吹く風ねっと

一生は未来の記憶を散りばめた一本の道。人生は未来の記憶をひろいながら歩く旅。

2009年06月

生きていることの意味なんか考えている。
おそらくそんなことを考えるのは人間だけで、
他の生物はそんなことを考えることはないだろう。
なぜなら他の生物は人間のように暇じゃなく、
生きることに精一杯だからだ。
たとえばさっきからぼくの周りをしつこく飛んでいるハエが、
「おれは何のために生きているんだ?」
などと考えながら飛んでいたら、
いとも簡単に叩き殺されてしまうだろう。
つまりハエは生きることに一生懸命で、
「おれは何のために生きているんだ?」
なんて暇なことを考えて生きていないから、
今のように子孫繁栄しているわけだ。

子孫繁栄…、
ああそうか、子孫繁栄か。
われわれはそのために生まれてきたんだ。
つまり生きている意味というのもそこにあるわけだ。
種の保存、結局はそこに行き着くんだな。
ということはだ、
われわれ生物というのは、
ラブストーリーを完成させるために生きている、
ということになるわけか。
おお、まさにドラマだ。

たとえば深夜、
街が寝静まっている時に、
一匹の猫の子が鳴いたとしましょう。
これが妙に響くんです。
昼間、喧噪の中で重大な事件があったとしても、
人にはその声の方が、
一日の印象として残るものなんです。

仕事でも同じことでしてね。
会議が行き詰まって誰も発言が出なくなった時に、
意見を吐く人がいたとしましょう。
そういう意見はだいたいがくだらん意見だったり、
すでに誰かが発言した意見だったりするわけですが、
人々の印象にはその人の意見が残るんです。
いや、その人が残るんです。
結局そういう人が勝ち組なっていくんですね。

出世なんて簡単なことなんですよ。
組織は目立って何ぼのもんだから、
馬鹿でも印象に残ればいいだけなんです。
それを評価する上司の人だって、
目立って何ぼでやってきた人だから、
「おっ、おれの若い頃に似ている」
なんていうことになって、
結局は好結果となるわけなんです。

夜中になると、
いつも家の前の公園から、
二、三人の子どもたちの遊ぶ
甲高い声がする。
最初は子どもだなんて思わずに、
女子中学生がたむろして、
騒いでいるのかと思っていた。
ところがそれはどうも違う。
「あははは-、きゃっきゃっ」
中学生にしては声が若いし、
思春期特有の臭みがない。
時折「オレ」などという
男の子の言葉遣いも混じっている。
ということは声の持ち主は、
おそらくは幼稚園児か、
小学校低学年の声だ。
そんな幼児が、そんな夜中に、
いったい何をやっているのだ。
いったい親は何をしているのだ。
しかし待てよ、
問題はそこにあるのではない。
ここに引っ越してきて十数年経つけれど、
「あははは-、きゃっきゃっ」その声は、
引っ越してきた当初から聞こえていて、
その後もずっと聞こえていて、
なぜか同じ子どもの声なのだ。
果たして十数年前の幼児が、
十数年後も幼児であることが、
いったいありうることなのか。
はっきり言うとその子どもたちは、
この世の人なのか…、
ということになる。
問題はそこなのだ。

一番目の夏が来て人は、
来年からネクタイをしなければならないというルールを作った。
二番目の夏が来て人は、
ネクタイをすることになった。
三番目の夏が来て人は、
ネクタイをすると体感温度が上がることがわかった。
四番目の夏が来て人は、
体感温度と地球温暖化の因果関係がわかった。
五番目の夏が来て人は、
「もうネクタイをやめよう」と言いだした。
六番目の夏が来て人は、
ネクタイを外そうとしたが出来なかった。
七番目の夏が来て人は、
なぜネクタイが外せないのかを考えた。
八番目の夏が来て人は、
ネクタイを外すためのルールがないからだとわかった。
九番目の夏が来て人は、
来年から夏はネクタイを外してもよいというルールを作った。
十番目の夏が来て人は、
ようやくネクタイを外すことができた。

飽くことのない人の夢が
真夏の日々の汗に消えていく
取り乱さずに言葉を吐けば
見えぬ疲れが息を詰まらす
幸せかい、こんな人混みが
楽しいかい、こんな人混みが

休む間もなく満員電車で
生暖かい風、身にくらって
夜はまだかと時を恨んで
帰るまではと体裁つける
幸せかい、こんな人混みが
楽しいかい、こんな人混みが

憂いに満ちた満員電車で
今日はどこへと曇り空を見る
幸せかい、こんな人混みが
楽しいかい、こんな人混みが

…究極の親子愛は、
死によって完結するものなのか…
ああ、何度考えればすむんだろう。
所詮ドラマじゃないか。
心が繋がったんだからいいじゃないか。
手をつないだんだからいいじゃないか。
心の中で生きてるんだからいいじゃないか。
ああいう形のハッピーエンドなんだからいいじゃないか。
もういいんだ、
白い春のことは忘れよう。

「いや、簡単なことですよ。
人に頼らないで、相手を待たないで、
まず自分からアタックしてみることです。
それで振られたっていいじゃないですか。
所詮彼とはそれだけの縁だったということですよ。
そういう場合、きっと次があるんですよ。
もしかしてあとが気まずいって思ってるんじゃないですか。
いやいや、そんな心配はない。
あなたが告白した時点で、
相手はちゃんとあなたの存在を認めているんですから、
決してないがしろになんてしないです。
時には力にだってなってくれますよ。
ぼくの経験上、それはわかります。
そう、だから簡単なことなんですよ。
人に頼らない、相手を待たない、
まず自分からアタック。
それが一番なんですよ」

こいつは何を聞いているんだ。
一歩を踏み出せないから悩んでいる、
という相談じゃないか。

甚兵衛羽織って寝転ぶと、
とろろんとろんと夜が更けて、
テレビの前で寝ています。
気がつきゃうちだけ照明が、
煌々ついておりまして、
テレビもそのままついていて、
おまけに音が大きくて、
近所迷惑になるじゃないかと、
思わず電源引っこ抜く。
その後は静かに床に就き、
何度も寝返りうってます。
とろろんとろんと月が差し、
何度も寝返りうってます。

昔の恋人にあったりすると、
うれしいんだけど複雑だ。
なぜか素直に喜べないのは、
古き恋への恥じらいか。
古き自分の後悔か。
充分すぎるくらい冷静に
振る舞おうとする自分の姿が
滑稽すぎてたまらない。
なぜに体裁つけているのか。
どんな自分で接したいのか。
無意識な自分がわからない。
「時間よ止まれ」と思いながらも
その時間を持て余したりもする。
昔の恋人にあったりすると、
うれしいんだけど複雑だ。

うどんを食べている時ふと
「うま足りない」という言葉が
頭の中をよぎった。
別にその店のうどんが
まずいという意味ではない。
あと一歩でうまくなるという意味で、
何かひと味足りないのだ。
ぼくはグルメとかいう
味に神経質な人間ではないから、
どのひと味なのかがわからない。
だから具体的に批評できない。
それが口惜しい、もどかしい
何かが足りないんだよ。
うま足りないんだよ。
大声でそれを叫びたい。

「夜寒朝寒というのは、
確か秋の季語だったよな」
うろ覚えの知識に惑わされて、
ついつい油断してしまった。
この間夜寒朝寒の被害に遭った。
風邪を引いてしまったのだ。
夜寒朝寒は秋の季語なんだから、
六月の朝晩の寒さなんて
気にしなくてもいいんだと、
薄着をしたのが間違いだった。
のどが痛い、咳が出る、
あげくに家族にうつしてしまった。
現実は季語では割り切れない。
しかも暑い寒いの狂った気象だ。
おかげで風邪は長引いている。

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