吹く風ねっと

一生は未来の記憶を散りばめた一本の道。人生は未来の記憶をひろいながら歩く旅。

2020年08月

 昨日と同じ頃の話。いつものようにぼくは自転車に乗り、その道を通って家に帰っていた。昨日の場所から二百メートルほど行った県道沿いの歩道に、えらく雑草が生茂っている場所があるのだが、ちょうどそこを通っている時だった。
 草むらの奥から、何か気配がするのを感じたのだ。それは微妙なものではなく、かなり強い気配だった。そこでぼくは自転車を降りて、草むらを調べてみた。するとそこに人の足があった。
『誰か倒れている』
 そーっと草むらをかき分けてみると、そこに年齢50歳ほどの作業服を着たおっさんが倒れていた。さらにそこから2メートルほど離れた所に、おそらくおっさんが乗っていただろう自転車が転がっていた。ぼくは
「おいちゃん。おいちゃん」
 と声を掛けてみた。しかし返事がない。
「おいちゃん、おいちゃん」
 更に声を掛けてみた。やはり返事がない。
『すぐに救急車を呼ばなければ・・・・。そういえば数百メートルほど離れた場所に公衆電話があったな』
 と、ぼくは自転車に飛び乗って、電話ボックスまで急いだ。

「もしもし、道に人が倒れているんで、救急車を出して欲しいんですけど」
「事故ですか?」
「おそらくそうだと思います」
「まさか酔っ払って、寝ているんじゃないでしょうね」
「さあ?でも、いくら呼んでも返事がないんですよ」
「わかりました。場所は?」
 ぼくは救急車を手配した後、おっさんが倒れていた場所に戻った。

 そこに戻ると、そこには一人の兄ちゃんがいた。しきりにおっさんに声を掛けていた。
「おいちゃん、こんなところで寝たらいけんよ。おいちゃん」
 おっさん、最初は無言だったが、その声に目が覚めたのか、声を発しだした。
「おまえは誰か。せっかくいい気分で寝とるのに起すな」
「おいちゃん生きとるやん。風邪引くよ、早よ帰り」
 と言って兄ちゃんは帰っていった。

 ぼくはおっさんに声を掛けた。
「おいちゃん。自転車でこけたんですか?」
「こけるもんか」
「さっき声かけたけど、全然反応なかったじゃないですか」
「酒飲んで帰りよったら、気分が良くなったけ、それで寝とったんたい」
「おれ、救急車呼びましたよ」
「は、救急車?」

 そんなことを話している最中に救急車が到着した。
「患者さんはどこですか?」
 と、救急隊の人が聞く。
「患者なんかおらんわい」
 とおっさんが答えた。ぼくが事情を話すと、救急隊の人は、
「ああ、そうですか。わかりました。おいちゃん、酒飲んで自転車漕いだらいけんやないね」
「うるさい!」
「おいちゃん、家近いんね。何なら家まで送っていこうか?」
「一人で帰れるわい」
「ははは、では後お願いします」
 救急隊の人はぼくにそう言い残して、帰って行った。

 困ったことになった。いくら酔っ払っているだけとはいえ、このおっさんを一人にするわけにはいかない。『仕方ない、乗りかかった船だ』ということで、ぼくはおっさんの家までついて行くことにした。
「おまえは誰か?」
「誰でもいいでしょ。ただの通りがかりの者ですよ」
「結婚はしとるんか?」
「してないですよ」
「そうか、独身か。じゃあウチの娘をやろう」
「けっこうです」
「なんか、気に入らんとか?」
「会ったこともないのに、気に入るも何もないでしょう」
「じゃあ、やらんぞ」
「はい、いいですよ」

 そんなやりとりをしている時だった。前の方から自転車がやってきた。乗っていたのは警察官だった。
「さっき救急車を呼ばれた方ですか?」
「はい」
 とぼくが答えると、その警察官は、
「消防署の方から連絡がありまして、様子を見に来たんですが、どうですか?」
「大丈夫そうですよ」
「ああ、それはよかった。で、これからどうされるんですか?」
「自分が送っていきますよ」
「ああ、いいですよ。こちらで送りますから、もう帰られて下さい」
「じゃあ、お願いします」
「あ、よかったら、お名前とご住所を教えてもらえませんか?」
「えっ?」
「いや、親切にしていただいたので、本署に報告しようかと思いまして」
 もしかして、表彰などされるのかもしれない。そうなると本署に行ったりしなければならず、何かと面倒だ。そこで、
「いや、本署に報告なんかしなくていいです」
 とぼくは断った。
 するとそれまで黙っていたおっさんが突然口を開いて、
「おう、報告なんかせんでいいわい。おまえ早よ帰れ」
 と言った。酔っ払いを相手にするのも面倒なので、お言葉に甘えて、ぼくはサッサとそこから立ち去ったのだった。

 小倉で勤めている頃、通勤にJRを利用していたのだが、家から最寄り駅である黒崎駅までは自転車で通っていた。
 ある日の帰り、ある場所にさしかかった時だった。突然頭痛に襲われたのだ。
「何でこんなところで痛くなるんかな」
 と思いながらも自転車を漕いでいくと、今度はズシンとした衝撃が体中に走った。おかげで更に頭痛は酷くなった。さすがに自転車を漕いではおれず、ぼくは自転車から降りた。

 しばらくそこで休んでいたのだが、ふと下を見ると、自転車の前輪辺りに高さ15センチほどの道標のようなものが、地面から出ているのに気がついた。
「なるほど、これに衝突したのか」
 しょっ中そこを通っているのだが、それを見たのは初めてだった。『何だろう?』と思ったが、暗くてよく見えない。『仕方ない。今度昼間にでも確認しよう』ということで、自転車を押してそこから離れようとした。ところがだ。自転車が進まないのだ。そこで自転車をよく見てみた。
「えっ?」
 なんと前輪が歪んでいるではないか。いくら衝突したとはいえ、それほどスピードは出してなかった。

 翌々日、その場所を見に行ったのだが、なぜか道標らしきものは見当たらなかった。
「そのほとんどが地中に埋まっていて、頭だけが出ていたように見えたんだが。まさか夜しか出てこないということはないだろう」
 そんなことを思いながら、範囲を広げてその辺りを調べていると、ぼくが衝撃を受けた場所から10メートルほど離れた幹線の脇に、祠が祭ってあるのを見つけた。ぼくは直感的に『何かある』と思った。

 後で聞いた話だが、あの辺はしょっ中事故が起きる場所なんだとか。そういえば、2年程前に数人が亡くなる大事故があったのだが、場所は確かその辺りだった。つい最近もその場所で事故があったというニュースが流れていた。もしかしたら、事故を起した人は、そこを通る時に突然頭痛に襲われたのかもしれない。気をつけないといけないな。南無観世音菩薩。

 ぼくが今いる業界に足を突っ込んだ二十代前半、同じくこの業界でアルバイトをしている高校の同級生がいた。彼はぼくが勤めている職場から1キロ程離れた競合店で働いていた。
 初めてその店に市場調査に行った時に、ぼくは彼を見つけ、
「あ、○○やん。久しぶりやね」
 と声をかけた。すると彼も、
「おお、しんたやないか?」
 と懐かしがっていた。以来そこに行くたびに親しく言葉を交わしたものだった。

 彼はぼくと会ってから3ヶ月ほどしてそのバイトを辞め、その後業種の違う会社に就職した。ちなみにぼくは、そのままこの業界に残り、今に到っている。

 就職してから数年後、彼は資産家の娘を嫁にもらい、嫁の実家の会社に転職し、身内ということで重役になり、高級住宅地と呼ばれている場所に住むようになった。

 そんな彼と再会したのは、それから十数年たってからだった。当時ぼくが勤めていた店に彼がやってきたのだ。
 彼の来店に気がついたぼくは、思わず、
「あ、○○やん、久しぶりやね」
 と以前と同じように声をかけた。ところが彼は笑顔も浮べず、ぼくに、
「あんたここの店員?」
 と他人行儀に言った。
「そうやけど」
「じゃあ、それちょうだい」
 と、レジ前に展示していた商品を指差した。

 その商品を準備している最中、ぼくが、
「元気しとった?」
 と親しげに聞いたのだが、彼はその問いかけには答えず、
「ねえ早くしてくれん?」
 と言ったのだった。
 笑顔も見せず、人を見下したような態度をとる彼に、多少ムカついていたのだが、その言葉を聞いてぼくは対応を変えた。友だちモードからお客さまモードに切変えたのだ。最初は多少の値引きにも応じようと思っていたが、それもやめた。
「○円になります」「ポイントカードはお持ちですか?」「ではX円のお返しですね」「ありがとうございました」
 彼はサッサと帰って行った。もしかしたら本当に急いでいたのかもしれないが、それにしてもねえ・・・・。

 後日、その話を共通の知人にしたことがあるのだが、その時その人も彼に同じような態度を取られたと言っていた。
 重役になると、人との接し方や応対の仕方が、変ってくるものなのかなあ。寂しいものですね、お客さま。

出会った頃から感じていたことだけど、
ぼくたちは恋愛とか友情とかではなく、
もっと心の深いところで繋がっている、
そういう気がしてならなかったのです。
あなたがあの人と付き合っていた時も、
あなたが結婚したのを伝え聞いた時も、
それゆえに容認できたのだと思います。
きっとこの関係は続いて行くでしょう。
だからあなたがぼくを嫌ったとしても、
ぼくに対し嫌な態度を取ったとしても、
おそらくぼくは傷つかないと思います。
なぜならあなたは特別な人なのだから。

【9】
 昨日話したとおり、新しい団地に引っ越したばかりの頃は頻繁に金縛りに遭っていた。遭う前には決まって「パシッ」というラップ音が聞こえた。『あっ、来た』と思っていると、体が動かなくなるのだ。こういう状況が週2度ほどやってきた。
 しかし、体が慣れてきたのか、気配のほうが飽きたのか、時間が経つにつれて、その周期はどんどん長くなっていき、5年過ぎた頃にはほとんど遭うことがなくなった。

【10】
 昭和の終わり頃にはほとんど金縛りに遭わなくなっていたのだが、平成に入ってから間もなく、再び金縛りに襲われるようになった。
 きっかけは知人からもらった犬の置物だった。その置物は金属製でズッシリと重く、高さは20センチほど、黒っぽい銀色をしていた。犬というよりも狼に近い容貌だった。それを家に持って帰っている途中に、階段を踏み外しそうになったり、車と接触しそうになったりで、何となく嫌な感じがしていた。
 ぼくが金縛りに遭ったのは、その日の夜からで、三日三晩襲われた。『犬の置物のせいだ』と思ったぼくは、それを新聞紙に包んで、押し入れの奥にしまい込んだ。それからしばらく金縛りに遭わなかった。

【11】
 ぼくが空を飛べるようになったのは、犬の置物をしまい込んでからしばらくたってからのことだ。飲み会で夜遅く帰ったぼくは、着替えもせずに布団の中に潜り込んだ。
 一時間ほど眠っただろうか、軽く目が覚めた時だった。久しぶりに「パシッ」というラップ音を聞いた。『もしかして金縛り?』と思った瞬間、体がフワッと浮いたのだ。体はドンドン上に浮んでいく。『このまま行くと天井に当たってしまう』と思っていると、体はゆっくりと降りていった。するとまたしても「パシッ」というラップ音、『二度目が来る』、しかしこの日はそれで終った。
 その後、こういうことが何度も起こることになる。

【5】
 昭和58年春。二階長屋を多層階の団地にするというので、一時的に引っ越すことになった。階段の謎を解き明かそうと思い、取り壊している家を何度か訪れた。しかし、気配の正体は姿を現わさなかった。

【6】
 昭和59年春。建て替えが終り、新しい団地に移る。それ以来、ぼくと母は頻繁に金縛りに遭うようになる。

【7】
 昭和61年。二階長屋時代にぼくの家があった場所は、建て替え後駐車場になっていた。そこでの話だ。

  一人のじいさんがやってきて、
  おもむろに塩を撒き始めた。ぼくが
  「何をやっているのですか?」と尋ねると
  「あんたには見えんのですか?」と言った。
  そのじいさん、一ヶ月後に死んだらしい。

【8】
 昭和62年。その年の夏、ある誤解が原因で上司に疎まれ、左遷の憂き目に遭う。涼しい内勤部署からクソ暑い外回り部署に異動になったのだ。

  ぼくは、死神から何度か命を狙われたことがある。
  最初にぼくの前に現れた死神は、からし色の袈裟を着た、ドクロだった。
  彼は、そのへんにいた死霊を集め、ぼくをその世界に誘い込もうとした。
  ぼくは般若心経を唱え、必死に抵抗した。
  すると、金縛り状態は解け、いつもの場に戻った。
  しかし、場に戻った時、呼吸は乱れ、心臓は高鳴っていた。
  金縛りに遭っている最中、おそらくぼくは死んでいたのだろう。

 その外回りの途中、昼食をとりに家に帰った時のことだ。食事の後、しばらく部屋で横になっていたのだが、そこで金縛りに遭ってしまった。金縛りに遭うのは夜だったから、昼間の金縛りは初めてだった。その金縛り中、ぼくの目に飛込んできたのは大勢の子供たちだった。彼らは一様に戦時中のような大きな名札を胸に着けていた。『何だろう』と思っていると、からし色の法衣を着た坊さんが出てきた。そして「供養しましょう」と言った。お経を唱えている坊さんがこちらを向いた時、ぼくは恐怖を感じてしまった。坊さんがドクロになっていたのだ。
 先のモンペ婆さんもそうだったが、それまで家で見た霊は、みな戦時中の装いなのだ。もしかしたら、戦時中この場所で何かがあり、その時の被害者(?)たちが、気配の主になったのかも知れない。

【2】
 昭和47年秋、その気配の正体ではないかと思われるものに遭遇した。

  中学生の頃だったな。
  居間で昼寝をしていた時に
  玄関の扉をトントンと叩く音がした。
  誰だろうと思いながら
  目を覚ましてみると、そこに
  ぼくの顔を覗き込んでいる人がいた。
  胸に大きな名札をつけ
  モンペをはいた婆さんだった。
  誰だか思い出せない。
  というか、知らない人だ。
  ということは『夢だ』と
  単純でのんびりした性格だった
  当時のぼくは思い、また目を閉じた。

  しかしおかしい。玄関のトントンは
  ずっと続いているのだ。
  『やはり夢じゃないのか』と
  再び目を開けてみると、まだそこに
  先ほどのモンペ婆さんが立っている。
  起き上がって「誰だ!?」
  と言おうとした。ところが
  体が動かない、声が出ない。
  その状況にイラついたぼくは
  そのモンペ婆さんを振り払おうと
  力任せに手を振った。その瞬間
  場が変わったように感じた。と同時に
  モンペ婆さんはいなくなっていた。

【3】
 昭和48年冬、二階の6畳間で昼寝していた時のことだ。一階から誰かが階段を上ってくる音が聞こえた。母は仕事に行っていない。当然昼寝する前に鍵はかけていた。しかし、誰かが上ってくる。そしてその音が10段目の階段を上り終えた時だった。なぜかぼくは意識を失ったのだ。そのあとのことは何も覚えていない。家の中を物色されたあとはなかったので、泥棒でないことはわかった。では、いったい誰が、何をしに来たのだろう。

【4】
 同じく昭和48年冬。ある晴れた日の夕方、ちょうど庭にいる時だった。頭の上に妙な気配を感じ見上げてみると、二十個ほどの豆球大の灯りが、編隊を組んで飛んでいるのを見つけた。それは数メートルほど上を飛んでいたので、最初はラジコンかだろうと思っていた。ところが音はしないし、一つ一つの灯りに意思のようなものを感じる。そこでぼくはその灯り軍団を追いかけた。ところが一分ほど追いかけた所で気配は消え、軍団は消えてしまった。

【1】
 
  階段の怪人が
  ジイっとこちらを伺っている
  来る日も来る日も
  飽きもせずに
  ジイっとこちらを伺っている
  たまに足を踏み外すのか
  ときおり
  ギイっという音がする

 昭和34年に引っ越して以来、ずっとこの地区に住んでいる。最初に住んだ家は、県営の二階長屋だった。当時この町内には二階建ての家などなかった。そのためいろんな人が、ぼくの友達だと言って訪れてきて、うちの二階からの風景を楽しんでいた。

 家の構造は、一階が6畳程度の台所兼居間とトイレと風呂、二階が6畳と3畳の和室だった。もちろん二階に上がるため階段があったのだが、その階段がわりと急で、よく足を滑らしては落ちていたものだ。

 さて、そこに移り住んでから何年か経った頃、そうぼくが幼稚園に通い出した頃から、その階段にちょっとした異変を感じるようになった。誰もいないのに階段を誰かが上ったり下りたりする音がしたり、そこに人が立っているような気配を感じたり。それはぼくだけが感じていたのではなく、母も感じていたという。

 いまだ見逃したままになっているドラマ。TBS『グッドバイ・ママ(坂口良子主演)』『時間ですよ昭和元年』『さくらの唄(樹木希林と桃井かおりが姉妹役で共演)』『あこがれ共同(体郷ひろみ主演)』。日テレ『雑居時代(石立鉄男と大原麗子)』『水もれ甲介(石立)』『気まぐれ本格派(石立)』『姿三四郎(竹脇無我主演)』、他一連の青春もの。テレ東『高校教師(加山雄三主演)』。フジ『光る海』等々。

 もしかしたら、スカパー!で見られるのがあるかもしれないが、先方のスケジュールに合わせて契約するのも面倒だ。各民放キー局やNHKはネット配信をやっているんだから、そちらで流してもらいたいものだ。

 テレビドラマの話だが、今年の4月期は、多くの新ドラマが新型コロナの影響で、いつ始まるのかわからなくなった。そのため、見る気が失せてしまった。その流れで来たために、夏ドラマもまったくと言っていいほど見ていない。

 代わりに見始めたのが、録りだめしているドラマやネット動画で、NHK朝ドラ『ゲゲケの女房』『あさが来た』『ひよっこ』『なつぞら』、フジ『やまとなでしこ』『結婚できない男』『プロポーズ大作戦』『素敵な選TAXI 』『コンフィデンスマンJP』、日テレ『すいか』『架空OL 日記』『探偵が早すぎる』、テレ朝『トリック』『ドクターX』、テレ東『まほろ駅前番外地』等々。こういったドラマは何度も見ているし、内容もわかっているが、その都度楽しめる。

 そういうドラマを見終わってから見だしたのが、TBSの『ムー』『ムー一族』、そして今見ている『寺内貫太郎一家』といった、ぼくが若い頃に見ていたドラマだ。これらのドラマは放送回数が長く、『ムー』は全26話、『ムー一族』と『寺内貫太郎一家』にいたっては全39話だ。現在のドラマはだいたい10話で1クールだから、39話なら4クール分だ。つまり一つのドラマを1年近くやっていたわけだ。

 その一年近くの間、若かったぼくは友だち付き合いやアルバイトなどで、毎週同じ時間に家にいたわけではなかった。それゆえに見逃した回も多くある。家庭用のビデオデッキなどなかった時代だったので、見逃した場合は、いつあるのかわからない再放送の放映を待つしかなかった。しかも再放送は、ほとんど平日の昼間にやっていたから、見られる可能性は限りなく低かった。というわけで、これら古いドラマには初めて見る回がいくつかある。実に新鮮である。

  無地のノートの上に
  言葉ひとつひとつを
  貼り付けていったら
  そこに怒りが込上げ
  そこに憎しみが漂い
  そして悲しみに陥り
  人生が疲れてしまう

  無地のノートの上に
  言葉ひとつひとつを
  貼り付けずにいけば
  何も始まらないから
  疲れることもなくて
  気が楽になるだろう

 つまり、日記なんてのは毎日書かなくてもいいわけだ。あまり根を詰めると寝不足になってしまい、日々気力は衰えていき、精力は減退し続けて、あげくにコロナの後遺症(※)みたいになってしまう。無地のノートなんだから、元々何もないんだしね。人生に変なものを貼り過ぎてしまったわい。

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