吹く風ねっと

一生は未来の記憶を散りばめた一本の道。人生は未来の記憶をひろいながら歩く旅。

2005年10月

プレイヤーズ王国に公開申請していた歌が、ようやく公開となった。
例の『秋の夜』という歌で、「皆岡伸太」名で公開している。
ヤマハに申請したのが、この日記で『秋の夜』のことを書いた日(21日)だったから、公開まで10日間もかかっている。
以前は、こんなにかかることはなかった。
早い時で2日、遅くとも1週間だったのだ。
きっと利用者が増えているのだろう。

現在、ぼくはヤマハに三つのIDで登録している。
今回の「皆岡伸太」と、「しろげしんた」、「しろげしんたⅡ」の三つである。
別に意図があって、三つに分けているわけではない。
一つのIDが公開できる曲数に制限があるためだ。
それでも皆岡伸太だけは、「しろげしんた」とは違ったイメージの歌を登録しようと思っていた。
だが、無駄だった。
一人でやっているものだから、どうしてもばれてしまう。

さて、それとは別に、現在『ひとりぼっち』という歌を、「しろげしんたⅡ」名で申請している。
これまた公開までに時間がかかるだろうから、先行して、ここで公開することにいたします。

『ひとりぼっち』
気がついてみれば いつもひとりぼっち
気楽につきあっていけそうな 皆さんですがね
振り向いてみれば 誰もいなくなってね
そんな毎日が ぼくをつつんでる

寂しいというのが 本音なんだけど
いつもひとりっきりで 強がってみてね
ひとりぼっちなんですね もともとが
そうそう どこへ行ってみたってね

だから 今だけは笑っていましょうよ
ね 今夜はとてもビールがおいしいんだから
ひとりぼっちの部屋で 乾杯してね
青春 ああこれがぼくの青春でしょうよ

寂しげな街が ぼくによく似合う
なんて かっこいいこと言っているけど
つまりひとりぼっちの いきがりでしてね
さよなら また明日逢いましょうよ

 気がついてみれば いつもひとりぼっち
 そんな毎日が ぼくをつつんでる

10月、10月、10月…。
何も思い出せない。
きっとあまりいい月ではなかったから、本能が記憶にとどめることを避けたのだろう。

今日で10月も終り、明日からは運命の11月に突入する。
何で運命の11月なのかというと、実は先日占ってもらった人から、「今年の誕生月に、自分のこれからの道がはっきりする」と言われたのだ。
その結果、これまでモヤモヤしていたものから解放されるらしい。
まあ、夢を見て生きていけたら、生活のこととか老後のこととといった煩わしいことから解放されるのは確かだろう。

ということで、「11月になったら、夢に生きてみようかな」などと思っています。

昨日書いた友人の話である。
本を返してもらった後に、いろいろと昔話をしていたのだが、突然その友人がこう言った。
「この会社に、親戚の人が働きよるっちゃね」
「この会社に?」
「うん。おれのいとこになるんよ」
「ふーん」
「この間、そこのお母さんが亡くなってね、それで葬式に行ったんやけど、その時いとこに『どこで働きよると?』と聞いたら、この会社やん。そこで『その会社なら友だちが働きよるよ』と言ったんよ」
「うん」
「『名前、何と言うと?』と聞くんで、『しんた』と答えたら、びくりして『えっ、しんちゃん!?』と言うんよ」
「えっ?」
「飲み友だちとか言いよったよ」

ぼくは今の会社に中途で入っているため、ぼくを知っている人はそんなに多くはいない。
なのに、『しんちゃん』である。
いったい誰だろうと思い、聞いてみた。
「ああ名前ね。Kというんよ」
「えーっ、K!?」
Kとは、ぼくが今働いている店の、前の店長の名前である。
確かにこの間、Kさんのお母さんは亡くなった。
それで葬儀に行ったのだが、それがまさかその友人の親戚だったとは知らなかった。

実は、Kさんは、ぼくが今の会社に入った時、ぼくの部門の担当課長だった。
最初Kさんと会った時からウマが合ったというか、初めて会った気がしなかった。
Kさんも、それは同じだったようで、何かとぼくを目にかけてくれていた。
Kさんが友人に語ったように、何度も飲みに行ったし、何度か家に遊びに行ったこともある。
「しんちゃん」「おいちゃん」の仲だったのだ。
そういう仲だったので、そのKさんが今ぼくがいる店の店長だった時に、ぼくは呼ばれたわけである。
4年間いっしょに働いたが、その間のことは、何度かこの日記にも書いている。
その後Kさんは上の者に疎まれて、他部門に異動になったのだった。

しかし不思議なものである。
ぼくがウマが合うと思った人間は、必ずと言っていいほど、裏で何らかの繋がりがあるのだ。

例えば、友人のオナカ君がそうである。
オナカ君とは、高校1年の時に初めて会ったのだが、Kさんと同じように、初めて会った気がしなかった。
つまり、ウマが合ったわけである。
そのオナカ君とぼくとの間には、将来親戚になるという繋がりがあったのだ。
おそらく、最初に会った時、ぼくは潜在的にそういう予感を持っていたのだと思う。

もう一つの例がある。
長崎屋にいた頃、ウマが合った人に、Nさんという方がいる。
その人も、将来繋がりを持つことになるのだ。
Nさんはぼくと知り合ってから数年後に結婚するのだが、実はその相手というのが、ぼくの母親の親友の娘だったのである。
もちろん結婚した当初は、誰もそのことを知らなかった。
知ったのは、Nさんが結婚してから何年か経った後のことだった。

だけどKさんの件は驚いた。
その友人は保育園から中学にかけて、一番の友だちだったのだ。
ウマが合うためには、きっと裏でそういう強い繋がりがいるのだろう。
ということは、出会いからウマが合った嫁ブーとも、どこかで繋がりがあるはずである。
ということで、今、嫁ブーとの裏の繋がりを探っている。

あるショッピングサイトに会員登録をしていたのだが、そこに「永遠の一冊」を書く欄があった。
「永遠の一冊」、つまり、自分にとっての一冊の本のことだろうが、それを言われるとちょっと困る。

ずっと前に、この日記にも書いたのだが、
10年位前だったろうか、ある本を読んでいると、「人には一冊の本が備わっている」ということが書いてあった。
それを読んでハタと思った。
「そうか、今まで一冊の本を探していたけど、自分にとっての一冊の本とは一生のうちに読む全部の本のことだ」
そういえば、ぼくは本を探す時、前に読んだ本で紹介されたものや、その本に関連あるものを探している。
そう、全部繋がっているのだ。
今日読む本が、「一冊の本」の中の一部というわけだ。
そのことを悟ってから、ぼくは「一冊の本」というのにこだわらずに、読書を楽しむようになった。
しかしぼくの「一冊の本」というのは、実に膨大な量である。(2002年7月1日)
ということだから、これまでに読んだ本全部ということになる。
今残っている本だけでも、自宅に書棚8台、実家に書棚3台、さら学生時代に読んだ本が段ボール箱10個分もあるのだ。
これまでに読んだ本全部が一冊なのだから、全部書き込めるわけがない。
そこで、その欄に書き込むのはやめることにした。

そうそう、本で思い出したことがある。
何日か前に、小学校時代の友人が職場を訪ねてきた。
何しに来たのだろうと思っていると、彼は手に持っていたビニール袋をぼくに手渡した。
「何、これ?」
「いや、前に借りとった本」
「え?」
「机を整理していたら出てきたんよ」
袋の中を覗いてみると、遠藤周作の小説と、自己啓発書が入っていた。
どちらもえらく黄ばんでいる。
それもそのはず、その本を貸したのは、20年近く前である。

その後、その友人と昔話をしていたのだが、その時ふと、ぼくはあることを思い出した。
何かというと、その友人に貸した本のことである。
実は、その友人に貸している本は、先に書いた本だけではなかったのだ。
小学3年生の頃だったと思うが、その友人に本を貸した覚えがある。
その本がまだ戻ってきてないのだ。

しかし、そのことは彼には言わなかった。
仮に、「小学3年生の頃、おまえに貸した『別冊少年サンデー』はいつ返すんか?」と言っても、彼は覚えてないだろう。
ちなみに、その別冊少年サンデーは『おそ松くん』の特集号だった。
なぜそんなことを覚えているのかというと、『おそ松くん』は、当時ぼくの「永遠の一冊」だったからだ。

【1】
そういえば、昨日、先日の健康診断の結果が来ていた。
案の定、尿潜血が引っかかっていた。
数値の横に、『要精密検査』という文字が書いてあったのだ。
しかし、同じ数値の出た5年前には、再検査なんかしなかった。
何で今回は再検査をしなければならないのだろう。
再検査となると、また健康センターに出向かなくてはならない。
これが面倒である。
休みがこれで潰れてしまうのだ。

実は、寝不足を解消したり、暴飲暴食を慎んだおかげで、オシッコの時の違和感はほとんどなくなり、もう少しで完治するところまできている。
それなのに、何が要精密検査だ。
自分の体は自分が一番よく知っている。
自分でいいというのだから、もういいだろう。
そんなに再検査がしたければ、そちらから検査をしに来い。
小便なんかいくらでもくれてやるわい!

【2】
最大130mmHg、最小83mmHg
この数値は何なのかというと、今夕6時に測った、ぼくの血圧である。
朝からずっと測っているのだが、だいたい同じ数値だ。
昨日もそうだった。

ところが、10月5日の健康診断の時の数値は、
最大146mmHg、最小96mmHgになっていた。
そのせいで、昨日、要精密検査の通知が来た。
その通知の医師の所見を見ると、
『血圧が高いようです。速めに内科を受診して下さい』と書いてあった。

冗談じゃない。
あの時、たまたま血圧が高かっただけじゃないか。
しかも、血圧を測る前に「こういうところで測ると、いつも血圧が高くなるんです。今階段を上って来たばかりで動悸もしていますから、落ち着くまで何回か測ってもらえませんか?」と言っていたのに、係員は二度しか測ってくれなかった。
仕方がないので、「後でもう一回測り直してくれ」と頼んだのだが、それは却下された。

その結果が、要精密検査だ。
汚いぞ、健康センター。
もしかして、そんないい加減な測り方で人を病院送りにして、リベートでももらおうとでも思ってるんじゃないのか?

放送局や新聞が、こぞって、昨日日本シリーズに勝利したロッテを褒め称えている。
その中で一つだけ、嬉しい記事を書いてくれたところがある。
夕刊フジだ。
 「ロッテがこんなに強いチームとは思わんかった。そのロッテにペナントレースで4.5差もつけ、首位になるなんて、ソフトバンクは信じられん強いチームやな」。トラ番記者たちが、口をあんぐりしている。

ボビーマジックに占拠された日本シリーズで、改めて王ホークスの偉大さを実感しているのだ。

ロッテのおかげで、ホークスの株が上がったようだ。
まだ釈然としない部分がないわけではないが、とりあえずこの記事で、ぼくは今年のホークスを締めくくることが出来た。
後は城島の去就と、ドラフトが残るのみである。

ま、いろいろあったが、今年ほどホークスの試合を安心して見られたシーズンはなかった。
時に15連勝はするし、斉藤・杉内両エースは安定していたし、松中は西武松坂から1試合3本のホームランを打ったし、松中・城島・ズレータの3連発も見ることが出来た。
とにかく、ぶっちぎりで強かった。
2003年の日本一の時だって、100打点カルテットを擁し、2位西武に5、5ゲーム差をつけ優勝したにもかかわらず、今年ほど安心しては見られなかった。
プレーオフさえなければ、最高のシーズンだったと言えるだろう。

来年も今年同様、プレーオフ狙いといった姑息なことは考えずに、堂々リーグ1位を目標に頑張って欲しい。
ということで、ぼくの中のプロ野球は、今日終わった。
さて、明日から何を楽しみに生きていこうか?

結局ロッテ優勝か。
ぼくの予想が当たってしまった。
これでパリーグは、世論からプレーオフの見直しを迫られることになるだろう。
プレーオフ廃止という、いい流れになってくれればいいのだが。
じゃあ、セリーグも取り入れるというふうになってしまうと、ちょっと困る。
今年や昨年のホークスのような、納得のいかないチームが出てくるわけだからだ。

もしプレーオフをどうしてもやるというなら、ペナントレースの延長上に日本シリーズを置かずに、ペナントレースとは別物のシリーズとして設置すべきだ。
そうなれば、ペナントレースの1位チームは、リーグ優勝チームとなるわけで、リーグ1位通過などというわけのわからない呼び方をされなくてすむだろう。

さて、今回の日本シリーズだが、ロッテ陣営は「この人の一発でチームが盛り上がる」と言われる選手、つまり4番打者を、技術面のみならず、心理面や生活面にまで踏み込んで研究していたように思えてならない。
それがまんまと成功したわけだ。
プレーオフの松中、日本シリーズの金本、どちらも1安打である。
この二人が打てなっかったため、その次の打者であるズレータや今岡も調子が上がらなかった。
それは「おれが決めてやる」という思いが、力みに繋がったせいだろう。

逆にロッテの方は、福浦やフランコや李といった、本来なら4番を打つ選手を4番に据えずに、4番目の打者としてサブローを置いた。
そのためサブローの調子が上がらなくても、他の打者に対する影響はほとんどと言っていいほどなかった。
プレーオフから続く流れというものの他に、こういうこともロッテを優勝に導く要因としてはあったのではないだろうか。

バレンタインの胴上げの時、テレビカメラが阪神ベンチを映していた。
どの選手も納得のいかない顔をしていた。
そりゃそうだろう。
極端に言えば、病気で練習の出来なかった力士が、練習を充分に積んできた力士に負けたようなものだからだ。
しかも、こちらは横綱なのに、相手は事情があって出られない横綱の代りに出た大関なのだ。
納得いくはずがない。
どっぷり四つの横綱同士の相撲が取りたかっただろうなあ。

『これからの生き方』
これからの生き方を、変えてみたいと思う
あまりに落ち込んだ、こんな暮らしをやめて
疲れた足取りを、軽やかに変えて
締め切った窓も、大きく開いてみて

大きな夢という、小さな意地を捨てて
その中に縛られた、こんな自分を捨てて
これまでの人生を、素直に受けとめて
これからの人生に、何をするのか考えて

つなぎとめていた、恋の未練にも
別れをつげて、今日からは生きていこう
これからの出会いを、大切にしていければ
もうそれ以上に、何も望むことはなく

いつか来る運命の、中に向かって
夢を忘れ、恋をわすれ、ただ日々の暮らしに
いくつとなく転がっている、生き様を見つけ
ただそれが夢に、つながればいいと思う

昨日、『音楽で成功しよう!』と言ったので、今日は一日、歌のおにいさんをやっていた。
先日書いた『秋の夜』をプレイヤーズ王国に登録したり、上の『これからの生き方』を録音したりと、けっこう充実していた。

だが、自信をなくした面もあった。
それは、この『これからの生き方』である。
単純な曲なのに、どうも上手く歌えないのだ。
何度やってもだめで、上の録音は10何度目かの音である。
疲れてきたせいか、演奏も危なっかしい。

他にも何曲か録ってみたのだが、とてもとてもお聴かせできるものではない。
やはり、『これからの生き方』でのつまずきが、尾を引いたようである。
しかし、こんなことでつまずいていては、運命の神様に認めてもらえない。
やることはやっていますので、運命の神様、見捨てないで下さいね。

阪神ファンのみなさん、歯痒いでしょ?
われわれホークスファンも歯痒い思いをさせられたから、お気持ちはよくわかります。

これまでの3戦を見てよくわかったと思いますが、今シーズンのロッテは、調子に乗ったら神懸かりになるんですよ。
何なんでしょうね、あの原動力は。
考えても見て下さい。
昨年4位だったチームなんですよ。
不思議ですね。
バレンタイン監督の唾に、何か秘密が隠されているのでしょうか?
選手が噛んでいるガムに仕掛けでもあるんでしょうか?
それとも、テレビ中継のスポンサーがロッテだからでしょうか?

とりあえず、あの勢いを止めないと、勝ちの目はありません。
が、プレーオフで勢いがつきまくってますからねえ。
困ったものです。

ここで提案なんですが、阪神のピッチャーが投げる時に言っている、あの「ゥウーッ、ワー」をやめてみたらどうでしょうか。
どうもロッテの選手は、あの「ゥウーッ、ワー」でタイミングを取っているような気がするのです。
つまり、阪神のピッチャーへの援護が、逆にロッテ選手への援護になっているんですね。
とりあえず、明日だけでも、「ゥウーッ、ワー」はやめてみませんか?

それでも負けたら、パリーグのプレーオフ制度に異議を唱えましょう。
遠慮はいりません。
どんどん言ってください。

10月7日の日記に、占いの人から「将来、成功する」といったことを言われたと書いたが、さて、いったい何をやれば成功するのだろうか?
とりあえず今やっていることに没頭せよ、ということなのだが、今やっていることというのは、もしかしてこの日記だろうか?
しかし、日記が良好になってもなあ…。
この日記の訪問者の、10倍ぐらいの人が見るようになるくらいのものではなかろうか。
訪問者が増えるということは、古い記事にケチをつける人も増えるということだろう。

いるんですよ、古い記事にケチを付けてくる人が。
先日、突然「あんたはおかしい」といったコメントがきたので、どの記事にコメントしているのだろうかと調べてみると、これが5年前の記事なのだ。
5年前に書いた記事の批判をされるというのは、小学6年の時に書いた作文の批判を、高校1年になってされるのと同じことである。
5年も経てば、ものの見方や考え方も変わってくるのだ。

ということで、このコメントは無視しておこうと思っていた。
しかし、せっかく書いてくれたコメントなんだからと思い直し、いちおうレスすることにした。
ところが、すでに書いたことも忘れている記事なのだから、そう簡単には書けない。
それを書いた時の気持ちを思い出しながら、レスを考えるのは、本当に疲れる。
結局、当たり障りのないことを書いて、それでよしとしたのだった。

それもこれも、訪問者の少ない今だからできるのだ。
訪問者が増えれば、そういうコメントは、確実に削除することだろう。
だけど、削除するというのは、何か気が引けるものである。
訪問者の多いサイトの人は、そういうことが平然と出来るのだろうか?
そういうコメントをもらって、気分を害さないだろうか?
こういうことを考える時点で、ぼくは日記向きの人間でないことがわかる。
ということは、日記で成功するのではなさそうだ。

「では、何で成功するのだろうか? 趣味と言っても、これといったものはないし…」
いろいろ考えているうちに、ふとあることを思いついた。
『今やっていること』なんだから、今やればいいのだ。
ということで、かつての夢であった、音楽をやることにした。
いや、かつての夢ではあるが、今もなお、その夢は朽ちていないのだ。
これは都合がいい。
若い頃から抱いていた夢が、ここで叶うのだ。
ということで、運命の神様に、「今、音楽をやっています」とアピールすることにした。
将来は、音楽で成功させてもらおうじゃないか。

今日は日中お客さんが多く忙しかった。
ようやく客足が途絶えたのは、夕方だった。
それまでに、明日の準備も終えていたので、それからすることがない。
そこで、しかたなくテレビで日本シリーズを見ることにした。
このシリーズは、どちらのチームにも思い入れがない。
そのため、気楽に観戦することが出来た。

チャンネルを変えた時は、ちょうどロッテが先制点を入れたところだった。
プレーオフ第5戦から、ずっと勢いが衰えないようで、昨日は大勝していた。
今日もその勢いで行くのかと思って見ていた。

それからしばらくして、年配のお客さんがぼくに声をかけてきた。
「このテレビにスカパー!は付けられるんかね?」
「付けられますよ」
「グリーンチャンネルを見たいけねえ」
「そうですか」
「そうか、スカパー!は付けられるんか。じゃあ、今度買うことにするかな」
そう言って、お客さんは立ち去ろうとした。

ところが、テレビで日本シリーズをやっているに気づいたお客さんは、立ち止まって、急に文句を言い出した。
「選手総動員すると言いよったのに、どうしてそうせんかったんかのう」
「えっ?」
「斉藤も準備しとったんやろ?」
「ああ」
何の文句を言っているのかと思ったら、この間のプレーオフの文句を言っているのだ。

「馬原や三瀬の前に、斉藤を投げさせとったら、あの試合はどうなったかわからん」「杉内も斉藤に代わると思って、安心してマウンドを降りたんやけ。そこに三瀬やろ。これじゃあ、納得いかんでしょうが!」「仮に斉藤が打たれて負けとったとしても、それなら納得がいく」「ファンをバカにしやがって」
矢継ぎ早に、お客さんの文句は続く。
ようやくプレーオフのことを忘れたのに、そのお客さんの文句で、またあの悔しさがよみがえってきた。

そのお客さんは、いったんそこから離れて行ったが、また戻ってきて、斉藤だの馬原だの文句を言い出した。
ぼくはいちおうお客さんの文句に耳を傾けているふりをしていたが、内心はお客さんの言うことには同調できなかった。
そもそも、あの試合の敗因は、斉藤とか馬原とかいう問題ではなかったからだ。
ホークスは、負けるべくして負けた試合だったのだ。
その証拠に、あの日のホークス選手は、第3戦の時のロッテ選手みたいに浮き足だっていたではないか。
何で普段通りの野球が出来なかったのだろう。
それよりも何よりも、プレーオフという制度自体がおかしい。
と、ぼくはお客さんの文句を聞き流しながら、そんなことを考えていた。

さて、今日もロッテが勝った。
これで日本シリーズはロッテの2勝である。
ぼく個人としては、このままロッテに突っ走ってもらいたいと思っている。
いや、別に阪神が嫌いだとか、ロッテに肩入れしているとかではない。
仮に阪神が4連敗したりすると、昨年の中日のことも考え合わせて、セリーグ連盟やマスコミやファンは黙っていないと思うからだ。
おそらく、プレーオフはパリーグの優勝チームに勢いをつけるための制度と理解され、世論は「汚いぞ、パリーグ」というものになるだろう。
そうなると、プレーオフは廃止に追い込まれるに違いない。

プレーオフというわけのわからない制度は、さっさとやめるべきなのだ。
セリーグ関係の人たちや、セリーグファンの人たちに失礼だろうが!

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