2002年12月12日

履歴書 その1

1957年11月、この世に生を受ける。
この日、空は快晴であったという。
しかしその後、誕生日に晴れたことがない。

1961年8月、父死去。
会社での事故で、即死だったという。
しかし、会社側はそれを隠し、救急車で搬送中に死亡と発表。
夜中のこと、家のドアをたたく音がした。
ぼくはまだ3歳だったのだが、何となくそれがよくない知らせだと直感した。
翌朝、病院に駆けつけた。
青白い顔をして横たわった父親の姿がそこにあった。
ぼくは、まだ死というものがわからずに、不思議な気持ちで父親の顔を見ていた。
それからの記憶は、葬式に飛んでいる。
人がたくさん集まるのが嬉しく、お菓子を食べられるのが嬉しく、ビールの泡をもらえるのが嬉しくて、ただただひたすら喜んでいた。
そんなぼくを、親戚が哀れんで見ている写真がある。
おそらく父親がいないということで、暗い人生を送るのではないかと案じていたのだろう。
が、親戚一同の心配するような方向に、ぼくは行かなかった。
ぼくの人生で父のことは、この時点で終わっている。
その後は、普通の悪ガキとして成長する。

1962年、近くのカトリック系の保育園に入園。
2年保育で、年少の時、お遊戯会で『殿様道中』という踊りの主役を務める。
が、踊りが下手で、主役の座を降ろされそうになる。
「しんた君はいつまでたっても踊りがうまくならんねえ」
「踊り、好かんもん」
「じゃあ、殿様の役かえるよ」
「いいよ」
「そんなこと言わないで、ちゃんと踊りの練習しなさい」
ということで、殿様の役はおろされなかった。
しかし、それ以来、踊りやダンスといったものに拒否反応を示すようになる。
後年、ディスコブームの時、何度か新宿歌舞伎町のディスコに行ったことがあるのだが、ぼくは踊りもせず酒ばかり飲んでいた。
友人は「踊ろうよ」と声をかけてきたが、ぼくは「男が、そんなチャラチャラしたことは出来ん」と言って逃げ回っていた。
それも、保育園時代の『殿様道中』がトラウマになっているのだと思う。

1963年8月、登園拒否。
ぼくの通った保育園は、夏休みが8月20日までだった。
「さて、今日からまた保育園だ」と思って外を見ると、小学生が遊んでいるではないか。
どうしたことだろうと尋ねてみると、小学校は8月31日まで夏休みだと言う。
「じゃあ、保育園がおかしいんだ」と思ったぼくは、制服を脱ぎ、その小学生たちといっしょに遊んだ。
結局、そのまま8月31日まで保育園には行かなかった。
園友たちから、「どうして保育園に来んかったんか」とさんざん文句を言われた。

1963年10月、運動会。
運動会が終わって、おみやげをもらった。
かなりいいものをもらえると踏んでいたのだが、もらった物は大箱のグリコ(当時50円)だった。
期待を裏切られたぼくは、大声で「何かこれ。50円のグリコやん」と文句を言った。
が、なぜかそれがギャグと受け止められた。
場内は大爆笑になった。
そばにいた叔母が、顔を赤らめて「これっ!」と言った。
家に帰ってから、「ああいう場所で、ああいうことを言うもんではない」とさんざん文句を言われた。
posted by 新谷勝老 at 17:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 履歴書 | 編集
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