2022年05月24日

夫婦生活

朝、嫁さんのあとに
トイレに入る時
ふと『何でこの女の
生活臭の中にいるんだろう』
なんて思うことがある。

昼間、嫁さんと二人で
買い物に行っている時
ふと『何でこの女と
共に歩いているんだろう』
なんて思うことがある。

夜間、嫁さんと二人で
テレビを見ている時
ふと『何でこの女と
くつろいでいるんだろう』
なんて思うことがある。

夜中、嫁さんのイビキで
目をさまされる時
ふと『何でこの女が
横に寝ているんだろう』
なんて思うことがある。

縁だと言えばそれまでだが
考えてみれば不思議なことだ。
posted by 新谷勝老 at 16:56 | 日記 | 編集

野菜ジュース

「気分は健康状態にあるのだが、腹の調子がしっくりこない。それはきっと野菜不足のせいだ」
 そう思って、数日前から野菜ジュースを飲んでいるのだが、その野菜ジュースを飲む時、決まって東京で一人暮らしをしていた頃を思い出す。

 あの頃は、朝は飯抜き。昼は肉まんと野菜ジュース。夜はインスタントラーメンに切り餅をトッピング。そういう献立で生活していた。
「なるべく金を遣わないで、空腹をしのぐにはどうしたらいいか?」
 と考えた末の献立だった。

 当時の野菜ジュースというのは、トマトジュースに毛の生えた程度のもので、使用している野菜の種類も少なく味はかなりまずかった。それでも野菜ジュースを加えた理由は、健康を考えていたから、ではなくて、ただ単に値段が安かったからだ。

 とはいえ大病もせずに過ごせたのは、その野菜ジュースのおかげが大きいだろう。生来の貧血症が治ったのもあの頃だ。さらに体重は今よりも8キロ少ない68キロという理想の数値だった。
 家計や健康、特に体重のことも考えて、当時の食生活に戻すのも悪くないな。
posted by 新谷勝老 at 05:56 | 日記 | 編集

2022年05月23日

われ日にわが身を三省す

 きっと若い頃に読んだ論語の影響だろう。変な気癖がついている。「われ日にわが身を三省す」という言葉が心を責めて、いつも反省を促してくるのだ。
 そのためにひどく心が疲れてしまう。しなければならぬ反省ならともかくも、しなくてもいい反省までしてしまう。反省材料のない時には、わざわざ過去から反省材料を引っ張り出してくるしまつだ。
 どこかで歯止めをかけないと、やっとられんわい。人生の楽しみすら奪われてしまう。
posted by 新谷勝老 at 15:39 | 日記 | 編集

うんこ座り

 以前は何の苦もなく出来ていたことなのに、西洋化した生活のせいで出来なくなってしまったことがある。それはうんこ座りだ。
 うんこ座りをやっていた頃は、体はわりと柔らかかった。肩こりや腰痛などという、疲れを連想する言葉を使うこともなかった。

 そうだ。体が硬くなったり、肩こり腰痛という言葉を常に使うようになったのは、うんこ座りの必要がなくなってからだ。それ以来靴紐を結ぶのもひと苦労するし、体を曲げるのもつい慎重になってしまう。
 最近、そのうんこ座りと体の変調の因果関係に気づいたぼくは、暇があればうんこ座りをすることにした。

 今のぼくにはこれが一番重要な運動になっているのだが、久しぶりのうんこ座りは重労働で、たとえば足の裏がつりそうになったり、たとえばすねの筋肉が痛くなったり、と、毎日悪戦苦闘している。
 とにかく難なくうんこ座りが出来るようになるまで、自分の体をいじめてやるんだ。
posted by 新谷勝老 at 06:38 | 日記 | 編集

2022年05月22日

田んぼの中の家

 ぼくの通った小学校から少し離れた地区に、一面田んぼだらけの場所があり、そこに仲のいい友だちの家があった。
 夏の暑い日、その友だちの家の庭に巣くっていたアリジゴクを観察しに行ったり、冬の寒い日、グリコアーモンドチョコレートの懸賞賞品だった「おしゃべり九官鳥」を見せてもらいに行ったり、数々の思い出の中に、田んぼの中のその家は登場する。

 小学生の終わる頃、その友だちは引っ越してしまい、以来そこに行くことはなくなった。
 それから数年後、ぼくの行かなくなったその場所で、国道のバイパス工事が始まった。道は街を作り、街は人を呼ぶ。当然のように一面の田んぼは消され、多くの建物がその一帯を飾るようになった。そしていつしか町名も変わった。

 先日その場所を嫁さんと訪れてみたのだが、かつて通った懐かしい友だちの家はすでになく、近くには駅が出来、跡地にはグルメ本にたびたび登場する洒落たパスタの店が建っていた。
 ローマ字の「A」で始まるその店の名を、なぜかぼくは「アリジゴク」と読んでしまい、嫁さんに笑われたのだった。
posted by 新谷勝老 at 18:04 | 日記 | 編集

お客様、それはないでしょう

 某家電専門店に勤める知り合いから、こういう話を聞いた。
 初老の男性が販売員に声をかけた。
「このテレビを届けてくれ」
「ありがとうございます。では、こちらにお届け先の住所をお書き下さい」
「何で書かんとならんのか」
「えっ、配達されるんでしょ?」
「何を聞いとるんだ。そう言っとるじゃないか」
「だから、こちらにご住所をお書き下さい」
「だから、何で君に個人情報を教える必要があるんだ。ちゃんと法律で教えんでいいようになっとるだろうが」
「・・・・・・・」
「こんな非常識な店では買えん」
 そう言い捨てて、そのお客は帰ったそうだ。

 かつて、ぼくも似たような仕事をしていたことがあるのだが、その頃、こういうことがあった。
「明日X時に、この商品をここに届けて下さい」
「ありがとうございます。お支払いはどうされますか?」
「代金引換にして下さい」
「かしこまりました」
 翌日X時、配送の人から連絡が入った。
「この住所、存在しないんですけど・・・」
「えっ、地図で確認して行ったんでしょ?」
「載ってないから、直接来たんですよ。住所は間違ってないでしょうね?」
 そこでそのお客が書いた販売伝票を確認したのだが、配達票と寸分の狂いもない。電話をかけてみても出ない。仕方なくお客からの連絡待ちということにしておいた。
 あれから二十年近く経つが、いまだにそのお客からの連絡はない。
posted by 新谷勝老 at 06:26 | 日記 | 編集

2022年05月21日

駅前通り

 駅から放射状に伸びる道が街を作っている。かつてこの沿道には多くの店が建ち並び、ここは県内でも有数の繁華街だった。

 ところが今世紀に入ってから、店はどんどん閉鎖していき、その跡は無意味な駐車場になっている。

 毎日がお祭り騒ぎだった市場の通りも、今はいつ行っても閑散としている。何とか往年の賑わいを残しているのは、裏通りにある飲み屋街だけだ。

 かつての街の賑わいを若い人に話しても、誰も信用してはくれない。彼らが認識しているこの街は、ドンキも含めて、すでに夜の街なのだ。

 だけど解せない。別にこの地区の人口は大きく変わってはいない。なのにこの有様なのだ。
 あのお祭り騒ぎの人たちは、いったいどこに消えたんだろう。
posted by 新谷勝老 at 17:45 | 日記 | 編集

地元のニオイ

 社会に出てから四十年以上経つ。ずっと流通業に携わってきたわけだが、現在働いているところは、家から歩いて行けるくらいに近い場所にある。ここまで近いのは初めてだ。一時間以上もバスや電車に揺られ、最後は走って職場まで通っていたのがうそのようだ。

 さて、地元だからということでもないのだろうが、見知らぬお客さんから
「あんた、この辺の人やろ?」
 と聞かれることがよくある。
「よくわかりますね」
 と言うと
「そういうニオイがプンプンするんよね」
 とその方は言う。

 さて、そういうニオイとは、いったいどういうニオイなんだろうか。
 地元出身の高倉健さんを見て、
『この地域特有の雰囲気がある』
 と思ったことがあるが、それと同じことなのだろうか。
 ぼくは健さんのような渋い男ではない。いつも人からボーッとしているように見られる、損なタイプの男だ。

 さて、そこで疑問に思うことがある。その見知らぬお客さんには健さんのような渋いタイプの男も、ぼくのようなボーッとタイプの男も、いっしょのニオイがするのだろうか。今度聞かれたらぜひ尋ねてみたい。
posted by 新谷勝老 at 06:42 | 日記 | 編集

2022年05月20日

セルフイメージ

 確固たる自信のないまま生きてきたから、どうもセルフイメージがよくない。端から見ると、いかにも自信家でそつなく見えるかもしれない。だけどそれは表向きを繕うために編み出した、ぼくの忍法だ。そうだ、みんなは誤魔化されているのだ。ぼくはぼくの影を知っている。影にとらわれているのを知っている。だから忍法に頼るのだ。

 若い頃、知らない人からよく声をかけられることがあった。彼らは決まってこう言うのだ。
「あなた哲学やっているでしょう?」と。
 ぼくが「やってませんよ」と否定すると、
「嘘言ってもダメ。あなたの目はそういう目をしている」と曰う。
 なんだこの誤った自信は。確かにその当時は老荘が好きで、その関連書を読みあさっていた。だが哲学をやっていたわけではない。そこに書いてある処世術を学んでいただけだ。だからその当時のセルフイメージは、思いに耽る哲学者の姿ではなく、馬鹿のごとくボーッとしている姿だった。

 しかし哲学をしている目というのは、いったいどういうものなのだろう。今さらながら鏡を見ておけばよかったと思う。まさか焦点の定まらぬボーッとした目のことではないだろうな。それなら今もしている。
posted by 新谷勝老 at 19:01 | 日記 | 編集

漫画雑誌

 漫画雑誌を初めて自分で買ったのは小学二年生の時で、『オバケのQ太郎』目当てに買った少年サンデーだった。
 それからサンデーを定期購読するようになり、『おそ松くん』のギャグに笑い、『パーマン』のマスクに憧れ、『ミラクルA』『W3』や『伊賀の影丸』の活躍に胸躍らせていた。しかし『おそ松くん』が『もーれつア太郎』に変わった頃から、徐々にその熱は冷めていった。

 再び読み出したのが小学校六年の夏だ。その前の年に創刊された少年ジャンプ、『ハレンチ学園』『父の魂』『男一匹ガキ大将』『ど根性ガエル』等を楽しんでいた。
 またその頃創刊された少年チャンピオンも時々読んでいた。『あばしり一家』『夕焼け番長』等。

 中学に入ってから、『あしたのジョー』をやっていた少年マガジンを読むようになる。読んでいたのは、他に『天才バカボン』『男おいどん』『ワル』『空手バカ一代』『デビルマン』等だった。
 ジョーが終わったのが高校一年春で、その後しばらくマンガから遠ざかる。

 三度目のマイブームは二十歳の頃の少年チャンピオンで、『マカロニほうれん荘』『ブラックジャック』『がきデカ』『月とスッポン』『らんぽう』『エコエコアザラク』等を読み、東京の一人暮らしを楽しんでいた。
 またその頃、『1,2の三四郎』の始まった少年マガジンも購読するようになる。

 社会に出てからはビッグコミックオリジナル。『人間交差点』や『MASATAERキートン』の終了後は、『Happy!』のスピリッツへと移行して『20世紀少年』が終わるまで読んでいた。

 それ以来マンガ雑誌から遠ざかり、今なおそれは続いている。マンガ雑誌を読まなくなったのは、マンガに興味がなくなったからではなくて、興味を引くマンガがなくなったからだ。

 次またマンガ雑誌を読む時、ぼくはどんなマンガに興味を示しているのだろう。
posted by 新谷勝老 at 08:10 | 日記 | 編集

2022年05月19日

タイミング悪く

 たとえば今日の仕事が終わり、「さあ帰ろう」と会社を出た時、職場に忘れ物をしていることに気づく。
 そこで職場に戻ると、なぜかタイミング悪く、
「あ、いい所にきた。ちょっとこれやっといて」
 と軽いノリで声がかかる。ややこしそうな仕事なのに、ついつい釣られて引き受けてしまう。
 そういう時に限って、なぜかさっさと時間が過ぎていく。気がつけば二時間過ぎていた・・
、なんてこともざらにある。
「ああ、何で戻ってきたんだろう」
 と、悔やんでみてももう遅い。

「そういうことって、けっこうあるよね」
 と、友人と話したのはつい先日のことだった。で、昨日は、そういうことがあった一日だった。
posted by 新谷勝老 at 16:40 | 日記 | 編集


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