吹く風ねっと

一生は未来の記憶を散りばめた一本の道。人生は未来の記憶をひろいながら歩く旅。

2013年06月

人間の平均寿命が百二十歳になったら
きっと五十代なんか若造で
先輩諸氏からいつも
怒鳴られていることだろう。

人間の平均寿命が百二十歳になったら
きっと五十代の髪は黒々していて
白髪やハゲの人は早熟な人と言って
からかわれることだろう。

人間の平均寿命が百二十歳になったら
きっと五十代の体力的にもまだ若く
例えば長い階段を上る時にも
ヒーヒー言うことはなくなるだろう。

人間の平均寿命が百二十歳になったら
きっと五十代でも生命保険など
もろもろの保険の掛け金は
かなり安くすむことだろう。

自分のことであれば
茶化すことも出来るけど
それが他人のことであれば
茶化すわけにもいかない。
何でまた彼はぼくにあんな
大事なことを話してくるんかな。
内緒にしているわけではない
と彼は言っていたけど、
『彼はこんなことになっている』と
他人に語るわけもいかないし
『こういうことがありましてね』と
日記に書くわけにもいかないし
かといって自分の中に
留めて置くには重たすぎるし。
さてどうしたらいいんだろう・・。
そんなことを考えながら
帰っていたら家を通り過ぎていた。

夜中に雨の気配を感じて
ぼくは目を覚ました。
車が水を弾いて行く音に
雨が降っているのを確信した。
そして再び目を閉じた。
しばらくするとどこかから
「コンコン」という音が聞えてきた。

パッキンが緩んでいるうちの
シャワーから水が「コンコン」と
滴り落ちているのではなかろうか。
ぼくは布団から這いだして
眠い目をこすりながら
風呂場を確認しに行った。
だけど風呂場は異常なかった。

さてどこから聞えてくるのかと
耳を澄ますと「コンコン」は
窓の外で鳴っているようだ。
『うちじゃなかったんだ』
それで安心して眠ろうとする。
ところが今度は「コンコン」が
耳について眠れない。眠れない。

それから一時間ほど経った頃
ようやく眠りに就いたぼくが
見た夢は、何と大きな蛇が二匹
そこにライオンが参加してきた。
そこから逃げようともがいている。
そこで目が覚めた。あまりの衝撃に
ぼくはもう眠ることが出来なかった。

まぶたの下をビンビンビンと
痙攣を伴ってように走る快感、
それがたまらなくいいのです。
だからぼくはやめないのです。
実に馬鹿げている生活だって
こんなつまらない日記だって
そんな中身のない思想だって
あんなくだらない音楽だって
その快感が得られるのだから
他人からとやかく言われても
ぼくは絶対にやめないのです。

幼い頃周りの大人たちとは
乳臭い仲だった。
小学生の頃の友だちとは
鉄錆び臭い仲だった。
初恋だった彼女とは
粉ジュース臭い仲だった。
学生時代の友だちとは
整髪料臭い仲だった。
部活の仲間とは
足臭い仲だった。
その頃好きだったあの子とは
レモン汁臭い仲だった。
就職した後の仲間とは
酒臭い仲だった。
今の若い人たちとは
香水臭い仲になり
幾時代が過ぎて嫁さんとは
醤油臭い仲になっている。

日曜の朝は昔から
新聞に載っている
パズルをする
習慣があるので
ちょっとだけ
早く起きる。

ちょっとだけ早く
とはいうものの
ちょっとだけで
済む日もあれば、
ちょっとだけで
済まない日もある。

今日は後者だ。
えらく難しくて
まだ解けてない。

それは遠くにあるのではなく
晴れた日には晴れた日のネタが
雨の日には雨の日のネタが
ここに転がっているのだ。

それは学者先生の頭にあるのではなく
暖かい日には暖かい日のネタが
寒い日には寒い日のネタが
ここに転がっているのだ。

それはご大層な本の中にあるのではなく
生きている日には生きている日のネタが
死んでいく日には死んでいく日のネタが
ここに転がっているのだ。

それは映画の中にあるのではなく
喜怒の日には喜怒の日のネタが
哀楽の日には哀楽の日のネタが
ここに転がっているのだ。

我々は宇宙人である。
我々は宇宙人である。
かつてお前たち地球人の
夢の中にやってきて
いまもお前たち地球人の
夢の中に存在している。

我々は宇宙人である。
我々は宇宙人である。
だから見たくても
その目では見えないし
だから触れたくても
触れられないのである。

我々は宇宙人である。
我々は宇宙人である。
現実の存在だけが
すべてなのではない。
夢の中の存在もあるのだ。
そのことを知るがよい。

我々は宇宙人である。
我々は宇宙人である。
そしてお前たち地球人が
夢も現実だと理解出来れば
その時我々はお前たちの前に
現実の姿を現すことだろう。

朝になるとぼくはスーパーに
弁当を買いに行っている。そこは
歩いて5分程度の場所にあるから
朝の運動にはちょうどいい。
雨が降る日は好きではない。
とはいえ朝の雨のにおいに
浸るのは嫌いではない。

さて、そのスーパーのレジに時々
アルバイトの中国娘が立っている。
ちゃんと教育されているのだろう
言葉遣いも悪くないし
お客さんの応対も悪くない。
弁当にはちゃんと割り箸も付けてくれる。
だがひとつだけ困っていることがある。

それはレジ袋だ。そのスーパーには
ちゃんと浅めで底が広くなっている
弁当用のレジ袋があるのだが
なぜか彼女はその袋ではなく
底の狭い普通のレジ袋を渡してくる。
それも少し深めの中サイズだ。
持ちにくいし、バランスも悪いし、

何度も弁当用の袋にしてくれと
頼んでいるのだが、
弁当袋の存在を知らないのか
言葉の意味がわからないのか
いつも出てくるのが中サイズ。
中サイズ、中サイズ、中サイズ
ぼくの朝はいつも中サイズで始まる。

その人には最初から
何かの縁を感じていた。
時間が経つにつれて
生まれ育った境遇が似ていたり、
誕生日が同じであったり、
母親の名前が同じだったり、
そんなことが徐々にわかってきて
親友と呼べる仲になった。その後、

彼は県外の学校に転校していった。
中学の頃一度だけ手紙が届き
彼がその頃のぼくと同じ夢を
抱いていていることを知った。
ぼくはいつかその夢実現の過程で
彼と出会えることを期待した。
しかしぼくはその夢を諦めたので
その過程で彼と会うことはなくなった。

親友、という名の友だち
今、どこでどうしているんだろう。

川面はいつも
深い深い緑色
晴れている日も
雨の降る日も
深い深い緑色
来る日も来る日も
変わらない
いったい何を
映しているのか
いったい何を
怯えているのか
川面はいつも
深い深い緑色

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