吹く風ねっと

一生は未来の記憶を散りばめた一本の道。人生は未来の記憶をひろいながら歩く旅。

2010年11月

前に勤めていた会社に
何かあるたびに『打ち上げ』と称して
鉄板焼きパーティをする上司がいた。
場所はその上司の知り合いの店で
上司はそこでいい顔をしたかったわけだ。
ま、それは別にして
その店の鉄板焼きはかなりおいしく
量も多く、満足に値する店だった。
しかしそのパーティ、ぼくを含めて
幾人かがいつもイライラしていた。
その上司は自分が下戸というのに加えて
我がよければいいという人間だったので
酒飲みへの気配りが全然出来なかったのだ。

せめて前日にでも「打ち上げするぞ」
と言っておいてくれれば、車に乗らず
電車やバスを利用して出勤してきたのに、
車で出勤してきているその日に
突然「今夜打ち上げね」
なんて言い出すもんだから
酒飲みとしては面白くない。
鉄板焼きの味をさらに引き立てる
生ビールが飲めないじゃないか。
「車を置いて帰ればいいやん」と
気配りの出来ない上司は言っていた。
しかし会社付近は車上荒らしが多いのに
車を置いて帰るなんて出来たものではない。

とはいえイライラしながらもぼくは
そのパーティには何度も参加した。
気配りの出来ない上司へのイライラよりも
その鉄板焼き屋の味が勝っていたのだ。

先月あたりから仕事が忙しくて、いつも
腹の中に緊張感を抱えている状態だった。
そのせいなのか、気味の悪いくらいに
オナラが出て困ったものだった。
こういう時はいつも心の中で十句経や
般若心経などを必死に唱えて
余分な緊張感を押さえながら
心身を整えるようにしているのだが
今回ばかりは効きが悪かった。
なかなか「プップ」が治まらないのだ。
とはいえ効かなかったわけではない。
普段のように即効性はなかったものの
時間が経つにつれてジワーッと効いてきた。
心身が整った時にはお腹の奥がスーッとして
いかに緊張していたかがよくわかった。

そろそろ仕事も一段落するわけだし
ようやくオナラも治まってきたので
来月は完璧に心身を整えた状態で
忘年会にいそしむことにしよう。

休みの日に昼のドラマを見ていて
思い出したことがある。
それは、小学生の頃のぼくが
野際陽子のファンだった、ということだ。
当時流行っていたテレビドラマ
『キーハンター』がきっかけになった。
クラスの女子は千葉真一に憧れていたが
ぼくら男子は野際陽子に憧れていたのだ。
のちのキャンディーズほど熱くはならなかったが
知的でセクシーな彼女は刺激的で
思春期前のぼくたちの心をくすぐった。

彼女のファンであったのを忘れてからも
彼女の出演したドラマはけっこう見ている。
変な宗教に凝った役でも、きつい姑役でも
着物をめくりあげて走っていた姿も
妙な安心感を持って見られたのは
ぼくが彼女のファンだったことを
潜在意識がきっと覚えていたからだろう。

子どもの頃、うちの祖父さんの背丈が
えらく高いものに感じていた。
近所に住んでいる誰よりも高かったし
街に出ても、祖父さんより背の高い人は
そうそう見当たらなかった。
祖父さんの背丈は172㎝だった。
今だと普通の身長だ。ちなみに
ぼくの背丈は祖父さんよりも高く
現在178㎝あるのだが、決して
背が高いとは言えない。それ以上の
背丈の人間がウヨウヨいるのが現在なのだ。
ところで、そのウヨウヨいる人たちの
お祖父さんの背丈はいったい
どのくらいあったのだろう。あの当時
うちの祖父さんより高い人は
見当たらなかったわけだから
もし背の高さが遺伝だとすると
今、ぼくよりも背の高い人たちは
外部から来た人の孫ということになる。
つまりエイリアンの子孫というわけだ。

・・・ドライブ中にガソリンがなくなった。
あいにく現金の持ち合わせがなかったので
カード払いにすることにした。ところが、
この町にはカードの使えるスタンドが
なかなか、なかなか見つからない。
ようやく見つけたスタンドは、まるで
50年代のアメリカ映画に出てきそうな
古ぼけた造りのそれだった。・・・

・・・「すいません」と何度か叫んでみた。
が、なかなか係員が出てこない。
「他を探してみようか」と思った時だった。
「はーい」という低い声がした。
出てきたのは蛇のような顔をした
40歳前後の女性だった。
彼女はぼくの注文を聞くでなく
一人で勝手にしゃべり出した。
「お待ちしておりました」
「えっ?」
「少し胴体が短くなったような気がします」
「何のことですか?」
「これもあなたのせいですよ」
「何でぼくのせいなんです?」
「あなたがなかなか来なかったからです」
蛇女はそう言ってニヤッと笑った。・・・

夜になると聞こえてくるのは
団地街の谷間に響く車の音と
酔っ払いが大騒ぎしている声だ。
その背景に流れている
「ドワー」というコーラスは
近くの工業地帯から漏れてくる音で
この地に五十年以上も住んでいる
ぼくとっては自然音になっている。

そういえば、いつからだろう
虫の声が聞こえなくなったのは。
春の地虫の鳴き始めは
すぐにわかるのだが
秋鳴く虫の鳴き終わりは
気がつかないことが多い。
きっと寒さに気を取られて
その終演に気づかないのだろう。

一方で虫は「いよいよ人間が
窓を閉める季節になりましたね。
これからは聞いてくれる人が
誰もいなくなるんですね。
夜風が身に染みるようになったし
そろそろ鳴き納めにしましょうか」
なんて会話を交わしながら
冬眠に入っていくのだろう。

1,
あと少しの所まで来ている。あとは
頭の上のハエを追いさえすれば
すべてが元通りになるはずだ。
長い長い六十五年のイライラに
別れを告げる日が来るはずだ。
と思っていたら、北の騒ぎだ。
きっとこれはチャンスだ。
儒教の縛りから解放される
いい騒ぎだとぼくは思うぞ。

2,
エコポイントがなくなってからの
世の中を考えている。
前年対比数百パーセントの
電気屋の喧噪が終わると、今度は
「エコポイントが終わったから
きっと安くなるはずだ」という
思い込みの強い人たちが
電気屋を覆い尽くすだろう。

きっと若い頃に読んだ
論語の影響だろう。
変な気癖がついている。
「われ日にわが身を三省す」
という言葉が、心を責めて
いつも反省を促してくるのだ。
そのためにひどく心が疲れてしまう。
しなければならぬ反省ならともかくも
しなくてもいい反省までしてしまう。
反省材料のない時には、わざわざ過去から
反省材料を引っ張り出してくるしまつだ。
どこかで歯止めをかけないと
やっとられんわい。
人生の楽しみすら奪われてしまう。

厚い雲に覆われた空の下を
雨が落ちてこないか気にしながら
オドオド歩いている。
その中に雷の音が混じってないか
妙に神経を研ぎ澄ませて
オドオドオドオド歩いている。

そんな心の状態に問題があるのだ。
人の目なんか気にせずに
ガンガンやっていいんだ。
猫が突っ走っていくように
犬があたりかまわず吠えるように
ガンガンガンガンやっていいんだ。

生きていくために許された
それが権利なんだから
ドンドン行けばいいんだ。
生きている者たちに託された
それが使命なんだから
ドンドンドンドン行けばいいんだ。

晴時々笑う
夢に向かって笑う
希望を抱えて笑う
晴時々笑う

曇り時々笑う
くじけそうな時笑う
泣き出しそうな時笑う
曇り時々笑う

雨時々笑う
傘も持たずに笑う
背中を濡らして笑う
雨時々笑う

一日中笑う
それでもぼくは笑う
笑う、笑う、笑う
一日中笑う

昨日の女の話だが
時を追うごとに『大人らしさ』が
鼻につくようになってきて
声を聴くことすら嫌になった。
最後には「はいはい、どうぞご勝手に。
大人でも何でもやってなさい」
という気分になっていた。
やはり身の丈はわきまえるべきで
背伸びするのはよくないということだ。

ま、これは自分にも当てはまることだ。
その女に合わせようとして
ぼくのほうも背伸びしていたのだからだ。
もしかしたらその女は
ぼくの背伸びを無意識に感じ取り
そこに怖さを感じたのかもしれん。つまり
互いが互いの背伸びを嫌ったというわけだ。
無理すると、やはりろくなことはない。
無為自然が一番ということだ。

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