吹く風ねっと

一生は未来の記憶を散りばめた一本の道。人生は未来の記憶をひろいながら歩く旅。

2009年12月

来年の一月は
湯布院あたりで体を癒したい。
来年の二月までに
今の仕事を終わらせたい。
来年の三月には
新しい事業を起ち上げたい。
来年の四月までに
事業を軌道に乗せたい。
来年の五月までに
新しい車を買いたい。
来年の六月までに
腹回りを何とかしたい。
来年の七月は
各地の夏祭りを満喫したい。
来年の八月には
ちょっと長めの夏休みをとりたい。
来年の九月までに
走れる体を作りたい。
来年の十月には
秋の信州を旅したい。
来年の十一月には
年収倍増を確信したい。
来年の十二月には
千秋真一指揮の第九が聞きたい。

数ヶ月前から、
ぼくは9時52分に会社に着くようになった。
平均するとだいたいその時間になるというのではなく、
必ずその時間に着くのだ。
そうなったのは、
9時52分に車を降りる自分を
通勤前にイメージしだしてからだ。
時間をイメージすることがなかった頃は
ちょっとした渋滞や流れの悪さに
「間に合わん」と焦ってしまい
つい回り道などをしたりすることもあったが、
結局それが遅刻に繋がる原因になった。

しかし、
9時52分に会社に着くんだと決めてからは
結果だけ見据えているから、
経過が気にならなくなった。
だから自ずと焦ることがなくなった。
仮に渋滞に遭ったとしても、
信号待ちの間が悪かったとしても、
9時52分に着くための必然なのだと考えるようになった。
とにかく朝という大切な時間に
焦りを持つことがなくなってから、
余裕を持って仕事に取り組めるようになった。
おかげですべてがプラスになっている。

最近は、
人生だってある意味通勤みたいなものだから
この法則が通用するのだと思うようになった。
つまりきっとこうなるとイメージできたら、
あとは何があろうが一直線だということだ。
おそらくはその間に焦ることもないだろう。
ということは余裕を持って事に当たることができる。
ぼくはあることの結果が出る時期を来年に定めている。
今年も色々あったが、
焦りもなくその事に当たることが出来たのは、
きっとそこにたどり着くまでの必然だったからだろう。
さあ、気分良くゴールするぞ。

数日前から何か変だ。
心に何かが引っかっている。
それが何であるかがわからない。
別段大したことでもないのだが、
これだけは忘れてはならない、
という意識だけはある。
それでイライラしている。
さて何だろう?

昼間のこと、
ラジオを聴いていると、
結婚記念日のことを言っていた。
ふーん、結婚記念日か…。
あっそうだ、結婚記念日だ!
『冬休み映画まつり』だなんて、
いったい何を考えていたのだろう。
あの日はぼくたち夫婦の
結婚記念日だったんじゃないか。
しかも忘れていたのはぼくだけじゃなく、
よりによって嫁さんもだった。
女性というのはこういうことを
執念深く憶えているものだけど、
なぜかうちの嫁さんは違う。
実際昨年まで結婚記念日を
間違えて憶えていたし…。

さて、忘れていたのは置いといて、
誕生日には相手を祝って、
『おめでとう』という言葉をかけるが、
結婚記念日の場合、
どういう言葉をかけるのが妥当なのか。
第三者なら『おめでとう』でいいだろうが、
当事者の場合はそれだとおかしい。
『ここまでよくついてきてくれた』か?
…嫌だな、こんな気障な言い方。
『よく頑張った』か?
…別に優勝したわけではないんだし。
ありふれてはいるが、
やはり『ありがとう』が妥当だろう。
その上で『これからもよろしく』だろうな。
よし、これでいこう。

-嫁さんへ
今まで本当にありがとう、
これからもよろしくお願いします。
あなたの幸せと健康以外に
何も望むものはないけれど、
貸した金だけは返して下さい。
 …2009年結婚記念日、婿より-

だんだん見えてきたでしょう。
甘い言葉に騙されて、
要らぬ負債を負わされて、
そこではクーリングオフなんて、
絶対出来やしないんだから。

のんびり寝てればよかった人も、
高いツケを払わされ、
そのうちお尻に火がついて、
気がつきゃ仕事にかり出され、
あげくに身を持ち崩す。

正直者に与していれば、
何とかなっていたものを、
稀代の詐欺師に与したばかりに、
反省ばかりさせられて、
骨の髄までしゃぶられる。

軽い言葉に乗せられて、
お灸を据えたはずなのに、
逆にお灸を据えられましたね。
わかっていたはずですよ、
ブーメランってことは。

今はほとんど乗らなくなったが、
昔はよく自転車を利用していた。
通勤時に渋滞している車を横目に
スイスイと走る自転車は心地よかった。
その頃の自転車は歩道を走るのが普通だったが、
道がすいている帰りには車道に出ることもあった。
もちろん車線に入るのではない。
路肩の白線の上を走るのだ。
少しゴワゴワしていたが、
実に走りやすかったのを覚えている。

さてその際、
ただ走るのも面白くないと思ったぼくは
白線からはみ出さないで走るという、
ちょっとしたゲームを楽しんでいた。
考えてみると、
そちらのほうが運転に集中が出来るから、
ただぼんやり走るよりも安全だったのだ。

その白線走りで気がついたことがある。
それは白線をはみ出さないように
すぐ前にある白線を意識して走ると、
運転がぶれてしまい、
白線からはみ出すということだ。
もちろん白線から出ないで走るという
ゲームをやっているわけだから、
その確認のためにどうしても白線を見てしまう。
でもそれではだめなのだ。

では、どうすれば白線からはみ出さずに
真っ直ぐ走ることができるかというと、
いちいち白線を気にして走るのではなく、
よそ見せずにずっと遠くを見ながら走ることだ。
そうすればぶれずに走ることが出来て、
白線からはみ出すことがない。

ちょっとしたことをいちいち気にしながら生きていると、
いつまで経っても目標にたどり着くことができないが、
自分の行き着く先だけを見据えて生きていると、
いつかは目標にたどり着くことができる。
それと同じことだ。

歯医者の扉を開けた時のニオイと
足の親指の爪のニオイと
ニョキニョキ出てくる脂肪のニオイと
鼻の穴の潜在的な酸っぱいニオイと
スーパーですれ違ったじじいのニオイと
いつも本屋に漂っている屁のニオイと
口を開くと臭ってくる歯クソのニオイと
水に濡れた吸い殻のドブのようなニオイと
小学生の頃の上履きのニオイと
若い頃の靴下のニオイと
ブーツの中の蒸れたニオイと
エレベーターに残っている生ゴミのニオイと
ラーメン屋に漂うきつい香水のニオイと
クシャミした後の唾のニオイと
ゲップした時の気だるいニオイと
前の日に食べたニンニクのニオイと
郷愁化してしまったドブ川のニオイと
アリを潰した時のニオイと
輪ゴムの燃えるニオイと
おへそのニオイを
あなたに贈ります。

冬休みになると各映画館で
マンガや怪獣ものの映画をやっていた。
終業式が近くなるとそれぞれの映画館の人が
その割引券を通学路で配っていた。
それをもらうと何か得した気分になって、
必ず見に行っていたものだ。
映画はいつも終業式の日に行くようにしていた。
そうすれば短い休みを有効に使うことができるからだ。

学校が終わってから行くので、
映画館から出るのはいつも夕方だった。
街はすでに街灯が照らし、
街のにおいはラーメンから焼き鳥に変わり、
人や車の流れが多くなり、
なぜかパチンコ屋のチンジャラ音が大きくなる。
映画館に入っている時間は三時間程度のものだったが、
その三時間程度が街の雰囲気をガラッと変えるのだ。
そのためにいつも違う街に来ているような
錯覚を起こしていた。
それがまた楽しくもあった。

その日はクリスマスイブでプレゼントがもらえ、
翌日はクリスマスで子供会のパーティがあり、
七日間寝るとお正月。
親戚詣ででお年玉がもらえる。
楽しいことが目白押しの冬休みは、
いつも映画館から始まった。

サンタクロースを信じていた頃は
「クリスマスの朝に目が覚めると、
お菓子やオモチャが所狭しと置いてある」
そう思っていつもワクワクしていた。
二十日頃からソワソワしだし、
イブの夜はなかなか寝付かれなかった。
それでも「寝ないとプレゼントを貰えない」
という母の言葉を信じて
無理矢理目をつむっていたものだ。
ところが意に反して
朝起きてみるとプレゼントは
たった一つしか置いていなかった。、
その落胆は大きかったが、
決して親を責めたりなんかはしなかった。
実はその原因を知っていたからだ。
原因-それは煙突だった。
当時ぼくの家にあった煙突は
お風呂用の狭いものだけだった。、
普段からその煙突を見るたびに
「こんな煙突しかないから
サンタのプレゼントが少ないんだ」
と思っていたものだ。
だから母から「クリスマスプレゼントは
何がほしい?」と聞かれるたびに、
ぼくはほしいものを答えた上で、
「その前に煙突を替えてほしい」
と頼んでいたものだ。

お風呂の煙突を替えたのは、
それからずっと後のことで
ぼくはもう高校を卒業していた。
もちろんすでにサンタは信じてなかし、
プレゼントも貰えなくなっていた。
だけどワクワク感だけは消えなかった。
クリスマスの新たな楽しみを見つけたからだ。
居酒屋でどんちゃん騒ぎすることである。
二十日頃からソワソワしだし、
イブイブにはなかなか寝付かれなかった。
それでも「寝ないと酒がうまくない」
という先輩の言葉を信じて、
無理矢理目をつむっていたものだ。
就職するまでの数年間、
それは続いた。

毎年この時期になると、
つきあいでケーキを買っている。
そのほとんどがパン屋系とか
コンビニ系のケーキだ。
「大手ものはまずい」
というイメージを持っていたため、
昨年まではチーズケーキを頼んでいたが、
「最近はデコレーションケーキも
そこそこの味になっている」
という噂を聞き、
今年はデコレーションケーキを頼んだ。
さて、どんな味になっているのだろう。
まあ専門店のものよりおいしいとは思わないが、
そこそこの味というのが楽しみだ。

そういえば今考えると、
小学生の頃に食べていたケーキは、
ひどいものだった。
当時はケーキの専門店も少なく、
お菓子屋さんのものが主だった。
派手な飾りで見た目は楽しかったが、
一切れ食べたら充分だった。
スポンジがパサパサして食べにくく、
クリームはバターに砂糖を絡めたような味だった。
「大手ものはまずい」というイメージも
おそらくその頃ついたのだろう。

1,
最近みかん&カルピスにハマっている。
ほとんど毎日コンビニで買っている。
これとリッツで最高の組み合わせになる。
この組み合わせ、
実は東京一人暮らし時代に一度やっている。
もちろんあの頃はみかん&カルピスなどなかったので、
サントリーのオレンジエードとリッツだった。
これが当時のぼくの中で最強の組み合わせだった。
銭湯帰りに買ってきては飲み食いしたもんだ。
その後100%果汁が中心になったのだが、
これがリッツと合わない。
以来オレンジジュースとリッツをやめていた。
ところが、みかん&カルピスの存在を知り、
試しにリッツとやってみると、
これが東京時代を彷彿とさせるではないか。
というわけで、今一番ハマっているのだ。

2,
さて、このみかん&カルピスだが、
容器に果汁1%と書いている。
500mlのやつを飲んでいるから、
この中に5mlの果汁が入っているわけだ。
ここで素朴な疑問が起こる。
たった5ml程度しか果汁が入ってないのに、
何でこのみかん味が出せるのだろう。
もしそれだけでこの味が出せるとしたら、
例えば水に5mlの果汁を入れると、
ちゃんとみかん味が出るということだ。
そこで200mlのコップに水を入れ、
その中にみかんの果汁を
数滴落として実験してみた。
だが味はもちろん、
みかんの香りすらしない。
ということはきっと酸味料とか香料で
ごまかしているのだろう。
だがチクロで鍛え上げているぼくらの世代は、
「成分なんか気にならない」という人が実に多い。
甘くおいしければそれでいいわけで、
ぼくもその一人なのだ。

見る角度が違っているのか、
タイミングのずれなのか、
今日のテーマがまだ決まらないでいる。
そういう時は何をやっても落ち着かない。
楽しみにしていた『JIN -仁-』の最終回も
落ち着いて見ることが出来なかった。
まだいろいろ迷っているのか。
…ん、待てよ。
ああそうか、そうだった、
そういう時の解決法というのがあるんだった。
迷っていることをテーマにすればいいんだ。
例えば書くことがなくて困っている時は、
書くことがなくて困っていると書けばいい。
そうすれば書くことがなくて困ることはない。
つまりそういう時は、
書くことがなくて困っていることをテーマにしろと
神様が教えてくれているのだ。
よし、だんだんわかってきたぞ。

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