灯は浮かぶ

 明るい日差しの中でも
 笑わないカラスが
 すすけた街の灯を
 見つめては笑う
  昔描いた空は消えはてて
  さて淋しくはないんだろうか
 誰も見てない切なさに
 街の灯は浮かぶ

この詩は中野の風景である。
高田馬場に住んでいたので、中野は近かった。
そのため、中野にはよく行っていた。
別に用事はなかった。
ただ、夕方を満喫したかっただけなのだ。


夕焼けで思い出すのが、長崎平戸の生月島である。
何でもそこは、日本で一番日の入りの遅い所らしい。
行ったのは5月だったから、かなり遅い時間まで日の入りを待った。
西の海に沈む夕日が、海原を照らし、一筋の光の道を作っていた。
北九州の海は北に位置しているため、海に日が沈む風景を見ることは出来ない。
海に日が沈むのを見たのは、おそらくこれが初めてだったと思う。

生月島を出たのは、8時をすぎていた。
日帰りだったので、島を出てから寄り道をせずに北九州に向かったのだが、ぼくの住む北九州は、九州の東の端にあり、平戸は西の端にある。
そのため、車だとかなり時間がかかる。。
おかげで、家に帰り着いたのは、翌日になっていた。


そうそう、夕日で思い出したことがある。
ぼくのエッセイに『トキコさんは48歳』というのがあるが、そのトキコさんの話である。
前に、日帰りで鹿児島まで、仲間とドライブをしたことがある。
その時、トキコさんもいっしょだった。
帰りの車の中。
午後7時をすぎていただろうか。
突然、トキコさんが「まあ、きれいな夕日」と言った。
地図を見てもらったらわかるが、鹿児島から福岡に戻るには北上しなければならない。
当然、右が東で、左が西である。
その言葉につられて、車に乗っていた全員が左側を見た。
真っ暗である。
「どこにも、夕日なんか出てないやん」と言うと、トキコさんは「ちゃんと、出とるやん」と言う。
「どこに?」
「ほらそこ」
と言って、トキコさんは右側を指さした。
月だった。
トキコさんは、今でもこの時のことを言われている。
posted by 新谷勝老 at 17:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行記 | 編集

2003年08月12日

日記8月12日 前編

お盆の休みは15日だけである。
ということで、今日は墓参りに行ってきた。
朝から曇っていたので、今日も雨にたたられるかと思っていたが、午後から雲はかかっているものの、あたりは明るくなっていった。
その機を逃さずにぼくは出かけた。

家から墓までは、車で15分程度。
滞在時間も同じく15分程度。
昨日あまり寝てなかったので、早く帰って寝ようと思った。
が、せっかくの休みである。
このまま帰るのももったいないと思い、少しドライブしようということになった。

どこに行くのかは決めてなかったが、とにかく南に向けて走ってみた。
お盆前のせいか車が多く、市内を抜けるのに通常は20分も走ればいいところを、今日はそのために倍の時間を要してしまった。

市内を抜け、直方・田川を通り、最初に向かったのが小石原村だった。
なぜ小石原村に向かったのかというと、そこに道の駅があったからである。
トイレに行きたかったのだ。
高速を使わないドライブの時、一番重要になるのはトイレである。
今は、昔みたいにどこでも立ち小便が出来ない時代なので、あらかじめトイレ休憩の場所を決めておかなければならない。
小石原村といえば焼き物で有名なところで、建物内には多くの焼き物が展示即売していた。
だが、ぼくは車を停めるなり、焼き物には目もくれず、一目散にトイレに向かった。
トイレから出てみて、改めて車の多さに気づいた。
北九州・福岡・筑豊・久留米といった県内ナンバーに加え、他県ナンバーも多く停まっていた。

小石原に着いた時は、すでに3時半を過ぎていた。
今日は野球中継もあることだし、このまま帰ろうかと思った。
が、せっかく小石原まで来たのである。
もう少し足を伸ばして、大分県の日田までは行きたい。
そこから甘木方面に向かい、200号線を北上して北九州に戻ればいいのだ。
そうすれば、少し遅くなるが野球中継の開始時間には間に合うだろう。
そう思って、ぼくは南下した。

小石原をずっと南下していくと、筑後川と並行して走る国道386号線にぶち当たる。
そこから右に曲がれば甘木方面に行く。
ところがである。
そこまで来て、再びせっかくここまで来たのだからという思いが、ぼくの中を駆けめぐった。
「この道を左に曲がると、中津方面に向かう道とぶつかる。
その道を耶馬渓まで行けば、国道10号線と交差する。
10号線を北上して小倉に向かえばいい。
野球中継の最初のほうは、ラジオでも聴けるじゃないか」、と思ったぼくは、右に曲がるのをやめ、逆に左に曲がって日田市街に向かった。
posted by 新谷勝老 at 11:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行記 | 編集

2003年08月13日

日記8月12日 後編

さすがに市街地である。
北九州を出てからは、車は多かったものの、渋滞に巻き込まれることはなかった。
ところがここは大渋滞である。
なかなか車が進まない。
ようやく中津方面に行く道に出た時、またもや考えが変った。
せっかくここまで来たのだから、天瀬町と玖珠町の境にある慈恩の滝でも見て帰ろうと思ったのである。

天瀬町方面に行くには、この中津方面に向かう道を逆に行けばいい。
ということで、ぼくは中津とは逆の方向に向かった。
市街地を出ると、国道210号線と合流する。
そこを大分方面に向かうのだ。
この道の途中には、何年か前に門司から移転したサッポロビール九州工場がある。
その先を右に折れると、ぼくの好きな黒川温泉や阿蘇に向かう。
が、今回は時間の関係で行くことが出来ない。

さらに道を進むと、有名な高塚地蔵があり、その先には天ヶ瀬温泉がある。
慈恩の滝はその先である。

午後5時前、右手から「ド、ド、ド、ド…」という音がした。
慈恩の滝である。
ここは国道から見える滝で、夜になるとライトアップしてくれる。
一度夜に見たことがあるのだが、グリーンのライトで照らし出される滝は、実に幻想的だった。
今回はまだ日が高かったのでライトアップはなかったのだが、明るい時間に見る慈恩の滝もいいものである。
いつもは素通りしているので、今日はゆっくり見たかった。
幸い滝の前には喫茶店がある。
そこでぼくは、コーヒーを飲みながら滝を見ることにした。

それにしてもすごい水量だった。
店の人は、昨日大雨が降ったので、水量が増えているのだと言っていた。
その状態を言葉にするとなると難しい。
「ダム決壊で氾濫する川を、垂直に置いたような状態」と言ったらおわかりいただけるだろうか。
とにかく大迫力である。
音は喫茶店の中にまで轟いている。

コーヒーを飲んでから、ぼくは滝壺のほうに歩いていった。
滝壺に落ちる水の大軍は飛沫を上げている。
その飛沫が煙と化し、辺り一面が霞んだように見えている。
そこに身を置くと、ひんやりとした気に包まれる。
これぞ天然のマイナスイオンである。
ぼくはしばらくの間、そこに立ち尽くしていた。
なぜか体の節々の痛みが取れたように感じたからだ。

気がつくと、まもなく6時である。
プレイボールの時間には、まだ大分県にいたわけだから、当然テレビの野球中継には間に合わない。
家に着いたのが9時だった。
今日のダイエーVSロッテは9時前に終わったので、ぼくは結局、試合のすべてをラジオで聴いたことになる。
posted by 新谷勝老 at 11:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行記 | 編集


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