吹く風ねっと

一生は未来の記憶を散りばめた一本の道。人生は未来の記憶をひろいながら歩く旅。

2010年05月

運動すると腹が減る
痩せようとすると腹が減る
昼飯ケチると腹が減る
間食すると腹が減る
一口食べると腹が減る
二口食べると腹が減る
食事のあとも腹が減る
風呂に入ると腹が減る
トイレの中でも腹が減る
テレビを見ても腹が減る
昼寝すると腹が減る
早寝しても腹が減る
寝付かれないと腹が減る
夢の中でも腹が減る
運転中も腹が減る
信号待ちでも腹が減る
車庫入れする時腹が減る
括約筋で腹が減る
自律神経で腹が減る
末端神経腹が減る
年から年中腹が減る
一生かけて腹が減る。

いつの頃からかは知らないけれど
この世というものが現れてからずっと
生き物というものは、何度も何度も
何度も生まれ変わっているせいで
ほとんどのことが本能化されている。
恋愛なんかはその最たるもので
誰に教わったわけでもないのに
異性に心惹かれたりするのも
ものにしたいと思ったりするのも
本能であるがゆえだ。ところがこの
本能の定番中の定番ともいえる恋愛が
一番うまくいかないものなのだ。
実はその理由は簡単で、前世
自分が獲物としていたものに
心惹かれることが多いからだ。
前世獲物だったものにとって
相手は天敵で、そういうものとの
恋愛を望んではいない。
とはいえ生き物というものは
ラブストーリーを完成させるために
この世に送り込まれてきているわけだから
何度失敗しても、何度拒んでも
最終的に獲物を捕らえるように
結局は天敵に身をさらすように
恋愛は成就し
そしてラブストーリーは完成する。
これまた本能であるがゆえなのです。

駅前や公園で歌っている
兄ちゃんたちの
ギターや楽器をとりあげて
歌ってみたい衝動に
かられることがある。
特に曲にはこだわらないが
恋の歌なんかはうたわない。
出来たらぼくが若い頃
頭を殴りつけられたような
衝撃を受けた歌がいい。
力一杯歌っては通りを歩く
ふぬけた世間の頭を
殴りつけてやるんだ。

卒業アルバムを開くと、そこに
変なポーズをとっている自分いる。
撮影時、無愛想な顔をしていたぼくを見かねた
写真屋さんが無理矢理ポーズをつけたのだった。
そういういきさつもあり
今でも見たくない写真の一つになっている。

その写真を撮った学校を卒業して以来
一度も会っていない友だちが何人かいる。
その人たちはぼくのことを
おそらく忘れていると思う。
こちらも忘れかけているのだから
それは仕方のないことだ。

さて、そういう人たちがある日
卒業アルバムを開いてみた。
するとそこに変なポーズをとっている
ぼくの姿を見つけた。
彼はきっとこう思うに違いない
「ああ、こんな奴もいたなぁ」と。

ま、それでぼくのことを思い出してくれたとしたら
それはそれでいいことだ。
だが大概そうはならない。
その頃のことなんかけっこう
忘れているものだ。ということで彼の
ぼくに対する記憶はその写真から始まる。

その後何かの折りにぼくの名前が出たとする。
その人は学生時代のぼくを思い出すことはない。
「しんた? ・・・はいはい、あいつね」
この点、点、点の瞬時に、彼の頭の中では
ある日見た卒業アルバムが思い出され
ぼくの変なポーズが再生されるわけだ。
・・・イヤだな、そんなの。

一番辛いと思うのは
言葉が書けない時だ。
一番悲しいと思うのは
歌がうたえない時だ。
仕事がうまくいかないだとか
なかなかヤル気にならないだとか
それのどこが不幸だというんだ。
言葉を書けるだけでも
歌をうたえるだけでも
おれはまだ幸せじゃないか。
それは社会におけるスランプであって
決して人生におけるスランプではない。
本当に辛いと思うのは
言葉が書けない時なんだから。
本当に悲しいと思うのは
歌がうたえない時なんだから。
おれはまだまだ大丈夫なんだ。

邪気なく風を身に受けては
導かれるままに風を追う、
そんな人生を歩んでみたかった。
なぜか、自分に無理を課しては
きつい方、きつい方に人生を
追い込んできた気がしてならない。
だから、気がつけばため息を
ついているような疲れる日々を
歩んでしまっているのだろう。
ここで修正をかけないと
相も変わらず、きつい方に
人生を追い込んでは
相も変わらず、疲れる日々を
歩んでいくことになるだろう。
今からでも遅くない、
全身の力を抜き去って
ただただ無邪気に風を受け
導かれるままに風を追う、
そんな人生を歩んでいこう。

すでに半袖で生活している。
仕事でも遊びでもみなそうだ。
たまに冷たい風が吹いても
辛いとは思わない。冷たさが
妙に心地よく感じる。

だけど脚はダメだ。
この冬に三度、風邪をひいたが
それ以来太ももを冷やすことに
抵抗を感じている。というか
脚が寒気を抱えたままなのだ。

腕では心地よく感じる冷たさが
脚だと痛く感じる。
この違いはいったい何だろう。
同じ体じゃないか。
自分という括りじゃないか。

いったい自分という宇宙の中で
何が起きているというのだろう。

愛という名の貸借表には、
資本がとても大切なのです。
その大小によって愛の資産は
大きく変わってくるものなのです。
お金の話ではありません。
愛情の深さでもありません。
その人の心の豊かさが
愛という名の貸借表の
資本なのです。だから
見た目が悪くてもいいのです。
理想と違っていてもいいのです。
ただただ心を豊かに保っていれば
自ずと愛の資産が増えるから
どんな状況におかれても
夢を見ていけるものなのです。

卓球が出来なくてもいいじゃないか。
歌が下手でもいいじゃないか。
そういう縛りで彼を作っても
うまくいくとは思わない。
もし相手が腰を痛めて
卓球が出来なくなったとしたら
あなたは相手に興ざめするだろう。
もし相手の扁桃腺が腫れて
歌がうたえなくなったとしたら
あなたは相手を遠ざけるだろう。
なぜならあなたが探しているのは
あくまでも理想の人であって
運命の人ではないのだから。
そんな理想を探す暇があったら
今そこで気兼ねなく
喋っている人との関係を
深めていくことの方が
ずっと大切なのではないだろうか。
社会人として立派にやっているのだから
アニメが好きだっていいじゃないか。
別にオタクだっていいじゃないか。
彼こそ運命の人だと思いますよ、はい。

午後7時22分
今ぼくは風呂に入っている。
外はまだ明るくて
照明をつけなくても
とりあえず本が読める。
本当に日が長くなったものだ。

ところでつい今し方、外から
中学生の声が聞こえてきた。
何人かの声が固まっていたから
きっと部活の帰りなのだろう。
なるほどこの明るさなら
余裕で部活が出来るわけだ。

あっそうか。一学期の部活が
きつかった理由がここにきてわかった。
あの頃は「まだ終わらないのか」
と思いながら練習をやっていたが
実は外が明るいせいで
時間がわからなかったのだ。

疲れの元凶である三年生も
まだ引退してなかったし。
夏休みを過ぎると、なぜ
練習が楽になったのかも
これでわかった。なるほど
そういう理由だったのか。

仕事で博多に行ってきた。
特に急いで行くこともなかったので
いつもの好奇心とちょっとした冒険心から
今まで通ったことのない道を
利用してみようと思っていた。
ところが朝からえらく霧がかかっている。
その道は山越えルートなので
これでは都合が悪い。とはいうものの
普段のぼくなら強行しているところだ。
ところが今日はその気にならなかった。
実は霧のかかる山道で事故に遭うという
不吉な夢を、二日ほど前に見たのだ。
それがずっと心に引っかかっている。
というわけで、好奇心と冒険心を説得し
平地ルートの国道を利用することにした。

家を出たのは朝10時だったが
まだ霧は半分ほど残っていて
さほど遠くない景色が
ボヤッと霞んで見えている。
それは行きだけではなかった。
帰りも同じような状態だった。
平地でもこんな状態なのだから
山道は酷いことになっているだろう
もし山越えルートを通っていたら
夢が現実になっていたかもしれない。
不吉な夢は実は警告だったのだ。
山越えしなくてよかった。
神様仏様、不吉な夢を見させてくれて
さらに好奇心と冒険心を押さえてくれて
本当にありがとうございます。

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