2002年12月19日

履歴書 その8

高校に入学した頃のぼくは、中学までとはうってかわって、もの静かな人間だった。
理由は二つある。
前にも話したが、友人の死というのが、その一つだ。
そういう初めての経験が、ぼくの中で処理できないでいた。
授業中に、死について考えていることもしばしばあった。
そういう時に限って、先生から質問が飛んでくる。
生まれつきの勉強嫌いが、予習復習などするようなことはない。
したがって、答えることが出来ない。
立ったままじっと黙っていた。
休み時間にはふさぎ込んでいるし、おそらく周囲の人間は、ぼくに暗い人間のイメージを持ったに違いない。

もう一つの理由に、クラスに同じ中学出身の男子がいなかったというのがある。
ぼくと同じ中学からその高校に入ったのは13人だった。
内訳は、男子が3人、女子が10人である。
当時は1学年450人いた。
13人というのは少ない。
さらに3人というのは、いないに等しい数である。
当然ぼくたちは、バラバラに振り分けられた。
おかげでぼくは、まったく知らない人たちの中で過ごさなければならなかった。
ぼくは転校をしたことがなかったし、小学校の同級生のほとんど全員が同じ中学に行ったので、まったく知らない人の中で過ごすということがなかった。
そのため、慣れない人たちと話すことに躊躇していた。
その点、他の中学から来た人間は、とりあえずは同じ中学出身者としゃべってればいいのだから気が楽である。

そうやって1ヶ月が過ぎる頃、クラスの色というものが出来つつあった。
くそ面白くもないキザな男が、みんなの笑いを取っている
このままクラスの色が出来上がってしまうと、一年間、クラスはその男を中心に回ってしまう。
さらにぼくは、目立たない暗い男に成り果ててしまう。
「これはいかん。落ち込んでいる暇はない」
そう思ったぼくは、ある作戦に出る。
当時、巷ではぴんからトリオの『女のみち』という歌が流行っていた。
休み時間に、ぼくはその歌をちゃかして歌ってみた。
それを何度かやっているうちに、みんながぼくのことを注目し始めた。
それから、小中学校で培った笑いネタをガンガンやった。
それがウケた。
これでキザ男中心のクラスにならずにすんだ。

それ以来ぼくは、いつも歌ばかり歌っていた。
別に『女のみち』をやり続けたわけではない。
その頃、吉田拓郎の洗礼を受けたのだ。
中学の頃から拓郎は知っていたが、あまり関心は持ってなかった。
あれは、ぼくが『女のみち』をやり始めて、しばらく経ってからのことだった。
たしか、中間テストの頃だった。
その日、クラブは試験休みだったので、早く家に帰ったぼくは、することもなくラジオを聴いていた。
その時、吉田拓郎特集をやっていた。
「6月に発売される吉田拓郎のアルバム『伽草子』の中から、何曲かお届けします」
しばらく流して聴いていたのだが、『制服』という曲が鳴り始めた途端、ぼくは頭を殴られる思いがした。
ギター一本の弾き語りだったのだが、ああいう説得力のある歌を聴いたのは初めてだった。
それからぼくは、拓郎にハマっていくことになる。

それまで、ぼくは中学までと同じように、お笑い路線で高校生活を送ろうと思っていた。
しかし、その時から拓郎路線に変更した。
寝ても覚めても拓郎だった。
拓郎の歌を覚えては、休み時間に大声を張り上げて歌っていた。
現在ぼくがカラオケで歌うのは、この時歌っていた拓郎の歌が圧倒的に多いのだが、おそらく体に染みついてしまっているのだろう。

身につけたものは歌だけではない。
しゃべり方や考え方も、拓郎に沿ったものになっていった。
ある程度拓郎になりきった時、一つ足りないものがあるのに気がついた。
ギターである。
posted by 新谷勝老 at 17:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | 履歴書 | 編集
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