吹く風ねっと

一生は未来の記憶を散りばめた一本の道。人生は未来の記憶をひろいながら歩く旅。

2009年09月

ここはマンションの六階なのに
草むらにいる虫たちの
ギィギィギィというだるい声が
窓のすぐそばで聞こえている。
窓の外はストンと真下に国道があり、
毎日毎日バスにパトカー救急車、
三日に一度は消防車、
夜中になると暴走車。
その道沿いの草むらにいる
秋の虫の声なんて、
とても聞こえる状況ではない。
なのに虫の声がする。
ギィギィギィと声がする。

こうやって毎日ここに文章を書いている。
最初は大雑把な文章を書いていたのだが、
いつしか細かな言葉を追うようになった。
つまりナンバープレイスの数字を探すように、
神経を尖らせて言葉を探しているわけだ。
そのことに気づいてからぼくは、
ここに文章を書くこの場を、
ナンバープレイスに引っかけて、
ワードプレイスと呼んでいる。
このワードプレイスは、
一列一行九マスにひとつの数字しか入れられない
ナンバープレイスと違って、
同じ言葉を何度使ってもかまわないのだから、
ナンバープレイスよりはずっと楽なはずだ。
ところがなかなか理屈通りにはいかない。
一列一行九マスの縛りがないということは、
決まった答がないということで、
これが実に難しい。
ぼくはこのワードプレイスというパズルの、
答なき答を求めるために、
日夜頭を悩ませている。

先日、関連会社の女の子が、
「来週から富山に行かなければならないんですよ」と言っていた。
「富山…、仕事で?」
「そうなんです。何回か行ってるけど、あそこ遠いんですよ」
「北陸やけね」
「ええ」
「富山といえば、今でも薬売りとかおるんかねぇ?」
「えっ、何ですか、それ」
「富山の薬売り知らんと?」
「ええ」
その子はまだ20代前半だが、いちおう短大も出ているので、単なる世間知らずと思っていた。
ところが、後でその世代の人間に聞いてみると、みな口裏を合わせたように「知らない」と言うではないか。

そういえばこの間、酒井法子が保釈された時に21歳の男子社員が、「ぼくは今回の事件で、初めて酒井法子を知ったんです」と言っていた。
彼は『ひとつ屋根の下』も『星の金貨』も知らないらしい。
まあ、芸能人を知らないというのは、世代や好みというのも関係するわけだから、知らなくても別にかまわない。
だが、富山の薬は地理や歴史で勉強した、つまり常識とか知識の範疇だろう。

このままでいくと八幡製鉄所なんかも、「何ですか、それ」なんて言われるようになるだろう。
せめて郷土の歴史ぐらいは知っておいてほしいものだ。

寝ようかどうしようか、
微妙なタイミングでこれを書いている。
いちおう布団の上にいて、
今うつぶせになっている。
枕元のパソコンの横にはなぜか、
『20世紀少年』が置いてある。
そういえばこの姿勢、
けっこう以前からやっていて、
古くは三十数年前、
歌詞なんか書いていた頃だ。
あの頃も今と同じように、
いつ眠ってもいいように、
このポーズを取っていたんだ。
そうそう、
大学ノートの横にはなぜか、
『マカロニほうれん荘』が置いてあった。
そうなんです。
昔と何ら変わらない、
進歩のない男なんでございます。

お年寄りとすれ違った時、
ツンと鼻につくものがあった。
「ああ、これが加齢臭か」
そう思いながら、
ぼくは自分を嗅いでいた。

ある人と打ち合わせをしていた時、
思わず顔を背けたことがある。
「ああ、ひどい口臭だ」
そう思いながら、
ぼくは自分を嗅いでいた。

他人の臭いが気になるたびに、
自分の臭いが気にかかる。
おそらくおならの臭い以外、
自分の臭いには気づかないもので、
だから他人を基準にしてしまう。

街でブーツの女性を見た時に、
思わず一人でほくそ笑んだ。
「あいつはきっと足が臭い」
帰ってそのことを思いだし、
ぼくは自分を嗅いでいた。

「ぼくはウツなんですよ」と
自慢げに言う男がいる。
薬を飲んで治療しているらしい。
おそらく精神安定剤の類だろう。
かつて精神安定剤に頼りすぎて、
精神が不安定になった女を
ぼくは知っている。
突然家の中で花火を始めたり、
突然警察に自殺予告をしたり、
とにかく薬を飲むと、
わけがわからなるのだ。
生活の歪みが積もり積もって
かかってしまった心の病を
歪みを元に戻すことをせず、
安易に薬なんかで治そうとするからだ。

「わけのわからない薬なんか頼らずに、
たとえば般若心経のような
わけのわからない言葉を
ただひたすら唱えたほうが
はるかに効果的だ」と
ぼくは彼に助言した。
ぼく自身そうすることで、
救われたことがあるからだ。
それで集中力が養えたらしめたもので、
心がウロウロしなくなる。
心がウロウロしなくなれば、
ふさぐこともなくなるはずだ。
とにかく薬に頼るのだけは、
やめたほうがいい。

たとえそれが人民の反日に火を付け、
敵愾心を植え付けるために企てた
上層部の巧みな戦略だったとしても、
一般人民はそうは捉えない。
日本人は野蛮な民族だと信じ込み、
日本人は怖い民族だと信じ込み、
日本人は人殺し民族だと信じ込み、
いつしか日本人は彼らの中で、
自分たちの力ではどうすることもできない
妖怪や魔神へと化していく。
だからこの手の物語は、
どんどんやってもらったほうがいいんだよ。
そのうち彼らは日本人を見ただけで、
蛇に睨まれた蛙のように身がすくんで、
手も足も出なくなってしまうんだろうから。

突然果物の腐ったような臭いがした。
墓参りに行く車の中でのことだ。
てっきり母が腐りかけの果物を
持ってきているとばかり思っていた。
ところがお供物を見てみると、
酒とビールとジュースとおはぎで、
果物なんてどこにもない。

墓参りから帰る時も引き続き
車の中はその臭いがしている。
果物でないとすると何の臭いだ?
やはり臭いは母の座っている辺りからする。
そのへんをくまなく調べてみると、
足下に土くれや枯れた草が落ちている。
これかと思い嗅いでみると、
これだった。

濃いタンパク質の臭いがする。
犬か何かのウンチだろう。
母がどこかで踏んで、
気づかずに車に乗ってきたのだ。
果物の腐った臭いがしたのは、
車内熱で発酵でもしていたのだろう。

それが何かがわかってしまうと
俄然臭くなるものだ。
おまけにみんなの服には、
線香の臭いも染みこんでいる。
ウンチと線香が織りなす、
微妙な香りのハーモニー。
雨がそぼ降る彼岸の夕べ、
ぼくは窓全開で車を走らせた。

職場に遠距離恋愛をしている女の子がいて、
口を開くたびに言っている。
「遠距離恋愛はすれ違いが多くて大変です」と。
聞くと彼氏はアメリカにいるらしく、
時差がそのすれ違いを作っているということだ。
ぼくは時々そのことについて
相談に乗ってやることもあるのだが、
遠距離恋愛なんてしたことがないので
わからない部分が多い。
しかも複雑な女心の相談なんて無理がある。

ところで、実際のところはどうなのだろう。
『よろしく哀愁』のように、
あえない時間で愛は育つものなのだろうか?
それとも『木綿のハンカチーフ』のように、
徐々に心が離れていくものなのだろうか?
仮に『よろしく』のように愛が育ったとしても、
相手に何年も待たされたりすると、
愛が育ちすぎて卒業ってことになりかねない。
しかも、これだと時間まで絡んでくるから、
涙ふくハンカチ程度では、
気持ちの整理はつかないだろう。
それならいっそ『木綿』のように、
遠距離になって半年くらいから
徐々に気持ちが離れていってくれたほうが、
ハンカチ一枚ですむわけだから、
いいのではないか。

よし、今度相談を受けた時、
『木綿のハンカチーフ』でも教えてやるか。

会社の帰りにスーパーに寄ったら、
見ず知らずの人から、
「納豆はどこですか?」と聞かれた。
「ここの人間ではないですよ」と言うと、
「あっすいません」と言って向こうに行った。
こういうことはよくあることで、
大型の電気専門店で、
アクオスの説明を求められたり、
書店のコミックコーナーで、
宗教書のありかを尋ねられたり、
銀行のATM前で、
機械が壊れていると文句を言われたり、
初めて行ったスナックで、
マスターと呼ばれたり、
通りがかりの葬儀屋の前で、
葬儀の時間を聞かれたりする。
これはきっと、
ぼくの風貌がカメレオンのごとく、
その場に溶け込んでしまうせいだろう。
だが、お役所、税務署、学校などでは、
その能力は発揮されないようで、
一度も声をかけられたことはない。
それはきっと、
そこが自分の興味のない場所だからなのだろう。
しかし、その解釈でいけば、
ぼくは葬儀に興味を持っている、
ということになるわけか。
案外心のどこかにそういうものへの
憧れがあるのかも知れないな。
ちょっと複雑な気分だ。

その会社の採用基準は
強力な縁故の有無と、
溢れるばかりのセクシーさだ。
学歴や実力は参考程度で、
仮にそれゆえに内定していても、
最終的には取り消される。
だからこそその会社は、
狭き門と呼ばれるんだ。
裏金遣っても同じこと。
何度受けても同じこと。
富や自信を失うだけで、
おまえには何の得もない。
だからその会社はやめておけ。
悪いこと言わんからやめておけ。
その会社の採用基準は、
強力な縁故の有無と、
溢れるばかりのセクシーさなんだから…。

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