吹く風ねっと

一生は未来の記憶を散りばめた一本の道。人生は未来の記憶をひろいながら歩く旅。

2007年05月

それは、月に隈のない頃の話ですね。
旅はまだ続くのでしょうか。
砂漠も夜は寒いでしょうね。
―少なくとも昼間よりは
だけど、星も透き通っては、
月も色づく。
きれいでしょうね。

ああ、ぼくの心はちょうど砂漠、漠、漠と
君の面影もきれいですよ。
君の想い出もきれいですよ。
だけどまだ旅は長くて、
夜は寒いのですよ。
冷たい夜のオアシスですよ。

日々の生活は蜃気楼。
心は何かを求めているのです。
君の心ではありませんけど。
君の体ではありませんけど。
それが何かはわかりませんけど。
あるのは漠然とした、
この一帯に続く、
砂漠、漠、漠 ―。
からからに乾ききった、
けだるい日々の生活です。
午後から続く、砂漠の旅です。

それはまだ、月に隈のない頃の話ですね。
旅はまだ終わらないのでしょうか。
砂漠の夜は辛いでしょう。
水もなければ、人もいない。
寂しく乾いた風が、
そこには吹いているだけですから。

東京にいた頃、下宿の近くに戸塚第二小学校というのがあった。
所在地は新宿区高田馬場なのに、何で戸塚などという横浜の地名が付いているのだろうかと、そこに住んでいる時は不思議に思っていたものだ。

その理由を知ったのは、東京を離れてからのことだった。
古い小説を読んでいて、その地名を目にしたのだ。
それを読んでいくうちに、ぼくが住んでいたあたりは、かつて戸塚と呼ばれていた地区だったというのがわかったわけである。

そういえば、これも後で知ったことだが、そのへんを管轄している警察署は戸塚警察署という名前だったらしい。
そこに住んでいる頃は、高田馬場署とか早稲田署という名の警察署、もしくは新宿警察署が管轄している思っていたので、それを知った時はちょっと意外な気がしたものだ。
まあ、管轄の警察署を知らないということは、悪いことではない。
そういうところにお世話にならなかった証拠になるからだ。

ウォーキング中に道を聞かれた。
「すいませんが、○○町3丁目はどの辺りになりますか?」
「○○町3丁目?」
「ええ」
「○○町3丁目じゃわからんなあ…」
「あ、地元の方じゃないんですか?」
「いや、地元は地元なんやけど。○○町3丁目と言われるとちょっとわからんのですよ。通称名とかわかりませんか?」
「ああ、それはわかりませんねえ」
ということで、教えることが出来なかった。
もし、その人が通称名で言ってくれたら、きっとわかっていただろう。
というより、逆にぼくが地元の者でなかったほうがわかっていたかもしれない。

ぼくが通った小学校は、大字○○という地区がそのまま校区になっていた。
だから、地区懇談会や地区対抗リレーでの地区分けは、すべて通称名ごとにやっていた。
それで、このへんの地理を憶えたわけだ。
その後区画整理が行われた際に、大字表記がなくなり、いくつかの町に分けられた。
ところが、普段の生活では通称名ですむので、なかなか○○町×丁目を使う機会がない。
そのため、いつまでたっても○○町×丁目の場所を憶えられないのだ。
今日、その通称名の知識というのが、まったく役に立たない知識だというのを知った。

30年前の冬に、ぼくはデパートでアルバイトをしていた。
商品センターでお歳暮を地区別に振り分ける仕事だった。
生まれ育った場所なので、特に地名や地理を覚える必要もなく、比較的楽な仕事ではあった。
とはいえ、時にはわからない地名を書いた伝票が回ってきて、困ったこともある。
しかし、大概は区画整理前の地名であったり、バス停などにある地名だったので、古い地図を調べたり、誰か知っている人がいたりして解決していた。

ところが、一回だけ、誰に聞いてもわからない地名に遭遇したことがある。
『八幡西区大字蒲原』
こんな地名は聞いたことがない。
古い地図にも載ってないし、『蒲原』というバス停もない。
年配のチーフに聞いても、「そういう地名は聞いたことがない」と言う。
しかも、悪いことに届け先の電話番号を書いてない。
おそらく住所を間違えているのだろうと思い、送り主に尋ねることにした。

「この届け先は、大字蒲原でいいんですか?」
「ええ、いいですよ」
「八幡西区ですか?」
「はい、そうですよ」
「すいませんが、地図調べてるんですけど、こういう地名が見あたらないんですよねえ」
「でも、郵便物はそれで届くよ」
「どの辺になるんですか?」
「いや、死んだ親の知り合いなもんで、自分も知らんのよね」
「電話番号はわかりませんか?」
「わからん」
「そうですか…」
「郵便局に聞いてみてよ」
「わかりました。そうします」

郵便局にはチーフが電話してくれた。
「おい、わかったぞ」
「どこでした?」
「今の青山」
「青山ですか」
「それ、かなり昔の住所らしいぞ」
「昔ちゃいつ頃ですか?」
「郵便局の人の話では、戦前とか言いよったけど」
「戦前ですか。じゃあわかるわけないですよね」
「わしゃ知らんかったぞ」

青山は高級住宅地で、ぼくもいつかは家を建てたいと思っていたところだが、その旧地名から察するに、昔は湿地で蒲がたくさん生えていたのだろう。

上の話は、今朝急に思い出した話である。
何で今頃、こんな昔話を思い出したのかと考えていたのだが、どうやら坂井泉水の死と関係がありそうだ。
坂井泉水の本名は、蒲池幸子というらしい。
「蒲池、蒲池、そういえば…」となったのだと思う。

なんだかとっても落ち着いて
なんでもかんでもやれそうで
後ろも向かずに行けそうで

ほんとにいいことありそうで
どこへそこへと飛び出して
陰気な影をも拭い去り

 ふわありふわり どこへ行こう
 ふわありふわり なにをしよう

ぼくの影は短くて
石っころにつまずいて
小春日和のお昼時

不思議な風を追いまわして
疲れた足を振り回して
大きなお池でひとやすみ

 ふわありふわり 気は浮かび
 ふわありふわり 灰の中

昨日小学校は、いくつかの演目をした後に中止を決めたそうだ。
実際には1時間もやったのだろうか?
詳しいことはわからないが、そのいくつかの演目のおかげで今日は代休、どこに行っても小学生だらけだった。
運動会は明日以降に行われるようだ。
とはいえ延期したといっても、運動会は、雨の降らない日、つまり光化学スモッグが起きやすい日にしかやれないのだ。
これから気温が高くなり、これまで以上に起きやすいと言うし、このへんはどう考えているのだろう?

さらに言えることは、この光化学スモッグは、環境に対して無関心な国が引き起こしているから、ここ数年なくならないだろうということだ。
ということは、来年以降は光化学スモッグの少ない時期にやるとか、この時期にやらなければならないのであれば、屋内グラウンドを使用するとかしないと、また今回のように晴れているのに中止とかいうことになりかねないだろう。

今日はぼくがウォーキングをしているコース内にある5つの小学校、すべて運動会である。
朝7時、一番近くにある小学校から「ドン、ドン」という花火の音が聞こえた。
予定通りに運動会が行われるという合図だ。
このやり方は、ぼくが小学生の頃から変わっていない。

運動会が行われるということは、ウォーキングの途中に見ることが出来る。
卒業以来、母校の運動会は一度も見に行ったことがない。
これまで日曜日が休みだったことがないし、特に興味がなかったからだ。
しかし、久しぶりに運動会の音楽を聴くというのも悪くない。
あの手の音楽がけっこう好きだったんですよ。

さて、昼前になった。
いつものようにウォーキングに出かけた。
ところがである。
小学校が見えるところまで来たのだが、まったく音楽が聞こえないのだ。
最初はもう昼休みに入ったのかと思っていた。
だが、そうではなかった。
運動場に人がいない。

テントは張っているし、客席にブルーシートも敷いてある。
だけど人がいない。
そういえば、今日は光化学スモッグ注意報が出ていた。
ということは、全員昼食を学校の中でとっているのか。
そう思って、帰りにまた寄ることにした。

ところが、1時過ぎに行った時も、運動場には誰もいなかった。
「花火も鳴っていたし、まさか中止ということはないよなあ」
中止なら、小学校の車が「今日の運動会は中止になりました」と言って回るはずだ。
ぼくが小学生の頃、一度だけそういうことがあった。
その時は小雨で、運動会が出来るか出来ないか微妙な天候だったのだ。
結局その日は中止になり、翌々日に延期になった。
しかし、今日は雨は降ってなかったし、まさか光化学スモッグとか黄砂の影響で中止になるとは考えられない。
なぜなら、公害がひどかったぼくたちの時代でも、そういうことはなかったことだからだ。

だが、原因はそれだった。
今日市内で運動会を予定していた小学校の数は85校、すべて中止になったそうだ。

一歩前に出るんだ。
怖がることはない。
さあ、一歩前に出るんだ。
そこには今までになかった真実と、
限りない可能性があるじゃないか。
ほら、一歩前に出るんだ。
その場所を一つ移動するんだ。
何もこだわらずに、
そこからそれを凝視するんだ。
今までと違った感動を味わうんだ。
そしてそれを体験とするんだ。
それは一度っきりかもしれない。
だけどそれは自分の人生となるのだ。
さあ、恐れることはない。
前に出るんだ。
一歩前に出るんだ。
前に出て、その場所に立つんだ。

腹痛できつい。
明日は運動会を見に行こうと思っているので、今日は早めに寝ることにする。
そういえば、明日は海軍記念日か。
わが連合艦隊がバルチック艦隊を撃破した日だ。
「天候晴朗」であってほしい。

雨がボーボーと降っている
雨がボーボーと降っている
何も変わらない
いつものくり返しだ
おそらく人生だって…
雨がボーボーと降っている
雨がボーボーと降っている

最近よく見る夢の一つに、閉店セール初日の夢がある。
「泣いても笑っても、このセールで最後だ」
などと言いながらも、なぜかウキウキしている夢なのだ。
出てくるメンバーはいつも同じで、昨年3月までいっしょに働いていた人たちだ。
特に未練は残ってないはずなのに、その夢を見ると、今でも現実にその状況が続いているような気がして、何か心が癒される気がする。

もう一つよく見る夢に、走れない夢がある。
誰かに追いかけられている夢で、途中までは走っているのだが、走っていると意識すると突然足が動かなくなるのだ。
ジタバタするが走れない。
追っ手はすぐそこまできている。
無理して足を動かす。
そこで目が覚めるのだ。
布団上でもジタバタしていたのか、えらくシーツが乱れている。
息も荒く、動悸もしている。

夢は心理状態を表すと言うが、上の二つの夢は、いったいぼくのどんな心理状態を表しているのだろうか?
特に知りたいとは思わないが、よく見る夢なので、気になるところではある。

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