吹く風ねっと

一生は未来の記憶を散りばめた一本の道。人生は未来の記憶をひろいながら歩く旅。

2006年11月

先々週だったが、象の夢を見た。
友人宅から帰る途中、歩道を歩いていると、象が2頭、車道を全力で走ってきた。
そして、ぼくの横を駆け抜けていった。
その2頭の象はアフリカ象だった。
別に襲われはしなかったのだが、空恐ろしくなった。
そしてその気持ちのまま、目が覚めたのだった。

象を夢見るなんて初めてのことなので、これは何かあると思い、さっそく夢占いで調べてみた。
だが、大した意味はなかった。
自分が襲われない限り、悪い暗示ではないというのだ。
しいて言うなら、疲れているとのことだったが、ウォーキング以外は、さして疲れるようなことはしてない。
そこで、「大したことはない」と自分に言い聞かせておいた。

今朝のこと。
夢の中で誰かに向かって「頭が痛い」と言った。
その瞬間、場面が変わった。
横には嫁ブーがいた。
買い物に行く途中だったと思う。
横断歩道で信号待ちをしていると、またしてもアフリカ象が2頭走ってきた。
すると今度は逆方向から大きなヘビが出てきた。
二者は横断歩道でかち合ってしまった。
それから、象とヘビのにらみ合いが始まった。
ヘビが頭を持ち上げると、象はヘビを踏みつぶそうと足を上げる。
するとヘビは、頭を引っ込める。
そのやり取りが何度か続くうちに、信号が青になった。
ぼくと嫁ブーは、象とヘビの争いを横目で見ながら、横断歩道を渡った。
そこで目が覚めた。

目が覚めてみると、夢の通りで頭が痛かった。
ということは、象と頭痛に何か関係があるのだろうか?
いや、それはないだろう。
前回は、別に頭は痛くなかったのだから。
…などと、いろいろ考えているうちに、何十年も忘れていたことを思い出した。

ぼくが保育園に通っていた頃だったと思うが、えらくアフリカ象を恐れていた時期がある。
おそらくテレビか何かで、「アフリカ象は凶暴」と言っていたのを聞いて、恐くなったのだと思う。
寝る時に、いつもアフリカ象がアフリカから走ってくるような気がして眠れなかったものだった。
「アフリカ象は恐くない」と自分に言い聞かせていたが、それでその妄想が消えることはなかった。
結局その妄想は小学校に上がるまで続いていたのだった。

もしかして、今頃その妄想が復活したのだろうか?
だが、今は別にアフリカ象は恐くない。
さすがにダッシュでそばを走られたら恐く感じるだろうが、それは大型のトラックが猛スピードで横を走り抜けるのと同じ恐怖である。
では、そのアフリカ象は何を意味しているのだろうか?
やはり疲れだろうか?
もしそうであるとしたら、今の生活のいったい何が疲れを作っているのだろうか?
まさか読書ではないだろう。

小学生の頃、隣の町内に『鬼太郎』というあだ名の子が住んでいた。
目が異様に大きく、少し出目ぎみだった。
その印象から『鬼太郎』というあだ名が付いたのだと思う。
いつもグジグジして何を言っているのかわからず、そのために友だちもいなかったようだ。
町内が違っていたので、ぼくたちの遊ぶ場所には来なかった。
が、たまに来ると、いつも騒ぎを起こしていた。

ぼくたちがよく遊んでいた公園の横に、カツという友だちの家があった。
カツは同じ野球のメンバーで、よくいっしょに野球をしていたのだが、夏のある日、いつものように野球をやっていると、メンバーの一人が、
「カツ、鬼太郎がおまえの家の庭におるぞ」と言った。
みんながカツの家のほうを見てみると、鬼太郎は長い棒を持って何かやっていた。
カツは慌てて家に戻って行き、みんなはカツのあとを追った。

カツの家に行ってみると、鬼太郎は手にビワを持っていた。
カツの家の庭になっているビワを、例の長い棒でつついて落としたもののようだ。
「おまえ、ここで何しよるんか?」とカツは言った。
「何もしよらん」と鬼太郎が答えた。
「『何もしよらん』があるか。そのビワどうしたんか?」
「この家の人にもろた」
「何でこの家の人にもらえるんか?」
「ここ友だちの家やけ」
「そうか。じゃあ、その友だちの名前を言うてみ」
「ブツブツ…」
「あっ、聞こえん!」
「ブツブツ…」
「わからんのやろうが。ここはおれの家たい。おまえはおれの友だちなんか?」
「‥‥」
鬼太郎はずっと下を向いたままで、ブツブツ独り言を言っていた。
そしてカツからさんざん文句を言われ、逃げて行った。
鬼太郎は方々でこういう騒ぎを起こしていたのだ。

鬼太郎の起こした事件で忘れられないことがある。
あれはお盆のことだった。
ぼくたちが、いろいろな町内の盆踊りを見て回っている時のことだった。
ある町内の盆踊り会場が、何か殺伐とした雰囲気になっていた。
そこにいた知り合いの上級生に「何かあったと?」と尋ねると、
「おう、鬼太郎がおるやろ」
「うん」
「あいつが、砂をレコードめがけて投げつけたんよ。それで演奏がストップした」
「え、鬼太郎が。で、あいつどこ行ったん?」
「走って逃げて行った」
「そうなん」
「見つけ出して、ボコボコにしてやる」
と、上級生は息巻いて、鬼太郎を探しに行った。

その後、その上級生と鬼太郎の間に何があったのかは知らない。
ただ、その日を境に、鬼太郎はぼくたちの前から姿を消したのだった。

ぼくはこれまであまり小説というものを読んだことがない。
一番本を読んでいた20代・30代は思想書、宗教書、ビジネス書、エッセイなどを主に読んでいた。
小説は、中学生の頃に夏目漱石、高校生の頃に遠藤周作(ユーモア小説のみ)、20代前半に歴史小説や若干のSF物を読んだくらいだ。
なぜ小説を読まなかったのかというと、人の作った物語に価値を感じなかったからである。

40代に入ると歴史書を中心に読むようになった。
学生時代に途中までしか習わなかった、近代史を完結させたかったのだ。
これが46歳頃まで続く。

その後、興味はマンガのほうに移っていった。
『20世紀少年』が発端になった。
それ以来、これまで読み逃していたものを買い集めて、何度も何度も読み返した。
人の作った物語という点からすればマンガだって同じなのだが、マンガのほうは読むのに時間がかからないし、画だけ見てもある程度内容は把握できる。
マンガにだって、人生もあり、思想もある。
画がある分、その印象は深い。

マンガを読み出してからしばらくは、歴史書も読んでいた。
だが、好きな著者の分はあらかた読んでしまったので、興味が薄れていった。
そのため、ここ2年ばかりはマンガばかり読んでいた。
こればかりは何度読んでも飽きない。
プー太郎生活のよき友となってくれていた。

ところが最近、映画やドラマを見ると、必ずといっていいほど原作が読みたくなるのだ。
それで、今まであまり読んだことのない小説を読むようになった。
最近読んだ本は、『いい女』『嫌われ松子』『地下鉄に乗って』『手紙』などである。
映画やドラマで内容は知っているものの、活字で読むと、また趣が違ってくる。
微妙に内容が変わっていたり、原作に存在しない人物がドラマには出ていたりで、そういうのを確認しながら読むのもまた楽しい。
当分、小説から離れられそうにない。

ただ、小説を読むのに、けっこう時間がかかってしまうのが難点ではある。
まあ、最初に読んだ『いい女』の時に比べると、早く読めるようにはなってはいるが、それでも1冊につき2,3日を要してしまう。
20代に歴史小説を読んでいた頃は、1日に2冊は読むことが出来たのだ。
やはり、読書にも慣れというのがあるのだろう。

(1)
今月の22日にスペースワールド隣に開店した、イオン八幡東店に行ってきた。
いつも行っているイオン若松店に行くつもりで家を出たのだが、せっかくだからということで行ってみたわけだ。
オープンしてすでに6日経っているし、今日は平日なので、それほど客はいないだろうと踏んでいたが、甘かった。
駐車場は満車状態だし、店内のどの売場にいっても人が多い。
行ったのが昼時だったので、食堂街も人が溢れている。
この状態を見ると、オープン初日の人出は、先日行った起業祭よりも多かったのではないだろうか。

(2)
ぼくがそこに行った理由は、もちろん買い物だったのだが、別にも目的があった。
昨年の12月までいっしょに働いていたパートさんが、そこに転職したと聞いたので、顔を見に行ったわけだ。
売場は衣料品のところと聞いていたのだが、その衣料品がいくつも別れている。
何度か売場を回ったがいない。
「しかたない、パンツでも買って帰ろう」と、紳士用品売場に行ったら、そこにいた。
ぼくはパンツを持ってレジに並び、声をかけた。
聞けば、他にも何人かそちらに移ったと言う。
そこでその人たちを捜してみたのだが、見あたらなかった。
まあ、それは次に行く時の楽しみにとっておくことにしよう。

(1)
あと1年足らずで自分が50歳になるなんて、何かピンと来ない。
子どもの頃に50歳といえば、おっさんを通り越してじいさんだと思っていたものだが、その時が自分に迫っていることが、信用できないのだ。

そこに到達するためには、かなり長い時間がかかるだろうと思っていた。
ところが、過ぎてみるとあっという間だ。
確かに10代の頃はけっこう昔に感じるが、20代30代はつい昨日のことのように感じる。
そのせいで、80年代以降の歌は、今でも最近の歌だと思っている。

(2)
これまで、一番時間が長く感じたのは、小学4年生の時だった。
月曜から土曜までみっちり授業がある。
その上、週3回はそろばん塾に行かなければならない。
特に木曜日はいやだった。
日曜日までは、その日を含めるとまだ三日もある。
授業はみっちり6時間、終わるとそろばん塾だ。

この日は宿題の量も多かった。
その宿題というのが、漢字の書き取りで、ぼくはこれが大嫌いだった。
他の宿題、例えば算数なら、クイズ感覚で解ける問題もあったので飽きは来なかったが、漢字の宿題はそうはいかない。
とにかく、同じ漢字をひたすら書くという、地味な作業をしなければならないのだ。
やっているうちに、下腹がムズムズしてきたものだった。
そういった理由から、木曜日は朝から憂鬱で、学校に行くのに足が重かった。

(3)
よく年齢を聞かれることがある。
どうもぼくは、年よりも若く見られているようだ。
正直に本当の年齢を言うと、いつも相手はびっくりする。
そこで「この白髪見たらわかるでしょ?」と言うと、「いや、白髪なんて関係ない。そんな色に染めている若い子もたくさんいますから」と答える。

何年か前に、高校生から「しんたさんとしゃべっていると、なんか友だちとしゃべっているみたいな気がする」と言われたことがある。
それはそうかもしれない。
やることはガキみたいだし、学生みたいなしゃべり方だし、今でもその頃と同じ夢を持っているし、考え方もそう変わってないし、趣味もほとんど変わらない。
その上、今の学生と同じマンガを読んでいる。
だから、そう思えるのだろう。

『頑張る40代!』と銘打った日記(ブログ)を始めて、もうすぐ6年になる。
毎日書くことを目標にやってきた。
まあ、更新が遅れることあったものの、とりあえず日にち的には埋めているので、それは良しとしている。
ただ、内容のほうが、年を追ってだれ気味になっている。
ちゃんと書いているのだが、最初の頃と比べると、今の内容はうすっぺらく感じてしまうのだ。
何とかしようと試みたことはあるのだが、そうすると肩に力が入ってしまい、ろくなものが書けない。

さて、その『頑張る40代!』だが、最終回、つまり49歳最後の日まで、すでに1年を切ってしまっている。
あとちょっとということだ。
しかし、その「あとちょっと」が問題なのだ。
この先何を書いていくのかが、わからないでいる。
この日記は、基本的に「思い出」と「思想・主義主張」を中心に書いているのだが、思い出にまつわることは、もうほとんど書き尽くしているのだ。
また、これまで書いてきた思想や主義主張が、たった1年でコロッと変わるとは思えない。

ということで、最後の1年は日常に起きたことを書きつづっていくことだけしか出来ないだろう。
今狙っている仕事がうまくいけば、また新たな展開に持っていけるのだろうが、今のところは何ともしようがない。

ま、あと1年、50前男の日常なんて面白くないでしょうが、よかったら読んでやってください。
もしかしたら、突然変異するかも知れませんので。

月に二度ほどハローワークに行っている。
今日も行ったのだが、なかなか琴線に触れるような企業は見つからない。
年齢が年齢だから見つからないわけではない。
年齢は関係なく、ぼくが適職だと思っている販売、営業、事務といった職種の登録数が少ないのだ。
しかも、登録している会社は、3ヶ月前とほとんどいっしょである。
こういう職種は人気がないのだろうか?
それとも登録している企業の人気がないのだろうか?

そういえば30年前にも職安に通った時期があるのだが、あの頃二度スカウトマンに声をかけられたことがある。
最初の人は笑顔で「いい仕事見つかりましたか?」などと言って近づいてきた。
ぼくは無愛想に「いいえ」と答えた。

「今は不景気だからねえ」
「そうみたいですね」
「ところで君は営業とか興味ない?」
「営業ですか?」
「営業と言ったって、別に難しいことをするわけじゃないんよ」
「何をするんですか?」
「カタログ持って、一軒一軒家を回るだけ」
「売らんといけんのでしょ?」
「いや、別に君が買ってくれと言う必要はない。君は主婦ウケする顔をしているから、カタログ持って行くだけで、あちらから売ってくれと言うと思うよ」
「何のカタログを持っていくんですか?」
「ミシン」
「いや、いいです」
「君ならいいセールスマンになれると思うんだがなあ…」
そう言い残して、彼はどこかへ行った。

ぼくが職安から出ようとした時、ロビーから例のスカウトマンの声が聞こえてきた。
他の人に声をかけているようだった。
彼に気づかれないように近づき、それとなく聞いてみると、
「…君は主婦ウケする顔をしているから…」
と、ぼくに言ったことと同じことを言っていた。
彼の目には、他人の顔はすべて主婦ウケする顔に映ったのだろう。

もう一人のスカウトマンは、えらく体のがっしりした人だった。
その人は遠くからぼくをじっと見ていた。
ぼくがその視線に気づくと、彼は近寄ってきた。
「君はいい体してるねえ。何かやってるの?」
「高校時代に、柔道をやっていましたけど」
「柔道か、それは頼もしいねえ。実はね、君にピッタリの仕事があるんだよ」
「何ですか?」
「自衛隊」
当時のぼくは自衛隊に対していい印象を持っていなかったので断ったが、今なら行っていたかもしれない。

こういうスカウトマンは、今でもいるのだろうか?
ハローワークに行くのは今日で6回目だが、いまだそういう人にはお目にかかってはいない。
まあ、この白髪頭だから、近寄ってこないだけのことかもしれない。

ウォーキングだが、いまだ足の痛みが残っているため、満足な距離を歩いていない。
とはいえ、二三日前からは神社の帰りに、少しだけ遠回りしている。
前は歩けば歩くだけ痛みが増していったのだが、ウォーキングを再開してからは、痛むのは靴が足に馴染むまでの間だけで、あとはあまり痛みを感じないのだ。
どうしてあまり痛みを感じなくなったのかというと、それは歩き方が変わったからだ。

その歩き方というのが、「かかとを意識して歩く」歩き方だ。
これまで歩く時は、いつも足の裏全体で地面を踏みつけていた。
それを、まずかかとで地面を踏んで、体の移動に伴い、その重心を土踏まずからつま先に移動していくようにしてみた。
すると、痛みを感じなくなったのだ。

別に、意識してこういう歩き方に変えたのではない。
痛みをかばって歩いているうちに、いつの間にかこういう歩き方になってしまったのだ。
そのため、この歩き方でいいのかどうかという不安はあった。
もし悪ければ、他の部分が痛くなってくるから、それが恐いのだ。

そういう折、その不安を払拭してくれるものが届いた。
今日のことだ。
ウォーキングから帰ってくると、ポストに一通のDMが入っていた。
うちの家族がひいきにしている明太子屋さんからで、年末売出しのカタログが入っていた。
開けてみると、そこにはカタログの他、もう一枚パンフレットが入っていた。

それを何気なく読んでいると、何とそこにウォーキング時の歩き方が書いてあるではないか。
『歩幅を広げ、かかとから着地して、つま先から大地を蹴るような歩き方』
ぼくはあまり歩幅は広げないが、かかとで着地しつま先で蹴るのは同じなのだ。
ということは、ぼくの歩き方は正しかったということになる。

この歩き方で20分ウォーキングをすると、1万歩歩いたのと同じ効果があるという。
なるほど、ぼくがこの歩き方をするようになってからは、神社の行き帰り程度の距離を歩いても疲れるようになった。
このパンフレットを読むまでは、痛みをかばう歩き方をするせいだと思っていたが、そうではなかった。
神社の往復がだいたい30分だから、この計算で行くと1万5千歩歩くのと同じくらいの運動をしていたわけだ。
しかし、痛みをかばう歩き方が、理に適った歩き方だというのもおかしな話である。

最後に、明太子屋さん、ありがとうございました。
いろいろ勉強になりました。

30年前の今頃は、必死に『三国志』を読んでいた。
繰り返し繰り返し、10回は読んだと思う。
そのせいで、妙に天下人になったような気がして、大きな顔をして日々を過ごしていたような気がする。
ブルースリーの映画を見た後に、強くなったような気がするのと同じである。
ちょうど浪人中だったのだが、これがいけなかった。
「おれにはやるべき大きな仕事があるんだから、勉強なんて馬鹿らしくて出来るか」などと思ってしまったのだ。
正月までこの状態が続いた。

『三国志』を読みだしたのはその年の10月だったが、それ以前に読んでいたのが『中原中也詩集』で、こちらは8月中旬、つまりお盆から読みだした。
これまた勉強を妨げるのにはもってこいの本だった。
それを読んで中也に傾倒してしまい、中也であろうとしたのだ。
詩風を真似し、生活態度を真似した。
その年譜に「大正9年 …このころより読書欲起こり、学業を怠る」とあるのだが、それまで真似してしまったわけだ。
それから『三国志』と続いたわけだから、その間、つまりその年のお盆から翌年の正月までの約5ヶ月間、まったく勉強しなかったことになる。

正月を過ぎてようやく目が覚めて焦りだすのだが、元々学業の才能を持ち合わせていないぼくが、そんな時期から勉強を始めても、間に合うわけはない。
落ちるのも当然である。

さて、読書の方だが、現実に目が覚めてからまったく読まなかったわけではない。
勉強の合間合間に読んでいた。
だが、以前のようにそれに「なりきる」まで深く読みはしなかった。
そういう読み方になるのは、受験後に『織田信長』を読み出してからだ。
またもや天下人である。
しかも、今度は気が短いときている。
現在、ぼくには短気なところもあるのだが、それは信長になりきっていた時代の後遺症である。

二年前に一家総出で、秋月に行ったことがある。
11月のこの時期だったと思うが、『紅葉の名勝』があるとテレビで紹介されていたので、行ってみようということになったのだ。
高速を使うとさほど時間もかからないのだが、そうすると時間が余ってしまい「せっかくここまで来たんだから、○○に行こう」などとなりかねないので、この時は国道を使ってのんびりと行くことにした。
秋月に着いたのは、出発してからおよそ2時間後だった。

さて、秋月は普段でも観光客が多いのだが、やはりテレビの効果だろう、この時はさらに多くの人が来ていた。
メイン通りは人でごった返しており、なかなか前に進めなかった。
嫁ブーは「さすがに紅葉のシーズンやね」などと言って感心していた。
ぼくたちは流れに押され、別に目的にはしてなかった史跡の観光ばかりして歩いた。
その折々に周りの木々を見てみたのだが、紅葉はおろか、まだ緑だらけだった。

茶店で休憩し、それからようやく紅葉を訪ねることにした。
ところが、テレビで見た『紅葉の名勝』がどこにあるのかわからない。
そこで茶店の人に聞いてみた。
「ここの先を左に折れて、まっすぐに行くとお寺があります」
と言う。
どうやら、そこが『紅葉の名勝』らしい。

茶店の人が言ったとおりに歩いていくと、遥か向こうにお寺らしきものが見える。
「ああ、あそこやん」
と、ぼくと嫁ブーは率先して歩いていった。
あぜ道を抜け、民家を抜けて、山道にさしかかったところにそのお寺はあった。

小さなお寺だった。
一面木々に囲まれて、なるほど『紅葉の名勝』と言われるだけのことはある。
しかし、それは赤く色づいていれば、の話である。
その時、若干色づいた部分はあったものの、まだどの木も緑色に覆われていたのだ。
テレビではあんなに赤く色づいていたのに、もう終わったのだろうか。
いや、それはないだろう。
ぼくの中の常識では紅葉が終わると、あとは散るばかりで、緑に色づくなどということはない。
ということは場所が違うのだろう。

ぼくたちはいったん茶店のところまで戻り、その場所を探してみた。
だが、周りの山の中にも、赤く染まっているところはない。
しかたなく、帰路に就いたわけだが、何か釈然としないものがあった。
テレビで見た、あの赤く染まった風景は何だったのだろう。
確かにテロップでは秋月となっていたし、レポーターもそう言っていた。

その二年前の疑問がようやく解けたのだ。
実は先日テレビを見ていて知ったのだが、秋月の紅葉はこの時期ではなく、もう少し後らしいのだ。
11月下旬から12月にかけてらしい。
つまり二年前、あと一週間ほど遅らせて行けば、『紅葉の名勝』にお目にかかることが出来たわけだ。
ということは、テレビは「紅葉すればこうなります」と、その前の年あたりの画像を見せていたのだろう。
画像だけ見て、早とちりしていたわけだ。

(1)
昨日の記事に、久しぶりにコメントがついた。
記事とは直接関係ないようだが、興味深かい話だ。

コメントを読んでもらったらわかるだろうが、先日起きた、北九州の小学校で起きたたかり事件についての話である。
後に校長が自殺したせいで、全国ニュースになったあの事件だ。
やはり、たかられていた生徒は自殺まで考えていたのだ。

ぼくは昨日の友人も含めて、友人を一年間に三人も自殺で失ったことがあるのだが、そのショックは計り知れないものがあった。
友人のぼくでさえこんなふうだったのだから、死なれた親御さんはたまらないだろう。
それを考えると、今回親御さんは、早い段階で事件を知っておいてよかったと思う。
そのおかげで、かわいい子を死なせずにすんだし、事件が明るみに出たわけだからだ。

死んでしまうと、あとでどんな調査をやっても、なかなか真相まではつかめないものだ。
昨日のぼくの例もそうで、「原因はおそらくあれだろう」くらいしかわからなかったのだ。
その原因がぼくたちとは関係ないところにあったのだが、「さて真相は?」というと、実はいまだにわからないのである。

(2)
しかし、まさかあの事件を世に知らしめた方が、このブログの読者である「だいきちさん」だとは思わなかった。
まさにグッドジョブである。

さて、その「だいきちさん」には申し訳ないが、本文を何ヶ所か訂正させてもらった。
実名が書かれていたからだ。
しかも、メールアドレス付きで。
こういうのは危ないので、勝手に訂正させていただきました。

(3)
ところで、最近はいろいろと教師の低落が話題になっているが、先日テレビを見ていると、ある教師が「教育基本法改正なんかやっても、問題は解決しない」などと言っていた。
では、どうすれば解決するのかということには一切触れないで、グチばかりこぼしている。
こういうのがいるからダメなのだ。
これまでやってきたこと、すべてにメスを入れないと問題は解決しない。
教育基本法もその一つなのではないのだろうか。

このページのトップヘ