2002年12月14日

履歴書 その3

1968年、花の小学5年生。
『亜麻色の髪の乙女』が流行っていた頃に、ぼくは小学5年生になった。
3年4年と歳を増すごとに、ぼくは悪ガキになっていった。
4年生まではまともにやっていた宿題も、この頃からやらなくなっていった。
それから高校を卒業するまで、ぼくはまともに宿題をしていったことはない。
授業態度も不真面目で、しょっちゅう廊下に立たされていた。
ある日、友人と廊下に立たされている時だった。
北の空に光る物体が見えた。
友人に「おい、今の見たか?」と聞くと、「おう、見た見た」と言う。
「あれは何かのう」
「うーん?」
「あれは円盤やろ」
「そうかのう。飛行機やなかったか」
「円盤っちゃ。それでいいやないか」
ということで、授業が終わった後クラスの連中に「おれたち、さっき空飛ぶ円盤見た」と触れ回った。
「ホントかっ!?」
みんなうらやましがっていた。
しかし、そのことが先生の耳に入り、またもやぼくは叱られることになった。
「しんた君は、廊下に立たされとる間、なぜ自分が立たされたのかと反省せんかったんかねえ?」
「いや、反省してました」
「嘘ついても、わかるんやけね。反省してたのに、どうして円盤なんか見る暇があるんね」
そう言って、先生はぼくの頭を叩いた。
しかしぼくは「確かに見ました」と言い張っていた。

掃除当番もまともにしなかった。
ぼくたちが一番楽しみにしていたのは、月に一度回ってくる便所掃除だった。
そこは、唯一先生の目が届かない場所だった。
もちろん、掃除はせずに、ホースやバケツで水遊びをしていた。
壁に水をかけ、便器に水をかけ、最後は天井に水をかけて、トイレ内を水浸しにして終わっていた。
いつも他のクラスの生徒から、「お前たちが掃除した後、いつも天井から水が落ちてくる」とクレームが付いていた。
しかし、ぼくたちは悪びれもせず、「それだけ真面目に掃除しよるということやろ」とやり返していた。

その頃のぼくは露出狂だった。
当時はまだ水泳の時間でも、女子といっしょに着替えをしていた。
ぼくは最初の頃こそバスタオルを腰に巻いて着替えていたのだが、だんだんそれが面倒になり、ついに「勇気ある者」と言いながらタオルをつけずに着替えてしまった。
それが受けた。
そのうち、男子のリクエストに応え、教壇の上に立って着替えるようになった。
さすがに女子は顔を覆っていたが、中にはしっかり見る者もいた。
そういうことをやったのは、その年が最初で最後だった。
さすがに6年生になったら、恥じらいも出てきたのだ。

その6年生の時も、5年生時代の延長だった。
クラスが変わらなかったので、やることは同じだった。
それにしても、ある面まとまりがよく、ぼくにとっては居心地のいい楽しいクラスだった。
よく叱られてはいたが、先生もいい先生だった。
それから数年後、先生にバイトでお世話になることになる。

1970年3月、小学校卒業。
posted by 新谷勝老 at 17:18 | Comment(0) | TrackBack(0) | 履歴書 | 編集
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