2000年12月02日

モリタ君

【1】
以前勤めていた会社にモリタという男がいた。
ぼくがその会社を辞める1年前(今から10年前)に、中途採用された。
当時ぼくは、楽器とCDの二つの販売部門をまかされていた。
その前の年にリニューアルで、この二つの部門が1Fと2Fに分割されたために、ぼくは1Fと2Fを行ったり来たりしなくてはならなかった。
これは重労働だった。

当時のぼくの部下は計8人。振り分けは1F(CD他)7人、2F(楽器)1人だった。
1Fはともかく、2Fはその一人が公休だったり、食事をとる時には、ぼくが入らなければならなかった。

楽器部門は専門分野であるために、その一人がいる時でも呼び出されることが多かった。
『このままでは身が持たん』と思い、「2Fにもう一人入れて下さい」と上司に頼み込んだ。
そこで募集をかけ、採用されたのがモリタ君だった。

【2】
面接の時はぼくも立ち会った。
一見すると、堅いサラリーマン風の男で、楽器をやるようには見えなかったが、履歴書を見ると、特技のところに「キーボード演奏」と書いてある。
『よかった』とぼくは思った。素人だったら、教え込むのに時間がかかってしまう。
「明日から来てくれ」ということになり、面接は終わった。

そのあと、ぼくはモリタ君を楽器の売場に連れて行き、打ち合わせをした。
「それにしても特技がキーボードというのは頼もしいね。バンドで演奏でもしよったんね?」とぼくが聞くと、間を置いてモリタ君は「いいえ」と言った。
「なら、ピアノかエレクトーンでも習っとったんね?」と聞くと、また少し間を置いて「いいえ」と答える。
ぼくは「?」状態になった。

角度を変えて聞いてみることにした。
わざわざ特技はキーボード演奏と書くのだから、ヤマハ,ローランド,コルグいずれかのシンセサイザーぐらいは持っているだろうと思い「機材は何を持っとるんね?」とぼくは聞いてみた。
モリタ君は、よくぞ聞いてくれたとばかりに目を輝かせ、今度は素早く「カシオトーン(当時39800円位のやつ)です」と答えた。
「カシオトーン?」
「そうです」ときっぱり言った。
『おいおい、カシオトーンが弾けるくらいで、特技なんかにするなよ。そのくらいのレベルなら趣味の欄に書けよ』とぼくは思った。
しかし贅沢は言ってられない。「まあ何とかなるだろう」と思い直し、その日はモリタ君を帰らせた。

【3】
翌日からモリタ君は登場した。
まず2〜3日つきっきりで、会社のシステムや接客のいろはなどを教え込んだ。
が、モリタ君は物覚えが悪い。
さらに困ったことに人の話を全然聞いていない。
例えば、「主任、これはどういうことですか?」と聞いてきたので、「これは・・・」と教えようとすると、急に歩き出して質問とはまったく関係ない物を手にとって珍しそうに眺めている。
「あんた人にものを尋ねとって、他のことをせんでもいいやろ!」というと、「ええっ? ぼくが何か言いましたかねぇ」
と言う。

また、こういうことがあった。
ぼくが「今日メーカーから電話が入るはずやけ、もしかかったら電話を(1Fに)回して」と頼んだ。
モリタ君は急に怪訝な顔をして、少し間を置いて「しゅ、主任! 電話を回すとはどういうことですか?」と言った。
ぼくは唖然として近くにあった電話の受話器のコードをつかみ、受話器をグルグル回しながら「電話を回せとは、電話を取り次げということ!」と大声で怒鳴った。
『こいつは馬鹿だ』とぼくは思った。

【4】
当時ぼくは32歳だった。
ある日雑談の中で「モリタ君はいくつかねぇ?」と聞いた。
モリタ君はムッとした顔をして「言いたくありません」と言った。
「どうして言いたくないんね?」
「恥ずかしいですから」
「はぁっ? 何で自分の歳を言うのが恥ずかしいんね? 男やろ、何歳になったんね?」
ぼくがちょっと声を荒げて言うと、モリタ君はしぶしぶ「29歳です」と言った。
「29歳のどこが恥ずかしいん?」と聞くと、モリタ君は吐き捨てるように「独身ですから」と言った。
ぼくは頭に来たふりをして言った。
「あんた、おれを馬鹿にしとるんか?29歳の独身が恥ずかしいんなら、32歳で独身のおれはどうなるんか!?」
モリタ君はブスッとして「すいません」と言った。
その後もことあるたびに、ぼくは意地悪く「モリタ君はいくつかねぇ?」と聞いてやった。

【5】
ある日モリタ君が「主任、もうそろそろ呼び捨てで呼んでくれてもいいんじゃないですか?」と言ってきた。
ぼくが「えっ、誰のこと?」と聞くと、モリタ君は「わたしのことです・・・」と答えた。
ぼくがモリタ君のことを、他の社員のように呼び捨てではなく、「君」付けで呼ぶので距離を感じたのだろう。

ぼくは「なんと呼ぼうと、おれの勝手やろ?モリタ君はモリタ君やろ?ちがう?」と言った。
「そうですけど、もうそろそろいいかと思って・・・」
「この会社でおれのこと主任と呼びようのは、あんただけやろ。他はみんな『しんちゃん』と呼びようよ。あんたが『しんちゃん』と言うたら、おれも考えてやってもいいよ」
「いや、それは・・・」
ぼくはその後もいっとき『モリタ君』で通した。

ある日「モリタ君」と言うのが面倒臭くなった。
そこでぼくは「モ」と呼んだ。
「モはないでしょう?」とモリタ君は言った。
「あんた以前、呼び捨てで呼べっち言うたやん。モでよかろうがね」
「モはやめてください」
「いいや、モでいく」
ぼくはそれから会社を辞めるまで『モ』で通した。

【6】
モリタ君はよく遅刻をしてきた。
並みの遅刻じゃない。
10時開店の店だったので、みんな遅くとも9時半には店に入っている。
遅刻しても10時には来ている。
ところがモリタ君は違った。
午後1時、2時にノコノコとやってくる。
ひどい時には5時に来たこともある。

その5時に来たときの話だ。
その日の前日、モリタ君は他の部門の人間から飲みごとの誘いを受けていた。
ぼくはそのことをある人から聞いて知っていた。
モリタ君が飲みに行くメンバーは、モリタ君とそう親しいわけではない。
ただモリタ君を酒の肴にしてやろうと思って誘ったのだ。
モリタ君の遅刻の言い訳は「熱が出ましただった。
「熱が出たんなら、別に無理して出てこんでもよかったのに。今頃来ても何も仕事はないよ。帰り!」とぼくは言った。
モリタ君は「熱はもう下がりました。仕事をさせてください」と泣きそうな顔をして勝手に売場に行った。

その日は急遽全員残業になった。
帰りは9時を回りそうだ、ということだった。
ぼくはモリタ君に「熱があって遅れたんやったねぇ。残業せんでもいいよ。今日は早く帰り。明日また遅刻されたら困るけ」と言った。
モリタ君は「しゅ、主任、もう熱は下がりました。残業させて下さい」とまた泣きそうな顔をした。
ぼくは認めなかった。
声をわざと荒げて「さっさと帰れ!」と言った。
モリタ君は不機嫌そうに「はい、わかりました」と言って、みんなが残業している場所には現れなかった。

でもぼくはモリタ君が帰らずに売場にいることはわかっていた。
トイレに行くと言っては、わざと2Fの売場を通って行った。
人影が見えたが、わざと気づかないふりをしていた。
ぼくが30分おきにそれをやったので、今度はトイレの裏の倉庫に隠れた。
たまたまそこを通りかかったやつに、「おい。ここに誰かおらんかったか?」と聞いた。
「いや、誰もいませんでしたよ」とそいつは言った。
ぼくは「ふーん」と言ってその場を去った。

結局残業が終わったのは10時を過ぎていた。
モリタ君は10時までトイレの裏の倉庫に隠れていたことになる。
でも、ぼくが残業を終えて倉庫を覗いた時には、もうモリタ君はいなかった。
ぼくが倉庫を覗くちょっと前に店を出たそうだ。
そして、メンバーと待ち合わせて飲みに行ったということだった。
だが、懲りたのだろう。
その翌日からモリタ君はあまり遅刻をしなくなった。

【7】
モリタ君には変な特徴があった。
興奮すると、おでこにタンコブのような突起物が出るのだ。
ぼくはこのことは知らなかったが、他の人が教えてくれた。

社内でバイキング形式の宴会があった。
立食だったが、テーブルとイスが何セットか用意されていた。
たまたまそのテーブルにMちゃんという子が座っていた。
Mちゃんという子はきれいな顔をしていたので社内でも人気があった。
その日はミニスカートで登場していた。

誰かがMちゃんの前にモリタ君を無理矢理座らせ、「Mちゃん今日はミニスカートだ」と耳打ちした。
みんなはモリタ君のおでこのことを知っていたので、どういう反応をするか注目していた。
モリタ君は次第に鼻息が荒くなっていった。
そして体をのけぞらせ、テーブルの下に視線を落とした。
すると、見る見るおでこが膨らんでいった。
会場は大爆笑になった。
が、モリタ君は相変わらず体をのけぞらせた状態で、鼻息は荒くおでこは膨らんだままだった。

【8】
宴会といえば、モリタ君はよく歌わされていた。
ヘタだった。
間の取り方が悪く、彼が歌うとちぐはぐな歌になり、大爆笑になった。
歌い終わったあと「モリタ君、歌うまいやん。歌手になれるよ」などと声がかかると、「それほどでも」と気障な笑みを浮かべていた。自分ではうまいと思っており、歌に関してはかなりのプライドを持っていたようだ。

【9】
朝礼時はいつもラジオ体操をやっていた。
モリタ君はその時も、みんなの前でやらされていた。
体が堅く動きがぎこちなかった。ロボコップが体操をしているように見えた。
みんなはそれを見たいため、いつもモリタ君を体操当番に指名した。
店長が「今日の当番は誰か?」と聞くと、決まって「モリタ君ですと言う声が聞こえた。
店長もそれを見たかったのだろう。「そうか、モリタか」と言いながら嬉しそうな顔をしていた。
体操が始まると、誰も真面目にせずにモリタ君の手や足の動きを見ていたものだった。

【10】
モリタ君がぼくの部門にいたのは半年ぐらいだった。
組織の変更に伴い、ぼくは楽器部門を離れた。
同時にモリタ君は商品の荷受けのほうにまわされた。

そこでのエピソード。
お客さんが買っていった商品に不良が出て、配送の人が交換して持って帰ってきた。
「おい、モリタ。不良品ここに置いとくぞ」と配送の人が言った。
「はい。これは不良品ですね。わーかりましたっ」とモリタ君は元気よく答えた。
それから2,3時間ほどして、その商品の部門の人が商品を引き取りに来た。
「モリタ君、さっき配送の人が不良品を持って帰ってきたと思うんやけど・・・」と聞くと、モリタ君は「知りません」と答えた。
そこでその部門の人は、配送の人に問い合わせた。
「確かにモリタ君に渡したよ」と配送の人は言ったが、モリタ君は「そんなこと知りません」と言った。
でも、不良品を持って帰った時のやりとりを見ていた人がいたので、モリタ君の嘘はすぐにばれた。
モリタ君は不良品の行方の追求を受けることになった。
結局不良品は捨てたということだった。
モリタ君はみんなからボロクソに言われ、弁償することになった。

この事件から少ししてぼくは会社を辞めた。
ぼくの送別会にはモリタ君も参加していた。
しっかりヘタな歌を聴かされた。
その後モリタ君と会うことはなくなったが、ある時風の噂でモリタ君が会社を辞めたと聞いた。
コックになると言っていたそうだ。
おそらく、履歴書には「特技:料理」と書いたのだろう。


                  完
posted by 新谷勝老 at 23:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 筋向かいの人たち | 編集
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