吹く風ねっと

一生は未来の記憶を散りばめた一本の道。人生は未来の記憶をひろいながら歩く旅。

2019年07月

 幼い頃から、遠い灯りを見ると、何か惹かれるものがあった。心がウキウキしてきて、夢や希望がふくらんでくるんだ。ところが昼間そこに行ってみると、別に大したところではなく、パチンコ屋のネオンだったり、カラオケ店の看板だったりする。

 そういえば人生のイベントだって、同じようなものだ。そこにたどり着くまでは、遠い灯りを見るように心を弾ませているのだが、着いてしまうと何のことはなく、そこには日常生活が待っているだけだ。

 たとえば修学旅行がそうだった。行くまでは何かと心がウキウキして、期待に胸をふくらませたが、ふたを開けてみると何と言うことはない。最初のうちこそ気も浮かれているが、そこにいるのはいつもの友だちや先生なので、そのうち浮いた気分も吹き飛んでしまった。「つまりは場所を変えた学校生活じゃないか。そんな中でいったい何を期待していたんだ」などと考えて、一人興ざめしていたものだ。

 たとえば成人する時がそうだった。それまでは二十歳になると、何かが待っているような気がして、心がワクワクしていたものだ。それでもって期待に胸を弾ませながら、二十歳の時を迎えるわけだ。いちおうその日は周りが祝ってくれたけど、その日を過ぎると何のことはない、それまでの生活の延長が待っていただけだ。

 遠い灯りはあくまでも遠くの灯りであって、決して足下を照らしてくれるわけではない。とはいうものの相変わらず、ぼくは遠い灯りに憧れて、今でもウキウキワクワクしているんだ。

 キャンディーズと同じ時期、ピンクレディが存在した。だが、ぼくはそちらの方は興味がなかった。
 その二つのアイドルグループは、当時から色々比較されていた。だけど、「比較するなよ」とぼくは言いたかった。初期の頃はともかくも、ピンクレディがデビューしてから後のキャンディーズは、アイドル系の何かチャラチャラした音楽をやっていたわけではなかったし、何かに追われているようで余裕がないように感じるピンクレディに比べると、キャンディーズはちゃんと足下を見て、将来を見て活動しているように思えた。

 しかし、ぼくがキャンディーズを選んだもっとも大きな理由は、「そういう所にあったのではない!」と、最近思うようになった。
 実はピンクレディというのは、ぼくと同い年なのだ。ぼくの場合、同い年とか年下は恋人にするにはいいけど、どうも憧れの対象にはならない。そういう理由からか、一つ年下の中三トリオやずっと年下の80年代アイドルは、まったく好きなれなかった。
 で、キャンディーズはというと、ぼくが憧れるのにちょうどいい、ちょっと年上のお姉さんだったのだ。
 先日、テレビで41年ぶりに歌っているランちゃんを見たのだが、やっぱり憧れるお姉さんだった。

 ビールを飲むと腹が膨れ、茶漬けを流すとさらに膨れ、スイカを食べると限界になる。毎年夏になるとこの繰り返しだ。
 四十歳を過ぎて以来、この腹のきつさに耐えられなくなり、こういう食生活はやめようと何度も心に誓った。しかし意志の弱さから何年経ってもやめられないでいる。

 今日また、その夏の食生活を性懲りもなくやってしまった。最後のスイカから三時間近くが経っているのに、まだまだ腹はしぼまない。つまり腹のきつさが、三時間近くも続いているということだ。はち切れそうなこの不快感は、いったいいつまで続くのだろうか。
「お前がそういう食生活をやめるまでだ」
 はいはい、それは重々わかっております。

 とうとう腹がブーになってしまいましてね、昨晩寝ている時に嫁さんから写真撮られてしまいました。
 しかしこういう時、男子は落ち着いて何でもない風を装うものなのです。すると女子は「なーんだ、気にしてないのか」なんて思い、それ以上そのことには触れません。これが逆だと女子は怒り顔なんかしてですね、「もー、消してー!」など声を張り上げ、こちらのケータイを取り上げたりします。
 でも、大丈夫なのです。女子の場合、どこか機械音痴で、自分のケータイの操作が出来てもですね、他人のケータイの操作は出来ないことが多いのです。だから、間抜けな写真を消すことが出来ません。嫁さんだって、姪っ子だって、パートのおばちゃんだって、みんなみんなどこか機械音痴なのです。それを知っているから、ぼくは落ち着いて、その写真を本体からSDに移し、「わかった、ほら、もう消したやろ」と、本体フォルダを見せてその場をしのぐのです。
 そしてあとで、実は消してないその間抜けな写真を見てはニヤッと笑い、暇をつぶしているのです。

 仮に嫌な奴がいたとしても、『嫌な奴』と思わなければ、そいつは嫌な奴にはならない。
 いくら生理的に受け付けなくても、嫌という言葉を当てはめなければ、それで終わったことになる。
 無理して『本当はいい奴』なんて思う必要もない。お笑い系の動物だとか妖怪だとかにたとえていればいいのだ。

 とにかくよく歌う奴らだ。
 現在ぼくたちを含めて三組の客がいるのだが、他の二組がカウンターを占領し競い合って歌っている。元々『ママさんと本音で語る』、ということを主にしたような店で、カラオケはたまにしかやってなかった。ところが最近はカラオケスナックという位置づけで、やってくる人が多くなったようだ。
 店の中はさほど明るくなくて、BGMは期待に違わずジャズ、そういう大人のムード満点の店のわりに料金が安く、さらにカラオケもOK。ということで、『行きつけのスナックを持っている大人の男』を演じたがる若き上司たちにとって、うってつけの店になっているのだろう。

 しかしよく歌う。歌う。大声で歌う。息つく暇もなく歌う。歌うだけだ。他人が歌っている時は聴いてない。かといって歓談しているわけでもない。各々が必死に次の歌を探しているのだ。とにかく早い者勝ちで、相手に譲ろうという姿勢も見えない。

 こんなのを延々やられるものだからたまったものではない。元々ママさんと語りに来たぼくたちだったが、隅のボックスに追いやられているために肝心の語りが出来ない。いよいよ我慢の限界に来たぼくは、そこにあったギターを手に取り、おもむろに歌い始めた。
 斉藤哲夫の『されど私の人生』、この歌はこういう場面によく効く。・・・・

「お食事にしますか、お風呂にしますか」
 のどは渇いていたけれど、とりあえずはこの汗を流したい。それに、夕日が沈むのを鑑賞しながらの露天風呂は格別だ。ぼくたちは、旅の雑誌に載っていた露天風呂の風景を頭に浮かべていた。
「先にお風呂に入ります」
 さっそく仲居さんはぼくたちを、お風呂に案内してくれた。
『えっ、おかしいな』、確かこの旅館の庭は南側に位置する。ところが仲居さんは北側に向かっている。北側だと道路沿いということになる。そんな所に露天風呂があるとは思えない。
「こちらです」と、仲居さんが風呂の扉を開けた。ぼくたちは目を疑った。そこは露天ではなく室内で、浴槽は何と家庭用の青いポリ製だ。

「一人しか湯船に浸かれんよ」と、風呂からあがったぼくたちは
後続隊にそう言った。
「えっ、露天風呂じゃないと?」
「あれを露天風呂とは言わんやろ」
「は?」
「とにかく入ればわかる」
 風呂から戻ってきた彼らは無言だった。

「せめて食事くらいは」と思ったが甘かった。メニューは『カツオのたたき』だったのだが、赤みがなくどす黒い。しかもその部屋には、電器蚊取り機の臭いが漂っている。見ると、その照明に足の長い蚊がたかっている。
 ぼくがカツオの皿にかけていたラップをはがした瞬間だった。一匹の足長蚊が力尽きたのか、ぼくの前に置いてあるカツオのたたきの上にポトリと落ちた・・・・。

 二階の部屋に入ると、廊下の角にあるトイレからメタンガスと芳香剤が混ざった臭いが漏れてくる。さらにペチャペチャという気味の悪い音がする。
 騙された思いと臭さと気味の悪さ、それまで行った旅館の中でも最低だった。
 翌朝、ぼくたちは足早にその旅館を出たのだった。

 昨日あることを書こうとして、途中までノートに下書きしておいた。ところが今日になって、そこからの文章が出てこない。あげくの果てに、せっかく書いた文章を『×』で消して、その下に新たな文章を試みた。だけど何も出てこない。きっと今日はそんな日なんだ。だから「何も出てこない」と、今日は書いておこう。

 だけど『×』はいただけないな。たとえ今日書けなくても昨日途中まで書けたのなら、きっと創造の真っただ中にあるということで、いつかは続きが出てくるはずなのだ。『×』で消してしまうというのは、つまりは創造を終わらせたということになる。それでは何も生まれてこない。というか神への冒とくだ。せっかくいただいたものを、自分勝手な都合で消しているのだから。
 そう思いながらノートをめくってみると、いやはや『×』の多いこと。おそらくはノートを付け始めた十六歳からこちら、かなりの文章を『×』で消しているはずだ。それがこれまでの人生だったわけだ。

 やはり人生は『O』じゃないといかん。折を見て『×』を消していこう。何かが変わるかもしれない。

 三十年前のある時期、ぼくは出版会社に席を置いていた。
 その会社に入ったばかりの頃だったが、『喫茶店』という題の文章を書いてこいという宿題が出たことがある。何を書こうかとぼくは考えた。ありきたりのことを書いたりすると、ただの作文になってしまう。それがぼくには面白くない。そこでよく通っていた喫茶店でのマスターたちとぼくとのやりとりを、ト書きや説明をつけずに書いたのだった。つまり会話だけの文章を書いたわけだ。

 翌日、上司が烈火のごとく怒って、文句を言ってきた。
「おい、しんた。何だ、これは!?」
「喫茶店でのやりとりですけど」
「何がやりとりだ。こんなの作文以下だ」
「喫茶店の現実じゃないですか」
「何が現実だ。書き直してこい」
 だいたい、論語だってお経だって、多くは会話文で成り立っている。そのほうがより伝わるからだ。

 納得いかないぼくは、書き直しなどせずに放っておいた。そのことが気に入らなかったのか、その後上司はぼくに、色々な無理難題を押しつけてくるようになった。ある日の夕方、突然「おい、今から熊本に行って、公衆電話に置いてある電話帳を盗ってこい」と言ってくることもあった。
 筑後訛りが抜けないその男から、「お前、ちゃんと標準語で話せよ」と言われるのもシャクに障った。

 最後には、
「しんた、おまえ夢はあるか」
「ありますよ」
「どんな夢だ?」
「ミュージシャンになる夢です」
「おまえ、いつまでそんな甘い夢を見とるんだ」
 と、人の夢にまでケチをつけだした。 甘くても辛くても夢は夢だ。しかも思いつきで答えた夢ではない。長年抱いてきた夢なのだ。
 その言葉を聞いて縁の切れ目を感じたぼくは、翌日無言で会社を去ったのだった。

 最近ぼくは、頻繁に予知を体験するようになった。その体験は日常生活上のことに限られているせいで、最初は偶然だと思い予知などとは考えてはいなかった。しかし何度もそういう体験をしているうちに、もしかしてこれは予知ではないかと思うようになった。とはいえ、自分にそんな能力があるなんて思ってはいない。そこで違う方面に答を求めた。

 その結果それは予知ではなく、『あらかじめ備わった記憶』なのではないかと思うようになった。そして「人は誰もが一生の記憶、つまり『未来の記憶』を携えて生まれてきて、その記憶通りに人生を歩む」という考えに到った。
 もちろん体験するまで『未来の記憶』は意識の上には現れない。体験してから『過去の記憶』として現れるのだ。ところが時々体験する前に、それが意識の上に現れることがある。そこを捉えて人は予知と呼んでいる、というわけだ。

 そうであれば、「予知能力は特別なものではなく、誰にでも備わっているものだ」という専門家の意見も、容易に頷ける。
 というわけでぼくは今、『記憶のことを書く』という未来の記憶を体験し、過去の記憶にしている最中だ。

 学生の頃はいつも一人笑いしていた。たとえそれが授業中であったとしても、何かおかしいと感じることがあると、いつも笑っていた、そのため先生から、「何がおかしいんだ。集中力が足りん」と言われ、よく頭を叩かれていたものだ。
 いったい何がおかしかったのかというと、ちょっとした人のしぐさだったり、癖のあるしゃべり方だったりで、とにかく他人からすれば何でもないことが、ぼくにはおかしく感じてしまうのだ。
 逆に無理に笑わせようとする人には、反応しなかった。そんなものにはまったくおかしさを感じないのだ。いや、ひねくれていたわけではない。心の底からおかしくなかっただけだ。

 高校時代、授業中にみんなを笑わせようとして、つまらないギャグを連発する先生がいた。他の人は笑っていたが、ぼくにはそれがおかしいと感じられず、笑わなかった。するとその先生は「なぜ笑わんか」と、こちらに食ってかかってきた。
「せっかくこちらが、面白いことを言って授業の緊張を和らげてやろうとしているのに、何でおまえは反応せんのか」と言う。
『強要されて笑う笑いなんて、本当の笑いではないと思います。本当におかしいと思った時だけ笑います』と思わず言いそうになった。が、そんな馬鹿を相手をするのも面倒なので、ぼくは黙り込んでいたのだった。

 大したことのない事件だと思っていたが、いまだに記憶しているということは、無意識のうちにそのことを引きずってきたのかもしれない。考えてみれば、その教師の事件以来、素直に笑えなくなっているような気がする。

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