吹く風ねっと

一生は未来の記憶を散りばめた一本の道。人生は未来の記憶をひろいながら歩く旅。

2010年01月

子どもの頃からぼくは
のほほんと育ってきた。
そのせいなのか、
いい意味でも悪い意味でも
切羽詰まらない性格になっている。
一つのことをやろうとした時に
何か真剣みが足りないのだ。
押しが弱いのだ。
例えば若い頃、
あるオリジナル曲のコンテストに
自信作を応募したことがあるのだが、
応募用紙の質問欄に
「どういう思いで作った曲ですか?」
と書いてあった。
切羽詰まらない性格のぼくは、
何も思い浮かぶことがなく、
「ただ何となく」と書いたのだった。
ぼくが審査員なら、
何となく書いた曲なんて聞きたくない。
こういう箇所には普通、
曲に対する熱い思いを書くものだ。
さらに切羽詰まった性格の人なら、
曲に対する思いだけではなく、
自分に対する思いも書くことだろう。
そして、そういう人の曲だけが
審査員の心に届くものだ。
当時のぼくもそういうことは知っていた。
知ってはいたが、そこに
切羽詰まらない性格が影響して、
結果押しが弱くなってしまったわけだ。
もちろん予選で失格した。

「何ボサーッとしとるか!」
「もっと真剣にやれ」
「面白半分に仕事をするな」
「会社は遊ぶ所ではないぞ」
「やる気がないなら帰ってしまえ」
何度こんなことを言われたことだろう。
だけどぼくは切羽詰まらない性格から、
ただヘラヘラ笑っていただけだった。

のど飴によるおならの生成が続いている。
おならがイヤならのど飴をやめればいいのだが、
のどの違和感が取れないからしょうがない。
のどに違和感があると、
せっかく治りかけた風邪が
ぶり返すのではないかと、
すごく心配なのだ。
今後はこの心配性というのを、
ぼくの風邪の症状の中に入れることにしよう。

今日は休みだったので、
誰はばかることなく、
存分におならが出来た。
別に数えていたわけではないのだが、
数分に一度の割で出ていたような気がする。
だが明日はまた仕事だ。
このペースでいくと、
また我慢しなければならない。
おならを我慢するというのは
とてつもなく辛いことだ。
そういう辛さを味わわないためには、
合間合間でガス抜きをしなければならない。
さて、どこでしようか…。

昨日買ったのど飴を
仕事中にずっとなめていた。
マスクをしているので、
飴をなめていても気づかれないのだ。
ふと昨年の今頃も風邪を引いていたことを思い出す。
風邪引いた時にマスクをするようになったのは
実はその時からなのだ。
それまでは風邪を引いてもマスクする習慣はなかった。
暑苦しいし、
引いてしまえばいっしょだ、
…という考えを持っていた。
ではなぜマスクをするようになったのか。
それはのど飴をなめることが出来るからだ。
ぼくは風邪を引くとのどを一番にやられる。
そのためのど飴は手放せない。
だけどこれまではマスクをしてなかったので、
誰にも気づかれないようになめていた。
会話の必要がある時は、
飴を素速く噛んで飲み込んだものだ。
だけどそれだとのど飴は効かない。
ゆっくりなめることで効果があるのだ。
そういう時にマスクの効用を知った。
おかげで一日中飴をなめていることができる。
なめていればのどは枯れない。
何よりも痛いのどにしみるのがいい。
ただ、いいことばかりではない。
一つだけ困ったことがある。
それはのど飴をなめすぎると、
腸の動きが活発になるということだ。
つまりおならが出るのだ。
今日もそれで悩んでいた。
しかし、人のいない所で、
「ブー」と一発かますのは、
本当に気持ちがいいものだ。

咳き込みが治らない。
のどの奥の繊毛の先で
細菌が暴れているのか、
のどから肺にかけてむず痒い。
その痒みを解消しようと、
ついつい力んで咳き込んでしまう。
おかげでなかなかのどが治らない。
のどが治らないと痰が絡む。
痰が絡むと痰を吐く。
痰を吐くとまたのどが痛む。
のどが痛むと細菌の奴が
繊毛の先で暴れ出す。
悪循環だ。
薬は効いているのか、いないのか。
ハッカを多量に含んだエアーを、
のどにシューッと吹きかけてもらいたい。
そうすればのどの奥がスーッとするだろう。
痒みもそれで吹っ飛ぶだろう。
気管も肺も爽やかになるだろう。
のど回りのすべてが痒くなくなるだろう。

ぼくが病院を利用するのは治りかけが多い。
すでにピークを過ぎているので、
医者のほうも診がいがないのか、
あまりうれしそうな顔をしない。
東京時代に胃けいれんで病院に頼った時もそうだった。
一週間のたうち回って、
「もういかん」と思い病院の門をくぐったのだが、
病院に行こうと決心した時から痛みが治まり、
病院に着いた時にはすっかり痛みは消えていた。
医者は「何しに来たんですか?」
という顔をしてぼくを見ていた。
今日もそうだった。
「悪寒はしませんか?」
「一昨日はしましたけど、今日はしません」
「頭痛はしますか?」
「一昨日まではしていましたけど、今日はありません」
「のどの痛みは?」
「一昨日がピークでしたけど、今日は大丈夫です」
「で、今日はどうありますか?」
「ちょっと咳き込みます」
「もうほとんど治っているということですね」
「そうなんですか」
「いちおう咳止めをあげておきます」
と医者は何となく面白くなさそうな顔をして言った。
病院に行く時には治っているなんて、
おそらくぼくは病院で死ぬことはないだろう。

こんなに明るい夜なんだから、
星が落ちているかもしれないよ。
家路に急ぐ足をちょっと止めて、
あたりを探してみようよ。

天上で輝いているわけじゃない。
だから月の明かりじゃない。
かといって街の灯りでもない。
きっと星が落ちているんだ。

もしそれが見つかれば、
温かい気持ちになれるかもしれない。
いい夢が見られるかもしれない。
大きな夢が叶うかもしれない。

ねえ、こんなに明るい夜なんだから、
星が落ちているかもしれないよ。
春はそこまで来ているんだし、
星を拾って帰ろうよ。

病気をした時は、
とかく変な夢を見るものだ。

場面は昔働いていたスーパーマーケット。
お客さんに呼び止められた。
「スルタはありますか?」
「えっ、スルタ…ですか?」
「そう、スルタ」
「スルタ…ねぇ」
「あんたはスルタも知らんとね」
「すいません。少々お待ち下さい」
ぼくは近くにいた年配のお客さんに
「スルタって知ってますか?」と尋ねた。
「ええ、知ってますよ」
「どんな物ですか?」
「どんな物って…、どう説明したらいいんかね」
これは困った。
そこでとった戦法がグーグルだ。
携帯電話を取りだして、
『スルタ』と打ち込もうとした。
ところが突然入力方法が変わって、
『スルタ』の『ス』にたどり着かない。
最初のお客さんはイライラしている。

と、いうところで目が覚めた。
布団を勢いよく飛び出ると、
ぼくは一目散にパソコンに向かった。
そして『スルタ』を検索してみた。
…そんな単語はなかった。

1,
三日前からのどが痛い。
一昨日は赤くなっていた。
昨日は微熱が出た。
そして今日は声が出ない。
さて明日はどうなるのだろう。
いちおう風邪と決めつけて、
ぼくにはよく効くパブロンを買い、
のどのためにトローチを買った。
滋養強壮に養命酒を飲み、
あとは治ると信じて寝ることにする。

2,
ドラッグストアに行ってパブロンを買おうとすると、
そこの店員が「風邪ですか?」と聞く。
風邪引いたから買うのに、
変なことを聞く人だと思いながら
「そうです」と答えた。
「風邪ならもっといい薬がありますよ」
人には向き不向きがあって、
ぼくの場合生まれてこの方、
病院でもらう薬より効いたのが
パブロンなのだ。

ある時風邪を引いて病院に行った。
注射を打っても一時的なものだったし
もらった薬も効かないし、
どうしようかと思った時に、
実家でパブロンを見つけ、
それを飲んでみた。
ところが、それが効いたようで、
あれだけ苦しんだ風邪が、
翌日にはケロッと治っていた。
以来ぼくはパブロンを飲んでいる。

「いや、これでいいです」
「よく効くカプセルなんかもありますよ」
しつこい。
「ぼくにはこれが効くんです」
店員はちょっと不機嫌な顔をした。
「ポイントカードはお持ちですか?」
「いいえ」
「お作りしましょうか。今日は5倍ポイントですよ」
しつこい、しつこい、しつこい。
「いりません」
お釣りを受け取ると、
ぼくはさっさと外に出た。
まさかドラッグストアで
ハンバーガーショップ的な
やりとりをするとは思わなかった。
おそらくぼくは、
このドラッグストアには二度と行かないだろう。

ほら、予感がするだろう。
ほら、聞こえてくるだろう。
王様たちはヤケになって、
なりふり構わず人を斬っていき、
あげくの果てに誰もついてこなくなるだろう。
肝の据わらない王様は家来を怒鳴りつけて、
自分の威厳だけを保とうとするだろう。
そうすることで王様の嘘は決定的になるだろう。
人々は手に石を持って、
終いにゃ家来も石を持って、
王様めがけて投げつけるだろう。
時に石は頭に当たり、
王様は軽く血を流すだろう。
すると王様はこれ幸いと病院に駆け込んで、
そのまま出てこなくなるだろう。
王様は重傷と発表して様子を見、
世論次第では重態という言葉にすり替えるだろう。
面会謝絶だろう。
今日も面会謝絶だろう。
いつ行っても面会謝絶だろう。
ほら、王様の笑い声が聞こえてくるだろう。
ほら、そういう予感がするだろう。

ここに載せている記事のほとんどを
ぼくはお風呂の中で書いている。
つまりお風呂日記というわけだ。
お風呂は一畳ほどの広さだから、
一畳日記と呼ぶことも出来る。
もしぼくが書くことを職業とする人間なら、
この一畳のお風呂が
仕事場ということになるわけだ。
ずいぶん狭い仕事場だが、
一人の人間が仕事をするスペースというのは、
実はこの程度にすぎない。
日本全国を走り回る運送業も
基本の職場は狭いトラックの中だし、
大きな商談に取り組む営業マンも、
お客とのやりとりは一畳もあれば充分だ。

ところで、
その日どんなことがあったとしても、
お風呂というのは、
すべてを精算してくれる。
その日が精算できれば、
その日を客観的に見ることが出来る。
客観的に見ることが出来るということは、
つまり一日から解放されたということだ。
ここに載せている記事は、
その上で書かれた一畳日記ということになるが、
今日は本当に解放されたんかな?
多少風邪気味ということもあり、
まだスッキリしていない。

昨夜、一晩中起きていてわかったのだが、
この時期は午前5時から6時にかけてが
一番寒い。
3時4時はストーブをとめた状態でも
寒さを感じることはなかった。
だが、5時6時はあまりの寒さに
痛みを感じたほどだ。
おそらくは毎朝悩まされている
車のフロントガラスの氷も、
きっとこの時間帯に貼り付くのだろう。
それが出勤時の9時になっても
溶けてないということは、
朝は気温が上がらないということだ。
理科が得意ではないので
よくわからないが、
氷が溶けてないということは
零度以下ということになるのだろうか。
もしそうだとしたら、うちの駐車場は
朝9時まで限定の寒冷地ということになる。
いくら朝は駐車場が
マンションの影になってしまい
まったく日が差さないとはいっても、
いちおうここは九州で、
しかも海抜零メートルに近い平地なのだ。
そこまで寒くはないと思うのだが。
朝早く出かけている小学生の半ズボン姿が
あまりに痛すぎるではないか。

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