吹く風ねっと

一生は未来の記憶を散りばめた一本の道。人生は未来の記憶をひろいながら歩く旅。

2009年10月

突然だった。
鮮烈だった。
目の前にいるのは、いつも
夢に出てくる憧れの人なのだ。
ぼくは目を疑った。
そんな馬鹿なと思った。
だけどこれは現実だった。
そうなるともうだめだ。
現実だと肯定することで、
ぼくは恋に落ちてしまい、
そこまでの恋は過去のものとなった。
その人はいつも白い風を追っていた。
そこに少女の魅力を感じた。
だけどそれは現実に即したものだった。
そこに大人の魅力を感じた。

高校に入学した日のことだった。
今だからわかるのだが、
ぼくの心の遍歴は、
つまり今の人生は、
そこから始まっていたんだ。
1973年春、同級生。

ゆめ通りに家を建てるなら
今すぐに建てたほうがいい。
ここはすぐに買い手がつくから
早く手を付けたほうがいい。
資金なんていらないんだから
ただ願うだけで叶うんだから
とにかく今想像できる
最高の家を建てたらいい。
悲しい女も、貧しい男も
疲れた犬も、病んだ猫も
誰もが思い思いに家を建て
笑顔の中で過ごしている。
そんな幸せ酸素の濃い街だから
誰にも遠慮することはない。
思いっきり大きな家を
気のすむままに建てたらいい。

ある日の学校帰りのことだった。
校門の前でぼくたちは、
同じクラスの女子数人としゃべっていた。
小春日和の穏やかな日で、
外の日差しが妙に心地よい。
その陽気に浮かれたのか女子の一人が、
なぜかピョンピョン飛び跳ねている。
少し天然が入ってはいるが、
なかなかかわいい顔をしている子だった。
何をやっているんだろうと
ぼくたちは目を向けた。
その時だった。
彼女が着地する一瞬を狙って
サッと風が吹いたのだ。
彼女のスカートは見事にめくり上がった。
着地した彼女は慌ててスカートを押さえたが、
すでに遅かった。
そこにいた男子全員の目に
白いものが映った後だった。
顔を真っ赤にした彼女は、
ぼくたちを見回して
「見えた?」と聞いた。
ぼくたちは無関心を装いながら
「いいや」と答えた。
彼女はホッとした様子を見せながら、
「ああよかった」と言った。
とはいえバツが悪かったのだろう、
そのままそそくさと帰って行った。
それを見届けてからぼくたちは、
脳裏に焼き付いている
あの白いものを消さないようにと、
その日は買い食いなどせずに
まっすぐ家に帰ったのだった。

家に帰ってから、いつも
まっ先にやっているることがある。
生の確認だ。
今、自分が
本当に生きているかどうかを
確かめるのだ。
鏡を見ながら、
とりあえず今日一日を振り返る。
事故に遭ったりしなかったか?
突然倒れたりしなかったか?
思い当たることがなければ大丈夫で、
ぼくは今生きているのだ。

以前読んだ本に、
自分が死んでいるのに気づかず、
霊になってさまよっている、
という話が書いてあったもんで、
それを読んで以来、
ちょっと気になってね。

せっかく好きなビールをやめて、
せっかく好きなうどんをやめて
昼飯をおにぎりと濃いお茶のみにして、
どうにかメタボ検診をパスしたというのに、
またしても腹が出てきた。
先日、数ヶ月履いていた夏ズボンから
間物のズボンに替えたのだが、
履いたとたんに目の前が真っ暗になった。
入らない…。
相変わらずビールは飲んでないし、
相変わらずうどんは食べてないし、
相変わらず昼飯はおにぎりと濃いお茶だ。
「いったい何で?」
と、いろいろ原因を探ってみた。
以前にはやってなかったことで
夏以降始めたことといえば、
そうだ、晩飯時の玉子かけご飯がある。
これが原因だったか…。
いや、別に玉子が悪いというわけではない。
おいしさのあまり、
二杯三杯と重ねて食べる自分が悪いのだ。
いくら健康食といっても、
体を害しているという意味では麻薬と一緒だ。
玉子かけご飯断ち、
もしかしたらノリピーが薬をやめるより
辛いかもしれん。

人の顔を描いて何が面白いのだろう。
画を描くことが好きな者にとっては、
この作業は楽しいことだ。
何でも自分探しに置き換えられる者にとっては、
この作業は有意義なことだ。
だけど画に楽しみを持てない者にとっては、
この作業は苦痛なことだ。

髪型がどうもしっくり来ない。
右の目が小さくて気に入らない。
二重のまぶたが気持ち悪い。
眉毛がなぜか笑ってしまう。
鼻がどうも整わない。
鼻の下の筋が鼻水みたいに見える。
開いた口から覗く歯が不安定だ。

パーツを描けば描くほど気になって、
しかも手先が不器用だから
なかなか全体像にたどり着かない。
そうこうしているうちに
時間切れになって提出できない。
そういうことが積み重なって、
通知表が1だったこともある。

だいたい何がうれしくて他人の顔の
あら探しなんかやらなければならないのだ。
あまりの下手さに相手から、
「おれ、そんな顔してないやろ」と
文句を言われたこともある。
ついつい面白おかしく描いてしまい、
あげくにケンカになったこともある。

そもそも絵の具のにおいが苦手だし、
パレットを洗うのが面倒だし、
いつも服に絵の具がつくし、
なぜか爪の中が汚れているし、
先生は妙にオカマっぽいし…。
何でこんな授業があるのだろう。
大っ嫌いだ、人物画なんて。

「グッドモーニング、ボーイズ・アンド・ガールズ…」

-何だ何だ、この英語は。棒読みじゃないか。
-洋画で聞いた流れるような英語とは違う
-これじゃ外国人と会話が出来ん。
-ついでにこのおばさんの顔も嫌いだ。

初めての英語の授業、
ぼくは教師の口から発せられた、
この棒読み的な英語を聞いて、
正直幻滅した。
そこから長い年月の苦闘が始まる。

夜明け方に目が覚める時は
決まって腹が減っている。
だけどその時間に目が覚めたといって
何か食べ物があるわけではない。
だから水やお茶で腹をごまかしている。
とはいえ、いつまでも
ごまかしきれるもんじゃない。
そんな時はまた寝ることにしている。
嫁さんのイビキを聞いて、
腹ぺこを忘れてしまうのだ。
けっこう効果がある。
ただ、イライラはするが…。

「馬鹿笑いはやめなさい」
幼い頃から何十回何百回と言われてきた言葉だ。
最初は馬鹿笑いの意味がわからなかったが、
年を重ねていくうちにその意味もわかってきた。
「何で馬鹿笑いがいけないんだ?」という
素朴な疑問は持っていたんだけど、
とにかく親だとか先生だとか、
目上の人がまことしやかに言うもんで、
てっきり悪いことだと思い込み、
そのうちぼくは馬鹿笑いどころか
笑いもしない人間になった。
人間笑わなくなると、
人生などという余計なことを考えてしまう。
あげくにぼくは暗い人扱いだ。

最近ようやくわかったんだ。
「馬鹿笑いはやめなさい」というのは、
実は目上の人の都合だったんだ。
人間はどんな時でも笑いを絶やしてはならない。
必死に笑って腹筋を鍛え、
必死に笑って内蔵を鍛え、
必死に笑って煩悩を吹き飛ばすんだ。
再びぼくは馬鹿笑いする人間になった。
もうごまかされない。

あとふた月寝るとクリスマスになり、
すぐに正月がやってくる。
そのことを考えると憂鬱になる。
とにかく年末年始というのは
忙しい、休めない、報われない、
という疲れの三拍子が
そろってやってくる時期なのだ。
学生の頃まで年末年始というのは、
クリスマスや正月などもあって、
夏休み並の楽しい時期だった。
社会に出てからなんだな、
その時期が憂鬱になったのは。

だいたい年末商戦などという言葉面のよさに
踊らされたのが間違いのもとだった。
第一、商戦とはなんだ、商戦とは。
そのまっただ中にいる人間は、
まるで戦争にかり出された
兵士みたいじゃないか。
仕事は戦いじゃなく、
生活であり、人生なのだ。
兵士であるということは、
その生活も、人生も、
犠牲にすることになるじゃないか。

とはいうものの、いつまでも
こんな考えじゃだめなんだな。
仕事をしていくかぎりは
年末年始の状況は変わらないわけだから、
こちらがとらえ方を変えるしか方法はない。
再び「年末年始は楽しいな」
と自然に思えるようになるまで、
憂鬱だとか悩みだとかは
とりあえず神様仏様に任せておいて、
楽しさの探究をしていこう。

青い草のにおいのする詩を
書きたいのであります。
青い草のにおいのする言葉を
伝えたいのであります。
内容はともかくとして、
幼い頃に遊んだあの
野原のにおいがうまく伝われば
ぼくの中では大成功なのであります。
いつも書いている、政治がどうだとか
生活がどうだとかなどはあくまでも
表面の表現でありまして、
そこには何も意味はないのであります。
ぼくとしてはその中に潜んでいる
青い草のにおいをくみ取ってもらえれば
それでもう大満足なのであります。

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