2002年12月21日

履歴書 その10

1973年11月、またもや事件が起きた。
柔道部に出入りしていた3年の先輩が、若戸大橋から飛び降り自殺を図ったのだ。
そのことは新聞にも載った。
見出しは『文学青年、若戸大橋から飛び降り自殺』だった。
ぼくは知らなかったが、先輩はよく哲学書を読んでいたということだった。
また、詩を書いていたらしく、新聞にはその詩も掲載された。
ぼくには結構友だちがいるように見えたが、先輩は孤独だったらしい。
先輩からは「1年で知っとるのは、お前しかおらん」と言って、よくかわいがってもらっていたので、その分ショックが大きく、その後しばらく落ち込んでいた。
そのため、クラスの女の子から「しんた君も自殺するんやないんね」と言われたこともある。
その頃のぼくはフロイトなどを読み、詩を書いていたということもあって、彼女はそう思ったのだろう。

さらに訃報は続いた。
2年の人が死んだのだ。
死因は、やはり自殺だった。
頭からビニールをかぶり、そこにガス管を差し込んで死んだらしい。
柔道部の先輩に、その人と同じ中学の出身の人がいた。
通夜に行ったらしいが、「あいつの彼女が来とってねえ。泣き崩れて、見るに忍びなかった」と言っていた。
ぼくは、その人のことを知らなかったので、あまり深い関心を持たなかったが、またもや死について考えるようになった。

それから数ヶ月後、中学の同級生が自殺したとの情報が入った。
その同級生とは、中学1年の頃、何度か遊んだことがあるが、それほど深いつき合いはなかった。
なぜ死んだのかは知らない。
おそらく孤独感にさいなまれてのことではなかったのだろうか。
その頃、『孤独』という名の下に死んでいく若者が多くいた。
それは、一種の流行のようなものだった。

ぼくは昔から自分のことを、孤独な人間だと思っている。
その自覚を根底に行動していると言っても過言ではない。
人と同じ行動をとることが嫌いだし、人と徒党を組むことを好まない。
そのために寂しい思いをしたこともある。
深い谷間に落とされた気持ちになったこともある。
そんなぼくが自殺に走らなかったのには理由がある。
それは、孤独であることを楽しんでいたからだ。
まあ、死に至るほどの孤独感を味わっていない、とも言えるのかもしれない。
しかし、死に至る孤独感がどのくらいのものなのかは知らないが。

1973年11月、ギター入手。
2学期に入ってからのぼくは、「ギターが欲しい」が口癖だった。
いろんな人に「バイトしてギター買う」と言っていた。
そのいろんな人の中の一人にMちゃんという女性がいた。
彼女はぼくと違う中学の出身なのに、どういうわけか、ぼくの家庭環境をよく知っていた。
理由を尋ねてみると、ぼくの従姉がMちゃんの家で働いているとのことだった。
Mちゃんの家は花屋をやっていた。
そこで、いとこがあることないことを言っていたらしい。
当然、Mちゃんを通じて、ぼくの情報も逐一従姉の耳に入っていた。
もちろんギターの件も。
そして、そのことは伯父の耳にも入った。
伯父は父の兄で、高校生がアルバイトをしたら不良になると思っている古い考えの人だった。
ある日、伯父から母に電話があった。
「しんたがギターほしがっとるそうだが、こちらでギターを用意するから、絶対バイトなんかさせんで欲しい」という内容だった。
それから1週間ほどして、伯父の元からギターが届いた。
ここからぼくの人生が変わる。
posted by 新谷勝老 at 17:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | 履歴書 | 編集
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