2002年12月16日

履歴書 その5

さて、中学時代のことは、この日記にかなり書いているので、詳しいことはそのへんの日記を読んでもらうことにして、ここでは概略だけ書いておく。

中学1年。
・中学に入学してからすぐにバレーボール部に入ったが、すぐに辞める。
・1学期、習字の時間にクラスの人間とけんかをし、翌日母が学校に呼ばれることになる。
・2学期、技術の授業中に隣の奴とふざけていて先生から呼び出しを食らう。
保健室横の密室で、20発ほどビンタを食らった。
友人は涙声で「許して下さい」と言ったが、ぼくは悔しくてその先生をずっと睨み付けていた。
翌日、また母は学校に呼ばれる。
・同じく技術の時間に落書きをしていた。
例の先生に見つかり、その紙を取り上げられる。
『ぼくはあなたが好きです。あなたのためならヌードになってもいい・・・』という内容だったので、先生の間で問題になり、三度母が呼ばれることになる。
母は、「あんないたずら書きを真に受ける先生がおかしい」と言っていた。
・体育と美術の授業をボイコットしたために、通知票に「1」の字が二つ並ぶことになる。
もちろん、母は学校から呼び出しを食らい、「この中学始まって以来の事件だ」と言われる。

中学2年。
・1学期の中間テストで、突然成績が優秀になる。
ぼくを問題児扱いにしていた学年主任の先生から職員室に呼び出され、「よく頑張った」とほめられる。
が、次の期末テストで成績は元に戻る。
・弁当の時間、毎日仲のいいメンバーと食べていたのだが、最後にはいつもケンカになり、弁当の中に牛乳をかけたり、ぞうきんの汁を入れたりしていた。
見かねた女子が先生に言いつけた。
そのため、それ以来仲のいいメンバーで食べることが出来なくなった。
・『あしたのジョー』を真剣に読み出す。
・夏休み、宇佐神宮の馬にかまれる。
傷跡は20代まで残っていた。
・この頃から日露戦争に関心を寄せるようになり、東郷平八郎がぼくの英雄になった。
きっかけは『時間ですよ』だった。

中学3年。
・忍術の訓練を始める。
高い所に手だけで登ったり、ガードレールの上に飛び乗ったり、後ろ歩きをしたり、手裏剣の練習(ちゃんと先生についた)をしたり、気配をなくす訓練をしたりした。
しかし、こういうことは何の役にも立たなかった。
あ、そういえば役に立ったこともある。
高校の運動会で、平均台の上に乗る競技があったのだが、その時ガードレールの練習が役に立った。
ぼくは平均台の上に軽々と飛び乗り、周囲をあっと言わせた。
・高校受験の勉強をろくにせずに、超能力の勉強ばかりしていた。
ろうそくを立て、心で「消えろ」と念じ、消えるようになったら念力が使えるようになる、とある本に書いてあった。
2ヶ月ほどやってみたのだが、ろうそくの火は揺れることすらなかった。
しかし、これをやったおかげで、後年ぼくは「瞬きをしない人」と呼ばれる。
・翌年通うことになる高校を選んだのは、単純な理由からだった。
それまでは、ぼくはどこの高校でもいいと思っていたのだが、友人が「○高は女のほうが多いらしい」と言うのを聞いて、希望校をその高校にした。

1973年3月、中学卒業。
posted by 新谷勝老 at 17:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | 履歴書 | 編集
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