吹く風ねっと

一生は未来の記憶を散りばめた一本の道。人生は未来の記憶をひろいながら歩く旅。

2007年08月

もし愛することが終わったら
ぼくはタバコを吹かして
きみは目を閉じて
背中合わせにすわるだろう

甘く切ない思いが
二人の心の中ひとつひとつに
訪れては消えていくだろう
それぞれの時間の中で

 あまりに殺伐とした世界が
 何もかも確実にしらけさせて
 始終生きていることすら馬鹿らしく思えて
 ぼくはタバコを吸い終わり、きみは目を開ける

だけどぼくが二本目のタバコに火を付けて
きみが二度目の沈黙に陥るとき
今までとは違った風が
窓の外には吹いているだろう

 あまりに殺伐とした世界が
 何もかも確実にしらけさせて
 始終生きていることすら馬鹿らしく思えて
 ぼくはタバコを吸い終わり、きみは目を開ける

もし愛することが終わったら
ぼくはタバコを吹かして
きみは目を閉じて
背中合わせにすわるだろう


もし愛することが終わったら

今日で夏も終わり。
昨日も言ったように、今年の夏にはうんざりした。
ただ暑いだけで、まったく風情というものを感じなかったのだ。
こういうことは生涯二度目である。

一度目は、今から27年前、昭和55年(1980年)の夏だった。
その年は今年と全く逆で、冷夏だった。
梅雨明けしてから一週間だけ夏らしい日があったが、その後は夏空を分厚い雲に奪われてしまい、まったく気温が上がらなかったのだ。
その年社会に出たぼくは、その時期エアコンを売っていた。
エアコンは気候に左右される商品である。
暑くないと売れない。
それゆえに、空を眺めては恨めしく思っていたわけだ。

さて、今年風情を感じなかった原因の一つに、彼の国からはき出される公害がある。
いつも臭かった。
そのニオイを灼熱の太陽が焦がす。
だから、なおさら臭くなる。
その臭さが、夏独特のニオイを隠してしまう。
だから、風情を感じないのだ。
来年はもっといい夏にしたい、というかしてほしいものだ。

いつの頃だかは忘れた。
憶えていることといえば、
十円玉の裏側と、
奇妙な夢と、
洗濯石けんのにおいだけだ。
親父の死はもっと後のことだ。
それからのことは漠然とではなく、
歳を追って憶えている。
どうやらぼくの人生は、
親父の死から始まったものらしい。
ぼくの考え方も生き方も、
その人生そのものも、
親父がいないという
前提の下に成り立っている。

今もってわからないことがある。
それは親父の死がぼくの人生の中で、
どういう意味を持っているかということだ。
おそらくはそれを探求することが
ぼくの今世における課題なのだろうが、
親父がいないという前提の下に
成り立っている人生がゆえに、
これがかなりの難問となっている。

ただ一つだけ、わかってきたことがある。
それは親父がその死によって、
息子への最高の教育を施したということだ。
「息子よ、人生とはかくも孤独なものだぞ」
親父は物言わぬ口でそう言った。
確かにそう言った。
そのことだけは歳を追って、
理解できるようになってきた。

ここ2,3日、雨が降ったおかげで、だいぶ涼しくなった。
夏が終わるのは嫌なので、本来ならこういうことは書かない。
そういうぼくが、こんなことを書くくらいだから、今年の暑さにはほとほとうんざりしているのだ。
昼間はまったくクーラーを入れないし、おまけにウォーキングまでやっているので、すごく汗をかく。
シャツやパンツは当然だが、ズボンも雨に濡れたようにビッショリになっている。

さて、そのウォーキング、毎日真昼時に、帽子もかぶらずに外を歩いているわけだが、よくそれで熱中症にかからないものだと、我ながら感心している。
きっと日陰を選って歩くようにしているのがいいのだろう。
日なたが無茶苦茶暑いから、その分日陰が涼しく感じる。
さらに水分を適度に摂っているから、のどが渇くこともない。

他に考えられることは、風を意識して歩くことくらいか。
最初はそう感じなかったのだが、ある時から、風が吹きつけるたびに「風が気持ちいい」と口に出して言うようにした。
それからだ、俄然風が涼しく感じるようになったのは。
それ以来、暑さでだんだん歩くのに嫌気が差してきても、それを口にすることで、元気が蘇るようになったのだ。
これも、言葉の魔法なのだろう。

いつもいつも考えることは
暮らしのことばかり
日々が通り抜けていく
風は吹く、心の中を

いつもいつも同じことの
繰り返しばかり
日々が色褪せていく
時は行く、心の中を

 ただ夢だけが
 駆け抜けていくのを
 遠く眺めてるような毎日
 風は吹く、心の中を

 ああ、想い出だけを
 数えすぎた日々
 冷たい日差しの中で
 時は行く、心の中を

いつもいつも置き忘れた夢
追い求める日々
日々が閉ざされていく
風は吹く、心の中を


心の中を

日曜日、嫁ブーの実家の夕食に呼ばれた。
行ってみると例の干物の姪がいた。
すでに食事は始まっていて、姪はポイポイと口の中におかずを放り込んでいた。
姪と会うのは4月以来だ。
あの頃は長袖を着ていたせいで、そこまで太っては見えなかったのだが、今回はタンクトップである。
充分に脂がのった、たくましい肩が、露わになっていた。

食事が終わった後、きつかったのか、ジーンズからジャージに履きかえていた。
「あー、楽になった」と言いながら、ソファに横たわった。
「Nちゃんは、小学生の時から何も変わってないのう」とぼくが言うと、姪は「えっ、そうかねえ?」と言う。
「小学生の頃も、食事の後ジャージに履きかえて、『あー、楽になった』と言いよったやん」
「言ってないよー」
「いや言った。で、いつ行っても、今みたいに家でゴロゴロしとった」
「起きとったよう」
「学校から帰っては寝、塾から帰っては寝、部屋は散らかしっぱなしやし」
「‥‥」

それでも姪は、ソファから起き上がろうとせず、ゴロゴロしていた。
「よし、今度ジャージ買ってやろう」
「えっ?」
「ゴロゴロするのに必要やろ」
「…うん」
「アディダスとデサント、どっちがいい?」
「どっちでもいいよ」
「三本線でいいやろ」
「お任せします」
ということで、今、アディダスの三本線ジャージを探している。

君が目の前を歩いていく。
君が目の前を歩いていく。
いくぶんうつむきかげんで、
君が目の前を歩いていく。
あなたとはその程度の関係だったのよと、
君が目の前を歩いていく。
君が目の前を歩いていく。
何の意味もなく歩いていく。
思わせぶりをする様子もなく、
君が目の前を歩いていく。
これまでの祈りが何だったのかと、
君が目の前を歩いていく。
それだけの時間を歩いていく。
そこにある必然として歩いていく。
君が目の前を歩いていく。
君が目の前を歩いていく。

土曜日、笑笑で飲みごとがあった。
この店に行くのは初めてだったのだが、店の雰囲気も悪くなかったし、食べ物もまあまあだった。
何よりもよかったのは酒類で、飲み放題のビールは、ぼくの好きな一番搾りだった。
さらによかったのが酎ライムで、これがおいしくて、何杯でもいけるのだ。
よく憶えてないが、ビールをジョッキ3杯、酎ライムは10杯以上は飲んだと思う。

普段ならこれだけ飲めば、二次では飲まないようにしているのだが、その日は違った。
どんどん入るのだ。
スナックに行ってウィスキー水割りを3杯、最後にラーメン屋でビール大ビンを一本を飲んだが、まったく無理なく飲めた。
もちろん翌日の二日酔いは覚悟しておいた。
ところが、今回はそれもなかったのだ。

毎日のウォーキングがよかったのか、タバコをやめたのがよかったのか、はたまた毎日飲んでいるビタミンCがよかったのかは知らないが、この歳になってこれだけ酒が飲めるとは思ってなかった。
しかもおいしく飲めるなんて、まるで夢のような気分だった。
その日は、そこから新しい人生が始まるような気さえしたものだ。

細かく細かく調べては
大胆に大胆に判断を下す。
あまりしつこくやっていると、
自分がわからなくなってくる。
悪けりゃ良くなるまで繰り返す。
何度やっても答が出ない、
わがままな自分を助長する、
独りよがりの本だ。

24日の日記に、中学生の頃に尊敬していたのは東郷平八郎で、部屋の壁に日の丸を貼りつけ、その横に東郷元帥の写真を額に入れて、いつも拝んでいたと書いた。
で、高校に入ってから、その日の丸や額が、吉田拓郎やボブ・ディランのポスターに替わったわけだが、べつに拓郎やディランが尊敬する人というわけではなかった。

そういう人たちの反戦歌を聴いたり歌ったりしながらも、尊敬するのは、相変わらず東郷元帥だった。
その証拠に、高1の夏休みに東京に行った際、明治神宮を参拝したあと、ちゃんと東郷神社にお参りしている。
東郷神社というのはこちら福岡にもあって、日本海海戦の戦場が一望できる山の上に建っているが、ここにも一度お参りしている。
歴史を知れば知るだけ、あの戦いがどれだけ重要なものだったのかがわかってきた。
それでさらに尊敬の度合いが強くなったわけだ。

中学の頃だったが、クラスで尊敬する人というのが話題になったことがある。
それでぼくは、東郷平八郎の名前をあげた。
他の人も、それぞれに尊敬する人をあげていた。
ところが、中に「何で親を尊敬しないんだ?」と意見する人がいた。

「親がいなかったら、生まれてこなかったわけでしょ?親を尊敬せんで誰を尊敬するんね?」
「あんたの言い方だと、親以外尊敬したらいけんということになるやん。それなら最初から尊敬する人などという言葉なんかいらんやろ」
「だから親を尊敬しとけばいいやん」
「それじゃノーベル賞は取れんやろ」
「何で?」
「親を尊敬するということは、親を目標にするということやん」
「親を尊敬してもノーベル賞は取れるよ」
「ふーん、じゃああんたの親はノーベル賞を取るくらい偉い人なんやね。立派、立派」
その後、「お前は素行が悪い」「おまえの方が悪い」と互いのけなしあいになってしまい、わけのわからないまま議論は終わってしまった。

今だったら「価値観の違い」という言葉一つで片付くのだが、当時は誰もそういう言い回しを知らなかった。
というか、まだ個性だの価値観だのいう時代ではなかったのだ。

こんなに簡単な言葉が出てこない。
こんなに簡単な世間が理解できない。
大人というこだわりが、
すべてを難しくしまっているのだ。
脱いでしまおう。
こんな汚れまくった服は、
今夜限りで脱いでしまおう。
言葉なんて簡単なものだ。
世間なんて簡単なものだ。
成長とは世間の汚れを
ためることではないのだから、
さっさとこの服を脱いでしまおう。

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