吹く風ねっと

一生は未来の記憶を散りばめた一本の道。人生は未来の記憶をひろいながら歩く旅。

2015年09月

近くのコンビニで
目が大きく唇が分厚い女性をよく見かける。
ぼくたち夫婦は彼女のことを
ひそかに「オバQ」と呼んでいる。

そのコンビニに車を駐めていつも
歌をうたっている背の高い男性がいる。
ぼくたち夫婦は彼のことを
ひそかに「コブクロ」と呼んでいる。

行きつけのスーパーにやたら色が白く
少しだけ品のある顔をしたバイトがいる。
ぼくたち夫婦は彼のことを
ひそかに「みや様」と呼んでいる。

ホームセンターのスタッフの中に
日に焼けた茶髪の女性がいる。
ぼくたち夫婦は彼女のことを
ひそかに「なでしこ」と呼んでいる。

会社帰りに寄るドラッグストアに
黒縁メガネをかけた眉の太いの男性がいる。
ぼくたち夫婦は彼のことを
ひそかに「にしはじめ」と呼んでいる。

近所に義妹にそっくりの
小柄な女性が住んでいる。
ぼくたち夫婦は彼女のことを
ひそかに義妹の名前で呼んでいる。

同じく近所にとある電器店に
勤めている中年の男性がいる。
ぼくたち夫婦は彼のことを
ひそかに「ヤマダ」と呼んでいる。

気がつけばもう九月も終わりだ。
夏がもう少し粘ってくれるかと
思っていたが、蝉の声と一緒に
いつの間にかいなくなっていた。
今月の記憶はやはり雨と国会だ。
けれども個人的には別れだった。
慣れ親しんだ人が転勤や退職で
周りから消えていった。もはや
別れは春だけの風物詩ではない。

だが突然転勤を言い渡されたら
結構ショックが大きいだろうな。
ああ本人は同じ企業内の異動か、
仮にそれが遠方だったとしても
それほどでもないかもしれない。
一番きついのはその人の家族だ。
環境が完全に変わるんだからね。
外国に無理矢理連れて行かれる、
そんな思いがするかも知れない。

1,
近くの川に数羽の鷺が棲んでいる。
河口の方には更に多くの鷺が棲む。
四十年程前その川には鷺どころか
サカナや亀さえ棲んでいなかった。
鷺が川に居着くようになったのは
川がきれいになり、それに伴って
サカナや亀がもどってきてからだ。
ぼくが社会に出た頃に、その姿を
ボチボチと見かけるようになった。
それまで野生の大きな鳥といえば
カラスくらいしかいなかったので
最初に鷺を見た時は、予想以上の
大きさにびっくりしたものだった。


2,
この地域には地名やバス停の名に
鷺という文字を使っている場所が
いくつかある。鷺などいないのに
どうしてだろう、とずっとぼくは
疑問に思っていた。ある日地名の
由来が書いてある文献を見つけて
読んでみると、鷺がこの辺一帯に
多く生息していたことがわかった。
ここは彼らのふるさとだったのだ。
つまり公害でふるさとを追われて
長い疎開を強いられていたわけだ。


3,
鷺は中々写真を撮らせてくれない。
ヤツらはカメラを手にしただけで
大きく羽を広げて飛んで行くんだ。
ノラネコでさえカメラを向けると
おとなしく撮らせるのに、なんと
鷺はケチな根性をしてるんだろう。
しかも動きがゆったりしてるから
何か馬鹿にされている気さえする。

とりあえず、背筋をピンと伸ばしてみるんだ
とりあえず、前だけ見つめて歩いてみるんだ
とりあえず、挨拶だけでも交わしてみるんだ
とりあえず、相手の目を見て話してみるんだ
とりあえず、肩の力をスッと抜いてみるんだ
とりあえず、深呼吸を何度かやってみるんだ
とりあえず、鏡の中に笑顔を写してみるんだ
とりあえず、できると心に宣言してみるんだ
とりあえず、無心を心がけてやってみるんだ
とりあえず、ノートに願いを書いてみるんだ
とりあえず、明るい未来像を描いてみるんだ
とりあえず、なりたい自分を演じてみるんだ
とりあえず、ありがとうを口にしてみるんだ
とりあえず、全てに大丈夫と思ってみるんだ
とりあえず、今日は一歩だけ進んでみるんだ

健康診断センターは多くの人で
ごった返している。そこで人は
名前が呼ばれるのを待っている。
そして呼ばれた順番に受診者は
採尿するためトイレに移動する。

その診断項目が同じである限り
どの場所であってもひとつ前で
呼ばれる人の名前は同じなのだ。
その名前を聞くのは初めてだが
何度も聞いているうちに昔から
知っている名のような気がして
いつの間にか愛着を感じている。

いったん愛着を感じてしまうと
その人に親近感を抱いてしまう。
そしてその親近感はだんだんと
安心感に変っていき、いつしか
この人のうしろだから大丈夫だ
という気にまでなっているのだ。
最後の診断が終ってもその人の
余韻が残っていて無意識の内に
その名を呼んでいることがある。

「あれから何年経っただろう、同窓会に君がいた。
 少し髪を伸ばした君が、ぼくを見ていた。
 今は遠くの空で、幸せに暮らしているという。
 そして今でもぼくは、君の歌をうたう。
 時は過ぎて行った、ドラマなど起こらないままに。
 だけど、確かに今でも君はぼくの中にいる。
  (『確かに今でも君はぼくの中にいる』より)


ニ十代半ばに行きつけの喫茶店で
ある人から双子霊のことを聞いた。
その人はぼくの生年月日を聞いて
「あなたは十代の頃に、その人に
会っているはずですよ」と言った。
そして「その人を初めて見た時に
懐かしさがこみ上げたと思います」
十代の頃に、初対面で懐かしさを
覚えた女性は彼女しかいないのだ。
これでようやく謎が解けたわけだ。
だがその後その人が言った言葉に
ぼくはショックを受けたのだった。
「だけど現世でその人と結ばれる
ことはありません。お互いにいい
影響を与え合っていくでしょうね」
彼女の結婚を聞いたのはそれから
しばらく経ってからのことだった。

さて今後どうなっていくのだろう。
わかっていることが一つだけある。
背中を押しつ押されつやりながら
ふたりは生きていくということだ。
それが初対面で懐かしさを感じた
ぼくと彼女の宿命なのだから──。

東京に出てから数年が経った
彼女のことを忘れようとして
出た東京だったが、結局の所
忘れることなど出来なかった。
とはいえ吹く風の効果もあり
それまではあまりの苦しさに
病気じゃないかとまで思った
気持ちを客観視出来るように
なったのは大きく、それから
後の生き方や歌や詩の創作に
プラスに作用することになる。
というわけで、ぼくの中での
東京は役目を終えたのだった。

こちらに戻ってから三十数年
何度か彼女に会ってはいるが
やはり日記の効果なのだろう
ぼくは気持ちを乱すことなく
いつも冷静に接しているのだ。
しかし彼女といるとその場の
空気が変わるような気がする。
おそらくは彼女もそのことを
薄ら感じているにちがいない。
恋愛感情は消滅しているので
異性間の空気ではないはずだ。
異次元の空気とでもいうのか
現実を超えている空気なのだ。

二年後ぼくは新宿の街の中にいた。
とにかく彼女のことを忘れようと
ぼくは東京に救いをもとめたのだ。
だけど慣れない街並がまたしても
ぼくに彼女への思いをつのらせた。
その思いをなんとか処理しないと
上京した意味がなくなってしまう。

上京から数ヶ月後のある日のこと
この思いを客観視出来たら少しは
楽になるかもしれないと思い立ち
日記を書いてみることにしたのだ。
その日その時の嘘いつわりのない
気持ちをノートに叩きつけていく、
これが大いに役立った。おかげで
ぼくは東京時代を明るい気持ちで
生きていくことが出来たのだった。

さてその日記ノートのことだけど
書始めは1978年9月24日で
その日の記事タイトルは『ぼくは
まだ死にそうじゃない─』だった。
ちなみにそのノートの最新記事の
日付は2015年の9月21日で
タイトルは『吹く風10』。そう
37年前に書き始めた日記ノート
『吹く風』は今尚続いているのだ。

「見たことのある人が
 笑いながら通り過ぎていった
 振り返ってみても誰もいない
 ねえ、これが毎日なんだ」(『ゆき』より)


彼女のことだけを思って朝をむかえ
彼女のことだけを思って夜を過ごす
彼女のことだけを思って歌をうたい
彼女のことだけを思って詩をつくる
東京に出るまでの浪人時代、ぼくは
彼女の想い出とか彼女への思いとか
何の行動も起こさなかった後悔とか
好きな人という苦しさと闘っていた。
街で彼女がいないかと探してみたり
時には彼女の幻を見たこともあった。
浪人の境遇なんてどうでもよかった
将来の進路なんてどうでもよかった
彼女のことだけを思って生きていた。

「高校三年の冬、帰りのバスを待っていた。
 向かいのバス停で君が、バスに乗るのが見えた。
 ぼくはバスを目で追った。君の姿を探した。
 その時目に映った君は、ぼくを見ていた。
 それが君の最後の、さよならだったと思う。
 だけど、確かに今でも君はぼくの中にいる。」
  (『確かに今でも君はぼくの中にいる』より)


卒業の日を前にしたある夕方の事
学校の帰りにバスを待っていると
向い側で彼女がバスに乗っていた。
ぼくは気がつき彼女を目で追った。
すると彼女のほうもぼくに気づき
おたがいの姿が見えなくなるまで
二人は見つめあっていたのだった。
やはり彼女の方もそうだったんだ。

彼女が例の彼と別れてからこちら
ぼくは心のどこかで本当は彼女に
好きな人などいないんじゃないか
と疑っていた。だとすると以前の
彼女とぼくのいい関係は、ただの
思い過ごしということになる、と
思っていたから素直に嬉しかった。

これは告白のチャンスだと思った。
だがぼくは慎重だった。というか
距離を置いたのが裏目に出たのか
えらく慎重でありすぎたのだった。
受験を控えているので仮に行動を
起こしても彼女は受け入れないに
違いないと勝手な思い込みをして
ぼくは何の行動も起こさなかった。

慎重な思いが最も強くなったのが
まさに卒業の時で、最後の最後迄
彼女に近づくことすらしなかった。
そして何の行動も起こさないまま
卒業して、彼女に会えなくなった。
しかし本当に運命の人であるなら
運命の再会があるはずだ。ぼくの
甘さは行動ではなく運命を選んだ。

三年間誰とも付き合わない
その事を聞いてからぼくは
彼女との距離を置いていた。
距離を置いてはいたものの
彼女を好きという気持ちは
日を追って強くなっていく。
その火を鎮めるためぼくは
既に深入りし過ぎてしまい
後戻り出来なくなっていた
創作に精を出したのだった。

別れたのならチャンスだよ。
約束したと言うけどきっと
それは口実で、実はお前の
ことを待っているんだよと
言ってくれる人もいたけど、
そんなことをチャンスとは
思えないのがぼくの性分だ。

もしも付き合ったとしたら
それは傷心している彼への
嫌がらせであり結果的には
彼女を彼から奪ったことに
なるではないかと思うのが
歯痒いけどもぼくの性分だ。
きっと甘い性格なんだろう。

とにもかくにも彼女に毎日
会えることが幸せなんだと
思うことで気を紛らわせた。
そんな日々の向こう側には
卒業という避けて通れない
ひとつの節目が待っていた。

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