2022年08月09日

運命の分かれ道(後編)

──続きです

 担任は続けた。
「その推薦なんですが、実は締め切りが明日の午前中なんですよ。今日願書を持って帰り、必要事項を書き込み、明日それをX大学に直接持って行ってもらわなければなりません」
「えっ!?」

 X大は福岡市にある大学だ。今でこそ野球の観戦やコンサートを見に行ったり、仕事で訪れることが多くなったが、当時のぼくはあまり福岡市に行ったことがなく、博多駅近辺以外の地理がまったくわからなかった。そこでぼくは、
「大学は福岡市のどこにあるんですか?」と聞いてみた。すると担任は、
「博多駅からバスが出ているから、それに乗って行けばいい」と言う。
「駅のどこからバスに乗ったらいいんですか?」と聞くと、担任は、
「そこまではわからんが、その辺の人に聞けばわかるだろう」と言った。

 つまり、翌日の午前中までに願書を出すためには、持って帰った願書に必要事項を焦って書き込み、翌朝早く家を出て、一時間近くかけて博多に行き、駅のどこにあるかわからないバス停をその辺の人に聞きまくって探し、そこからどのくらい時間がかかるかわからない大学までバスで行き、大学内で事務所を探し、そこで願書を提出しなければならないわけだ。どう考えても面倒だ。

 ということでぼくは、
「推薦はいいです。一般で受けます」と言って、担任の提案を断った。担任は
「そうか、一般で受けるか。お母さん、それでよろしいですか?」
「はい、本人が決めることですから」
「じゃあしんた、一般で頑張れ」

 これがぼくの運命の分かれ道になった。もし、あの日担任が風呂から上がった後に電話をくれていたら、ぼくはとりあえず推薦入試を受けていたと思う。そして余裕を持って丁寧に書いた願書を、郵送で提出していたはずだ。その後X大に入り、今とは違った人生を辿っていたに違いない。

 つまり、一般で頑張れなかったということになるのだが、もしその大学に入っていたとしたら、高校を卒業してからの波瀾万丈を体験できなかっただろうし、そのことを書き綴るブログもやらなかったはずだ。そう考えると、面白くない人生になっていたのかもしれない。


 卒業してから数年後、担任からハガキが届いた。そこには、
「その後どうされていますか。気になっています」と書かれていた。その時は返事を出さなかったが、ちょうどいい機会だ。今ここで返事を書くことにしよう。
「あなたが風呂に入ったおかげで、面白い人生を歩ませてもらっています。感謝していますよ、先生」
 先生、まだ生きてるのかなあ?
posted by 新谷勝老 at 12:12 | 思い出 | 編集

運命の分かれ道(前編)

 高校三年(1975年)の12月のある金曜日のこと。その日、家にいるのはぼく一人だった。夜8時頃だったか、二階の部屋でギターを弾いていると、一階から電話の鳴る音がした。慌てて階段を駆け下り、電話に出た。

「もしもし」
「お母さんいますか?」
「母は今出かけていますが」
「そうですか。じゃあ後でかけ直します」
 聴いたことのある声なのだが、相手が名前を言わないから、誰かわからない。しかし、かけ直すということだったので、気にしないでおいた。

 母が帰ってきたのは9時を過ぎていた。
「電話かかっとったよ」
「誰から?」
「さあ?聴いたことある声やったけど、名前は言わんかった。かけ直すとは言ってたけど」
 しかし、その夜電話はかからなかった。いや、その夜だけではなく、その翌日も、そのまた翌日も、ずっとかからなかった。

 その翌週の金曜日、三者面談があり、担任と母とぼくの三人で進路の話し合いを行った。開口一番担任は、
「これは提案なんですが、X大学の推薦を受けてみませんか?」と言った。「実は先週、その件でお母さんに電話をしたんですが、いなかったんですよ。風呂に入った後にかけ直そうと思っていたんですが、忘れてしまって。ハハハ」

 聴いたことのある声だと思っていたが、あの電話は担任からだったのか。電話越しで、しかも他人行儀に話すのでよくわからなかった。
『何が「ハハハ」だ。電話をかけ直さなかったのを覚えているのなら、それに気づいた時に電話すればいいじゃないか』と、ぼくはその時思っていた。

 この担任の風呂の一件が、ぼくの運命を大きく左右することになる。

続きます──
posted by 新谷勝老 at 06:41 | 思い出 | 編集


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