吹く風ねっと

一生は未来の記憶を散りばめた一本の道。人生は未来の記憶をひろいながら歩く旅。

2011年12月

あんなこととかそんなこととか
色んなことがあった一年だったけど
それを暗い一年だったぜとか
つまらない一年だったぜと捉えると
きっときっと来年だって
暗くて暗い、
つまらなくてつまらない
そんな一年になるはずだ。
だから今年は暗くて
つまらない一年だったと
思わないことによう。

そんなこととかこんなこととか
色んなことがあった一年だったけど
これを楽しい一年だったな、とか
充実した一年だったな、と捉えれば
おそらくおそらく来年だって
楽しくて楽しい、
充実して充実した
そんな一年になるはずだ。
だから今年は楽しくて
充実した一年だったと
思うことにする。

今年のはサッサと捨てたのだ。
ところがここで問題が起きた
サイズの大きいのを買ったせいで
ポケットの出し入れが不便で
先日とうとうズボンをビリリ
と破ってしまったのだった。
今年のヤツはサイズはよかったから
ポケットの出し入れは楽に出来た。
どの手帳も一長一短あるということか。

今ならまだ間に合うから
小さいヤツにかえようかとも思った。
しかし最近の手帳はけっこう高いので
買うのにちょっと躊躇してしまう。
そんな矢先だった。ある所から
「懸賞に当たりました」と言って
手帳が送られてきたのだ。
何というタイミングの良さだ。
しかも大きさがちょうどよく
出し入れがスムーズに出来る。
何という好運なんだろう。
どうやら来年はいい年になりそう・・
いや、いい年決定だ。
ありがとうございます。

はいはい、いました。いました。
確かにそういう人がいましたよ。
覚えたてのエッチで世を渡る人がね。
寝てもさめても頭の中は
女、女、女のことばかり。
女がいないと身が持たないからって
目つき、手つき、身ぶり、口ぶり、
何もかもがイヤらしい。
くだらぬ心理合戦に明け暮れて
似た者同士でじゃれあって
終いにゃやばい女に手を出して
身の破滅を招いてしまって。
はいはい、いました。いました。
確かにそういう人がいましたよ。

アイデア、アイデア
いつも頭の中を
空っぽにしていると
いいアイデアが
浮かんでくるという。
何か気の利いたことを
ここに書かないと、一日が
終わらないような気がする
ぼくとって、アイデアは
必要不可欠なものだ。

アイデア、アイデア
ということで最近
これを試しているのだが
頭は空っぽになるものの
なかなかいいアイデアが
浮かんでこない。
これはどうしたことだ。
話が違うじゃないか。と
お風呂で一人で怒っている時
ふとアイデアが浮かんだのだ。

アイデア、アイデア
こんな腑抜けた文章だって
一応はアイデア、アイデア
ということで今日を終わります。
おやすみナリ

1,
夜中えらく強く吹く
風の音に目が覚めた。
少しぼやけた意識の中から
徐々に現実がよみがえる。
ああ、そうだった。
今日はクリスマスだった。
サンタがいると信じていた
幼い頃を思い出す。
あの頃はあんなに細い
お風呂の煙突から
太ったサンタはどうやって
入ってくるのだろうなんて
思っていたものだった。
結局正体を見たわけではないが
何となく「サンタはおかしい」
と思うようになり、
サンタさんはいつしか
ぼくの中で消滅したのだった。

2,
夜中えらく強く吹く
風の音に目が覚めた。
ああ、そうだった。
今日はクリスマスだった。
今ぼくに小さな子供がいて
もしその子が頻尿だったとしたら
サンタの正体はバレバレだな。
そんなことを思いながら
ぼくはトイレに行った。

街で幾人かの同級生に会った。
なぜかみな爺顔になっている。
疲れ顔をしている人、
顔立ちがぼやけている人、
顔の輪郭が歪んでいる人、
白い髭を蓄えている人、
時々薄さの目立つ人、
それぞれ人がそれぞれの
人生を抱え込んでいた。
どういう人生を歩んだ結果が
その爺顔かは知らないが
きっとその爺顔で一家の主を
演じているのだろう。

部屋の中にあるのは
20型位の旧式のテレビと
60センチ四方の
小さなコタツだけだ。
そのコタツの上には
折りたたみ式の将棋盤が
開いたまま置いてある。
誰かがさした後があって
あと十手もあれば詰み
という局面で終わっている。
持ち駒は銀と桂馬の二駒で
おそらく指した時のままの
状態なのだろう。

さていったい誰がここで
将棋を指していたのだろう。
その人たちが吸ったであろう
タバコの臭いがかすかに
残ってはいるのだが
ありふれた臭いなので
誰のものなのかが
特定出来ないでいる。

昨日ぼくの周りは
『家政婦のミタ』の最終回を
オンタイムで見るため
懸命に時間を調整していた。
まるでその時間に
サッカーの国際大会でも
あるのかと思えたほどだった。
最終回を見る理由のほとんどが
「ミタが笑うかどうか見たい」
というものだった。
ぼくもその一人だったわけだが。

二三日前から腰が痛いのであります。
ズキンとするような重い痛みではなく、
ジーンとするようなだるい痛みなのですが、
とにかくことあるたびにその痛みが
気になってしかたないのです。
ここ数日いすに座ってばかりいるので
きっとそれが原因だとは思うのですが、
実際は毎日やっている運動が腰に負担を
掛けているように思えてならないのです。
もしそれが痛みの本当の原因だとしたら
今すぐにでも運動をやめなければ
体中痛い所だらけになってしまう。
しかしせっかく運動に体がなじんできて
血圧にも良い結果が出てきたところなのに
腰痛ごときに邪魔されるのはシャクだ。

就職や再就職の活動をしていた頃
いつも困っていたのが
履歴書にある趣味の欄だった。
『ギターを弾いてます』
『作詞をやっています』
『作曲をやってます』
などと素直に書けばすむ話なのだが
なぜか変な方向に考えてしまって
その趣味の欄だけがなかなか
なかなか埋まらないでいた。

そこで仕方なく、ありふれた
『読書』と書こうとするのだ。
しかし『読書』と言っても
誰もが読んでいるような小説などを
読んでいるわけではない。
主にマンガを読み、気が向いたら
軽い人文書を読む程度だ。
だから面接の時に『好きな作家は?』
などと訊かれたら困る。ということで
その悩みが趣味の欄を埋めさせない。

とはいえ読書としか書けないから
結局は読書と書いてしまう。すると
面接で案の定『好きな作家は?』
と訊かれてしまう。
そこでカーッとなったぼくは
思わず「つげ義春」と答える。
『誰ですか?』と突っ込まれる。
仕方なく「マンガ家です」と答える。
そこまで何とかうまくいっていた面接も
そこから話が進まない。

過去のことを思っていると
腰に痛みを感じだす。
未来のことを描いていると
肩に痛みを感じだす。
ぼくのこころの中軸が
過去や未来に位置する時は
体の節々が痛みだす。

今を懸命に生きていると
腰の痛みを忘れている。
今を懸命に遊んでいると
肩の痛みを忘れている。
ぼくのこころの中軸が
今現在に位置する時は
なぜか痛みを忘れている。

つまりは過去や未来なんて
心の影に過ぎないのだから
さっさと心から切り捨てて
今を懸命に生きていこう。
今を懸命に遊んでいれば
体の節々にある痛みくらい
すぐに消えてしまうだろう。

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