吹く風ねっと

一生は未来の記憶を散りばめた一本の道。人生は未来の記憶をひろいながら歩く旅。

2015年08月

天上の空はいろいろに色づいて
時間を経ていろいろに色づいて
いろいろの色は明日に繋がって
見下す街をいろいろに繋がって
いろいろの色は無限に広がって
気流に乗りいろいろに彷徨って
いろいろの失敗にめぐりあって
いろいろの不安にめぐりあって
だけど気持ちだけは負けないで
いつも気持ちだけは負けないで
そこからいつかは這い上がって
つまずきながらも這い上がって
天上の空はいつしか青く戻って
天上の空がいろいろに色づいて

慌てて飛び乗ったその電車は
夏休みだけの臨時列車だった
その臨時列車だと駄目なんだ
定期列車でないと駄目なんだ
臨時列車は山奥に向かうんだ
そこで彼女は待ってないんだ
彼女は海辺で待っているんだ

臨時便はノンストップだから
途中で降りることが出来ない
行き先まで行かないことには
元の駅に戻ることが出来ない
到着は今日の終わり頃だから
戻るのは明日になってしまう
約束の今日には間に合わない

行き先もホームも電車の色も
昨日の晩ここまでやって来て
ぼくはちゃんと確認したんだ
一体何が違っていたんだろう
一体何がそうさせたんだろう
そこがわからなければ来世も
ぼくは彼女と逢えないだろう

現状の風 速く強く
夢を追う 暇もなく
捕まえる 術もなく
現状の風 速く強く

現状の風 痛く辛く
入り込む 隙間なく
身を弾き 胸を突く
現状の風 痛く辛く

現状の風 軽く重く
着飾った 女が誘う
騙された 男が嘆く
現状の風 軽く重く

現状の風 遠く高く
その行方 掴み難く
乗越える 知力なく
現状の風 遠く高く

禿とか白髪の人を見ては
その人が老化していると
決めつける人がいる。が
禿や白髪は成長であって
決して老化とは言わない
老化というのはカラダの
成長を老化と決めつける
固執した心のことをいう

夜を夜に返してあげよう
文明を象徴する明るさが
未来の文明を作っていく
子供の夢を邪魔している
夜を夜に返してあげよう

夜を夜に返してあげよう
恐怖を与えない明るさが
昔からの妖怪を滅ぼして
新たな妖怪を生んでいる
夜を夜に返してあげよう

夜を夜に返してあげよう
人類の便利な一日の形は
実は他生物の不便なのだ
だからもういいかげんに
夜を夜に返してあげよう

どのくらい時が過ぎたのだろう
気がつけばぼくはこの家の中を
六本足で歩きながら生きていた。
戸棚の裏に巣をかまえて暮らし
お腹が減った時にだけゴソゴソ
食べ物のある場所に歩いて行く
そういう生活を繰り返している。

戸棚裏の巣の中は優しい家族に
囲まれた平和で幸福な世界だが
表の通りに出るとそこは戦場で
用心しながら歩いて行かないと
二本足生物に見つかってしまう。
奴らはぼくらの姿を見つけると
しつこく襲いかかってくるのだ。

仲間が奴らに殺られている様を
一度目撃したことがあるのだが
それはそれは残酷なものだった。
奴らの一撃を浴びたその仲間は
頭は取れかかり、手脚はもがれ
内臓が横腹から飛び出していた。
そんな無残な姿になりながらも
逃げようともがいている仲間に
奴らは更なる一撃を加えたのだ。

生まれてこのかた一度たりとも
二本足に悪さをしたことはない。
ただ本能に従ってこの家の中を
六本足で歩いているだけなのだ。
どうしてぼくらはそういう目に
遭わなければならないのだろう。

そこに行くためには根性という
高い壁を越えなければならない。
その壁越えはえらくやっかいで
根性という言葉を好む人種には
不可能なことだと言われている。

なぜならその人達はその言葉を
崇高なものと思っているからで
そこに人生をかさねたいからで
『道』にまで昇華したいからで…
その重さゆえに潰されてしまう。

実は壁を乗り越えるのは簡単で
根性を信じなければいいだけだ。
崇高と思わないから重たくない
重たくないのだから潰されない
たったそれだけのことなのです。

今迄生きてみて今回の人生が
面白い人生とは到底思えない。
前回の人生がどうだったのか
まったくおぼえていないので
比較をすることはできないが
面白くない人生には違いない。

理由は簡単でその節目節目に
面白いことがなかったからだ。
人生ここまでの節目といえば
受験がうまくいかなかったり
就職活動で何度も失敗したり
好きだった人からふられたり
マーチンギターを盗られたり
二度もリストラされたりなど
実に面白くないことばかりで
それがずっと尾を引いている。
面白い事もあるにはあったが
それが節目にはなっていない。
面白い事が尾を引かないのだ。

さて、これからどうしようか。
面白くないで生きていこうか。
面白くなくても面白い人生と
とらえるようにしていこうか。
さあどうしよう。今が節目だ。

老いた野良猫尻尾を振って
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
不安な心でいるのだろうか
願を掛けているのだろうか
ご先祖さまの供養だろうか
それともあの世のため息か

老いた野良猫後光が差して
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
お盆過ぎても彼岸過ぎても
お寺さんでもお宮さんでも
暇さえあれば南無阿弥陀仏
辺りかまわず南無阿弥陀仏

マサトくんは貝がら天使だ。
貝がらのように口を閉じて
時折白んだ舌を見せている
身の振舞いも貝がら天使だ。
貝のようにからに籠もって
仲間で動くことを拒むんだ。

ヒロトくんはラクダ天使だ。
ラクダのように口を動かし
ラクダのように緩慢に動く。
ヒロトくんはラクダ天使だ。
その目はいつも冷ややかで
人を横目で見ているようだ。

カズキくんはカラス天使だ。
カラスのようにいろが黒く
カラスのようににぎやかだ。
カズキくんはカラス天使だ。
食事の時は落ち着きがなく
いつも何かをこぼしている。

幼虫から成虫への成長の途中に
虫達はがんじがらめのサナギの
時間を経験するものだが、実は
人間にもサナギの時期があって
ぼくのそれは昭和52年だった。

受験失敗で幕を開け祖父の死去
就職活動するもうまくいかない。
だんだん外に出るのが怖くなり
部屋に引きこもる毎日を迎える。
陽の光が暗く感じるようになり
将来に希望を見出せなくなった。
どうにかして脱出したいのだが
どうすればいいのかわからない。
考えれば考えるだけ惨めになる。
もがけばもがくだけ苦しくなる。
そんな記憶と印象の一年だった。

しかしその年は不幸だったのか。
いいや決して不幸ではなかった。
遊んでくらしていけたのだから。
働かずに食べていけたのだから。
いまだに思い出の音楽や漫画は
その頃のものが多くを占めるし。
いつの時代に戻りたいかなどと
問われたら、ぼくは躊躇せずに
昭和52年ですと答えるだろう。

昭和52年20歳になるぼくは
じつは心の奥底ではその時代を
好み楽しんでいたにちがいない。
翌年サナギから脱皮したぼくは
新たな羽で東京に出たのだった。

このページのトップヘ