吹く風ねっと

一生は未来の記憶を散りばめた一本の道。人生は未来の記憶をひろいながら歩く旅。

2009年05月

メキシコから一時帰国していた姪が、
先日メキシコに戻って行った。
半月以上滞在したが、
姪はいたって健康で、
旅行をしたり、
昼寝をしたり
休みを充分満喫していた。
先週騒ぎが終息に向かっていると、
現地から連絡が入り、
姪の初夏の休暇は終わった。
メキシコに戻る前日のこと、
姪の住んでいる市の近郊で、
新型ウィルスの感染者が見つかった。
姪とはまったく無関係だが、
もしまた現地で
新型インフルが流行ったりすれば、
疑いは姪に向けられるんだろうな。
日本から逆輸入とか言われてね。

何の勘違いか知らないが、
急に寒気に覆われて、
五月に冷たい風が吹く。
もう六月がくるというのに、
もう衣替えも終ったというのに、
五月に冷たい風が吹く。
実は冷夏の前触れなのか。
浮かれた人への警鐘なのか。
五月に冷たい風が吹く。
吹いてはか細い雨が降る。
慌ててぼくは厚着をする。
五月に冷たい風が吹く。
…五月に冷たい風が吹く。

毎晩寝る時には寝疲れしないようにと、
枕の位置を変えたり、
寝る姿勢を変えたり、
色々と工夫をしている。
ところが意に反して、
朝起きると首が痛かったり、
肩が凝ったりする。
酷い時には頭痛までするのだ。
きっとそういう朝の不快は寝不足からきているんだと思い、
早寝したりもしてみるのだが、
床に就いている時間が長くなるせいか、
併せて腰まで痛くなっている。

最近のことだが、
いつものように寝疲れしない工夫をしているうちに、
「いっそ枕を変えてみようか」、
「低反発の布団を使ってみようか」、
「で、いったいそれらはいくらするんだ」、
などと考えるに到り、
いよいよ眠れなくなってしまった。
結局柱時計が六時を打つまで眠れず、
その後だんだん意識が遠のいて、
ようやく眠りに就けたのだった。
目が覚めたのは八時だったが、
短時間ゆえに熟睡ができたのだろう、
寝起きはさっぱりしていた。

出かける準備をしている時、
あることに気がついた。
いつものあの、朝の不快がまったくないのだ。
あれこれ考えていて眠れなくなったものの、
却ってそれがよかったのかもしれない。
そのせいで意識が疲れしてしまって機能しなくなった。
「ああじゃない」「こうじゃない」と言って、
体をがんじがらめにする意識という邪魔者が機能しないから、
無意識が自由に活動できた。
そう、変な姿勢をとるたびに、
無意識が体を矯正してくれたわけだ。
考えごとをしながら行動するとろくなことはないが、
それは寝る時も同じこと。
ということか。

自分の人生の中で培われた考えが
そっくりそのまま書かれている、
そんな本に出会うことがたまにある。
「ああ、これを書いた人も
 同じ生き方をしてきたんだな」と
まるで生涯の友にでも出会ったような
大きな喜びを得るものだ。
そういう本はなぜか、
自分を変えてやろうと意気込んで読む、
生き方だの思想だの哲学だのといった
小難しいものに少なくて、
トイレなんかで読み流す
小説やマンガなんかに多いのだ。
所詮は臭い考えということなのか?
臭さに意味があるということなのか?

新型ウィルスに感染するのは主に若い層で、
年配層は免疫があるから感染しにくいと言っている。
新型というくらいだから新型であって、
過去には存在しなかったはずだ。
ということで、
「では、その免疫はどうして出来たのだろう?」
という疑問になる。
年配層のほとんどの人が感染したウィルス、
そんな特殊なウィルスなんて聞いたことはない。
それならぼくも感染しているはずだが、
感染した憶えはない。
だから類似ウィルスの感染で免疫が出来た
という線は考えられない。
「ということは…」とぼくは考える。
「それは今はやってないが、
 過去にやっていたことと関係あるのでは?」
つまり若い層はやってないが、
年配層のほとんどがやっていること。
といえば、あれしかない。
若い層の腕にはないが、
年配層の腕にあるあれ、
そう疱瘡だ。
種痘の始まりは牛がらみで、
新型ウィルスは豚がらみだ。
当然牛のほうが高価だから、
豚は太刀打ちできない。
太刀打ちできないとなれば、
「お呼びでない」と退散するしかない。
というわけで疱瘡が免疫となった。
…という仮説は成り立たないかな。

暑さを楽しむ季節がやってきた。
ベトつくのが嫌だから、
趣味の長湯をきっぱりとやめて
シャワーでさっと汗を流す。
シャワーをさっと浴びた後は、
エアコンなんかに頼らずに、
自然の風に肌を任す。
実に心地よいものだ。
これがぼくの、
いつもの夏の風景だ。
もう少し季節が暑くなると、
スイカや氷がこれに加わる。
無駄な電気やガスを使わずとも
涼は充分に取れるもんだ。
これこそエコに適うじゃないか。
おそらくは五つ星だ。
エコポイントをくれんかな。

目を閉じると心の中で
現実とは違った物語が展開している。
そのことについて、
現実の自分はまったく知らないのだが、
心の中の自分はそのことにえらく精通していて、
「先日のあの件はどうなっているのか?」
「あの件については、こうこうこうなっている」と
そこに登場する人たちの質問に、
いちいち詳しく答えている。
しかし目を開くといつも、
『あの人たちは誰?』
『あの件とは何?』
などと自問している。
心の中で別の自分が生活しているのだろうか?
年を重ねるごとに、
こういうわけのわからないことが、
多くなっているように思う。

いつの頃からだろう
体をちょっと動かしたり
風呂に浸かっていたりすると
頭から汗を掻くようになったのは。
とにかく汗が出る。
土砂降りの雨を頭からかぶったかのごとく、
背中に向けて汗が際限無く落ちてくる。
おかげでシャツはびしょびしょで、
車にはいつも着替えを置いている。

元来汗かきの体質ではなかったので、
最初は体に異変が起きたのかと思ったほどだ。
だけど体に違和感は見当たらないし、
汗を掻いた後で飲むビールはおいしいし…。
一度あまり気になったので、
健康診断の時に相談したことがある。
ところが医者はまったく気にもかけない様子で、
「ああ、そうですか」と軽く流された。
何を聞いてもそれ以外の答は出てこない。
あまり馬鹿らしくなったので、
それ以来医者に汗の質問はしていない。
だから今は汗が出ても、
気にしないことにしている。
びしょびしょになるのは嫌だけど、
「ああ、そうですか」で済ませている。

休みの日の楽しみのひとつに
図書館での居眠りがある。
最初は意気込んで本を読んでいるが、
その静けさと、心地よい空調の風に
だんだん眠気が差してくる。
不真面目なぼくはそれに負け、
楽な姿勢を取ろうと
頬杖なんかを工夫する。
すると真面目な自分が現れて、
顔や頭をマッサージしたり、
体を変に動かしたり、
目を閉じさせまいとして
とにかく必死にやっている。
だけど自然の摂理には勝てなくて、
結局手も足も出なくなる。
そこで不真面目なぼくが、
「休みの日の楽しみの本質は、
 実は眠気に負けてもいいという
 気楽さにあるんだよ」と、
真面目な自分に言い聞かせる。
真面目な自分がなりを潜める頃、
ぼくは心地よい眠りに浸っている。

親戚の家にリックという
オスのミニチュアダックスがいる。
かなり前から飼っていて、
人間の年にすると
もう七十歳を超えているという。
なるほど目は白内障になっていて、
歩きもヨタヨタしている。

ところがそのリック君、
そんな体になってはいても
あちらの方は元気な様子で、
何かにつかまっては
必死に腰を振っている。
それが原因になっているのだろうか、
ヘルニアにもかかってもいるという。

そういえばこのリック君、
ずっとお座敷で飼ってきたせいで
メスとの接触がまったくなくて、
この年まで童貞で通してきたらしい。
そのせいかもしれないが、
お気に入りの対象が
ちょこっとずれているようにも思えるな。

申し訳ないけどリック君、
ぼくの足はメスではないんだよ。

マルちゃんという高校時代の旧友がいる。
いや今でも年に何度か飲みに行く仲だから、
旧友というよりも飲み友だち
と言ったほうがいいかもしれない。
ぼくはこれまでマルちゃんと会うといつも
「今度の飲み会はいつにしようか?」
と、挨拶代わりに言っていた。
だけど最近その言葉を変えた。
それは「呼子にイカを食いに行こう!」で、
「マルちゃんの車でね」
と、必ずその後に付け加えている。
マルちゃんは当惑した顔をする。
だけど地球を守るのは人類の務めだ。
マルちゃんはプリウスに乗っているのだから、
それを通勤だけに使うのは、
地球のために決して許されることではない。
遠出をしてこそ
充分にその務めを果たすことが出来るのだ。
だから呼子にイカを食いに行くんだよ、
マルちゃんの車でね。

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