吹く風ねっと

一生は未来の記憶を散りばめた一本の道。人生は未来の記憶をひろいながら歩く旅。

2020年06月

 もしウイルスの専門家が、「新型コロナウイルスで日本人の死者が少ないのは、昔、給食で鯨を食べていたから」と言ったら、反捕鯨国はどういう反応をするだろうか?

 十日ほど前のこと。仕事から帰ると嫁さんが、
「家の中に何かおるんよね」と言う。
「何かおる?霊か?」
「いや、そんなのじゃなくて、生き物」
「ネズミか?」
「いや、もっと小さかった」
「じゃあゴキブリか?」
「じゃない。灰色っぽくで尻尾があった」
「え、尻尾?もしかして、ヤモリか?」
「暗かったから、よくわからんかったけど。そうかもしれん」

 そういうやりとりがあってから十数分後、嫁さんがテレビ上の壁を指さし、
「ほら、そこそこ」
 と言った。見ると体長5センチほどのヤモリが、トコトコと壁をよじ登っているではないか。
「やっぱりヤモリか。でも閉め切っているのに、どうやって家の中に入って来たんかなあ?」
「もしかしたら、私が洗濯物を取り込んでいる時に、入ってきたんかも」
「ヤモリは縁起がいい生き物だから、このまま家の中に居てもらってもいいんだけど、家の中には餌がいないし、死んだら可愛そうだ」
 ということで、各部屋の窓を少し開けて、ヤモリの逃げ道を設けておいた。それと同時に、そのヤモリ君に、ぼくは『チョロちゃん』という名前を付けた。ヤモリのことを、こちらでは『かべちょろ』と呼ぶからである。

 ところが翌日、家に帰ってみるとそのチョロちゃん、テレビの前にいるではないか。
「あ、出て行ってない」
 ぼくの声が聞こえたのか、彼は早足でテレビ台の下に潜り込んで行った。しかたなく、エアコンの冷気を逃さないために閉めておいたテレビ横の窓を、少し広めに開けておいた。その日はもう、姿を見せなかった。

 そのまた翌日、
「チョロちゃん、出て行ってなかった。さっき私の部屋におったよ」
 と嫁さんが言った。そこでまたその部屋の窓を開けておいた。

 さらに翌日の夜。今度はぼくの部屋にいるではないか。とりあえず、ぼくはチョロちゃんに近づき、記念にその姿をカメラにおさめておいた。そして、チョロちゃんに向かって言った。
「チョロちゃん、この家の中におっても餌はないよ。悪いことは言わんから、ここから出て行った方がいい」
 ぼくは部屋の窓を全開して、照明を落としておいた。

 それ以降、ぼくたち夫婦は、チョロちゃんの姿を見てない。おそらく空腹に耐えかねたのだろう。ぼくの説得に応じて、家を出て行ったようだ。

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 先日、ホームセンターに行った時のこと。家電のコーナーでテレビを見ていたら、一瞬、場の雰囲気が変わったのに気がついた。『あれ?』と思って周りを見渡すと、ぼくのいる場所から少し離れた通路を歩いている、女性の後ろ姿が見えた。場の雰囲気を変えたのは、その女性が醸し出すオーラだった。そしてそのオーラに打たれたぼくは、すごい懐かしさを感じた。瞬時にそれが誰だかわかった。学生時代好きだった人だ。

『たしか最後に会ったのは、もう十年近くも前だ。しかし、何で彼女がこんな所にいるんだろう』
 と思いながら見ていると、突然、
「おねがいだから、声をかけないで」
 という声が聞こえてきた。その声は昔聞いたことのある声、そう彼女の声だった。だけど彼女は既に、ぼくから見えない所に移動している。周りを見ても誰もいないし、『空耳かな』と思った。しかし空耳にしては、はっきりした声だ。しかも動揺している波長まで伝わってきたのだ。ということは、テレパシーなのか。
 まあ、ぼくとしては別に彼女に用はなかったし、追いかけてまで話すネタも持ち合わせてなかったので、その人の思い通りに関わらないでおいた。

 しかし何でぼくは、その人の存在を感じ取ることが出来、さらに心の声まで聞こえてきたのだろうか。恋愛感情はとっくの昔に消え失せてしまっているので、その人に対する意識は既に敏感さを欠いているはずなのに。

『そういえば、その人との最初の出会いは、夢の中だったな。不思議な出会いだったので、現実にその人に会った時は、衝撃が走ったものだった。もちろん、それがきっかけで好きになったんだけど』、などと考えていくうちに、
『もしかしたら彼女とは、生まれる前から、潜在意識だとか魂だとかいう深い所で繋がっているのかもしれないな。そう捉えないと、出会いの時や今回の不思議な現象が理解できない』という考えに至った。

行き過ぎた正義は人格を拒み
行き過ぎた正義は行動を拒み
行き過ぎた正義は思想を拒み
行き過ぎた正義は希望を拒み

行き過ぎた正義は家族を拒み
行き過ぎた正義は友情を拒み
行き過ぎた正義は社会を拒み
行き過ぎた正義は正義を拒む

 毎日毎日マスクをしている。おかげでひげの剃り残しがあっても気にならないし、歌をうたっていても聞こえないし、飴をなめていても気付かれないし。これも新型コロナウイルスの影響なんだろうな。

 毎日毎日うがいや手洗いをやっている。おかげで毎年一度は引く風邪を今年はまったく引いてないし、コーラでうがいするのが有効であることを知ったし。これも新型コロナウイルスの影響なんだろうな。

 毎日毎日三密に気をつけている。おかげで面倒な人づきあいをしなくてすむようになったし、買物好きな母親につき合わなくてもよくなったし、人混みの中を歩かなくてよくなったし。これも新型コロナウイルスの影響なんだろうな。

 毎日毎日不要不急の外出は控えている。おかげで余計なお金を遣うことがなくなったし、録画している古いドラマを見てその面白さを再確認できたし、野暮用を断る口実が出来たし。これも新型コロナウイルスの影響なんだろうな。

スーパーに行った時に思うんだ
「もしかしたら、感染した人が
ここに立ち寄ったかもしれない」と。

入口の消毒液を使う時に思うんだ
「もしかしたら、感染した人が
キャップを触ったかもしれない」と。

 ぼくらはコロナウイルスという
 不気味な言葉に怯えている
 ぼくらはコロナウイルスという
 不気味な言葉に苦しんでいる

商品を選んでいる時に思うんだ
「もしかしたら、感染した人が
ここで咳き込んだかもしれない」と。

レジに並んでいる時思うんだ
「もしかしたら、後ろにいるのは
軽度の感染者かもしれない」と

 ぼくらはコロナウイルスという
 不気味な言葉に煽られている
 ぼくらはコロナウイルスという
 不気味な言葉に操られている

店から出ようとした時に思うんだ
「もしかしたら、このスーパーは
この地域の感染源かもしれない」と。

荷物片手に家に着いた時に思うんだ
「もしかしたら、この世界は今日
終わってしまうのかもしれない」と。

 ぼくらはコロナウイルスという
 不気味な言葉に感染している
 ぼくらはコロナウイルスという
 不気味な言葉に蝕まれている

 四月の終わり頃から、手に入らなくなった不織布マスクの代わりに布マスクを集めているのだが、数えてみると30枚(アベノマスク含む)を超えているではないか。現在、夏マスクも頼んでいるので、その数はもう少し増えそうだ。
 
 もちろんそれを全部使っているわけではない。その中から気に入ったマスクを使っているのだが、先日あることに気がついた。その中の一つに無地の水色マスクがあるのだが、それをつけている日は、なぜか調子がいいのだ。仕事もうまくいくし、体調もいいし、精神も安定している。もしかしたら、このマスクが長い間探していたラッキーアイテムかもしれない。おかげで毎日が楽しくなってきている。

痒くって、とにかく痒くって、目が覚めたんだ。
蚊がいるのかな、ダニにかまれたのかな。
いやいや、そんな痒みではない。
何か下腹がムズムズするような痒みだ。

一番の問題は、この痒みの原因ではない。
この痒みの質でもない。
一番の問題は、この痒みの根源だ。
それがはっきりしないから、
掻いても掻いても痒くって
下腹がムズムズしてくるのだ。

どこが痒いのかわからない痒みほど、
痒いものはない。
とにかくこの痒みを一刻も早く抑えて
眠らないと、仕事に差し支える。

 このままマスク着用が習慣化してしまったら、今の幼児や小学生のは将来、
「マスクなしなんてダサいじゃん」
「マスクしてないと落ち着かない」
「唇を見られるのが恥ずかしい」
 などと言って、まるで女性がブラジャーやストッキングに持つ安心感や愛着心などと、同じような感覚をマスクに抱くようになるかも知れない。
 そうなると歯を磨く時、入浴する時、就寝する時、食事をする時以外は、ずっとマスクをつけた生活をするようになるだろう。

 例えば男女の食事は、体育の着替えの時のように、別の部屋でとらなければなくなる。
 男は、好きな女の唇を見ることに命をかけるかも知れない。
 告白の言葉も、『つき合ってください』から『唇を見せて下さい』に変わってくるだろう。
 結婚披露宴のスピーチで、「お互いの唇を見て、幸せになって下さい」というのが一般的になるかも知れない。
 週刊誌は、『アイドル○子のクチビル❤』などという見出しをつけて、袋とじにするだろう。
 もしかしたら、『唇』という言葉に興奮する、思春期の男子も出てくるかも知れない。
 そういう社会だから、女性のマスクの中を盗撮した罪で、捕まる人も出てくることだろう。

 もしそうなれば これも新たな日常なのであり、令和2年がその始まりの年として歴史に残るんだろうな。

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