2002年05月12日

沖縄 その1

新しいことを始めた。
日記ならぬ、時記である。
ゴールデンウィークが終わってから、お客が減り、暇な時間が多くなった。
「やることがない」ということは、つまらないものである。
ということで、今日から、その暇な時間を利用して、時記『ライブ!』を書くことにした。
携帯からの更新になるので、あまり多くは書けないが、素顔のしろげしんたをお伝えできたら、と思っている。

さて、今月の15日で、沖縄は本土復帰30周年を迎えるという。
もうあれから30年経つのか。
その当時、ぼくは中学3年だった。
あの日は月曜日だったと思うが、なぜか半ドンだった。
家に帰ってからすることもないので、折尾の親戚の家に遊びに行った。
親戚の家に着くと、テレビで沖縄返還の特集をやっていた。
その頃、ぼくが沖縄について知っていたことは、沖縄戦と屋良主席と琉球飴のことだけだった。
琉球飴は、ぼくが小学生の頃テレビでよくCMが流れていた。
「琉球飴は夢の味♪」というCMソングとともに、男の子と女の子の画が出てくるのだが、その画は戦前の雑誌に載っている「お坊ちゃん、お譲ちゃん」のような古臭い画だったのを覚えている。

沖縄返還特集で、「これからは、パスポートなしで沖縄に行けるようになりますね」と言っていた。
それを聞いて、「沖縄に行きたい」と、その時ぼくは思った。
それが現実になるのは、それから16年経ってからである。

初めて沖縄に行ったのは、昭和最後の年だった。
社員旅行で行ったのだった。
この時を含めて社員旅行は、3年続けて沖縄だった。
ぼくは、初めて那覇空港に降りた時から、沖縄に魅せられてしまった。
沖縄特有の匂い(ハイビスカスの香りか?)と風土が気に入ったのである。
そこに、なんとなく懐かしさを感じたものだった。
しかし、初っ端から、沖縄の嫌な面を見てしまった。
ある事件に遭ったのだ。

その事件というのは、沖縄最初の日、那覇市内で起こった。
その日、空港から観光バスに乗り、首里城跡(当時)に行った。
首里城跡を見学し、その後、ひめゆりの塔、真武仁の丘、玉泉洞、ハブ博物公園などを回ってから、宿泊地の那覇東洋ホテルに着いた。
小休止して、夕方からお決まりの宴会が始まったのだが、宴会が終わったら、ぼくは那覇一番の歓楽街である松山に行こうと思っていた。
そこにある民謡酒場に行きたかったのだ。
そこには「もしかしたら、喜納昌吉に会えるかもしれない」、という密かな期待があった。

宴会が終わってから、昼間いっしょに行動した人(二人)に声をかけ、外に出た。
さて、そうは言ったものの、松山がどこにあるのかわからない。
とりあえず、タクシーに乗り込み、「松山に行って下さい」と言った。
「お客さん、沖縄は初めてですか?」
「はい」
「じゃあ言っとくけど、松山は高いよ」
「そうなんですか?」
「ぼくが、安いところを知ってるから、よかったら案内するよ」
「でも、松山で行きたい所があるんやけど」
すると、誘った二人が「しん、せっかく案内してくれるんやけ、最初にそこに行こうや。松山は後で行けばいいやん」と言った。
結局、他の二人に押し切られて、行き先は運転手に任せることにした。
「そこは、安いよ。5000円ぽっきりよ」
ぼくはふてくされていたので、それに答えなかったが、他の二人は「本当ですか!よろしくお願いします」などと、運転手に相槌を打っている。

5分ほど走って、車は止まった。
運転手が、そこにいた呼び込みの兄ちゃんに、「兄ちゃん、ここは5000円よねえ」と聞いた。
兄ちゃんは「はい、5000円です! それ以上はいただきません」と答えた。
ぼくたちはタクシーを降り、店の中に入った。
ただのパブである。
事件はそこで起こった。
posted by 新谷勝老 at 22:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行記 | 編集
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック


Copyright(C) 2000-2022 しろげクラブ. All rights reserved.