吹く風ねっと

一生は未来の記憶を散りばめた一本の道。人生は未来の記憶をひろいながら歩く旅。

2012年07月

競技を見ていると
失敗しないかとか
こけやしないかとか
余計な心配をして
心が疲れてしまう。
だから距離を置いて
この競技あの競技の
経過だけ結果だけを
見ることにしている。
そうすれば勝てば
喜ぶだけですむし
負けても悔しさは
その時だけですむ。
そうやっていつも
四年に一度の競技を
見ることにしている。
だけどそれも最初だけで
日を追っていくうちに
このハラハラドキドキに
参加しないと気持ちが
落ち着かなくなってきて
いつしかいっぱしの
解説者になっている。

キューン、ババーン
ダダーン、ドドーン
夏の花火は平面だ
実は立体であるのだが
背景のほの暗さと
下界のほの明るさが
そうさせてしまう。

キューン、ババーン
ダダーン、ドドーン
いくつもの平面が
夏の夜空に舞い上がる。
色を変え、大きさを変え
さらには形を変えながら
夏の夜空に舞い上がる。

キューン、ババーン
ダダーン、ドドーン
ああ、この夏の平面に
一夜限りのロードショーに
3Dメガネが使えたとしたら
この映像はぼくたちの目に
どんなふうに映るのだろう。

この扉を使うとすごく近道になるのだけど
この扉を使わせてはもらえない。
この扉は限られた人たちのためにある扉なので
この扉を使うことができないのだ。
ただ限られた扉とはいえども例外はあるもので
犬はいい、猫はいい、狸はいい、虫もいい。
つまり限られてない一般の人の他は誰でも
この扉を使うことが許されている。

一般の人はこの扉を使うことができないけれど
そのために劣等感を抱くことはない。
ほとんどの人はこの扉にこだわってないし
あんな獣道なんか通りたくないとさえ思っている。
犬に噛まれたり、猫パンチを喰らったり
狸に化かされたり、臭い虫に触ったりしてまで
近道をする必要はないということだ。だから
この扉を使わない人たちは笑顔で歩いていけるのだ。

何のリズムに合わせているのか
ふわふわと歩くネコがいます
時折そこに立ち止まっては
ふわふわと浮かぶトンボを
じいっとじっと見ています
白い雲が流れています
心地よい風が吹いています
きっときっとこのネコの
汗もしっかりぬぐっています

それにしてもすごい音だ
その音に気づかないくらい
すごくすごく大きな音だ。
ゴミ出し日のカラスの声より
航空自衛隊の練習機の音より
真夜中に走る暴走車の音より
すごくすごく大きな音だ。
この音が暑さのBGMとなり
夏の無意識となっている。
このBGMに乗れる人が
きっと夏が好きな人であって
この無意識に馴染めない人が
きっと夏が嫌いな人なんだろう。
それにしてもすごい音だ
その音に気づかないくらい
すごくすごく大きな音だ。

昔録りだめておいたビデオに
たまに当時のニュースが
入っていることがある。
そういう時はつい見入ってしまい
ああ、この当時こういうことも
あったなあ、なんて思っている。

ところがこの当時とはいうものの
この当時がどの時代だったのか。
それがいつもわからないでいる。
この年でも、あの年でもない。
さていったいどの年だったのか。
なかなか答が出てこない。
考え出すときりがないので
記憶が曖昧な年齢になったのだ
ということで締めくくっている。

だけど考えてみると我が老化だけが
その原因ではないような気もする。
つまりそれがどの当時、どの時代の
ニュースかがわからなくなるほど
似たような事件が多いことにも
原因があるのではないだろうか。
例えば傷害だとか。殺人だとか。
例えば虐めだとか。自殺だとか。
例えば天災だとか。人災だとか。
つまり人間というのは
どの当時も同じことをしでかして
どの時代も同じことに苦しめられる
因果な生き物だということだ。

ぼくは今この空港に住んでいる。
家賃は破格値で、ほとんどタダである。
とはいうものの、この家に住む条件がある。
一つは飛行機のうるささに耐えることだ。
空港なので仕方のないことだが
これにはすぐに慣れた。
もう一つはある週刊誌を販売することだ。
無理矢理売り込むのではない。
所定の場所にそれを並べるだけでいい。
そう言うと誰もが楽そうだなと言うが
この週刊誌はかなりの売れ行きで
その棚はすぐに空になってしまう。
そのため一日に何度も何度も何度も
補充をしなければならない。
紙で手を切ったり、腰を痛めたりと
これがけっこうな重労働なのだ。
えっ、何の週刊誌かって?
それはこの空港に来ればわかることだ。

とにかくぼくは今この空港に住んでいて
この空港の主になっている。

こうやって何十年経つのだろう。
わたしはこの切り株の上に座り
船がくるのをずっと待っている。
どこかの国から流れ着いた
ビールのジョッキを手に持って
いつまでもいつまでも海を見ている。

船の姿を見つけることがあれば
この切り株の上に座ったままに
ここまで来いと念じている。
別に煙で信号を送ったり旗を振ったり
相手に存在を知らせるような行為は
一切、絶対、金輪際やらない
それが自分のスタイルではないと
勝手に思い込んでいるからだ。

船が去ったあと、
わたしはうす笑みを浮かべ
今回はタイミングが悪かった。でも
次があるさと自分を慰めている。
こうやって何十年経つのだろう。
わたしはこの切り株の上に座り
船がくるのをずっと待っている。

たしか昨日まで北部九州は
梅雨明けを発表してなかったな。
アジサイはすでに枯れているし。
ワシワシはすでに鳴いているし。
基本的に青空が広がっているし。
時々雨が降るといっても
梅雨明け宣言した地域だって
雨が降ってないわけではないんだし。
もう梅雨明けでいいじゃないか。

嘘でも梅雨明けしたと言えば
ジメジメイライラは吹っ飛ぶし
弾けた気分にもなるというもんだ。
もし雨が降ったとしても
梅雨の雨にしなければいいし
そこまで細かな雨はいらない。
だから早く梅雨明けしたと
言って下さいよ。

神様はちょい面白く
回り道させるのが
実に好きなんだね。
でも本当はそれが
近道だったりするから
神様は侮れない。その
侮れないという思いが
次第に感謝に変わり
生きる糧へと進んで行く。
そのあたりから徐々に
奇跡という言葉を
信じられるようになる。
奇跡の体験をするのも
ちょうどその頃からだ。
今ぼくたちはここにいる。

この夢は、その夢は、あの夢は
全然、まったく、まるっきり
高い壁でも何でもなくて
旅の途中の通過点。
『一生の夢』という儚い言葉に
振り回されて、騙されて
あげくに特別なものと勘違い
それが壁を作ってる。

この夢も、その夢も、あの夢も
全然、まったく、まるっきり
特別なものでも何でもなくて
旅の途中の通過点。
今日でなければ明日には
明日でなければ明後日には
歩いていれば歩いて行けば
必ず行き着く通過点。

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