2002年12月24日

履歴書 その12

ところで、ぼくの抱いていた「さて、どこで会ったんだろう?」の疑問だが、何年か後にやっと思い出した。
それは、夢の中で会ったのだ。
見ず知らずの人の夢を見るということは、その人がぼくの理想の女性だったということになる。
それほど、ぼくにとって大きな人だったのだ。
と、思っていた。
しかし、さらに後年、確かに会っていることを思い出した。
それは中学1年の時だった。
ぼくが一時期バレー部に入っていたということを前に書いたが、その頃のことだ。
5月に、バレーボールの区内大会があり、ぼくたち1年も応援に行くことになった。
その時、その会場の隣で、彼女の所属していたクラブの試合をやっていた。
ぼくは興味本位でその試合を眺めていたのだが、そこにある中学の1年生の団体がいた。
その頃のぼくは、知らない人にも声をかける人間だったので、当然彼女達にも声をかけた。
友人と二人で、ギャグをかましたり、悪態をついたりしたのを覚えている。
その中学が彼女のいた中学だった。
ということは、その中に彼女もいたことになる。
そのことを思い出したのは、30代の後半だった。
しかし、今のところ、それを確認することは出来ない。

ぼくの高校時代は、彼女に始まり、彼女に終わったと言える。
詩作や作曲を始めたのも、彼女がいたからであり、それが高じてミュージシャンを目指し、ありふれた人生を送ることを否定したのも、広い目でみれば彼女がいたからである。
また、『頑張る40代!』では決して触れることがないと思われる、今なお続くぼくの波瀾含みの人生も、「彼女がいたから」ということの延長なのかもしれない。
が、ぼくはそのことで、人生を失敗したなどとは思っていない。
多少波瀾万丈ながらも、いい人生を送っていると思っている。
その意味でも、彼女の存在は大きかったと言える。
もし彼女という存在がなかったら、平々凡々としたありふれた人生を送っていたことだろう。
そして、そのありふれた人生の中に価値観を見いだしていたかもしれない。
しかし、もしそうであったとすれば、このホームページの存在はなかったと思う。

と、高校時代の総括が出来たところで、そろそろ高校を卒業しようと思っているのだが、「2年や3年の時はどうだったんだ?」という方もいると思うので、簡単に触れておくことにする。

1974年、高校2年。
この時代のことは、さんざん書いているので、ここでは割愛する。
何とか人に聞かせることの出来る、オリジナル曲を作ったのがこの頃である。
後にバンドを作るのだが、そのバンドでやった曲のほとんどが、高校2年の時に作ったものだった。

1975年、高校3年。
2年の終業式の日に、これで高校生活が終わったと思った。
高校に入った時から、ぼくは『高校3年生というのは、高校生ではなく受験生だ』と思っていた。
そういう考えを持っていたために、高校2年までに高校生活を楽しむだけ楽しんだ。
その結果、3年の時は抜け殻になっていた。
クラスに溶け込もうとせず、一人孤立していた。
2年までのぼくを知る人間は、その変化に驚いていたようで、「何で2年の時みたいにはしゃがんとか?」などと言ってきたが、ぼくは無視していた。

さて、孤立した目で周りを見渡すと、実によく人の心が見えてくる。
誰もが不安だということが、手に取るようにわかった。
馬鹿やっている者も、真面目ぶっている者も、みんな不安の固まりだ。
ちょっとした会話でさえ、すべて空元気に聞こえる。
もううんざりだった。
結局、うんざり状態のまま、ぼくは高校を卒業する。

1976年3月、高校卒業。
posted by 新谷勝老 at 17:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | 履歴書 | 編集
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