吹く風ねっと

一生は未来の記憶を散りばめた一本の道。人生は未来の記憶をひろいながら歩く旅。

2007年07月

目覚めてみると海の上
立っているのか、座っているのか
雲ひとつない海の上
昼間なのか、夜なのか
わからない、わからない
物音ひとつ聞こえない
わからない、わからない
季節もここではわからない
夏であるのか、冬なのか
何ひとつない海の上
船も見えない、人もいない
いったい何が起きたのか
いったいここはどこなのか
いったい今はいつなのか
生きているのか、死んでいるのか
名前も歳も忘れてしまい
自分であることもわからない
わからない、わからない
わかっているのは海の上
雲ひとつない海の上
立っているのか、浮かんでいるのか

備忘として書いておくが、今月の24日床屋に行った。
その日に書くつもりだったが忘れていたのだ。

何で床屋に行ったこと書くのかというと、次に床屋に行く時に役に立つからだ。
ぼくは髪が伸びるのがけっこう早いので、以前はしょっちゅう床屋に行っていた。
しかし、実際は早く伸びているように見えるだけで、床屋で髪をすいていた部分などは、充分に生えきっていないことが多かった。
そのため、早く髪を切ってしまうと、全体にボリウムがなくなったり、地肌が透けて見えたりしていた。

そういうこともあって、最近は2ヶ月に一度しか行かないことにしている。
ところがある時期から、そろそろ髪が伸びたなと思った時、「そういえば、前に床屋に行ったのは、いつだろうか?」と、前回行った日のことを忘れていることが多くなった。
そのせいで切るタイミングを間違えたことが何度かあった。

そこでこの日記を利用することにしたのだ。
前回行った日を記録しておけば、忘れても困ることはない。
日記を見れば、次に床屋に行く日も判断できるわけだ。
つまり、ブログは備忘録としても活用できるということだ。

就職をした頃のこと
職場の掃除をやっていると、
後ろから「すいません」という
小さな声が聞こえた。

振り向くとそこにいたのは、
初めて見る同期の女性。
その時突然ぼくの目に、
浮かんだ一つの映像…

 赤いエプロンを着けて、
 台所の向こう側で、
 笑顔でうなずきながら、
 料理している彼女の姿。

その時はただの幻覚と、
気にもとめなかったけれど、
なぜか偶然が重なって、
二人はつきあい始めた。

その後ぼくたちは結ばれ、
二人で生活を始めた。
居間でくつろぐぼくの目に、
映った一つの光景…

 赤いエプロンを着けて、
 台所の向こう側で、
 笑顔でうなずきながら、
 料理している彼女の姿。

出会った頃は幻覚と、
気にもしてなかったけれど、
あのとき浮かんだ映像は、
未来の一コマだった。

今もぼくたちは二人で、
ありふれた生活をしている。
テーブルのイスにさりげなく、
かかる赤いエプロン。


赤いエプロン

『ためいき』
さりげないためいきやめて
今日から真面目にやっていくんだ
昨日吐いたあの言葉に
嘘や偽りはないんだから

そしていつか見返してやるんだ
あいつも、あいつも、みんなまとめて
あの日のぼくは正しかったんだと
それがぼくの人生だったと

 もう振り返らない 風は追い風だ
 尽きることはない
 もしもつまずくことがあったとしても
 明日のための布石なんだ

疲れたふりなんかやめて
今日から素直に生きていくんだ
ほら明日が笑っているよ
その日の自分が手招きしている


久しぶりにプレイヤーズ王国に曲を上げた。
前に上げたのが昨年の4月だったから、1年3ヶ月ぶりの新曲(?)ということになる。
その間、会社を辞めたり、ウォーキングを始めたり、変なネコと知り合ったり、いろいろなことがあったが、過ぎてみると早いものである。

さて、この『ためいき』という歌だが、元々同名の曲があった。
しかし、その内容が現実味を帯びてないので、歌詞を書き換え、今の歌になった。
どういう風に現実味を帯びてないのかというと、元歌は、結婚して、二人の子どもを得て、孫まで出てくる。
現在、というか、これからも子どもが出来る予定はない。
したがって孫なんて出てこない。

そういうわけで、その歌詞を却下し、新しい歌詞を作ったのだが、その歌詞を作ったのが、昨年会社を辞めた頃だったので、こういう歌詞になったのだ。
ま、現実味を帯びさせたわけだが、一ヶ所だけ現実ではないところがある。
それは「あいつを見返してやる」部分だ。
実際そういう人はいない。

トンボが飛行機を背負って飛んでいる。
飛行機はあまりに大きすぎて、
その存在はわからない。
だけどトンボは飛んでいる。
飛行機を背負って飛んでいる。

飛行機がトンボに背負われて飛んでいる。
トンボはあまりに小さすぎて、
その存在はわからない。
だけど飛行機は飛んでいる。
トンボに背負われて飛んでいる。

今日は半日オナカ君の手伝いをしたのだが、車での移動中、怖ろしいことが起きた。
国道を運転中、二つ前を走っている車が右折するために停車した。
一車線しかないところなので、よけることが出来ない。
そのため、すぐ前を走っていた車も停まった。

当然オナカ君も停まるものと思っていた。
ところが、オナカ君はいつまで経ってもスピードを緩めない。
ぼくは「おい」と言って、オナカ君のほうを見た。
すると、オナカ君は少し焦った声で
「ブレーキが利かん」と言うではないか。
前の車は数メートル先に迫っている。
オナカ君はとっさにハンドルを切った。
車は歩道に向かった。
その先には電柱があった。
「当たる!」とぼくは思った。
と、オナカ君はまたもやハンドルを切った。
車は車道に戻った。
だが、前の車はまだそのままの位置にいる。
「もうだめだ!」と思ったその瞬間、ようやく前の車が動いた。
そう、ぶつからずにすんだのだ。

そのあとオナカ君はしつこくブレーキを踏んでいた。
その甲斐あって車は停止した。
ぼくたちは何とか危機を脱したのだった。

別に飛ばしてはいなかったが、それでも制限速度は出ていたから、もし当たっていたら、物損だけではすまなかったに違いない。
確かにオナカ君のハンドルさばきはうまかった。
だが、それも前の車が動いてくれたから生きたのだ。
これは運以外の何ものでもない。
今月に入って、ぼくはずっと運の良さを感じているのだが、これもその運の良さが作用したものなのか?
それともオナカ君の運が強かったのか?
そういえば、ぼくもオナカ君も、星座はさそり座だ。
ということは、二人の運が作用したのだろうか?

一昨日の夜、食事がすんでから急にアイスクリームが食べたくなり、となりのセブンイレブンに買いに行った。
当初はそれだけ買って帰るはずだった。
ところが、コミックの売場に『バガボンド』の新刊(26巻)が置いてあった。
これは買わなきゃと思ったのだが、考えてみると、アイスクリーム代しか持って行ってなかった。
そこで嫁ブーに電話をかけ、お金を持ってきてもらった。
店が近いと、こういう時便利である。

家に帰ったぼくは、まず食べたくてたまらなかったアイスクリームを食べた。
そのあとで『バガボンド』の封を開けた。
ちょうどその時だった。
テレビで『山おんな壁おんな』が始まった。
そこで『バガボンド』を読むのはやめて、テレビを見ることにした。
『バガボンド』のことを覚えているのはここまでだ。
テレビを見終わった後、日記に取りかかったのだが、その頃には『バガボンド』のことはすっかり忘れていた。

さて、「そういえば『バガボンド』を買っていたな」と思い出したのは、翌日の夜、つまり昨日の夜のことだった。
それまでは何かを忘れているのだが、それが何かが思い出せないでいたのだ。
思い出したのは、風呂に入っている時だ。
そこで風呂から上がって捜した。
ところが見あたらないではないか。
嫁ブーに聞くと、「知らん」と言う。

それから家捜しである。
居間、自分の部屋、脱衣場、あげくにトイレまで捜した。
でも見つからない。
そのうち、本当に買ったのか、ということに疑問を持った。
そこで嫁ブーに、
「昨日、おれコミック買ったよのう?」と聞いてみた。
「うん、買ったよ」と言う。
やはりどこかに置き忘れているのだ。

その時、陽水の『夢の中に』の歌詞を思い出した。
“探すのをやめたとき、みつかることもよくある話で…♪”
「そうやの。どこかにあるんやけ、そのうち出てくるやろう」
と思ったところで、ドラマ『山田太郎ものがたり』が始まった。
それを見ているうちに、またしても『バガボンド』の存在を忘れてしまった。

今日もこの日記を書くまで、『バガボンド』のことはすっかり忘れていた。
というか、昨日の夜から、一度も「何か忘れている」とは思わなかった。
そういうわけで、まだ『バガボンド』は見つかってない。

空を駆け行く太陽は、
朝に己の行方を照らし、
昼に己の足下を照らし、
夕に己の軌跡を照らし、
然る後に暮れていく。

時を駆け行く人間は、
若い身空に夢を追い、
壮年期には現実を追い、
年老いてから過去を追い、
然る後に果てていく。

突き詰めてみれば人も日も、
同じ軌跡をたどっている。
ゆえに若くありたければ、
常に己の行方を照らす、
夢追う人であることだ。

昨日シャディの前を通ると、「初盆」と書いたのぼりがいくつも立っていた。
今日イオンに行くと、たくさんの盆提灯が並べてあった。
梅雨が明けたばかりだし、お盆なんかまだ先だと思っていたが、もうお盆まで3週間もないのだ。

お盆で思い出したが、今年は親戚の初盆がある。
あまり気乗りがしないが、行かないわけにはいかないだろう。
何せ親戚付き合い好きの母の出番になるわけだから、必ず「連れて行け」というに決まっている。

別に親戚の家に行くのはいい。
叔父や従兄弟たちに会うのもかまわない。
気乗りがしない理由は、そこにあるのではない。
では何が問題なのかというと、それは駐車場である。
親戚の家は、車を停める場所がないのだ。
だから困るわけだ。

バスで行けないこともないのだが、あまりに本数が少ない。
しかも隣の市だから、バスの時間がわからない。
だからいつも行く時は、ぼくの車を使うわけだ。

1月の通夜や葬儀の時は斎場でやったので、斎場の駐車場が使えた。
また四十九日の時は、親戚が町内会の駐車場を準備してくれていた。
しかし、お盆はそういうわけにはいくまい。

ということで、母だけ親戚の家の前で降ろして、ぼくはどこか別の場所に駐めてから行くとするか。
だけど、あそこは大型商業施設はあるものの、親戚の家まで歩くとなると20分はかかってしまう。
歩いて20分ということは、2㎞くらいか。
2㎞じゃタクシーは行ってくれんだろうなあ。

やはり歩いて行くことになるわけか。
歩くと言ったって、Tシャツ・短パンで歩くならともかく、夏物とはいえ礼服を着ていかなければならないから、ちょっと辛い。
かといって、他に方法はないから、その手で行くしかないか。

西から風が吹いてきたら
朝一番の汽車に乗って
懐かしいふるさとに帰るんだ
向かい風をたどってね

雨が降ったってかまわないよ
傘の一本もいらないよ
だってぼくのふるさとは
いつだって晴れているんだから

 小さな思い出をたどっても
 ぼくは懐かしいとは思わないよ
 だって東京の風はいつだって
 雨を誘うんだから

何も告げずに行くよ
恋人よ、ぼくのことは忘れとくれ
会おうとも思わないでおくれ
本当に、もう二度とね

西から風が吹いてきたら
朝一番の汽車に乗って
懐かしいふるさとに帰るんだ
向かい風をたどってね


西から風が吹いてきたら

うちの風呂場には大きな鏡がある。
その鏡に自分を映しながら、ぼくはいつもヘラヘラ笑っている。
こうやると幸せがやってくるそうだ。
出来たら声を上げて笑った方がいいらしい。
だが、風呂場の音は外に漏れるのでそれは躊躇する。

さて、今日もいつものように鏡の前でヘラヘラ笑っていたのだが、何か顔がテカっているように見える。
その時は照明の具合だろうと思っていたが、そうではなかった。

風呂を上がってから実家に行ったのだが、その時に母から、
「何ね、あんたの顔」と言われた。
「なんか付いとる?」
「いや、焼けとるんよ」
「前から焼けとるやん」
「今日は格別に黒い」

そういえば、今日の日差しは、熱中症になるのではないかと思うほどすごかった。
今日も例のごとく昼間に歩いたのだが、その時はなるべく日陰を歩くなどして、頭をかばっていた。
おかげで熱中症になるようなことはなかった。
が、そのエネルギーは顔に作用したわけだ。

まあ、別にぼくは日に焼けてもかまわないのだが、世間ではそうではないらしい。
昔は日に焼けることが健康的だと言っていたのに、今ではシミ、ソバカスや皮膚ガンなどの原因だなどと、とかくマイナス要因のように言われている。
この調子でいくと、そういう声に過敏に反応し、外に出ただけで気分が悪くなるような神経質な人も、遠からず出てくるだろう。

花粉症がそうだった。
昔はそんなことで騒ぎもしなかったのに、一度その名前や症状が紹介されたとたん、「私も、私も…」というふうになり、あっという間に広がったのだ。
これも言葉による過敏症だと、ぼくは思っている。

出来たらぼくは、そういう人になりたくないのだが、ここ数年は若干花粉症気味だ。
しかし、日焼けだけには反応せずに、それが健康だと思っていきたい。
そうしないと、夏が楽しめない。

このページのトップヘ