吹く風ねっと

一生は未来の記憶を散りばめた一本の道。人生は未来の記憶をひろいながら歩く旅。

2004年12月

2004年最後の日記である。
つらつらと今年書いた日記を読み直してみたのだが、これと言って特徴のない一年だったといえる。
まあ、特徴のあった年というのは、人生の節目になった年とか、大打撃を受けた年くらいしかない。
大打撃を受けた年というのは、この日記に連載している『上京前夜』の年とか『左遷』のあった年とか、退職した年である。
そんなことが毎年毎年起きていたら、きっと生きていくのが嫌になるだろう。
やはり無事是貴人で、何事もないのが一番である。

そういえば、毎年この時期には来年の希望や目標を書いている。
だが、今年は何も思い浮かばない。
実際、こうしたいとか、こうなりたいとかいったものがまったくないのだ。
強いて上げるとしたら、「五十肩を治したい」くらいだろうか。

今年の1月末に急に肩が上がらなくなったのだが、それがまだ完治していないのである。
早いうちに整骨院や整体院といった、しかるべきところに行こうと思っていた。
ところが、まごまごしているうちに歯のほうが悪くなり、今はそちらのほうに通っている。
医療費3割負担のご時世なので、いくつもの病院を一度に通うわけにはいかない。
とりあえず歯医者を終わらせてから、ということになるが、最初に歯医者に行った時、先生から「ああ、たくさん虫歯がありますねえ。これは長引きますよ」と言われているのだ。
そういうわけなので、歯医者がいつ終わるのかわからない。
1ヶ月で治療が終わった歯が3本だから、この計算で行くと、歯医者が終了するのは3,4ヶ月後になるだろう。
それまで、肩の痛みと戦わなければならないことになる。
まあ、日常生活に支障をきたすところまでいってないのが、せめてもの救いだが、長引くとけっこう大変らしいから、できたら早目に治しておきたい。

そういえば、来年は、マンションの役員が回ってきていた。
「うちは、土日が休みじゃないし、帰るのがいつも10時過ぎるから」と言っていつも断っていたのだが、「順番制ですから」ということで逃れられなくなったのだ。
28日にその役割分担について話し合いがあった。
当初嫁ブーは、ぼくをその会合に出させようとしていた。
しかし、ぼくは拒んだ。
「何でおれが行かないけんとか」
「わたしそんなのに出たくないもん」
「おまえが行くべきやろ」
「そんなはことない」
「よく考えてみ。そういう会合は、普通奥さんが出るやないか」
「そうやねえ」
「そういうところに、男がのこのこと出て行ったら、『この人、やる気がある』と思われるやないか」
「ああ、そうか」
「そうなったら、『せっかくご主人が来られてるんですから、理事長になってもらえませんか』となるやろ」
「そうやねえ」
「だから、おまえが行け」
「わかった」
ということで、嫁ブーを会合に出させることに成功した。

結局、役割分担はくじ引きでやったそうで、ぼくの役は『副理事』となった。
嫁ブーの話によると、副理事は何もしなくていいということだった。
ぼくはそれを聞いて、
「やっぱりおまえを行かせて正解やったの」
「うん」
「おれやったら、おそらく理事引いてしまっとったやろう」
「わたし、こういう時はくじ運強いっちゃ」
「そうやのう。おまえが行けば、何事もうまくいくのう。これからもよろしく」
「まかしとって」
これで、副理事の仕事は嫁ブーがするだろう。

さて、来年はなにをしようか。

中国展でのアルバイトが終わり、ぼくはボンヤリとした生活を送っていた。
1ヶ月半のバイト期間中、一日も休まず働いた疲れが出たのだ。
アルバイトの二日酔い状態と言ったらいいだろうか。
しばらくぼくは、何もやる気が起こらなかったのだ。

その中国展で稼いだアルバイト料は、15万円程度だった。
しかし、ぼくはそのお金には何の興味もなかった。
お金を稼ぐのが目的で、そのアルバイトをしていたわけではなかったからだ。
ではいったい何が目的だったのかというと、働くことだった。
とにかく、大学受験失敗以降続いた約半年間のスランプは、ぼくにとっては長すぎた。
そのため、体が働くことを欲したのだ。
もし、その時立ち直らなかったら、おそらく今もぼくは立ち直ってなかっただろう。
そういう意味で、中国展のアルバイトは、ぼくの人生において、一つの転機だったといえるだろう。

さて、そのアルバイト料だが、すべて母に渡した。
母が「何に遣おうか?」と言うので、「風呂の修理代にでもすればいいやん」と言った。

実は、ぼくが中国展でアルバイトを始める少し前から、家の風呂が壊れていたのだ。
当時、ぼくの家の風呂はまだガス風呂ではなく、石炭風呂だった。
石炭風呂には、煙突がつきものである。
その煙突が台風のせいで割れてしまったのだ。
それが原因で、煙突を伝わった風が釜の中の煤を吹き上げるようになった。
そのせいで風呂場はいつも煤だらけになっていたのだった。

たまたまそれを見たガス屋が、「ガス風呂に換えたらどうですか?」と言ってきた。
母が「いくらくらいかかるんですか?」と聞くと、ガス屋は「そうですねえ、詳しく見積もってみないとわかりませんが、10万円ほどはかかると思います」と言う。
10万円、貧乏なぼくのうちにとっては大金だった。
しかも、まったく仕事をしない扶養家族を一人抱えている状況だ。
母は「10万円ですか。今はちょっと買えません」と言って、断った。

ガス屋が帰ったあと、いつものように母の小言が始まった。
「あんたが、ちゃんと仕事をしてくれたら、すぐにでもガス風呂に換えられるのにねえ」
「それとこれは関係ないやん」
「関係なくはない。どうして、あんたは仕事をせんのかねえ」
「仕事がないんやけしょうがないやん」
「仕事がないんやない。仕事はいくらでもある」
「でも、採用されんやん」
「それは、あんたに仕事をする気がないけよ。相手はそれを見抜いとるけ採用せんのよ」
「仕事をする気はある」
「じゃあ、さっさと探してきなさい」
「明日探してくるっちゃ」
「何であんたは、いつも『明日』と言うかねえ。何で『今から』と言えんのかねえ」
「いちいちうるさいねえ。ちゃんと働いて、風呂ぐらい、いくらでも直してやる」
そういうやりとりが数ヶ月続き、ようやくぼくは中国展で本格的にアルバイトするようになったのだった。

バイト料を母に渡す時、そういういきさつがあったのを思い出したわけである。
母は当然のような顔をして、それを受け取った。

例のごとく、今日の日記は『上京前夜(2)』となるはずだった。
が、ちょっとおもしろいニュースが入ってきたので、今日はそちらのほうを書くことにする。

“「ごみに火を付け逮捕」
27日午後11時20分ごろ、戸畑区夜宮3のごみ集積所から出火し、男が前に座っているのを発見した通行人が110番。
駆けつけた署員が住所不定、無職、H.T容疑者(65)を集積所の案内看板を焼損させた器物損壊容疑で現行犯逮捕した。H容疑者は酒に酔っており、容疑を認めているという。(戸畑署調べ)”
(12月29日付毎日新聞朝刊より)

このH.T容疑者、新聞に載るのは二度目である。
最初に記事になったのは、

“「雨の日のVIP」
雨がシトシトと降る夜は、戸畑署員の不安の日だ。60歳くらいの男性が決まってやって来て、当直員を困らせるからだ。
署員によると男性は日雇い労働者らしい。
だが、最近は仕事がなく戸畑の街を自転車に乗り夜の寝床を探しているという。戸畑署に現れると酔っ払った上に死んだふりをして居座る。そして保護室で朝を迎える。彼にとっては警察署が格好のホテルとなる。
実は、男性は根気が必要な山芋掘りの名人。金が尽きると山で長さ1メートルはある自生の山芋を掘り、料亭と1本1万円で取引する。
「どこか彼の働く場所はないのかな。山芋を掘る根気で頑張ってくれれば」と、署の幹部は雨雲を恨めしそうに見上げている。”
 (2002年6月26日付毎日新聞朝刊より)

ぼくの日記を長く読んでくれている人なら、ピンとくるだろう。
そう、このH.T容疑者とは、ぼくの日記に頻繁に出てくる、『酔っ払いのおいちゃん』のことである。
そして、冒頭の記事は、「酔っ払いおいちゃん、ついに逮捕される」の記事である。
最近とんと顔を見せないと思っていたら、こういうところで活躍していたのだ。
しかし、この日記に登場するのは、どのくらいぶりになるだろうか。
調べてみると今年の2月8日と9日に『酔っぱらいブギ』というタイトルで書いていた。
そこには、うちの男子従業員から外に放り出された、と書いている。
おそらく、それがおいちゃんに関する日記で、一番最近のものだろう。

それはそうと、知らない人がこの記事を見たら、おいちゃんは放火犯だと思うかもしれない。
が、このおいちゃん、そんな大それた犯罪を犯すほどの根性は持っていない。
おいちゃんのことを知る者は、おそらく、「昨日の夜は寒かったので、たまたま居合わせたところでたき火をやったのだろう」と思うことだろう。

もしくは、「おいちゃん一流のパフォーマンスかもしれない」と思うかもしれない。
年末から正月にかけて寒くなるという情報を、どこからで小耳に挟み、「寒くなるんか。じゃあ、警察にでも泊めてもらうか」と思い、何かやってやろうと思ったのかもしれない。
しかし、警察も年末で忙しい。
前回のように「死んだふりをして居座」っても、相手にしてくれないだろう。
そこで、寒さを紛らわせることも考えて、火を付けたのかもしれない。
そしてそれは、逮捕という形で成功したのだ。
これでおいちゃんは、寒い年末年始を、暖かい留置所で過ごせるだろう。

もし、警察が、本当においちゃんに罰を下すつもりなら、さっさと釈放すればいいのだ。
それが、今のおいちゃんには一番効き目があるだろうからだ。

「ああ、ぼくの青春は恋と歌の旅、果てることなく…♪」
吉田拓郎の『準ちゃんが吉田拓郎に与えた偉大なる影響』という、長ったらしいタイトルの歌の一節である。
高校時代、拓郎に憧れていたぼくは、当然のように、この歌詞と同じ道を歩むことになる。
とにかく、ぼくの10代の後半というは、歌のことを思っているか、好きな人のことを思っているかのどちらかだった。
そのため、勉強はおろそかになり、1浪半の末、結局大学進学を諦めることになった。
それを決めたのが、1977年10月のことだった。

その年の9月から始めた中国展のアルバイトが、翌10月に終わった。
他のバイト仲間は、そこからの道を決めていた。
だが、ぼくだけがその答を出すことが出来なかったのだ。
「しんたは、このバイトが終わったらどうするんか?」
「特に考えてない」
「大学受けんのか?」
「大学ねえ…。もう勉強する気もないしねえ…」
「そうか。じゃあ就職か」
「うーん…」
将来について聞かれるたびに、ぼくはいつもこんな煮え切らない受け答えをしていた。

何もぼくは将来を考えていなかったわけではない。
そういう煮え切らない態度をとることで、ある決心を隠していたのだ。
それが高校時代から抱いていた、「フォークシンガーになりたい」という夢であった。
高校の頃までは、「将来何になりたいか?」と聞かれたら、すかさず「フォークシンガー」と答えていたのだが、そう答えるたびに「何を馬鹿なことを言うとるんか」と笑われたものだった。
そういうことがあったので、ぼくは自分の夢を隠すようになったのだ。

なぜフォークシンガーになりたかったのかと言えば、答は簡単で、好きな女の子にそういう自分を見てもらいたかったからだ。
しかし、それだけではなかった。
ぼくは小さな頃から主張の強い人間だったのだが、その表現がへたであった。
そのため、人から誤解を受けることも多かった。
そこで、自分でも出来る自己表現法はないかと、いつも探していたのだ。
そして、それを高校時代に見つけた。
それが、フォークだった。
もし、それを職業に出来るなら、こんなにいいことはない。
そう思って、必死にギターを練習したのだった。

77年と言えば、ギターを始めてからすでに4年がたっていた。
何度か自作の曲を人前で歌ったりして、けっこういい評価を得ていた。
そのおかげで、演奏や歌にはある程度の自信を持っていた。
だが、あと一歩が踏み出せないでいた。
ぼくはその一歩を、長い浪人時代に探していたのだ。

最近、また算数の勉強をやっている。
新たに、『大人のための~』といった算数の問題集を買い込んだのだ。
最近日記の更新が遅れるのは、これに時間を費やしているからでもある。

初めて算数に取り組んだのは、もう数年前のことになる。
その頃はまだ『大人のための~』というような問題集は出てなかった。
そのため、中学入試の問題集を買ってきてやっていたのだ。
なぜ、そんなことをやり出したのかというと、あるクイズ番組で、方程式を使わないで解き方があると聞いて、それを知りたいと思ったからだ。

最初のうちは、一つの問題を解くのにも、かなりの時間を要していた。
が、だんだんやっていくうちに、その要領を覚え、問題を解く時間は短くなっていった。
それをやっていて思ったことは、算数問題の切り口は一つだけではないということだった。
いろいろな方向から斬っていけるのだ。
そこが、解き方が一つしかない方程式との大きな違いである。
要は、どう解いていくかという着眼点が重要視されるのだ。

「いろいろな方向から斬っていく」そういう考え方をやっていると、それをいろいろな方面で試したくなってくる。
そこで、その考え方をいろいろなところで応用しだした。
身近な例で言えば、仕入れ伝票の計算。
何ヶ月か前から、伝票整理をする時にはなるべく電卓を使わないで、暗算でやるようにしている。
まあ、複雑な計算や2桁×3桁のようなものは別としてだが、一桁×3桁・4桁くらいの計算なら、まず電卓を使うことがない。
これも、「電卓を使わないで、計算する方法はないだろうか」と考えた結果である。

例えば、1980円の商品が7個入ってきたとする。
学生の頃はこういう場合、(1000×7)+(900×7)+(80×7)とストレートにやっていたのだが、これだと算数が苦手だったぼくとしては、紙に書きとめないと計算ができない。
そこで、もっと簡単に計算する方法はないかと考えた。
考えついたのが、(2000×7)-(20×7)という方法だ。
これだと紙に書きとめなくても、14000から140を引くだけの計算ですむのだ。
まあ、そういう計算も面倒と言えば面倒であるが、3つの数字を足していくよりは、はるかに楽である。
他にも、ある商品が5個入ってきた時の計算は、その商品の価格をを2で割って10掛ければ、その答は簡単に導き出せる。

まあ、こういった計算方法は、もっと早くから、多くの人がやってることだろうし、もしかしたら、もっと高度なことを電卓を使わずにやっているのかもしれない。
しかし、そういうことが問題なのではない。
それを自分で発見するということが、何よりも大切なことなのである。
人から教わってやるのでは、何にもならないのだ。

算数をやったおかげで、ぼくはいろいろな切り口で負け惜しみが言えるようになった。

最近エッセイの編集をしているのだが、その最中にあることを思い出した。
それは、かつてぼくのエッセイを読んだ人から、よく言われていたことで、「『長い浪人時代』の続きは書かんとか?」である。
その頃は、ぼくも、「今、構想中だから、もう少し待ってくれ」と言っていたが、そのうち忘れていった。

実はその『長い浪人時代』は、このサイトを始める前に書いたものだ。
1976年から1981年まで、ぼくが浪人をしていた頃のことを書こうと思って始めたものだが、それが二部で終わったままになっているのだ。
その頃は、近いうちに書こうと思っていたのだが、この日記を書くようになってからは、そちらに時間をとられるようになってしまい、そのためいまだに手つかずになっているのだ。

しかし、何も書いてないのではない。
ちゃんとこの日記の中で、断片的にその当時を回顧したものは書いている。
ただそれを体系付けてないだけの話である。

せっかく書き始めたものだから、最後まで書きあげたい気持ちはある。
しかし、4年以上も前に書いていたものだから、どういうふうに文章を繋いで、どういう流れで持っていったらいいのかがわからない。
とりあえず、エッセイは1977年10月で終わっているのだから、そこからのことを書いていけばいいのだが、4年前と今では、その記憶の量が違う。
何よりも重大な問題は、その時期に書いていたノートが手元にないということだ。

実は、その『長い浪人時代』の時期の後半、ぼくは東京に出るのだが、その東京時代の最後、仲の良かった人に餞別代わりと言って、気前よくそのノートをあげてしまったのだ。
その時は、その元となった下書きのノートが実家にあるので、それを編集すればいいと思っていた。
ところが、こちらに帰ってきてから、しばらくしてその下書きノートを探してみたのだが、見あたらない。
母に「あのノートどこにやった?」と聞いてみると、「あんたが東京に行っとる間に、汚いものは全部捨てたよ」と言うのだ。
結局、その下書きノートの、さらに元となったメモ用紙が何枚かが手元に残っただけだった。
そのノートに書いている詩の中には活字にものもあったのに、そういうものがすべて闇に葬られてしまったわけだ。

さて、そういうこともあって、その『長い浪人時代』の続きが書けないでいるのだが、今書いておかないと、後日回しにしてしまうと、さらに記憶は薄れていく。
そういうわけで、近日、その続きを書くことにします。

前にも書いたが、来年は正月早々のんびり出来ない。
それは、嫁ブーが元日から仕事で、そのために朝早く起きて、嫁ブーを会社まで送っていかなければならないからだ。
元日だけはゆっくり寝られると思って楽しみにしていたのに、そのためにそれがぶちこわしになってしまったわけだ。
まあ、送っていくといっても、片道10分足らずのところなので、往復20分くらい出るだけで、帰ってから寝れば同じことだろうが、その中断が大いに応えるのだ。
帰ってから寝るといっても、一度目が覚めてしまうと、なかなか寝付けるものではない。
しかも車を運転するのだから、少なからず緊張しているわけだ。
その緊張をほぐさないことには話にならない。
そうこうしているうちに昼になり、夜になるのだ。
そして、「いったい、今日の休みは何だったんだろう?」ということになってしまう。
嫁ブーは翌2日も仕事だから、同じことの繰り返しになるわけだ。

しかも、毎年楽しみにしている正月恒例の昼酒も、来年は控えなければならない。
なぜなら、嫁ブーが夕方には仕事が終わるからだ。
そう、迎えに行かなければならないのだ。
だいたい飲み始めるのが時くらいだから、夕方までに酒が抜けることは考えにくい。
正月ということで、この時とばかりに警察は目を光らせていることだろうから、もしそれに出くわしてしまえば、確実に餌食になってしまう。
正月早々30万円の罰金なんて、シャレにならない。
正月に酒が飲めない…。
生まれてこの方、こんなおもしろくない正月があっただろうか。

さらに、ここ数年、元日行事になっている夫婦揃っての初詣も、来年は出来ない。
いつも昼酒を飲んだ後に初詣に出かけていたのだが、気候と、歩くのにほどよい神社までの距離、それに加えて神社のすがすがしさが酔い覚ましにもってこいなのだ。
そのおかげで、夜またじっくりと酒を飲むことができた。
その日の飲み疲れは、翌日じっくりと癒しておけば、その翌日からの仕事に差し支えがない。
初詣は、一人で行くことも考えたが、どうも様にならないので、遠慮することにしようと思っている。

それにしても困ったものだ。
寝だめも出来ない、酒も飲めない、初詣にも行けないとなると、いったい何をして過ごしたらいいのだろう。
ありきたりの正月特番を見てもおもしろくないし、正月早々本を読む気にもなれない。

そういえば、今、うちの店では民芸品を売っている。
そこには投げゴマもあったから、それを買って、正月一人で遊んでいようかなあ。
昔とった杵柄だ。
回すことくらいは出来るだろう。
しかし、白髪のおっさんが、一人でコマを回して遊んでいる姿というのは、何とも寂しい。

『福岡ソフトバンクホークス』、長い名前である。
まあ、『東北楽天ゴールデンイーグルス』よりは2文字少ないが。
しかし50種類も候補が上がっていたのに、「結局これか…」である。
「われらーの、われらのー、ソフトバンクホークス~♪」
どうも歌いにくい。
「われらーの、われらのー、ふくおーかホークス~♪」
にしても、何か物足りない。
もっと気の利いたネーミングが出来なかったのだろうか。
まあ、これで決まった以上、今更どうしようもないのだが…。

しかし、これで長年続いたホークスの身売り問題は、いちおう解決したわけである。
ロッテと合併しないで、本当に良かったと思う。
あとは孫さんが、約束どおり、すべてを王監督に任せられるかどうかが、今後の課題となってくる。
何日か前の夕刊フジにも書いてあったが、孫さんは球団を無事に買収できたのだから、あとは黙って金だけを出してくれればいいのだ。
アイデアを出すのはいっこうにかまわない。
が、素人が余計な介入をしだすと、ろくなことはない。
あの北朝鮮が、あそこまで落ち込んだ理由は、何かにつけて金親子が口出しをしたからだと聞いている。
例えば農業でいえば、そのイロハも知らないくせに、「そうじゃない。こうしなさい。それが主体思想である」とありがたい教示をたれたがために、あそこまで生産性が落ち込んだのだという。

それはともかく、オーナーはオーナー、監督は監督、コーチはコ-チ、選手は選手の職分を尽くしていれさえすれば、ゆくゆくは名オーナー、名監督、名伯楽、常勝軍団と称せられること必至である。
そういうことなので、孫さんはその職分、つまり黙って金を出すことに専念してほしい。
試合中に「次は誰を投げさせたらいいか?」などと投票なんかさせると、敵のファンがひいきのチームがカモにしているピッチャーに投票することだって考えられるのだ。
そういうアイデアは、他チームのオーナーに勧めてやってほしい。

今日の福岡の盛り上がりかたはすごかった。
テレビやラジオでは朝から球団名の話題で持ちきりだったし、夜中は夜中で新球団誕生を祝して特番までやっていた。
さすがの孫さんも、ホークスに対する、地元の、その尋常じゃない思い入れには驚いたはずだ。
それは福岡県民の、ホークスに対しての愛情の表れであると同時に、ソフトバンクに対する期待度の表れでもあるのだ。
その期待に応えられるかどうかは、孫さんがいかに口を出さないかにかかっている。

ところで、今日は球団のロゴが発表されたが、帽子のロゴはいったいどうなるのだろうか?
今までは『FDH』でしっくりいっていたのだが、このやり方だと新球団は『FSBH』になってしまう。
こんな並び方を変えると、放送局名になるようなロゴはやめてほしい。
かといって、ハリーホークを貼り付けられても困る。
ホークスの弱い時代の象徴に思えるからだ。
ぼくとしては『FH』だけでいいと思っているが、さて、デザイナーはどういうロゴを持ってくるのだろうか。
楽しみである。

しかしなあ…。
いろいろ考えていくうちに、思考は、また冒頭のことに戻っていく。
『福岡ソフトバンクホークス』
長いなあ…。
「われらーの、われらのー、ソフトバンクホークス~♪」
歌いにくいなあ…。

ぼくたちの世代以上の方は、この時期に天皇誕生日といわれても、ピンとこないのではないだろうか。
歳時記としての天皇誕生日と言えば、ぼくたちの中では、やはり4月29日なのである。
今、その日は「みどりの日」という祝日になっているが、何気ない会話の中で、4月29日をつい「天皇誕生日」と言ってしまのも、その現れだろう。

それはともかく、平成時代の天皇誕生日である12月23日だが、実は先の大戦で敗れた際に行われた極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判で絞首刑判決を受けた東条元首相以下7人の、刑の執行がされた日なのである。
なぜこの日を選んだのかというと、この日が次の天皇(つまり今上天皇)の誕生日だったからである。
いわゆるA級戦犯を、永久戦犯にするために、マッカーサーが企んだことなのだ。
つまり、7人のことを末代まで忘れさせないようにすることで、日本人に贖罪意識を植え付け、永久に日本人が立ち直れないようにしようとしたのである。

まあ、その当時からアメリカの嘘を見破っていた人が少なからずいたおかげで、そこまで深刻な事態に陥らずにすんだわけであるが、中にはその嘘を見破ることが出来ないで、アメリカの思惑通りに贖罪意識を背負い込んだ、おめでたい人たちもいた。
そういう人たちが、教育者なんかになったりしたもんだから、若干ではあるが、この国におかしな人が出現するようになった。
「日の丸反対!」
「君が代反対!」
「靖国反対!」
そう、地球市民さんたちである。
彼らは、文字通り地球市の市民で、日本を侵略するためにやってきたのだ。
しかし、なかなか世論が自分たちになびいてくれないために、こんな発言をするようになったのだ。
ところで、その地球市というのは、どこの国に属しているのだろうか?
で、その首都はどこにあるのだろうか?

こういうおかしな人たちの出現に、墓の中のフランクリン・ルーズベルトやコーデル・ハルは、さぞ喜んでいることだろう。
なぜなら、地球市民たちは、彼らの思惑通りに動いているからだ。
しかし、地球市民たちはそのことに気づいてない。
すべては自由意思だと思っている。
そしてそのことを、常に口にし、自分たちの正当性を訴える。
どこぞやの宗教団体と、何ら変わりがないのだ。

なぜそういうことになるのかというと、彼らが歴史認識を持ち合わせていないからだ。
彼らの頭の中にある歴史は、南京大虐殺や従軍慰安婦や東京裁判といった断片的なものしかないのだ。
なぜそういうことになったかという流れがわからないから、闇雲に日本人であることを恥じるようになり、その素性を隠すために、地球市民を名乗りだした。
そして、その言葉面の良さだけに賛同したバカどもが、次々と地球市民を名乗るにいたったわけだ。
まさに「地球防衛軍」的なノリなのである。

とはいえ、12月23日がそういう意味のある日だと知っている人が少なくなったことと、東京裁判自体に疑問を抱く人が多くなったおかげで、この国も、ようやくその呪縛から解放されつつあるようだ。
が、中には先の地球市民のように、いまだに洗脳の解けない人もいる。
彼らは相変わらず贖罪意識の固まりで、昨今の中国や北朝鮮の悪事でさえ、日本のせいだと思っているのだ。
いいかげんに、目を覚ましてほしいものだ。

今、嫁ブーはテレビを見ている。
時々この部屋に音が漏れてくる。
最初は気にしてなかったのだが、物音一つたてずに見ているので、よほどおもしろいものを見ているのだろうと思い、耳を傾けてみた。
ところが、何かおかしい。
言葉が理解できないのだ。
言葉を聞くタイミングを誤ったのかと思い、今度はじっくり聞いてみた。
しかし、やはり理解できない。
しばらく聞いていると、ようやくその理由がわかった。
時々「アンニョン」という言葉が入っているのだ。
韓国語じゃないか。
嫁ブーは、またしても韓国ドラマを見ていたのだ。

そこで、ぼくは部屋を出て、嫁ブーに言った。
「おい、また韓流か?」
「うん」
「今度は何か?」
「冬ソナ」
「え?この間、見よったやないか」
「うん」
「おまえはバカか。何回同じものを見たら気がすむんか!?」
「今回のは違うんよ」
「何が違うんか?今見よるのは『冬ソナ2』なんか?」
「『冬ソナ2』とかないよ」
「じゃあ、この間やっとったやつと同じやないか」
「うん。でもね、今回のは前のと違うんよ」
「どこが違うんか?」
「今回のはね、完全版なんよ」
「完全版とかあるんか?」
「うん」
「じゃあ、この間やったのはダイジェスト版ということか?」
「まあ、そんなところやね」
「そうか。ということは、今回のは日の丸を燃やしたり、日本大使館の前で従軍慰安婦騒ぎやったりする場面でも入っとるんか?」
ぼくがそう言うと、嫁ブーは、
「そんな場面ない」と言い、『あんたにつき合っとる暇はない』と言うような顔をして、再びテレビに集中しだした。

夏にやっていた『冬のソナタ』が終わった時、「ようやく土曜日の『すぽると』が見れるわい」と思っていた。
ところが嫁ブーは、続けて始まった『美しき日々』を見だしたのだ。
それも終わったのでホッとしていた時だった。
何と嫁ブーは、見終わったばかりの『美しき日々』のビデオ全8巻を会社の人から借りてきて、それを見だしたのだ。
最近ようやくそのビデオを見終わったようで、「やれやれ」と思っていると、また『冬のソナタ』である。
年も明けることだし、いいかげんに韓流はやめてもらいたいものだ。

そういえば、昨日実家に行った時、母から、「ねえ、冬ソナ録画したいんやけど、予約してくれん?」と言われた。
ぼくが呆れて「また見るんね」と聞くと、
「いや、K子(いとこ)が『録画しとって』と言うもんやけ…」と言う。
ついに、いとこのせいにしてしまった。
まったく、うちの女どもは何を考えているのだろう。

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