吹く風ねっと

一生は未来の記憶を散りばめた一本の道。人生は未来の記憶をひろいながら歩く旅。

2005年01月

【飲む】
飲むほうは得意である。
あ、いや、得意であった。
最近は飲む回数も減ったのだ。
以前は、週に何回か飲みに行っていた。
が、最近は年に数回しか参加していない。
たまに参加する飲みごとも、前は「朝までやるぞー!」と勇ましく吠えながら、酔いつぶれるまで飲んでいたものだが、今では飲んでいる最中に「○時までに帰れば日記が書ける。それまでに帰ろう」と、帰る時間を気にするようになった。

もちろん二次会は、なしである。
昔のぼくを知っている人からすれば、えらく面白くない存在になっているはずだ。
「しんた、前みたいにグデングデンになるまで飲もうやないか」
「悪いけど、今日は帰る」
「ちょっと二次会につき合うくらい、いいやないか」
「いや、二次会に行くと、日記を書く時間がなくなる」
「日記?一日くらい休んだっていいやないか」
「だめ、一日も休めん」
「日記と言ったって、そんなに時間はかからんやろう?」
「そんなことはない。いつも悪戦苦闘しよるんぞ」
「いいやないか。行こう」
「おまえ昔、○○やったやろ?あの事件を日記で暴露していいなら、行ってもいいぞ」
「・・・」
ということで、ぼくは現在、つき合いの悪い男になっている。


【打つ】
打つほうは前にも書いたことがある。
北九州はギャンブルの街である。
中央競馬場が一つ、競輪場が一つ(ちょっと前までは二つあった)、競艇場が一つ(隣接する市町を含めると三つ)、あとは無数のパチンコ屋。
ぼくの家を中心に見ても、車で15分以内のところに競艇場が二つと大きなパチンコ屋がいくつもある。
そういうこともあって、よく人から聞かれることがある。
「しんたさんはギャンブルしますか?」である。
ぼくはギャンブルが好きではないので、当然やることもない。
だから、「しません」と答える。
それが意外なのか、たいてい相手は、「好きかと思いよった」と言う。

生まれてこの方、馬券を買ったことは一回しかない。
それは東京にいた頃だった。
1978年の有馬記念だったが、何も好きこのんで買ったわけではない。
ある友人が馬券を買いに行くというので、そこにいた人たちが「じゃあ、おれもの買ってきて」と頼んでいた。
最初ぼくは無視していたのだが、友人の一人が「しんた、これ絶対当たるから買っとけよ」と言うので、絶対当たるならということでお金を出した。
が、もちろん外れた。
ということで、競馬には縁がないと思い、それ以来、買ったことはない。

しばらくして先生の手が止まり、ぼくの口元から離れていった。
看護婦さんが来て、「起こします」と言った。
起きるなりぼくは、看護婦さんが「うがいして下さい」という前に、口の中にたまっていた麻酔液を吐き出した。
そして、その後何度もうがいをした。
背後から、「じゃあ、そのままお待ち下さい」という声が聞こえた。

しかし、大の男が歯医者の治療イスに座って、麻酔が効いてくるのをボーッと待っているのも変なものである。
せめてイスを倒してくれたら、居眠りくらいすることも出来るのだが、座っていると何にもすることがないのだ。
出来ることといえば、窓の外を眺めることぐらいだ。
この歯医者の窓は大きいので、外の風景がよく見える。
ということは、逆に外からも中が見えているということだろう。
イスに座ってボーッとしているぼくの姿は、きっとおかしく映っていたに違いない。

さて、時間がたつうちに、注射中から効いていた麻酔がさらに効いてきた。
鼻の下の感覚がなくなり、それが唇にまで降りてきた。
『ちっ、やっぱり唇に来たか』とぼくは思った。
唇に来ると、うがいをする時に締まりがなくなり、そこから水が漏れるからやっかいなのだ。
昔、これで衣服を濡らしたことがある。
そこでぼくは、口を閉じた感覚をつかんでいようと思い、何度も口を開け閉めして、その感覚を覚えることにした。
そして、何とかその感覚をつかんだ。
ところがそれがいけなかった。
唇を動かすことによって、麻酔の範囲が広がってしまったのだ。
その麻酔がどこに影響したのかというと、鼻である。
小鼻のところがジンジンしてきたのだ。
鼻がしびれるなど、生まれて初めての経験である。
その後、治療の最中に何度か麻酔が切れかかり、痛みが走ったのだが、鼻のほうは相変わらずしびれたままだった。

治療は一時間以上かかった。
虫が食っているところよりも、すでに治療していた歯が悪くなっていたとかで、神経を抜いたらしい。
そのために時間がかかったのだ。
終わってみると、前歯には大きな穴が空いていた。
その穴に、先生はセメントのようなものを埋めていた。
それが固まった頃に、「今日は終わりです」ということになった。

家に帰ってから、さっそく鏡で治療した歯を見て、ぼくは唖然とした。
ぼくの歯の色とはまったく違った色のセメントが埋めてあるのだ。
どう見てもおかしい。
ミルキーが前歯の所々にくっついているような感じである。
次の治療の日まで、このミルキー状態でいなければならないのだ。
それを考えると、気が重くなった。
しかし、ミルキーならまだいい。
次回この歯の治療が終わったとして、もし銀歯でも入れられたらどうしようか?
奥歯に銀はまだ許せる。
だが、前歯の銀だけは耐えられない。
ぼくの持つ男の美学に反するのだ。
しびれたままの鼻を押さえて、ぼくはそうならないことを鏡の前で、必死に祈っていた。

そこで我慢が始まった。
待っていれば、看護婦さんがイスを起こして、「うがいして下さい」と言うだろう。
しかし、そういう時に限って、時間というものは長く感じるものである。
実際、その待ち時間は2,3分くらいのものだった。
にもかかわらず、ぼくには10分、いや20分くらいにも感じたのだった。
その間何度もつばを飲み込もうとしたものだ。

ようやく看護婦さんがイスを起こした時、ぼくは真っ先に、口にたまっているつばを吐き捨てた。
これで一安心、と思っていたら、また新たな疑問がぼくの頭の中で渦巻いた。
「もしかしたら、つばのせいで液体の効果がなくなったのではないか…?」

その疑問が当たっていたかどうかはわからない。
が、その後の注射はかなり痛く感じたものだった。
しかも、針を刺している時間が長い。
先生は時間かけて、ゆっくりと麻酔を注入しているのだ。
神経が過敏になっているせいか、麻酔が歯ぐきの中に入っていくのがわかる。

その注射も、もうすぐ終わりかなと思った時だった。
またもや液体が舌に落ちてきた。それも大量に。
一瞬、何だろう?と思ったが、よく考えてみると、これは麻酔液以外の何ものでもない。
おそらく、歯ぐきの中に収まりきれなかった麻酔液が逆流してきたのだろう。
その味はというと、これがかなり苦い。
塗り薬は若干の甘さを感じたものだが、麻酔液には若干ほどの甘さもない。

ここでまた我慢が始まった。
今度は量が多すぎて、つばで薄めるなどということも出来ない。
ということは、濃度100%ということだ。
こういうのを飲み込んでしまったら、食道や胃はどうなってしまうのだろうか?
やはり相当時間しびれるのだろうか?
ああ、そうだった。
食道や胃だけではない。
水を飲んだ時に、その水が通る箇所すべてがしびれていくわけだ。
そこには、腸があり腎臓があり、膀胱がある。
腸や腎臓がしびれた状態…、ちょっと想像できない。
が、膀胱がしびれた状態というのは、何となくわかる。
尿がたまっても、何も感じない。
そして、気がつけば漏らしていた…、などということになるのだろう。

ぼくは麻酔液がのどに行かないように、必死に舌で塞いでいた。
ところが、そこに新たな敵が現れた。
鼻水である。
実は数日前から、若干鼻風邪気味だったのだ。
ずっと上を向いた状態だったため、鼻水がのどに落ちてきたのだ。
鼻水が落ちてくると、のどは反射的にそれを飲み込もうとする。
それにまた神経を遣わなければならなくなったのだ。

一方の先生はというと、相変わらずぼくの口に手を当てている。
まだ注射をしていたのだ。
最初は痛みを感じていたものの、その時には、すでに痛みを感じなくなっている。
ぼくは、『先生、もう麻酔は効いてきますから、注射をやめて、うがいをさせて下さい』と心の中で懇願していた。

11月末から歯医者に行っているが、先日、最初に取りかかっていた奥歯3本の治療が終わった。
すでに12月末に2本の治療が終わっているから、合計5本の治療が終わったことになる。
今日現在までに歯医者に行った回数は15回だから、一本につき治療は3日かかっているわけだ。
このペースが速いのか、それとも遅いのかはわからない。
まあ、一本一本丁寧にやってくれる先生だから、おそらくちょうどいいペースなのだろう。

さて、その治療だが、先日から前歯のほうに移った。
ぼくは奥歯はもちろん、前歯も丈夫だとは言えない。
というより、歯に何か引っかかっていても、気にしないで放っておくタイプなので、虫歯菌にとってはこの上もない活動の場となっているのだろう。
その証拠に、前歯でいまだに丈夫なのは下の4本だけである。
あとは、何らかの治療を施しているのだ。

昔は、前歯の治療というと、麻酔をかけずにやっていた。
そのため、奥歯のような重い痛みはないものの、鋭い痛みが何度も走ったものだった。
ところが、最近は前歯の治療にも麻酔を用いるようになったようだ。
もちろん、先日の前歯治療にも、麻酔は大活躍した。

その麻酔を打つ時だが、十数年前までは、歯ぐきにダイレクトに針を刺していた。
ところが、最近はそういうことをしないようだ。
どうするのかというと、まず歯ぐきに今治水のような液体を塗り、歯ぐきをしびれさせてから針を打つのだ。
ぼくは、昔から歯ぐきの注射に対しては、恐怖心を持ってないので、ダイレクトに針を刺されても別に何ともないのだが、今の先生は必ずその液体を塗ってからでないと、注射をしないのだ。

実は、ぼくはこの液体がだめなのだ。
なぜなら、その液体を塗りすぎた場合、それが舌にしたたり落ちてきて、舌がしびれるからだ。
もし運悪く、飲み込んでしまったらどうなるのだろう?
舌と同じように、食道や胃がしびれるのだろうか…?
想像しただけでも気持ち悪い。

先日はそんなことを思いながら治療を受けた。
しかし、その日は最悪だった。
歯ぐきに液体を塗られた時に、唇の裏側に違和感が走ったので、思わず唇を動かしたのだが、それがいけなかった。
液が舌にしたたり落ちてきたのだ。
「これはいかん」と思って、つばでその液体を薄めようとした。
しかし、その舌の一点が、どうも火傷したような感覚になってしまった。
おまけに、それを薄めるために出したつばが、口の中にたまってしまったのだ。
そのままでは飲み込んでしまう。
飲み込むと、先に書いたような状態になるのは必至だ。

ちなみに、Y運送のバイト仲間のうち、二人はもうこの世にいない。
一人はKさんだが、もう一人はWさんという方である。
WさんはKさんの友人だった。
この方はKさんよりも早く亡くなっている。
死因は白血病だった。
一方の女性陣だが、Uさんは結婚してから数年後に、ご主人と死別した。
Oさんは、Kさんの死後、年下の男とつきあい始め、そのまま結婚に至ったのだが、ご主人の実家との折り合いが悪く、ノイローゼになったと聞いた。
どちらもその後は消息不明である。
かく言うぼくも、それから数年後につき合いだした嫁さんとは、すんなり結婚に至ったわけではない。
いろいろと紆余曲折があり、結局籍を入れるまでに15年の時間がかかっている。
つまり、その後は誰一人、あの頃自分の描いた幸せな人生を送ってないわけだ。

さて、成人の日の祝成人会も終わり、ぼくは再びY運送以前の生活、そう恋と歌の旅に戻ったのだった。
恋のほうはといえば、X子やOさんのことは、すでにぼくの中では終わったことになっており、恋の主題は、また高校時代の憧れの人に戻っていた。
やはり忘れられないのである。
というより、運命が忘れさせてくれなかったのだろう。
結局その状態が、今の嫁さんとつき合うまで続くのだから、運命はその後5年間も彼女のことを忘れさせてくれなかったわけだ。

まあ、恋のことはさておき、問題は一方の歌のほうだ。
アルバイトの間、ぼくは歌うことは歌っていた。
だが、それは歌と言うにはほど遠かった。
いつも大声を張り上げていただけだったのだ。
おかげで、声はかすれるわ、のどは痛いわでさんざんな目にあった。
つまり、歌と言いながら、声を潰すようなことを繰り返していただけだったわけだ。
また、Y運送でアルバイトしている間は、その疲れと度重なる飲み会で、歌作りなど出来る状態ではなかった。
当然、その間に作った歌は一曲もない。
ということで、しばらくの間家に籠もって、そのブランクを取り戻そうということになった。

ところが、気がつくと、ぼくは家でじっとしている生活が耐えられない性格になっていたのだ。
最初の二、三日は何ということはなかったのだが、それを過ぎる頃から落ち着かなくなった。
「外に出たい」という気持ちが強くなったのだ。
そう、ぼくは前年の5月から続いた『ひきこもり症候群』から、完全に脱出することができたわけだ。
もちろん、その2ヶ月後からアルバイトをやっているから、すでにその時点で『ひきこもり症候群』は終わったはずだったのだが、そうではなかった。
それはあくまでも、母や友人から尻を叩かれて、嫌々外に出ていただけのことで、精神的には『ひきこもり症候群』はまだ続いていたのだ。
ここに来て、ようやく自分から「外に出よう」という気持ちになったわけだ。

そして、この「外に出たい」という気持ちが次のアルバイトを探させ、さらにその気持ちは東京に目を向けさせることになる。
結局、歌のほうは、次のアルバイトが終わるまで、お預けとなった。

その年の9月のことだった。
ぼくは8月中旬に一端長崎屋を辞め、その時期は博多の出版社で働いていた。
仕事から戻ると、母が「さっきUさんという人から電話があったよ」と言う。
「何の用やった?」
「さあ?何も言わんかったけど、急いどるみたいやったよ。電話してみたら?」
「うん。わかった」

ぼくはさっそくUさんに電話をかけた。
「もしもし、しんたですけど」
「ああ…、しんた君」
Uさんの声は沈んでいた。
「どうしたんですか?」
「あのう…、Kさんが…」
「えっ?」
「Kさんが死んだんよ」
「えーっ!?うそやろ?」
「さっき、Oさんから電話があってね…」
「何でまた…。事故か何かで?」
「いや、ガンらしいよ」
「えっ、ガン?どこの?」
「胃ガンらしいんよ」
「ああ…」

ぼくには思い当たる節があった。
Kさんはめっぽう酒の強い人だった。
バイトしていた時に、「昨日はボトル2本空けた」などとケロッとした顔をして言っていた。
普通ボトル2本も空ければ、そんなケロッとした顔をして会社になんか来られないはずである。
聞くところによると、飲み比べをして、一度も負けたことがないらしい。
それもそのはずだった。
Kさんは酔えない体質の人だったのだ。
そのため、限度がわからずに、時間が許す限り飲んでしまう。
社会に出て、いろいろとストレスを溜めては酒を飲む、といった生活をしていたのだろう。
それで胃を痛めたのだろう。
Uさんの話によると、最後の一ヶ月は食事も受け付けない状態で、死ぬ前はかなりやせ細っていたと言う。

Uさんは続けた。
「今日通夜で、明日葬儀なんやけど。今日はもう遅いけだめやけど、しんた君、明日は行ける?」
ぼくは、翌日から熊本に出張しなければならなかった。
「行きたいけど、明日から出張なんよ」
「ああ、出張か。じゃあ、行けんねえ…。しかたない、Yさんと二人で行ってくる」
「Oさんは?」
「付きっきりやったみたい」
「そう…」
「かなり落ち込んでいるみたいよ」
「そうやろうねえ」

Kさんの家は、博多に行く途中にあった。
いつも電車でそこを通る時、Kさんの家の屋根が見えていた。
翌日、出勤途中に、電車がKさんの家の前を通過した時に、ぼくはKさんの家の方向を向き手を合わせた。
そして、博多に着くまで、あのY運送でバイトした日のことを思い起こしていた。
Y運送に入った日のこと、井筒屋での仕事のこと、Y大生事件のこと、Kさんの家に泊まった日のこと、X子のこと、Oさんのこと、K選手の壮行会のこと、成人の日のこと…。
そういう出来事も、その時にはすでに遠い過去のことになってしまっていた。
だが、Kさんは違っていた。
兄貴という形で、ぼくの中にはっきりと存在していた。
そして、それは今でもそうである。

さて、アルバイトが終わった後も、成人の日まで、ぼくはKさんと頻繁に会っていた。
それ以降はというと、Kさんも卒業や就職の関係で、あまり動きが取れなくなったのか、会うことがなくなった。
成人の日から数日して、Kさんから「赴任先が広島に決まった」と電話が入った。
Kさんはすでに某運送会社に就職が決まっていたのだが、赴任先がどこになるのかまだ決まっていなかったのだ。
この電話をもらう前に、先方から連絡があったらしかった。
「これから卒業とか引っ越しでいろいろ忙しくなるけ、もう会えんかもしれんけど、まあ、おまえも頑張れや。落ち着いたら連絡するけ」
「うん」
が、連絡はなかった。
ということで、この電話が東京に出る前にぼくがKさんと交わした、最後の会話であった。

その年の8月だった。
東京から帰省していたぼくは、Oさんたちから、Kさんが盆休みで戻ってきているということを聞いた。
「じゃあ、久しぶりでみんなで会いましょうか」ということになって、ぼくが代表してKさんに電話することになった。
「あ、Kさんですか?」
「はい」
「しんたです。お久しぶりです」
「しんた…。しんた…?誰やったかのう」
「しんたですよ。Y運送でいっしょだった」
「おお、あのしんたか!」
「忘れたんですか?」
「忘れるわけないやないか。いや、最近、営業やっとるもんで、いろいろな人に会うやろ。そのせいで急に昔の知り合いの名前を言われてもピンと来んようになったっちゃの。で、何の用か?」
「今、Oさんたちといっしょにいるんですが、会えませんか?」
「今からか?」
「ええ」
「今はちょっと都合が悪いのう。明日の夜ならいいけど」
ということで、翌日にぼくたちは会うことになった。

そこでいろいろと、各人の近況報告など話したのだが、その時再会したことがきっかけとなって、KさんとOさんはつき合うことになった。
もちろん、遠距離恋愛である。
翌年だったか、噂で二人が結婚することを聞き、「Kさんよかったな」と思ったものだった。
しかし、二人は結婚しなかった。

ぼくが東京から北九州に戻ってきた80年のことだった。
その年の春、ぼくはUさんの紹介で日立にアルバイトで採用され、長崎屋に勤務することになった。
そういうことがあって、Uさんと会うことが多くなった。
Uさんは、自分が好きな人の目を引かせるために、ぼくを当て馬に使ったこともあった。
Uさんは、結局その人と、その年の11月に結婚するのだが、その結婚式にはぼくやOさんも呼ばれた。
だが、そこにKさんの姿はなかった。

その理由とは、Kさんのことである。
とりあえずKさんとの関係を整理しておくが、彼は当時Y大学の学生だった。
男気が強く、頼まれたら「任しとけ」という、まさに九州男児タイプの人だった。
そういう人とぼくのようなひねくれた男が、なぜウマがあったのかはわからない。
おそらくそこには、お互い一人っ子というのがあったのかもしれない。
Kさんはいつもぼくの兄貴のように振る舞い、何かあるといつもぼくをかばってくれた。

バイトも終わりに近づいた頃だったと思うが、ぼくはKさんに誘われて、その年プロ野球のドラフトにかかり、H球団に入団が決まったK選手という方の壮行会に行ったことがある。
K選手はIさんの友人だった。
体育会系で、縦の関係を重んじるKさんは、始終律儀な態度を取っていた。
一方のぼくはというと、そこで飲み過ぎてしまい、かなり羽目を外していたのだった。
知りもしないK選手に、「K選手、がんばってくださーい。でもぼくはライオンズファンでーす」などとまめらない口で言って、何度も握手を求めていた。
挙げ句の果てに、ギターを手にガンガン歌い出した。
後で聞いた話だが、その声はあまりに大きかったらしく、そこにいた人たちはかなり迷惑していたという。
その会場はビルの2階にあったのだが、その上はパブで、いつも騒がしいところだった。
ところが、ぼくの声はそのパブを通り越し、4階のスナックにまで聞こえたと言うから、かなりがなっていたのだろう。

声が枯れるまで歌って、その後ぼくは不覚にも寝てしまった。
これがいけなかった。
飲んで騒いでいるうちは気分もいいのだが、動きが止まってしまうと酔いというのは気分の悪い方向に向かってしまうものである。
案の定、ぼくは気分が悪くなった。
ところが、その頃はまだ吐き方というのをわきまえてなかったのだ。
今ならそういう時、人知れずトイレに行き、指を突っ込んではけるだけ吐いてしまう。
そして、何事もなかったような顔をして席に着くのだが、その時はまだそういうテクニックを知らなかった。
というより、吐くのが怖かったのだ。
そこで、我慢をしてしまった。
しかし、こういう時に我慢すると逆効果になってしまうものである。
「吐くまい」という意識が、さらに不快感を強めていく。
その結果、ぼくは衆目の面前で「ゴボッ」と吐いてしまった。
それも、Kさんの新調のスーツの上に。

それでもKさんは怒らなかった。
みんながKさんに、「ああ、新調のスーツが台無しやん。大丈夫ね?」と声をかけても、「スーツなんかどうでもいいです。それよりもしんたが心配で」と言っていた。
そういう中でも、ぼくはK選手に、「K選手、がんばってくださーい。でもぼくはライオンズファンでーす」と言って、汚れた手で握手を求めていたのだった。

X子のことや、Oさんのことでぼくがなぜ反発しなかったのかというと、以上のようないきさつがあったため、頭が上がらなかったのだ。

打ち上げが終わり、その数日後にバイトは解散になった。
ぼくはこのバイトで、仕事の難しさよりも、人付き合いの難しさを知った。
たったひと月半だったが、その短い期間にいろいろな事件があった。
何気ない言葉で袋だたきに遭わされそうになったり、はっきりした態度を取らなかったためにだめになったX子のこともあった。
もちろん、Oさんとのことも。
そのつど反省することも多かった。
とくに、Kさんのようなタイプの人とつき合うのは初めてだった。
そのため、この人とはどういう自分で接すればいいのか、などと考えることもあった。
また、Kさんを見ていると、自分が普通の人ではないように思えてきて、「この先、本当にまともに生きていけるんだろうか」などと思うこともあった。

とはいえ、楽しいひと月半だった。
その後も、しばらくバイト仲間とのつき合いは続いた。
特に覚えているのは、みんなと会うのが最後になった、成人の日のことだ。
そのバイト仲間の中で、その年成人になったのは、ぼくとAという男の二人だった。
正月にKさんに会った時に、「成人の日に、おまえたちのお祝いをしてやる」と言われていたのだ。

その成人の日、成人式に参加しなかったぼくは、午前中に慣れないスーツを着て親戚周りをした。
もちろん、ご祝儀目当てである。
それが終わってから、ぼくはKさんたちが用意してくれたお祝い会場に行った。
お祝い会場と言っても、別に店を借りたわけではない。
Oさんたち女性陣の一人であるYさんという方が、家を開放してくれたのだ。
そのおかげで時間を気にせずに、夜遅くまで飲み食べ語ることが出来たのだった。

宴もたけなわになった頃だった。
KさんがIさんに、「ちょっといいですか?」と声をかけ、別の部屋に連れて行った。
その部屋にはOさんがいたのだ。
KさんはIさんを部屋に入れると、自分は外に出た。

ぼくはKさんに聞いた。
「何がありようと?」
「例の件よ」
「例の件…?」
「告白タイム」
「ああ」

しばらくして戻ってきたOさんは、席に着くなり一気に酒を飲みほした。
それを見たぼくたちは、すべてを悟った。
酔いが回るに連れ、Oさんは「Iさん好きです」を繰り返し口にした。
しかし、どうしようもなかった。
Iさんにはすでに彼女がいたのだった。
どうなるものかと思ったが、さすがにIさんは大人だった。
なるべくOさんが傷つかないような方向に話を持っていった。
それを見ていたKさんは、「ホントこの人はいいカッコしいなんやけ」と言って、Iさんを批難した。
が、当のOさんはIさんの話で吹っ切れたようだった。

その後、祝成人会はお開きとなった。
最後に「またこういう会を開こう」ということになったが、その後、現在に至るまで、その会は開かれていない。
というより、この先も開かれないだろう。
それには理由がある。

○日、仕事が終わってから、ぼくたちは打ち上げ会場に集合した。
Kさんはぼくをダシに、Oさんと話している。
「こいつから『Oさんとつき合いたい。Kさん、どうにかならんかねえ』と相談受けたんよ。おれは『年上やけやめとけ』と言うたんやけどね。ちょうどその頃、X子という井筒屋のアルバイトの女子高生が、おれのところに『しんたさんとつき合いたい』と言ってきたんよ。そのことを伝えると、しんたは『おれにはOさんしかおらんけ、X子にそう言うとって』と言う。しかたなく女子高生には断りを入れたんやけど、おれはその子のほうが、しんたにはお似合いだと思った…」
ぼくはそれを聞いて、『何が、しんたにはお似合いだ、だ。全然話が違うやないか』と思っていた。
X子のことは、ぼくが断ったのではない。
Kさんが勝手に断ったのだ。
それも、そのことをぼくに伝える前に。

一方のOさん。
「あの夜ねえ、Yさんと帰っていたら、突然後ろからバシッと肩を叩かれてね。びっくりして顔を見てみたら、しんた君やったんよ。『何か用?』と聞くと、『ねえ、つき合って』やけね。そんな口説き方はないやろ。女の子は、デリケートなんやけ」
それを聞いてKさんは言った。
「えっ、肩をバシッと叩かれたと?」
「うん、痛かったよ」
「そうね、そんなことしたんね。しんたは変っとるけねえ」
そんな二人のやりとりを聞いていて、だんだん面白くなくなってきたぼくは、持ってきたギターを引っ張り出して、歌を歌っていることにした。

ところで、二人のやりとりを見ていて思ったのだが、OさんのKさんに対する態度は、ぼくのそれとはまるで違うものだった。
ぼくと話す時は、やはり年上という意識からなのか、「ああしなさい、こうしなさい」というように命令口調になることが多い。
ところが、Kさんには甘えるような口調で話している。
そういう会話を聞きながら、ぼくは『Oさんは年上のほうが好きなんだろうな』と思った。
そして、『この人たちは、このままつき合っていくんだろうな』と思ったものだった。

ところが、どうもそうではなさそうなのだ。
お酒が回るうちに、Oさんは「Iさん」という名前を口にするようになった。
どうやらOさんは、バイト仲間の一人であるIさんのことが好きらしい。
Kさんも、会話の途中にそのことに気づいたようだった。

IさんはF大の4年生だった。
浪人して大学に入ったのだろうか、歳はKさんより一つ上だった。
背が高く、甘いマスクをしたIさんに、Oさんは前から憧れを持っていたようだった。
Iさんはギターを弾くとかで、ギターをいじっているぼくに、何度も話しかけてきた。
Oさんは、その都度Iさんを目で追っていた。

Kさんといえども、Iさんが相手だとかなわないと思ったのか、急に「おれが仲を取り持ってやろうか」などと言いだした。
そして、宴会の最後には、「おれに任せとき!」と胸を叩いていた。

【北九州市議選告示】
今日、北九州市議選が告示された。
投票日は今月の30日である。
その日ぼくは仕事なので、次の休みにでも期日前投票に行ってこようと思っている。

ぼくの住む八幡西区は定員数15名に対し20名が立候補している。
が、ぼくは誰も知らない。
新聞には経歴が書いているが、経歴だけでは何もわからない。
一市の市議選にすぎないから、政見放送などはもちろんないだろう。
早くも選挙カーが巡回しだしたが、とにかくうるさいので聴く気にもならない。
いったい何を見て、その人を判断すればいいのだろう。

そういえば、今年に入ってから、ポストに候補者のパンフレットなどが入るようになった。
おそらく「これを読め」と強要しているのだろうが、いったい自分を何様だと思っているのだろう。
またそこには、人から紹介を受けただの、高校同窓会の会員であるだのと書いてある。
これがまた不愉快を誘う。
ぼくは、人のつてやコネを頼りに投票してもらおうなどという甘い考えの奴に、ろくな人間はいないと思っている。
それがなければ当選しないというのであれば、選挙に出ることをやめてしまえばいいのだ。
ということで、そういう人に入れることはしない。
もちろん、パンフレットは自動的に削除、である。
さて、誰に入れようか。


【突然服脱ぎ女性追走 新聞販売バイト逮捕】
“福岡県警八幡西署は二十一日、公然わいせつの疑いで北九州市八幡西区上上津役五丁目、新聞販売店アルバイト日下部和彦容疑者(二三)を逮捕した。
調べでは、日下部容疑者は十六日午後六時五十分ごろ、同区上上津役一丁目の路上で、突然服を脱いで全裸となり、歩いていた会社員女性(二三)を約三十メートル追いかけた疑い。
同署によると、女性は自宅に逃げ込み無事。日下部容疑者は脱いだ服を現場に残し、パンツ姿で逃げたという。服の近くに乗り捨てられたバイクの名義が日下部容疑者だったため、同署が事情を聴いたところ「急に脱ぎたくなった」話し、容疑を認めているという。”

こういうバカは、春にならないと出てこないものとばかり思っていたが、昨今の異常気象で寒の内にも現れるようになったのだ。
16日といえば、たしか小雪が舞っていたような記憶がある。
そういうクソ寒いさなかに「急に脱ぎたくなった」というのだから、恐れ入ってしまう。
いったい彼は、どういう理由から「急に脱ぎたくなった」のだろうか?
女性を見て脱ぎたくなったのだろうか?
あまりの寒さに興奮したのだろうか?
その辺は、本人に聴かないとわからない。
が、もし後者なら、東北や北海道に行ったら、毎日全裸で走ることだろう。

ところで、この日下部君のアルバイト先というのが、朝日新聞なのだそうだ。
朝日新聞といえば、自作自演の常習犯。
もしかして、この事件も自作自演なのか?
ここ数日、NHK他から批判の矢面に立っている感のある朝日だが、もしかして世論の目をそらさせようとして、このアルバイト君を利用したのではないだろうか。
まあ、そんなことはないだろうが、憶測で記事を書くような新聞社だからこそ、逆にいろいろと憶測してやればいいのだ。
そういう逆朝日的な新聞も出てきたらおもしろいだろうに。

「日下部君を利用しましたね?」
「いいえ、利用していません」
「日下部君を利用しましたよね?」
「いいえ、利用しておりません」

翌日の朝刊…
“朝日、世論の目をそらすために、アルバイトを雇い、全裸で女性を追走させる”

これも憲法で定めるところの『表現の自由』である。

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