吹く風ねっと

一生は未来の記憶を散りばめた一本の道。人生は未来の記憶をひろいながら歩く旅。

2010年06月

「早く決めろ、寝られんやんか」
と思いながらサッカーを見ていた。が
試合は最後の最後まで行ってしまった。
延長終了直後に嫁さんが寝床から
「どうなった?」と聞いてきたので
「あとは運任せだ」と答えておいた。
結局その運に見放されたんかな?
いや、そうではない。後年きっと
『今になって思えば、南アフリカの
ワールドカップが転機となって
今の強い日本が生まれたんだ。
つまりパラグアイ戦で負けたことは
実は日本の運の良さだったんだ』
と言われるようになるはずだ。
この国はまだまだ強くなる。

…そうそう、出世といえばこの間
昔の友だちに会ったんだけどね
そいつ何かにつけて
今の自分の地位だとか
年収だとかを自慢するんだよ。
最初は聞き流していたんだけど
最後には「お前もうちに来れば
よかったのに。そうしたらそんなに
頭が白くなってなかったと思うぞ」
なんて言い出してね。
それでぼくは言ってやったんだ。
「成功してよかったね。
だけどおれはその仕事を
しなくてよかったと思うよ」
「なんで?」とそいつが聞くので
「だっておれの仕事は
髪の毛が白くなるだけだけど
お前の仕事は髪の毛が
減っていくみたいだからね」
そいつ、それを聞いて
変な顔して笑っていたな…

19世紀生まれの人というのは
現在何人くらいいるのだろう。
19世紀とはいうものの
中頃に生まれた人は皆無に近く
残っているのは
19世紀もいよいよ終わりに近づいた頃に
生まれた人だと思う。人はけっこう
自分の育った時代を中心に考えるから
平成に青春を過ごした現在の若者が
「あなたは昭和の人ですね」
と言われてもピンと来ないように
19世紀生まれの人も
「あなたは19世紀に生まれていますね」
などと言われてもピンとこないだろう。

ところで、たとえ足かけであっても
3世紀生きているというのはすごいことだ。
ぼくなんか20世紀中期生まれの人間だから
仮にこの先医学の驚異的な進歩があって
人間の寿命が延びたとしても、
仮に脳内で足かけ3世紀生きている自分を
強烈にイメージ出来たとしても、
足かけ2世紀人間で終わることだろう。
今はまだ人間が150年生きるための
地球の環境が整ってないからだ。
つまりは、まだまだ地軸の傾きが
修正されないということだ。

繋がりぱなしの風に吹かれて
幾時間もバスを待つ
立ちっぱなしの雨に打たれて
飽きもせずにバスを待つ
バス待つ時間を重ねては
はみだす小さなうなじから
少しずつ焦りが広がって
そのうち焦りは諦めになる
繋がりぱなしの風に吹かれて
そこまで来てはいるはずだけど
立ちっぱなしの雨に打たれて
バスの姿はまだ見えぬ

サッカーにはあまり興味がない。
だからワールドカップと言われても
あまりピンとこない。
にわかファンにもならない。
だから日本が勝っても
あまり気持ちは沸き上がらない。
スポーツニュースなどで
淡々と結果を見ているだけだ。

朝、五時過ぎにトイレに起きた。
用を足して寝室に戻ろうとした時
ふと「あ、そういえば今日は
サッカーやっていたんだった」
と思い出した。五時を過ぎているし
もう終わっているだろうと思いながら
テレビをつけてみると、なんだ
まだやっているじゃないか。
あと十分ほど時間を残している。
「得点は?」と見てみると2-1だ。
勝っている。このままいけば
いや、仮に追いつかれだとしても
逆転されることはない。ということは
決勝トーナメント進出だ。「もう寝よ」
と思っているともう1点入った。
結局最後まで見た。
試合終了のホイッスルが鳴った時は
少し気持ちが沸き上がり
小さくガッツポーズなんかしていた。

しかし、そこは俄なにわかファンだ
インタビューを聞くこともなく
リプレイを見ることもなく
つまりは余韻に浸ることもなく
再び布団に潜り込み
すぐに眠りについたのだった。

ぼくはいつも
おいしいチャンポンを探している。
知人から「どこどこがおいしいかったぞ」
と聞けば、必ずそこに行ってみる。
ぼくの知人はグルメな人が多いので
そういう情報はほとんどハズレたことがない。
しかし、ぼくが情報を仕入れるのは
何もグルメな知人からだけではない。
とにかくチャンポンに関しては貪欲だから
食に関してのセンスを持ち合わせていない
嫁さんが仕入れてくるようなテキトーな情報でも
とりあえずは調べてみる。そして
まあまあ以上の評判ならば足を運んでみる。

ということで昨日
食に関してのセンスを持ち合わせていない
嫁さんの情報を元にチャンポンを食べに行った。
もちろんテキトーな情報だから
下調べはちゃんとやった。やはり
嫁さんの持ってくる情報はテキトーで
その店の名前が見当たらないのだ。そこで
嫁さんの言うテキトーな場所に
似たような名前の店はないかと探してみると
はいはいありましたよ。ちゃんとそこには
チャンポンのお店と書いてある。
もちろん店の名前は違っていたが。

さて、味のほうだが
これが実にうまかった。ぼくの記憶の中の
嫁さん情報では最大のヒットである。
いつぞや「この店の肉飯は最高!」などと
聞かされて肉飯を食べさせられた時には
「こいつ味覚はあるんかいな」
と思ったほどだったが
今回のチャンポンの味で
それが帳消しになった。

猫は本能で生きている動物だから
自分の行動に理屈をつけることをしない。
行動に理屈をつけることをしないから
のんびりと人生を考えることもない。
人生を考えることがないということは
裏返せばそんな暇はないということになる。

つまり猫はその時その時の行動に
人生のすべてを賭けているわけで
だから今日はこのくらいにしておこう
などと言って手抜きをすることもなければ
やろうかな、どうしようかな
などという優柔不断な行動をとることもない。

猫はすべてに真剣勝負なわけだから
「猫は本能で生きている動物だから
自分の行動に理屈をつけることをしない…」
などと勝手に猫の人生を考えているような
暇な人間を相手にする暇を
持ち合わせてはいない。

SとUという有名な衣料品店が
家からわりと近い場所にある。
Sは南に歩いて20分
Uは北に歩いて20分だ。
ま、どちらも片道の所要時間だから
一度に二店行こうとすると
計80分かってしまう。だからいつもは
そのどちらか一方にしか行かない。

さて今年の春、夏服を出す時に
そのどれもが傷んでいるのに気づき
休みの日散歩がてら、どちらかの店に
買いに行こうと思っていた。
ところが休みの日になると
「休みの日なのに何でわざわざ
散歩しなければならないんだ」
という気が起きてしまう。

ということで夏服の件はずっと
宙に浮いたままになっていた。
ところが今日になって最後のTシャツが
いよいよダメになってしまい
とうとう着る半袖がなくなった。
そこでようやく重い腰を上げた。
長袖だから歩くと暑いと理由付けし
結局は車で二店とも回った。

いわゆる大人買いというヤツで
Sで気に入ったTシャツを
色違いで何枚か買い
Uで気に入ったポロシャツを
色違いで何枚か買った。
結局どちらの店にも同じ金額を払った。
これで数年夏服に悩むことはないし
これで当分散歩を気に病むこともない。

飲みました
騒ぎました
飲み過ぎました
騒ぎすぎました
遅くなりました
朝になりました
家に帰りました
腹減りました
パン食いました
バナナ食いました
寝ました
起きました
また寝ました
また起きました
またまた寝ました
またまた起きました
今、起きました
もう昼です
でも寝足りない
まだ眠いです
まだまだ眠いです
それにちょっと
きついかもです。
はい

そこが何屋さんなのかは忘れたが
湯布院の駅前にある小さな商店に
大きな樽が置いてあった。
何なんだろうと覗いてみると
その中に一匹のアマガエルがいた。
やけに小さな体だったが、見事な緑色で
ヤモリみたいにぷっくらふくれた指先が
やけにかわいかったのを覚えている。
さて、彼がなぜその樽の中にいたのかは
知らないが、その動きを見ていると
懸命にそこから抜け出そうとしている
―そんなふうに思えてきた。だんだん
手助けしてやりたい気持ちになってきて
手を伸ばそうとした時だった。ふと
店主が飼っているのかもしれん。
という思いがよぎった。いや
案外そこが住みかなのかもしれん。
という思いにもなった。そのうち
手助けすると罰が当たるのかもしれん
という気持ちになってきた。ところで
アマガエルの罰って何だろう
―などと馬鹿なことを思っているうちに
汽車の時間がきてしまった。
ぼくはアマガエルに別れを告げて
駅舎の中に入っていった。

夕方になるとどこからともなく
火薬の臭いがしてくる。
実際のところ何の臭いかわからない。
が、昔遊んだ2B弾だとか
ロケット花火の臭いによく似ている。
とはいえこの辺に
花火を作る工場はないし
火薬を扱うような現場もない。
近くに化学工場はあるものの
そこで作っているのは
各種のメディアと豆乳だ
(…ったと思う)。とにかく
火薬のことは聞いたこともない。

ということで火薬とは違うもの
ということになるのだろうが
それならいったい何の臭いだ。
火薬という危険物よりも
正体不明の臭いのほうが
却って気味悪く、怖いです。

このページのトップヘ