吹く風ねっと

一生は未来の記憶を散りばめた一本の道。人生は未来の記憶をひろいながら歩く旅。

2005年02月

ぼくは経済のことなどまったくわからない。
さらに株式などと言われると、ちんぷんかんぷんだ。
それゆえ、新聞も経済欄は飛ばしているし、テレビの経済ニュースなどは見ないことにしている。
たまに見ることはあっても、それはソニーなんかが新製品を発表した時くらいだ。

さて、ここ最近フジテレビとライブドアの闘いを、ニュースなどでやっている。
もちろん、そこには株の専門用語が頻繁に出てくるから、おそらくその内容の半分はわからないだろう。
だが、それでもぼくはそのニュースを興味を持って見ている。
それは、残りの半分がケンカだからだ。
このケンカは、先に手を出したのがライブドアで、その勢いに乗って突っ走った。
一方のフジは、それを食い止めるべく反撃に出た。
それが気に入らんとライブドアが文句を言っている。
という話である。

普通、こういう場合は、先に手を出したほうに批判が、手を出されたほうに同情が集まるものだ。
その同情というのが、どれだけ大きな力となるかは、先の大戦(太平洋戦争)を見てもわかる。
先の大戦では、アメリカはいろいろと手を尽くして、後者の側に回ろうとした。
そう、国内及び世界の世論を味方に付けるためだ。
そしてそれは、見事に成功した。
前者となった日本は、そのせいで全世界を敵に回すことになる。
戦後もそのことが大きく響いた。
アメリカが行った原爆投下や都市部への無差別空爆といった、本当の意味での戦争犯罪に言及することもできず、さらに悪いことに、日本に負けていた国からも、いわれのない罪を押しつけられる結果となってしまったのだ。
なぜそうなったかというと、すべては先に手を出したからである。

ところが、今回の問題は、おかしな現象が起きている。
もちろん、先に手を出したライブドアは当然批判を受けることになったが、なぜか後者であるフジのほうも、古い体質だとか、やり方が汚いだとか言われて批判を受けているのだ。

今夕のニュースでは、ライブドアの支持率が62%となっていた。
いつものように街頭インタビューもやっていたが、支持率を裏付けるかのように堀江支持の声のほうを多く紹介していた。
ところが、その理由というのが、堀江支持派に圧倒的に多い意見である「同世代だから」「古い体質からの脱却」だった。
しかし、そこには「だから、どうなんだ」という意見が一つもないのだ。
コメンテーターがいちおうその意見をフォローしていたのだが、それはあくまでもコメンテーターの意見に過ぎない。

ぼくはこれを見ていて、6,70年代に世の中を騒がした学生たちを思い出した。
彼らもまた「体制崩壊」だの「革命」だの口走って、「古い体質からの脱却」を訴えていたのだ。
ぼくが東京にいる頃も、その残党が残っていて、よく駅前でハンドメガホン片手に、演説をぶっていたものだ。
しかし、その演説に足を止める人など一人もいなかった。
なぜなら、彼らの言うことは、政治への不満、もっと広く言えば、大人への不満だったからである。
そういう不平不満をダラダラ並べるだけで、「だからどうなんだ」という主張は皆無だった。
そのため、何の説得力もなく、ただうるさいだけの存在になってしまっていたのだ。

面白いことに、今の体制の主流になっているのは、あの頃「古い体質からの脱却」を訴えていた学生たちの世代なのだ。
その体制を崩壊させるというのだから、それはそれ以前の体制に戻すということになるのではないだろうか。
そうであれば、かなり古い体質になってしまう。

ところで、今回のケンカだが、「古い体質」だと批難するライブドアは、どうしてその古い体質の上に乗っかかろうとするのだろう。
そんなに古い体質が嫌なのなら、自分たちで独自の新しい体質を作り出せばいいのだ。
それなら誰も文句は言わない。
「よくやっている」と言って、世間も拍手を送るだろう。
優秀な頭脳の持ち主ばかりなのに、どうしてそうしないのか。
もしかして、彼らは古い体質に甘えているのかなあ。

それから1時間ほどが過ぎた。
三人の会話が途絶えた。
しばらく沈黙が続いたあとに、一人が「ママ、今日は歌わせて」と言った。
ぼくたちが振り向くと、それは時々見かける女性だった。
ママはその女性にマイクを渡した。

三人は代わる代わる歌った。
そして、何曲か目に高橋真梨子の『for you・・・』が入った。
マイクを取ったのは、地味女だった。

歌はかなりうまかった。
周りも「うまい、うまい」と歓声を送っていた。
それで気分をよくしたのか、だんだん歌声は大きくなっていった。
ところが、歌っていくうちにだんだん怪しくなってきたのだ。
大きくなった歌声が、かすかに震えてきた。
そしてサビ、そう「あなたがほしい」のところにさしかかった時だった。
急に彼女の声が止まり、うつむいて「ああ…」と声を上げて泣き出したのだ。
それを見て、それまで歓声を上げていた人たちの声も止まった。
あたりはシーンとなった

もう歌えない。
演奏だけが空しく鳴り響いている。
二人は、彼女の背中をさすりながら、「ね、悪いことは言わないから…、もう忘れなさい」などと言っている。
地味女は、そのつど「うん、うん」とうなずいていた。
不倫女は彼女だったのだ。
見た目ではわからないものである。
彼女が泣いている間、すでにBGM化してしまった『for you・・・』が、ずっと流れていた。

その彼女がその後どうなったのかは知らない。
もしかしたら、その後もその相手と縁が切れず、今なおズルズルとした関係が続いているのかもしれない。
いや、一度不倫の癖がついた身だから、他の相手を見つけたのかもしれない。
しかし、そのことをママさんに聞くことはなかった。
なぜなら、次にその店に行った時には、ぼくはもうそのことを忘れていたからだ。
その後、そのことを思い出すこともなく、今に至ったわけである。
そのことを尋ねようとしても、もう店はなくなってしまっているから、どうしようもない。
ま、ぼくにとっては、どうでもいいことだから、別に知る必要もないのだが。

ところで、あの地味女は不倫相手の前でも、『for you・・・』を歌っていたのだろうか。
もしそうだったとしたら、相手の男はどういう反応をしただろうか。
寛容に受け止めただろうか?
それとも、引いてしまっただろうか?
ぼくがもしその男だったとしたら、どうだろう。
「あなーたがほしい」なんて、目の前でやられるわけだからねえ…。
きっと引いてしまうだろうなあ。
さらに目配せでもされた日には、怖くなって逃げ出すにちがいない。
だいたい「ほしい」などという言葉は、日本人にはそぐわないのだ。
人は物じゃないのだから。

何かの拍子に、今までまったく忘れていた、どうでもいいようなことを思い出すことがある。
今朝、いつものように、会社に行くなりトイレに駆け込んだ。
その時、トイレのドアの閉まる「ギー」という音を聴いて、ある歌を思い出した。
高橋真梨子の『for you・・・』である。
「お、このフレーズ、『あなたがほしい…』に似とるわい」と思ったわけである。
思い出したことというのは、その『for you・・・』にまつわる話だった。

前の会社にいた頃、ぼくは月曜日になると、いつも行きつけのスナックに飲みに行っていた。
なぜ月曜日かというと、翌日の火曜日が休みだったからだ。
そこで弾き語りをしたり、ママさんや他のお客さんとおしゃべりをしたりして楽しんでいた。

ある日、いつものように他のお客さんと談笑している時だった。
バタッとドアの開く音がした。
見ると女性客が三人立っていた。
どの人も、ぼくよりは確実に10歳以上年が上だった。
当時ぼくは30代の前半だったから、その人たちは40代だったのだろう。
三人のうち一人は、時々見かける顔だったが、あとの二人は初めて見る顔だった。

三人は店の中を見回すと、「今日はやめとこうか」と言って店を出て行った。
それを見てママさんは、三人を追いかけていった。
10分ほどして、ママさんは三人を連れて戻ってきた。
「今日のお客さんは、心許せる人たちばかりだから、心配せんでいいよ。さあお入り」
そう言って、ママさんはカウンターの隅に席を設けた。

ぼくたちは、三人を気にせずに、また談笑を始めた。
一方の三人はというと、ぼくたちに聴かれまいとして、小声で話をしている。
ぼくは「三人とも暗い顔をして、いったい何を話しているんだろう」と思ったが、盗み聞きするのも悪いと思って、なるべくそちらに意識を持っていかないように心がけていた。
ところが、席が近かったせいもあり、聴くつもりがなくても、時折その会話が聞こえてくる。
「・・・、だから、・・・、ご主人・・・、まずいやろ?」
「でも、・・・、本当に、・・・、諦めきれない」
「いや、・・・、間違って、・・よ」
と、延々この調子だった。

その会話の断片を繋いでみると、どうも三人のうちの一人が不倫しているらしい。
あとの二人は、相談に乗っているようだ。
『いったい誰が不倫してるんだろう?』
と、ぼくは横目で三人を見た。
時々見かける人は、相談に乗っているようだから、あとの二人のうちの一人がそうなのだろう。
その二人のうち一人は、どこでもいるような主婦だった。
服装も地味で、『この人は、まずないだろう』というようなタイプだった。
もう一人は、遊び慣れしたような感じのする人で、服装なんかもけっこう派手だった。
ということで、ぼくは『不倫女は、きっとあの派手女だろう』と思っていた。

今日も歯医者だった。
今日の治療で、何とか『UV歯』からは脱出できた。
しかし、治療が終わったわけではない。
『V歯』をさらに削られて、えらく小さくなってしまった。
どうやら、そこに差し歯をするようなのだ。
削り終わったあとに、歯型を取り、そこを仮歯で埋めた。
舌で触った感触だと、どうやら今度は『UV』にはなってなさそうだ。

家に帰ってから、さっそく鏡を覗いてみると、色も目立たず、いい感じで仮歯がくっついている。
ところが、そこで新たな問題を見つけてしまった。
今度は何かというと、その仮歯の丈が短いのだ
そのために、隣の歯と段違いになっていて、見ようによっては間抜けに見える。

しかし、これまでのうちではいいほうだろう。
最初は、前歯のど真ん中に、ミルキー色の蓋を付けられていた。
その蓋の形が、治療をするたびに変わっていたのだ。
丸かったり、三角だったり、四角かったり、時にはハート型の日もあった。
そのたびに、人前で歯が見えないように工夫しなければならなかったのだ。
変に鼻の下を伸ばしたりして大変だった。
しかも、その蓋は歯の裏にまでかかっていたため、いつもザラザラしていて気持ち悪かった。
舌で触らないようにしていればいいのだが、その歯の裏が舌の定位置だから始末が悪い。
歯を磨いても磨いた気分にならないし、食べ物の味は半減するし、まったくろくなことはなかった。

そして、ハートの次が、前回の『UV』だったわけだ。
史上最大の間抜け顔で、1週間近くも過ごさなければならないかと思うと、憂鬱な気持ちになったものだ。
さらに困ったことがあった。
歯先が尖っているため、乾燥しているこの時期の唇に触れると、簡単に切れてしまうのだ。
ただでさえ歯の感触が違うのに、その上唇は切り傷で腫れてしまう。
こんな気持ち悪いことはなかった。
しかし、この状態は、幸いにも2日で終わった。

さて、丈が短くて、段違いになったとはいえ、何とか形になった歯である。
もし仮歯が取れでもしたら、歯抜け状態になってしまうから、負担をかけるわけにはいかない。
差し歯が出来てくるのは、来週の水曜日になるらしい。
が、ぼくの休みは火金なので、次は金曜日にしか行けない。
それまで、堅いものを食べず、ガムを噛まず、キャラメルをなめないようにしなければ。

昨日、テレビにカメが出ていた。
現ニッポン放送社長の亀渕昭信のことである。
声は幾度となく聴いたことがあるし、写真も何度か見たことがあるのだが、動画を見たのはこれが初めてである。
昨日はだいぶお疲れのようだった。
まあ、連日、食うか食われるかの闘いをやっているわけだから、疲れているのも仕方のないことだろうが…。

しかし、ぼくらのカメも年を取ったなあ。
ぼくが『亀渕昭信のオールナイトニッポン』を聴いていたのが、今から35年も前のことだから、それもしかたないといえばしかたない。
その分ぼくも年を取ったわけだから。

そういえば、ぼくは一度だけ、カメのオールナイトニッポンにリクエストはがきを出したことがある。
中学1年の冬のことだった。
確かクライマックスの『花嫁』をリクエストしたと思うが、その時書いたコメントが、今の日記のように長くなったのを憶えている。
何を書いたかというと、その年の秋に来た、教育実習の先生のことだった。
その先生は近くの大学に通う、玉城さんという沖縄出身の女性だった。
普通、教育実習は出身校でやることが多いが、その先生が母校でやらず、大学の近くにある中学を選んだ理由は、きっとその当時の沖縄がアメリカだったためだろう。

ぼくは、その頃はおしゃべり人間だった。
授業中も落ち着きがなく、よく突拍子にないことを発言していたものだ。
先生の初めての実習授業でも、「先生、屋良主席はお元気ですか?」などと訳のわからない質問をしたのだった。
突然、授業に関係のない「屋良主席」が出てきたせいか、先生は当惑していた。
が、「お元気ですよ」とサラッと流していた。
実習は2週間ほどだった。
先生と親しくなるにつれ、けっこうプライベートな話などをしていたような記憶がある。
先生が沖縄に戻った時に手紙をもらったのだが、「おしゃべり好きのしんた君と記憶しているけど…」で始まり、最後は「屋良主席からもよろしくとのことでした」で締めくくられていた。

リクエストはがきは、その手紙をもらった時に書いたものだった。
先生の初めての授業から最後の授業までをダラダラと書き、最後にお決まりの「先生には幸せになってほしい」という文章で終えたのだった。
そのダラダラ文で、はがきのスペースほとんどを費やしてしまった。
そのため、肝心のリクエストを書くスペースがなくなってしまった。
そこで、ダラダラ文の下のわずかな余白に、「クライマックスの『花嫁』かけろ」と小さな字で書いたのだった。
で、そのリクエストカードが読まれたのかというと、定かではない。
そのリクエストカードを出してから、必死にラジオにかじりついていたのだが、いつも途中で眠ってしまったために、確認できなかったのだ。

そうそう、先日『時間ですよ昭和元年』を見ていると書いたが、あのドラマにカメの妹、亀渕友香が出ている。
亀渕友香といえば、ゴスペルの第一人者。
兄妹共にご活躍なわけだ。

昨日の記者会見を聞いて思ったのだが、オールナイトニッポンで活躍していた頃のカメと比べると、声に張りを感じなかった。
まあ、フリートークではなく、公式の記者会見だったから、ああいうしゃべりをせざるを得なかったのだろう。
しかし、「これからもフジサンケイグループの一員としてやっていきたい」と言った時のカメは、あの頃を彷彿とさせる声に戻っていた。
ああ、もう一度『亀渕昭信のオールナイトニッポン』を聴いてみたいなあ。

昨日は歯医者の日だった。
治療が終わり、家に帰ってから、いつものように鏡を見た。
そして、口を「ニッ」としたとたんに固まってしまった。
鏡の向こうのぼくは、まるで別人だった。
いや、別に顔が変わったわけではない。
口を閉じていれば、同じ人である。
だが、口を開けた時のぼくが、ぼくでないのだ。

普通、前歯は『UU』になっている。
ところが、鏡の向こうの人の前歯は『UV』になっていた。
あ然としてしまった。
昨日は治療にけっこう時間をかけて歯を削っていたが、こういう歯を作っていたのだ。
しかし、前歯の形一つで、こうも人相が変わって見えるものなのか
生まれて初めて見る間抜け顔である。

「こうなったら腹を決めよう!」
と思ったものの、やはり人と話す時に気にしてしまう。
まあ、話す時は気をつけておけばいい。
が、話に熱が入ってくると、前歯が見えてしまうようだ。
今日、キンちゃんというパートさんと話していると、突然「ねえ、しんちゃん、『ニッ』てしてみて」と言われたのだ。
気をつけていたつもりなのに、やはりばれてしまう。
それと笑う時。
これはもう、どうしようもない。
前歯を出さないと笑えないからである。
だから、今日はなるべく人と会話をするまいと、一人売場の隅のほうで、機械をいじっていた。

さて、「人と話せない」「笑えない」となると、面白くないだろうと思われるかもしれないが、そうでもない。
こうなったらこうなったで、楽しみもある。
実は、一度でいいから、こういう歯を体験したかったのだ。
決して負け惜しみで言っているのではない。
前に、本で「歯に隙間が出来ると、音痴になる」と書いていたのを読んだことがある。
歯に隙間が出来ると、その隙間から息が漏れて、音程が外れるらしい。
それを読んだ時、ぼくは「本当か?」と疑ってしまった。
どうかやって、それを確かめたかったのだが、それを読んだのは健康な前歯の時だったので確かめるわけもいかない。
何かいい方法はないものかと考えていた。
が、歯を抜く以外に方法はない。
そのため半分諦めていたわけだが、今回、『UV』歯になることで、ようやくそのチャンスに恵まれたわけだ。
さっそく、帰りの車の中で、大声で歌ってみた。
ところが、息が漏れることもないし、音程を外すこともない。
声もいつもの声である。
あの本は、誰を基準にして言っていたのだろうか。
もしかしたら、元々音痴の人が、「歯が抜けたけねえ」などと言い訳をしていたのかもしれない。

まあ、こういう遊びが出来るとはいえ、歯がないとやはり不便である。
第一、物が噛めない。
『V』歯の先っぽの部分が欠けそうで、どうしても噛むことを躊躇してしまうのだ。
それでも、柔らかいものなら何とかなるのだが、堅いものになるとそうもいかない。
今日の晩飯、無神経な嫁ブーは、ぼくの歯のことなどお構いなしに、堅いものを出してくれた。
ぼくが「おまえ、意地が悪いのう」と言うと、「えっ、何が?」と聞く。
そこで、ぼくは「ニッ」としてやった。
嫁ブーは涙を流して笑いながら、「ああそうやった。ごめんごめん」と言った。
が、緊張感が欠如しているから、明日もまた、堅い物を作るだろう。
そうなると、またぼくは「ニッ」としなければならない。

現在、母も同じ歯医者に通っているのだが、母の場合、前歯が入るまでに1週間かかったという。
ということは、あと5日も『UV』で生きていかなければならないのか…。

家に帰ってから、ぼくはさっそく母に聞いてみた。
「Nさんち知っとう?」
「Nさん?ああ、前の会社におった人やろ。あの人再婚して、今Sという姓になっとるけど」
「その人、娘がおったやろ?」
「○江ちゃんやろ?」
「うん」
「Nさんと私、私仲良かったんよ。あんたもあったことあるよ、Nさんにも○江ちゃんにも。そうそう、あんたよく○江ちゃんと遊びよったやん」
「・・・・、知らん」
「そうよねえ。昔の話やけ。で、それがどうしたと?」
「Mさんのね」
「うん」
「嫁さんの名前、○江と言うんよ」
「ええっ?もしかして、あの○江ちゃん?」
「うん」
「そういえばあんた、Mさんの結婚の時、行ったんやったねえ。その時わからんかったと?」
「わかるわけないやん。顔も覚えてないし。新婦の母のところにNさんと書いてたわけでもないし。いや、仮にNとなっていたとしてもわからんかったやろうね」
「そんなもんかねえ」
そんなもんである。
それがもとで、母とNさんとの親交が再び始まった。

ぼくとしては、こうなることを予想して、Mさんとつき合っていたわけではない。
が、世間は狭いと言ったらいいのか、実に不思議な縁である。


【その2】
さらにこういう例もある。
この日記に何度か登場している、友人のオナカ君のことである。
彼とは高校時代に知り合った。
1年の時は隣のクラスだった。
まあ、顔見知り程度の存在だった。
2年の時に同じクラスになり、その頃から現在まで、ずっと飲み友だちでいる。
まあ、彼とはそういう縁だったのだろう。

ところが、縁はそれだけではなかった。
オナカ君は、仲間内では誰よりも早く結婚した。
奥さんは、ぼくたちと同じ高校出身で2級下である。
だが、オナカ君と奥さんは、高校時代に知り合ったのではない。
仕事上で知り合ったのだという。
オナカ君は奥さんの実家のそばに新居を構えた。
その奥さんの実家というのが、うちの嫁ブーの実家の近くである。

ある日、ぼくが嫁ブーの実家に行っていると、なぜかそこでオナカ妻の実家の話題が出た。
近くとは言っても、けっこう距離が離れている。
「何の話だろう?」と聞き耳を立てていたのだが、そこで意外な事実を知った。
何と、嫁ブーの父親とオナカ妻の母親が親戚関係にあるというのだ。
であれば、当然オナカ妻と嫁ブーは、親戚同士ということになる。
ということは、オナカ君とぼくは、戸籍上親戚関係にあるということだ。
何と不思議な縁だろう。

ということで、ぼくとオナカ君は今、深い関係にある。

【その1】
ぼくが小学校に上がる前のことだが、母の働く会社にNさんという女性がいた。
その方も母と同じく、ご主人を会社で失っていた。
同じ境遇だったせいか、母と気が合い、家族ぐるみのつき合いをしていた。
そのNさんには二人の娘さんがいた。
母の話では、ぼくはよく彼女たちと遊んでいたらしいのだが、古い話なのでよくは憶えていない。
もちろん、名前もそうである。
ただ憶えていたのは、母の友だちにNさんという姓の人がいたということだけだった。

その後Nさんは会社を辞めたらしい。
再婚したのだ。
それに伴って姓も変わったわけだが、その後母からその人の話を聞くことはなくなった。

十数年後、ぼくは高校卒業と同時に長い浪人時代に陥り、そのまま成人した。
その浪人時代の最後の年に、ぼくは長崎屋でアルバイトをするのだが、その時知り合った人にMさんという方がいる。
ちゃらんぽらんな性格で、仕事もろくにしないような人だが、なぜかぼくとはウマが合った。
その後、お互い違う道を歩き出したが、今なおその親交は続いている。

さて、その長崎屋を辞めてから数年後、Mさんは○江さんという女性と結婚した。
○江さんはぼくよりも二つ年下だった。
もちろん、披露宴にぼくは呼ばれた。
Mさんの交流の幅が広かったせいか、披露宴は大いに盛り上がった。
最後の両親への花束贈呈の時に、○江さんのご両親が大泣きしていたのが印象的だった。

Mさんが結婚して以降、ぼくはたびたびMさんの新婚家庭を襲った。
ある時は酒を持って邪魔しに行ったり、ある時は人生相談に行ったり、またある時は商品を売り込みに行った。
飲みに行くこともちょくちょくあった。
そういうことがあって、ぼくは奥さんのほうとも仲良くなった。

そしてまた月日は流れ、ぼくは11年勤めた会社を辞め、新しい就職先に勤めるようになった。
新しい就職先は、奇しくも母が勤めていた会社が前身の会社だった。
つまり、ぼくは巡り巡って母と同じ仕事をしているわけだ。
Mさんから「おまえの就職祝いしてやるけ」と言われて、ある焼鳥屋に行った。
Mさんは奥さんと同伴で来ていた。
奥さんが「しんちゃん、どこに就職したと?」と聞いた。
「ああ、○○よ」
「ええっ、○○?うちの母もそこにいたんやけど」
「いつ頃?」
「まだ、あの会社の前身の頃の話やけどね」
「ふーん、うちのお袋もそこに勤めよったんよ」
「何店で?」
「××店」
「あっ?うちの母もそこよ」
「旧姓はSやったかねえ?」
「うん。でも、うちの母、再婚したけねえ。前はNと言ってたんよ」
「Nさん…。何か聞いたことあるねえ」
「そう?」
「うん。帰ってお袋に聞いておこう」
「案外知り合いかもね」

前の会社にKさんという方がいた。
変わり種の面白い人だった。
ある時期、そのKさんが、手当たり次第に保険に入りだしたことがあった。
誰もが、「Kさん、保険なんかに興味を持ってなかったのに、何でまた…」と言っていたものだった。

それから数ヶ月たったある日のこと。
Kさんが救急車で、病院に運ばれたという連絡が入った。
何でも、Kさんが家で出かける準備をしている時に、突然倒れたというのだ。
その後、再び連絡が入って、過労という診断だったらしく、一週間ほどで退院できるということだった。

それから数日後。
Kさんは、「せっかく入院したんだから、ついでに持病の検査もしてもらったら?」という家族の言葉に促され、検査をしてもらうことにした。
ところが、その持病の部分に癌腫が見つかったのだ。
さっそく手術を受けることになり、当然入院期間は延長となり、退院したのは、それから3週間後だった。

Kさんが入院していた時に、ある人が言った。
「あいつ、前に手当たり次第に保険に入っていたけど、何か虫の知らせのようなものがあったんかも知れんのう」
そうだった。
Kさんが、その数ヶ月前に多くの保険に入っていたことを、誰もがすっかり忘れていたのだ。
退院後、Kさんに多額の保険金が入ってきたことは、言うまでもない。
Kさんはその保険金で、家のローンを完済させたということだった。
あれから十数年たつが、癌の再発などもなく、Kさんは今も元気である。

さて、Kさんはどうして多くの保険の契約をする気になったのだろうか?
退院してから何年か後に、その『虫の知らせ』について、Kさん本人に尋ねたことがある。
「うーん。自分でもよくわからんっちゃ。なぜか、あの時そういう気分になってね」ということだった。

ところで、こういう場合、虫の知らせというのが妥当なのだろうか。
『虫の知らせ』
この言葉を辞書で調べてみると、
「何の根拠もないのに、よくない出来事が起こりそうだと心に感ずること」(goo辞書より)
、とある。
まあ、仮にKさんが死んでいたら、そう言ってもいいだろうが、その後のKさんは、多額の保険金が入ってくるし、健康にもなったわけだ。
だから、別によくない出来事ではないだろう。

では、こういう時、どう言ったら適切なのだろうか?
『先見の明があった』というのが妥当なのか?
いや、それなら、急に入りたい気分になる以前から、保険に入っていただろう。
考えてみると、これは学生時代によく聞いた、「この問題が出るような気がして勉強したら、ズバリ出とった」というのによく似ている。
そう、『試験のヤマ』が当たったというやつである。
つまり、Kさんは『人生のヤマ』を当てたわけだ。
何となくうらやましく思う。
ぼくは、どんな小さな『人生のヤマ』も、当てたことがないのだから。

ぼくが真剣にテレビを見るのは午後10時頃、つまり晩飯時だけである。
とはいえ、その時間帯やっている番組を見ているわけではない。
まあ、面白い番組でもやっていれば別だが、なかなかそういう番組に巡り会えないので、そのほとんどをビデオに頼っている。
で、どんな番組を見ているかというと、
日曜日:『たかじんのそこまで言って委員会』
月曜日:『-』
火曜日:『救命病棟24時』
水曜日:『時間ですよ 昭和元年』
木曜日:『H2』
金曜日:『-』
土曜日:『-』
である。
『-』のところは、定まってないということだ。
これを見てもらったらわかるとおり、楽しみにしている番組は、一週間にたった三つしかない。
内容は討論番組が一つ、ドラマが二つである。
そのドラマのうち、『救命病棟24時』は現行でやっているものだが、もう一つの『時間ですよ 昭和元年』は、スカパー!から録画したものである。

『時間ですよ 昭和元年』と言われても、知らない人がいるだろう。
このドラマは、昭和49年10月16日午後9時にスタートしている。
この日は高校の修学旅行の4日目で、ぼくたちは金沢にいたのだが、一世を風靡した、あの『寺内貫太郎』の後釜のドラマだったので、どんなドラマが始まるのかと興味を持って見たのを憶えている。
内容は、一連の『時間ですよ』シリーズを継承するものだったが、時代設定が昭和初期というのが、実に斬新だった。
オープニングテーマがラグタイムだったのも、ロック全盛の当時としては新鮮で、ある意味時代を先取りしていたといえるだろう。
出演は、森光子、荒井注、悠木千帆(まだ樹木希林ではなかった)、浅田美代子、千昌夫、池波志乃、細川俊之、安田道代などであった。
特記すべきは、このドラマから国民的な大ヒット曲が生まれたということである。
その歌とは、さくらと一郎の『昭和枯れススキ』である。
この歌がかかる時に細川俊之と安田道代が出ていたが、細川はともかく安田道代はこの歌のイメージにピッタリくるものがあった。

話は戻るが、テレビ番組をこれだけしか見ないというのも寂しいものである。
そこで、『-』の部分をなくそうと思い、他の番組をあたってみた。
もちろん、地上波は見切りをつけているので、スカパー!からである。
で、何とか見つかった。
これは毎日やっているので、『-』の日や休みの時などに見ることが出来る。
その番組とは、『時間ですよ』である。
これは浅田美代子のデビュー作のほうで、あの『赤い風船』はここから生まれている。

しかし、昔のドラマに頼らなければ、今を楽しめないというのも考えものである。
『H2』なんかは、もう少し期待していたんだけど…。

【雨水】
今日は雨水。
なるほど、ここ数日ずっと雨だ。
季節は暦通りに動いている。

さて、今日が休みということで、昨日は日記を途中でやめて寝てしまった。
朝は普通どおりに起きた。
今日は嫁ブーが仕事だったのだ。
しかも早番ときている。
そのため普段より早く家を出た。
雨の朝、こういう日の運転は、あまり好きではない。
来てもない車が、来ているような錯覚に陥るのだ。
おかげで、駐車場から出る時に、何度もタイミングを逸してしまった。

幹線に出ると、前の車が携帯片手に運転している。
フラフラしながら走っているので、抜くことも出来ない。
その車、警察署の前を通る時だけ、手から携帯を外し、通り過ぎたあと、再び携帯を手にした。
思わず、ぼくと嫁ブーは口をそろえて、「違法やないか!」と叫んでいた。
酒気帯びだけでなく、こういう奴らも30万円の罰金を取ってもらいたいものである。

【歯医者の日】
嫁ブーを会社に送ったあと、家に帰って風呂に入った。
昨日は風呂にも入ってないのだ。
休みの日は時間もたっぷりあるので、わざわざ朝から風呂に入らなくてもいいのだが、昨日の夜から頭が痒くてならなかった。
それに、休みの日にはお約束の歯医者が待っている。
汚い口の中を見られているのだから、せめて外見だけでもきれいにしておかないと、失礼だろう。

歯医者には、珍しく予約の時間通りに行った。
いつも遅れていくので、予約外の人が先に治療していたり、時間の関係で治療を早く切り上げられたりする。
そのたびに治療が遅れるのも馬鹿らしいので、今日は間に合うように行ったのだ。

さて、現在歯がどうなっているのかというと、相変わらず前歯の治療をしている。
そう、先月末からずっと同じ歯の治療をやっているわけだ。
なぜ長引いているのかといえば、歯を磨くときに違和感を感じるからである。
歯医者に行くと、「前歯の具合はどうですか?」と聞かれる。
そこで「歯を磨くと違和感を感じる」と答える。
すると先生は「もう良くなってるんですけどねえ…」と不思議そうに言う。
「でも、何か違うんです」とぼくが言うと、先生はちょっと考えてから「じゃあ、もう一回様子を見ましょう」と言う。
先月末から、ずっとこの問答をやっている。
そのために治療が先に進まないのだ。

しかし、考えてみたら、違和感を感じるのは当たり前だった。
治療が終わると、その部分にミルキーのような樹脂をつけるのだが、それが横の歯にも被さっているのだ。
そのため、治療中の歯を磨くと横の歯に響く。
それが違和感だったわけだ。
そこで今日は、「もう大丈夫です」と言った。
そのおかげで、前歯の治療も何とか目処が付いた。
次回に型を取り、その次の回にその歯の治療は終わるらしい。

【春の選抜高校野球】
歯医者から戻ってみると、嫁ブー宛に封筒が届いていた。
彼女の出身高校からだった。
その高校名の横に『甲子園出場後援会』と書いてある。
そうだった。
今度の春の選抜に、嫁ブーの出身校が出るんだった。
ということは、寄付を言ってきているのだろう。
そこで疑問がわいてきた。
「こういう場合、寄付額はいったいいくらなんだろうか?」
恥ずかしながら、ぼくの出身校は、これまで一度も甲子園に行ったことがないので、それがわからない。
おそらく、永遠にわからせてはくれないだろう。

そこで、嫁ブーが帰ってから、中身を見せてもらうことにした。
そこには、『第七十七回 選抜高等学校野球大会出場 募金趣意書』と書かれた書類と振込用紙が入っていた。
書類を見ると、寄付はA,Bの二種類があり、Aが一口3000円、Bが一口5000円になっている。
なるほど、これが相場なのか。
ところで、このA,Bの違いは、いったい何だろう。
趣意書には、その違いについて何も書いてないのだ。
こういう場合、「一口3000円から」と書くのが普通である。
神社の寄付などもそうなっているのだから。
案外、Bには応援Tシャツが送ってくるのかもしれない。
それを嫁ブーに言うと、「そんな恥ずかしいものいらん」と言っていた。

このページのトップヘ