吹く風ねっと

一生は未来の記憶を散りばめた一本の道。人生は未来の記憶をひろいながら歩く旅。

2020年09月

 何年か前、地元の山の、山頂付近に住むお客さんの家に行ったことがある。車で登れる程度のさほど高くない山なのだが、それでも山道はつきもので、登って行くにつれて、カーブは多くなるし、道幅もだんだん狭くなる。最後は1台がやっと通れるくらいまで狭くなった。

 それに伴って変わっていったのが、場の雰囲気だった。平地とはまったく違うのだ。神域に入って行くというか、何というか。

 そのお客さんの家の造りは、平地にあるそのへんの民家と変わらないものだったが、家の中は何か神々しく感じた。お客さんもその家族も、何かおっとりした感じの方たちだった。きっと山の神に守られている家だったんだろうな。

 入院していると、いろいろなスタッフが入れ替わり立ち替わりやってくる。医師や複数の看護師、清掃の方、食事を持ってきてくれる方等々だ。
 入院して二日目にやって来たリハビリ担当のお兄さん、ぼくを見るなり、
「えっ、しんたさん、元気ですねえ」
 と言った。そこでぼくは、
「はい、元気ですよ」
 と、元気よく答えた。
 考えてみたら、少なくともその二日前までは、元気に働いていたのだ。元気でないはずがない。多少の痺れ以外は、手も足も動くし、意識もこの日記を書くくらいにハッキリしている。
 あとは、この元気さの維持なんだろうな。そこで落ち込むと病気に負けてしまう。入院を促した嫁さんにも怒られる。

 車を運転していると、たまに不可解なことに遭遇する。まあ、不可解と言っても、大したことはないのだが。

 いつだったか、バイパスを走っている時に、前を走っていた車が、急に何かをよけるようにハンドルを切った。自転車かバイクが走っているのかと思い、こちらもハンドルを切ろうとしたが、前の車がよけた場所には何もいなかった。
 車高の低い車なら段差を避けるために、そういうことをすることはあるのだが、その車は普通の車だった。そこ以外はフララせずにちゃんと走っていて、居眠りでも酒気帯びでもなさそうだった。

そういえば、昔ある人から聞いたことがある。その人の先輩が運転する車に乗っていた時のこと。
「あ、人がおる」
 と、先輩が言った。
「えっ、どこですか?」
 その人が周りを見回したが誰もいない。
「誰もいないじゃないですか」
「ああ、霊か」
 その先輩は、霊感の強い人だったらしい。

 前の車の運転者も、そういう人だったのだろうか?

 病室は東向きで、ベッドは窓ぎわにあり、朝になるとぼくの顔をめがけて日が差し込んでくる。普段西向きの部屋で生活しているぼくには、それがきつい。
 しかし、悪くない一面もある。東向きだから、窓ぎわだから、毎朝この市のシンボルである、皿倉山が拝めるのだ。
 また、ここは街の中心地に近いので、夜になるとマンションの灯りや、高速ランプの灯りが見えるのも嬉しい。日常生活の環境の中で生活をしている感触がいいのだ。

 入院してどんな治療を受けているのかというと、点滴だけだ。後日リハビリをやるらしいが、手術をするわけでもないし、やることはそれくらいしかないんだろうな。

 まあ、とにかく暇で暇で。こういう所でテレビは見たくないし、ヘッドホンを忘れたのでスマホに入っている音楽は聴けないし、本を持ってくるのは大変だし。

 そこで、スマホに入れている電子書籍を読んでいるのだが、文芸ものはいいものの、マンガの文字は小さくて読みづらい。1ページごとに拡大すれば読めるものの、いちいちやるのが面倒だ。嫁さんに言ってKindle持ってきてもらおうかな。

 でも、あいつ機械に疎いから、「Kindle」と言ったって、何のことがわからないだろう。運よくそれがわかったとしても、きっと充電用のケーブルでつまずくはずだ。最近はケーブルの種類が多すぎるんだよ。どれかに一つに統一してもらいたいものだ。

 それはともかく、この暇な日々をどう過ごそうか。麻雀や花札などのゲームでもやっていようかな。

 今回の入院の件だが、たまたま行ったパン屋の一角に、脳神経外科があったことは、何かの導きだったのだろう。そういえば、最初に痺れた時、無意識に延命十句観音経を唱えていたな。これも霊験だったのかもしれない。

 ということは、ほどなく退院できて、何事もなかったように社会生活に戻れるに違いない。今度はそれを信じて十句経を唱えていこうと思っている。

 ホント、若い頃の鬱状態の時といい、嫁さんの病気の時といい、再就職の時といい、今回の件といい、このお経にはいろいろ助けられている。何か恩返ししないとな。

「おかしいな」
 と思ったのは、25日の朝方だった。目が覚めてパソコンの前に座り、マウスを握ったのだか、何となくいつもと感覚が違う。カーソルの位置が定まらないのだ。
「寝ぼけているのかな」
 と思い、席を立ち顔を洗いに行った。洗面所の前に立つ。
「えっ?」
 うまく蛇口が回せない。いや、回せるのは回せるのだが、右手が痺れている。
 足は?何とか歩けるが、股関節のところにちょっと違和感がある。
「もしかしたら」
 と思い、再びパソコンのマウスを握る。そして、今までの症状を打ち込んで検索してみた。結果は、「脳梗塞」だった。
 ところが、結果を見ているうちに、だんだん痺れが取れてきた。
「考えすぎ?」
 それから数時間、完全に痺れはなくなっていた。

 さて、25日は休みだったが、当初何も予定はなかった。朝あるサイトで、食パンの専門店が近郊に出来たという情報を得た。そこで「行ってみようか」ということになり、嫁さんと買いに行くことにした。
 ところが、車のドアを開けた時、また痺れがぶり返したのだ。とりあえず運転は出来たので、現地まで行き、嫁さんにパンを買いに行かせ、ぼくは休んでいることにしたのだか、駐車場が空いてない。散々探したあげく、ようやく空いている場所を見つけた。

 車を止め、嫁さんをおろし、そこで寝ようかなと思い、何気なく後ろを見たら、なんとそこは脳神経外科だった。
「もしかしたら呼ばれているのかも」
 と思い、嫁さんが帰ってくるのを待って、その病院の中に入った。

 いろいろ症状を聞き、頭の検査をしたあと、医者が言った。
「〇〇病院に紹介状を書きますので、今からすぐに行ってください」
「えっ、入院するんですか?」
「そうです」
「何日くらいですか?」
「わかりません」
 おいおい、仕事もあるのに、どうしたらいいんだ。そもそも長期入院などしたことないので、何を用意していいのかわからない。
「心の準備ができてないんで、来週からとかダメですか?」
「後遺症で不自由な生活をしていいんなら、かまいませんよ。とにかく、この病気は早く治療した方がいいんです」
「・・・」
「では、入院ということでいいですね?」
「はい」と、嫁さんが返事した。

 小学6年の夏休みに、ダイエーの前で売っていたひよこを買った。さっそく『ピーコ』という安易な名前をつけ、お菓子か何かの木の箱を改造して巣を作り、飼い始めた。
 買ったのは一匹だけだったので、寂しいピーコはすぐにぼくに懐いた。とにかく、トイレに行けばトイレに、風呂場に行けば風呂場にというように、ぼくの行くところ行くところについてくる。

 9月になり学校が始まった。ついて来られたら困るので、学校に行く時カーテンを閉めて部屋を暗くしておいた。夜と勘違いして眠るだろうと思っていたのだ。ところが、家に帰ってみると、ピーコは巣箱から出てピーピーと寂しそうに鳴いていた。ところが、ぼくの姿を見るなり、寂しそうな「ピーピー」は歓喜の「ピー」に変わり、ぼくのところまで駆け寄ってきた。

 ある時、面白いことに気がついた。ぼくがハエ叩きで蝿を叩くと、ピーコがやって来てそれをペロリと食べるのだ。そこでずっと蝿を食べさせていた。「さすがにこれは大きすぎて食べんだろう」と、ゴキブリを叩いてみると、やはりペロリと食べてしまう。そのうちぼくがハエ叩きを手に持つたびに、ピーコは歓喜の声を上げてそばに来るようになった。

 冬になり、ピーコにトサカが生え始めた頃、母が言った。
「ニワトリになったら、庭のないうちでは飼えんよ」
「でも・・・」
「面倒見れんようになるよ。それよりも(親戚の)おばちゃんのところは庭があるけ、そこで面倒見てもらったほうがいい」
 ということで、ぼくは泣く泣くピーコを手放した。
 その後、親戚の家にピーコを見に行くたびにピーコは成長し、ぼくが中学1年生になった頃には立派なニワトリになっていた。しかしピーコぼくのことを忘れたのか、呼びかけても知らん顔をするし、手を出すと怒って力いっぱいつついてくる。

 そういうピーコの最期はその年の秋だった。伯父から電話が入り、
「ピーコを絞めてもらってきたぞ。今夜料理するけ、お前も食べに来い」
 と言う。手塩にかけて育てたピーコの肉を食べられるわけもなく、ぼくは辞退した。というか、たくさんの蝿やゴキブリで出来ているピーコの肉を、体内に入れたくなかったのだ。

 数日前の夜中、国道でぼくは信号待ちをしていた。
 信号が青に変わり、ブレーキから足を離そうとした時だった。突然ぼくの車の右手から飛出してきて、横断歩道を走り抜けた人がいた。
「危ないな。何やってるんだ」
 と怒りモードに入りそうになった。ところが、その格好を見て、怒りモードは好奇心モードに変った。

 その人は陸上選手の格好をしていて、肩からタスキを掛けていた。
「えっ、こんな時間に駅伝やっているのか?」
 と周りを見回したのだが、その人の他に走っている人など誰もいない。というかギャラリーも歩いている人も、いや生き物の気配すらない。
「ああ、チームで練習しているのだろうな。一本道だから、きっとこの先に仲間がいるはずだ」
 そんなことを考えながら、ぼくはその人を追い越した。

 ところが行けども行けども、タスキを受け取る人は見当たらない。
「もしかして、あの人一人だけで走っていたのか」
「それなら何でタスキ掛けていたんだろう。駅伝の練習をしていたんかな」
「そういえば、追い越す時、笑っているように見えたなあ」
「そうだ。青白い顔をしていた」
「しかし横顔しか見えないはずなのに、何で顔がわかったんだろう?」
「あっ、そういえば街灯の下を走っているのに、あの人の影がなかった」

 考えていくうちに、だんだん恐ろしくなっていった。
「もしかしたら、あの人・・・」

 ぼくの職場に週一回応援に来る女性と、『触る』話をした。
「あんた、昆虫触れる?」
「昆虫くらい触れますよ」
「バッタは?」
「触れます」
「カナブンは?」
「触れます」
「じゃあ、ゴキブリは?」
「触れます」
「えっ、あんたゴキブリ触れるんね?」
「ええ」
「触ったことあると?」
「ありますよぉ」
 彼女は、『当り前でしょ』といった顔をして言った。

 ゴキブリを触れる貴重な人材に初めて会ったぼくは、その人にいろいろ聞いてみた。
「まさか、『いつも手で叩き潰してまーす』とか言うんじゃないやろうね?」
「そんなことしませんよ。だって可哀想じゃないですかぁ」
「可哀想って、普通ゴキブリ見つけたら駆除するやろ?」
「駆除なんてしません。逃がしてやります」
「えっ、逃がす?じゃあ、あんたの家の中はゴキブリだらけやないね」
「そんなことないですよぉ。外に逃がしますから」
「どうやって?」
「ビニール袋を広げて、ゴキブリをそこに追いやって、袋の中に入ったらそれを外に持って行って、放してやるんです。そしたらプーンと飛んでいきます」
「ビニール袋に入らんかったら?」
「そのまま放っておきます」
 やはり彼女の家の中は、ゴキブリだらけに違いない。

 ついでに聞いてみた。
「ハエはどうすると?」
「ハエも可愛そうだから、外に逃がしてやります」
「蚊は?」
「蚊も同じ、逃がしてやります」
「あんた、近隣に害虫をばら撒きよるやん」
「えっ、そんなことないですよぉ」
 いや、そんなことあるだろ。

 先週スーパーに行った時、嫁さんが「これ」と言って、棚に並べてあるメロンを指差した。何だろうと見てみると、そこに体長7センチほどの銀ヤンマが、貼り付くようにしてとまっていた。

 トンボは外から入ってきたのだろうが、そのスーパーに入るには、内外二つの自動ドアを通り抜けなければならない。おそらくそのトンボはその二つのドアが同時に開いた瞬間に飛び込んだのだろう。

 しばらく店内を飛び回った後、トンボは店の外に出ようとした。ところが、彼は人間の建物の仕組みなんて知らないから、外へ出ることが出来ない。仮に知っていたとしても、体長7センチではセンサーが反応しないから、ドアは開かない。困った彼はメロンにとまって、外に出る策を講じていたのだろう。

「放っておいたら、店内で死んでしまうだろう」
 そう思ったぼくは、トンボを救出してやることにした。
 昔とった杵柄で、トンボを捕まえるなんてわけないこと。息を殺して近づいて、そっと羽根をつまんで捕まえ、そのまま外に出た。

 さて、外には出たものの、彼を逃がす場所がない。一面駐車場なので、適当に手放すと危険だ。仕方ないので、駐車場から一番遠く離れた場所にある、ベンチの背もたれの縁に彼を置いた。救出成功である。

 ところが、トンボは飛ぶ意思がないのか、メロンの時と同じように動く気配がない。その後しばらく彼を見ていたのだが、ずっと同じ体勢だ。
「もしかしたら、そのまま死ぬかもしれないな。でもスーパー内の人間臭さの中で死ぬよりは、自然の風の中で死んだ方が遥かにましだろう」
 そう思いながら、ぼくはベンチをあとにした。

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