吹く風ねっと

一生は未来の記憶を散りばめた一本の道。人生は未来の記憶をひろいながら歩く旅。

2010年09月

1,
朝外に出てみると、11月のちょうど
紅葉の盛りの頃のようなにおいがしていたな。
それに銀杏のにおいなんかが加わると
完璧な11月になってしまう。
これから寒くなっていくにつれて
このにおいを嗅ぐことが多くなるだろう。
そしてその時にまた、ぼくの右脳は
銀杏のにおいをイメージすることだろう。

2,
それはそうと、今日は休みだった。
休みだったが、いつものように嫁さんを
会社まで送って行った。
嫁さんが降りたあとのこと
助手席に目をやると、「えっ!?」
何とそこに乗車しているヤツがいるではないか。
いや、助手席に座っているのではない。
助手席の窓の外側にへばりついているのだ。
嫁さんの会社まではずっと幹線なので
途中、ヤツが乗車出来る場所はなかった。
ということは、ヤツは家から乗ってきたのだろう。
しかし、よく60キロくらい出ている車から
振り落とされなかったものだ。先っぽが
ぷくっと膨れたあのユーモラスな足の指には
相当な吸引力があるものと思われる。
「よく頑張った」だ。とはいうものの
今日の風は身に応えただろうな。
カベチョロくん。

『しろげしんた』という、ふざけた
ハンドルネームを使い出してから
もうすぐ丸十年になる。いまだに
人前で名乗るのは気恥ずかしいが
十年近く使っていると愛着も湧いてくる。
よく「しろげさん」と呼ばれて、自然に
「はい」と返事をしている夢を見るが
夢の中では『しろげしんた』は
もう自分になっている。

何で『しろげしんた』なのかというと
『白髪頭のしんた』だからである。
ホームページを始めた頃は
ただの『しんた』だけだったが
あまりにありふれているので
『しろげ』を付け足したのだ。つまり
「名は体を表す」ということわざを
地で行くことにしたわけだ。ぼくの場合
同時に体が名を表してもいるわけだから
「これは都合がいいや」と思ったものだ。

漢字の『白毛』にしなかったのは
『しらげ』などと呼ばれるのが嫌だからだ。
よくいるでしょう、素直に読めばいいものを
無理矢理難しく読む人が。
よく本名でそれをやられるのです。
その体を表す名前を、ぼくは
何度か変えようとしたことがある。
理由は最初に言ったとおりで
人前で名乗るのが気恥ずかしいからだ。
だけど、いつも「しろげしんた」に戻ってしまう。
よくよく縁のある名前なんだろう。

寒い、寒い、寒い。いかん
鼻水まで出てきやがった。
昨日一日降り続いた雨が
季節を完全に秋にしてしまった。
深夜のコンビニ行きは鳥肌状態で
早朝のブログ更新は鼻水混じりだ。
考えたら九月も末なので、例年だと
甚平姿では寒いのが当たり前だ。
しかし、今年の夏のあの暑さからして
まさかこの時期に、ここまで気温が
下がるとは思わなかった。テレビでも
「九月は猛暑、十月は真夏日」と
まことしやかに言っていたわけだし
そういうことを聞いてしまうと
元来怠け者であるぼくたち夫婦は
都合よくそれを信じてしまう。
というわけで、この時期にあるべき
普通の衣服をまったく用意しなかった。
だから、完全に秋化した今朝も
ぼくは甚平姿なのだ。
寒い、寒い、寒い。いかん
鼻水まで出てきやがった。

ホークスが弱い頃は思い入れが強すぎて
あまり負けが続くとやけ酒を飲む。
そのために体調を壊すことも
しばしばだった。とにかく
ドームに行っては酒を飲み
プロ野球Nを見ては酒を飲み
スポーツ紙を買っては酒を飲み
グッズを買っては酒を飲み
万年Bクラスを卒業するまでの
長い長い年月、とにかくとにかく
ホークスを肴に酒を飲んでいた。
そんなホークスを肴に飲んだ日々も
7年前の優勝を最後に終わってしまう。
別に嫌いになったわけではない。
酒を飲む時間が取れなくなったのだ。
その原因がブログの更新なのだから
シャレにならない。

しかし、昨日は飲みましたよ。
7年ぶりのホークス優勝を肴に
7年ぶりのうまい酒をね。

駐車場の白い線の上に
コーヒーの缶が置いてある。
誰が置いたのかは知らないが
ご丁寧に真っ直ぐに立てている。
思うに、缶を投げ捨てないあなたは
缶を投げ捨てない程のいい人なんだ。
そんなにいい人なんだから
そこを歩く猫がつまずかないためにも
もう一歩だけいい人になって
ゴミ捨てに捨ててきて下さいな。

学生の頃はいつも一人笑いしていた。
たとえそれが授業中であったとしても
何かおかしいと感じることがあると
いつも笑っていた、そのため先生から
「何がおかしいんだ。集中力が足りん」
と言われ、よく頭を叩かれていたものだ。
いったい何がおかしかったのかというと
ちょっとした人のしぐさだったり
癖のあるしゃべり方だったりで
とにかく他人からすれば何でもないことが
ぼくにはおかしく見えてしまうのだ。
逆に無理に笑わせようとする人には
反応しなかった。そんなものには
まったくおかしさを感じないのだ。
いや、ひねくれていたわけではない。
心の底からおかしくなかっただけだ。

高校時代、授業中にみんなを笑わせようとして
つまらないギャグを連発する先生がいた。
他の人は笑っていたが、ぼくにはそれが
おかしいと感じられず、笑わなかった。
するとその先生は「なぜ笑わんか」と
こちらに食ってかかってきた。
「せっかくこちらが面白いことを言って
授業の緊張を和らげてやろうとしているのに
何でおまえは反応せんのか」と言う。
『強要されて笑う笑いなんて
本当の笑いではないと思います。
本当におかしいと思った時だけ笑います』
と思わず言いそうになった。が
そんな馬鹿を相手をするのも面倒なので
ぼくは黙り込んでいたのだった。

大したことのない事件だと思っていたが、
いまだに記憶しているということは
無意識のうちにそのことを
引きずってきたのかもしれない。
考えてみれば、その教師の事件以来ずっと
素直に笑えなくなっているような気がする。

『自分をちょこっと変えてみる』という
この人生初となる人生計画を掲げ
ま、のんびりとそれに取り組んでいる。
いくつかの項目に分けて実行しているわけだが
その一つに『1,生活パターンを変える』という
これまた人生初の取り組み項目がある。
仕事もあり、家庭もあることだし
一挙に変えるわけにはいかない。だが
「出来るところから変えていこう!」
というのがこの計画の趣旨だから
出来るところから変えていっている。
とりあえず『a,早く寝る』ことを実行している。
ブログの更新時間が変わったのもそのせいだ。
もう一つに『e,尿酸値の改善』というのもある。
「放っておくと痛風になるぞ」
と、かつて痛風にかかったことのある知人が
痛々しく、痛々しく語っていたので
実行に踏み切ったわけである。
どう実行するのかというと
毎晩飲んでいたビールをやめて
酎ハイを飲むことにするのだ。
この変化は大きい。

ぼくがのんきに秋の花火を見ていた頃
ぼくの知らない所で、ぼくの人生の一部に
ぼくの知らない変化が起きていた。
二十年来の友人が命を落としたのだ。
かつて彼は名の知れたミュージシャンで
ぼくの憧れの存在であった。
二年近く顔を見てなかったのだが
その間、病気療養をしていたらしい。
悪い病気ではあったものの、すぐに死に到る
というようなものではなかったという。
それゆえに家族には突然の出来事だったようだ。
思うに、病気をしていたから病死
というような簡単なものではなく
実は闘病生活の中で起きた
過労死だったのではなかろうか。

そんなわけで、通夜に行ってきたのだが
さすがにミュージシャンの死だ。
そこには一見してそれとわかる人たちが
所狭しと座り、故人を偲んでいた。
年齢とは確実に不釣り合いな長髪
無意味な香水、どこか人と違う服装
そんな浮世離れした世界がそこにあった。
かつてぼくは、そういう世界に憧れ
そういう世界に出入りし
そういう世界で彼と出会ったのだった。
61歳だったという。
まだまだ早いぜ・・・

一昨日の夜、花火が上がっていた。
空に満開の夏の花火のような派手さはなく
テニスボール大の色のついた火の塊が
次々と垂直に上がっていくだけという
小規模で地味な花火だったが
色とりどりの塊が天に登って行く姿は
充分に目を楽しませてくれたのだった。
最初はどこかの祭りかと思った。しかし
この時期祭りなどやっている所はない。
その場所が競艇場方面だったので
ネットて確認してみると、案の定そうだ。
競艇場でナイターレースをやっている。
おそらくその花火はレースの合間の
ちょっとした余興のだったのだろう。
だけど、こういった花火もけっこういい。
何か得した気分に浸ることが出来るし
いいことがありそうな気さえしてくる。
何よりも、その一瞬だけでも心が
この浮き世から離れられるのがいい。

幾度か成功し、幾度も失敗し、今に到る。
幾度か夢を見て、幾度も諦めて、今に到る。
幾度か恋に落ち、幾度も実らず、今に到る。
幾度か楽天的になり、幾度も悲観的になり、今に到る。
幾度か人をそしり、幾度も人にそしられて、今に到る。
幾度か欲を否定して、幾度も欲におぼれて、今に到る。
幾度か嘘をつき、幾度も嘘をつかれ、今に到る。
幾度か霊を見て、幾度も霊にうなされ、今に到る。
幾度か試験を受け、幾度も落ちて、今に到る。
幾度か好意を真に受けて、幾度も人に裏切られ、今に到る。
幾度か選挙に行き、幾度も当選者に騙され、今に到る。
幾度かダイエットを試みて、幾度も油断でブーになり、今に到る。
幾度か胃けいれんになり、幾度ものたうち回り、今に到る。
幾度か歯痛になり、幾度も歯医者に通い、今に到る。
幾度か鼻毛を抜き、幾度も炎症を起こし、今に到る。
幾度か事故りそうになり、幾度も運良く助かり、今に到る。
幾度か自転車を買い、幾度も自転車を盗られ、今に到る。
幾度か買物をして、幾度も無駄だったと気づき、今に到る。
幾度か本を買い、幾度も読了せず、今に到る。
幾度か大酒を飲み、幾度も吐きまくり、今に到る。
幾度か幸せになり、幾度も不幸な目に遭い、今に到る。
幾度か不機嫌な奴に会い、幾度も不機嫌になり、今に到る。
幾度かズラの人と話し、幾度もズラと言いそうになり、今に到る。

今日という日が、この人生最後の階段だとしたら
きっと一生の記憶に残る一歩になることだろう。
たとえその日、口内炎に悩んでいたとしても
それがこの人生最後の一歩だとすれば
体に触れるすべては爽やかなものとなるだろう。
たとえその日、蚊の羽音がしていたとしても
それがこの人生最後の一歩だとすれば
羽音は深遠なる真理となるだろう。
たとえその日、薄汚れた野良猫を見たとしても
それがこの人生最後の一歩だとすれば
猫は輝いて見えるだろう。

酎ハイを飲むたびに口の中がしみて
爽やかさどころか酎ハイの味もしない。
一匹のヤブ蚊の羽音に安眠を妨げられては
深刻なる寝不足と神経質に陥り
薄汚れた野良猫にむず痒さを覚えては
そこに輝きを見出すことも出来ず
ああ、二日酔いと寝不足でイライラする
今日という一日は、最悪の一日であって
最後の一歩では決してないだろう。

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