吹く風ねっと

一生は未来の記憶を散りばめた一本の道。人生は未来の記憶をひろいながら歩く旅。

2004年06月

前にも書いたことがあるが、ぼくが本格的に本を読み出したのは、高校3年の頃からだった。
その頃ぼくはミュージシャンを目指していたのだが、どうも作詞がだめだった。
もちろん人生経験が浅かったせいもある。
しかし、同じ世代の人間でもいい詞を書いている人はたくさんいた。
「この差は何だ?」と考えた。
そして「これは読書量の差だ」と思うに至った。
高3の頃は、クラスの中の浮いた存在であったため、休み時間なども一人でいることが多かった。
この一人でいることが、大いに読書に役立ったのだ。
その頃よく読んでいた本は、なぜか宗教書だった。
宗教書と書くと、何かカルト的なものを想像するかもしれないが、ぼくが読んでいた本はそういう類の本ではなく、当時よく読まれていた高田好胤師の一連の本や、『般若心経入門』などであった。

詩を読み出したのは、予備校に通い出してからだった。
新潮文庫や角川文庫から出ている『○○詩集』なる本は、ほとんど読んだ。
その中でも特に好きだったのが、中原中也と高村光太郎だった。
中也には詩の作法を習い、光太郎には崇高な精神を教わった。
中国の古典も、その頃読んだ三国志の影響から読み始めた。
特に老荘思想には惹かれるものがあり、よく読んだ。
が、その思想にのめり込んでしまい、予備校の勉強が馬鹿らしく思えるようになってきた。
そして予備校を退学してしまった。

東京にいた頃は、老荘思想と併せて再び仏教書を読むようになった。
そのせいで、ぼくは大人であることを避けるようになった。
その頃によく読んだ仏教書は法句経だった。
そのお経は「無邪気」を説いてあった。
「恰好つけても何にもならない。あるがままが一番」という老荘思想にも通じる内容に、ぼくは感化されたのだ。
ぼくが作詞のために読み始めた本は、結局老荘思想や仏教関係に行き着いたのだった。

さて、そういった本が作詞に何か好影響を及ぼしたのか?
答は否である。
確かに人生の歌のようなものは存在するが、人の心には響かない。
やはり作詞の基本は、より身近な「好いた」「くっついた」「別れた」なのである。
そういう路線をぼくは目指して、ぼくは本を読み始めたのだ。
が、先にも言ったとおり、結果的に行き着いたのは老荘思想や仏教の本だった。
そういった本には、そういうことは一切書いてない。
…いや、あることはある。
それは「別れ」だ。
が、その別れは「恋愛の別れ」ではない。
「永遠の別れ」である。
そういうわけで、ぼくが作った恋歌は、変に小難しくかつ主観的なものになっている。
そこには「しぐさ」が見えない。
言い換えれば「色気」がないのだ。
恋愛ものを読んでおくべきだった、と思う。

ちなみに、その後作詞を諦めたぼくは、人生のために本を読み始めた。
が、その行き着いた先は、歴史書や中国・韓国・北朝鮮のこき下ろし本だった。
どうも予定どおりにはいかない。

数ヶ月前から、肩に痛みが走るようになった。
それに気づいたのは、ラジオ体操をやっている時だった。
例の「体をねじる運動」で腕を振った時、肩のつけ根に激痛が走ったのだ。
最初は1月後半、凍結した道で転倒したのが原因かと思っていたのだが、痛いのはその時痛めた左肩だけではなく右肩も同じように痛いのだ。
その状態が数ヶ月の間ずっと続いている。

人に聞くと「それは四十肩だ」と言う。
しかし、四十肩ではない。
確かに痛み方は四十肩に似ているのだが、腕はちゃんと上がる。
それに四十肩の時にはどの方向に腕を上げても痛いのだが、今回は腕をねじった時や、机などに肘をついていた時だけ痛いのだ。
そのことを人に言うと、「ただそれだけのことじゃないか。その歳になれば、多かれ少なかれ誰でも痛みは持っているものだ」と言われたのだが、その痛みが尋常じゃないから困っている。

ある時ふと気づいたことがある。
荷物を持っている時、肩が抜けるような感触があるのだ。
この感触をどう説明したらいいのだろう。
例えば、指を引っ張った時に、関節が抜けた感じがしたことがないだろうか。
その感触を肩に感じる、と思っていただいたらいい。
つまり脱臼したような状態になるのだ。
脱臼と同じような状態だから、当然痛みを伴う。
ということで、ぼくはこの痛みを脱臼、いや脱臼もどきの痛みだと思うようにした。

ぼくは過去に一度だけ脱臼をしたことがある。
3,4歳の頃だったと思うが、母が腕を引っ張った拍子に抜けたのだ。
まだ物心ついたかつかないかの頃だったが、その時の痛みだけは鮮明に覚えている。
まるで腫れ上がった虫歯の痛みが、肩にきたような感じで、手を触れられただけでも痛みを感じたものだ。
確かに今味わっている痛みがそうだ。

さて、脱臼もどきの症状だとしたらどうしたらいいのだろうか?
誰でも考えつくことは病院に行くことである。
しかし、ぼくは病院には行かない。
おそらくこの痛みは病院では治せないだろう。
レントゲン撮られて、痛み止めの注射を打たれ、「しばらく様子を見て、また痛くなったら来て下さい」と言われるのがオチだ。
こういう時は整体院なのだろうが、それも今のところ行っていない。
なるべくそういうところに行かずに、自力で治したいのだ。

ということで、最近肩の筋肉を鍛え始めた。
それは元横綱の千代の富士が、脱臼癖を克服するために筋肉を鍛えたということを何かの本で読んだからだ。
その本を読んだ時、ぼくは思わず膝を打った。
ぼくは若い頃激しい運動をやっていたのだが、一度も脱臼や骨折をしたことがない。
その理由を、今までぼくは「運が良かった」と思っていた。
が、よくよく考えてみると、それは少し違うような気がする。
その頃のぼくは筋肉隆々だった。
おそらく、怪我をしなかったのは、その隆々の筋肉が骨を守ってくれたおかげだったのだろう。
そういえば、「体が痛い」などと泣き言を言い出したのは、運動をやめてしばらく経ってから、つまり筋肉が萎えた頃からだった。

さて、今ダンベルや腕立て伏せで肩の筋肉を鍛えているのだが、そういった運動のあとには不思議と痛みが消えている。
腕をねじっても痛くないし、肘をついても痛くない。
だが、時間が経つとまた痛みが戻ってくる。
ということは、筋肉を往時に戻さない限り、痛みは完全に消えないということになる。
ダンベルや腕立て、競技も何もなしの地味な運動である。
飽きっぽいぼくが、どこまで続けることが出来るのか。
今は肩の痛みより、そちらのほうが心配である。

ここ2週間ばかり金縛りに遭ってない。
少し前まで毎日のように金縛りに遭っていたのが嘘のようである。
しかも、その金縛りに遭っていた時によく聞こえていた、「バシッ!」というラップ音も聞こえなくなった。

ぼくは以前、この「金縛り」を疲労や寝不足からくるものだと思っていた。
確かに、疲れていた時や夜更かしした時に、金縛りに遭うことは多かった。
しかし、ここに来て「その認識は間違っていたのではないのか」と思うようになった。
その理由は、充分に休養をとっても金縛りに遭っているし、早く寝ても襲ってくることがあったからだ。
それに金縛りが疲れや夜更かしに関係あるのなら、ラップ音もそういうことと関係あるのだろうか?
ラップ音は幻聴とは違ったものである。
疲れているから、夜更かししたからと言って聞こえるものではない。
気力の充実した朝にも聞こえることもあるのだ。
ということで、今またぼくは、金縛りを霊現象だと思うようになった。

では、この2週間ばかり金縛りに遭ってないのは、何か特別なことをやっているからかといえば、そうではない。
2週間ばかり、詳しくいえば6月15日からである。
その前の数日間は、続けて金縛りに遭っていたのだが、その日を境にいくら寝不足であっても金縛りに遭わないのだ。
その日何があったのか。
今月16日の日記を読んでもらったらわかるが、15日にぼくは宗像大社に行っている。
実はこの時、二つのお札を買ったのだ。
一つは『天照大神』と書かれたお札で、もう一つは『宗像大社』と書かれたお札である。

いや、別に金縛りから逃れたくて、これらのお札を買ったのではない。
昨年だったか、嫁さんの姪からマンション用の神棚をもらっていたのだが、ずっと神様が不在だったのだ。
宗像大社に行った時、そのことを思い出して、お札を買ったわけである。
さっそく家に帰ってから神棚を取り付け、お札を奉った。
で、その夜から金縛りから解放されたのだ。

しかし、神社のお札にこういう力があるとは思ってもいなかった。
だいたい霊封じのお札というのは、梵字やお経が書かれていなければならないのだと思っていたのだが、どうもそうではないようだ。
そういえば、何年か前の年末に、母が交通事故に遭った。
その翌年の正月、一時退院した母と、宗像大社に厄払いに行った。
本殿に入った時だった。
急に母が「あれ?肩が軽くなった」と言った。
その感触はぼくにもあった。
知り合いに霊感の強い人がいるのだが、その人がかつて「宗像大社は非常に霊格が高い神社だ」と言っていたのを、その時思い出した。
おそらく、霊格の高い神社に入ったため、憑きものが取れたのだろう。

それほど霊格の高い神社のお札を寝室に奉ったため、金縛り霊が来なくなったのだろう。
そういえば、金縛りとは無関係なのだが、寝てる時に何かが寝室の入口から入ってきて、そのままぼくたちの上を通り西側の窓に抜けるようないう気配をよく感じていた。
ところが、最近はそれもなくなっている。
これもお札のおかげだと思いたい。
なぜなら、神棚を取り付けたのが西側の窓の上だからである。

さて、ぼくを金縛りに遭わせることの出来なくなった霊や、寝室を抜けていくに入ることの出来なくなった霊は、いったいどこに行ったのだろうか?
金縛りに遭ったり気配を感じたのはいつも夜中だった。
もしかしたら、行き場を失った霊は、この日記を通じて皆さんのところに行っているのかもしれない。

最近、浪曲などとともに、世間から遠ざかっている歌の一つに軍歌がある。
ぼくが子どもの頃は、ごく普通に歌われていた。
当時はカラオケなどなかったから、おっさんたちは酒が入ると手拍子で歌をうたっていたのだが、その時歌われていたものはほとんどが軍歌だった。
子どもの間にもそれは浸透していて、ぼくが小学生の頃には、友だちと「軍歌の中で何が一番好きか?」などと言っていたものだ。
一番多かったのは『加藤隼戦闘隊』だった。
ちなみにぼくが好きだったのは『麦と兵隊』だった。
これは母親が好きでよく歌っていたから、その影響を受けたのだろう。

また、ぼくが小さい頃に流行ったドラマやアニメの主題歌は、どう聴いても軍歌というものが多かった。
まあ、まだ軍歌からそう離れていない時代だったから、そうなったのだろうが。
その中でも『ゼロ戦ハヤト』の主題歌は、まさに軍歌と言っていいものだった。
この歌が戦時中に歌われていたとしても、別に違和感はなかっただろう。

軍歌はテレビのCMでもよく使われていた。
森永エールチョコレートの「大きいことはいいことだ~♪」という歌があったが、ずっと後に何かの本で「あの歌の元は軍歌である」と書いてあったのを読んだことがある。
それを読んでぼくは「なるほど」とうなずいたものだ。
また、かつてこちらの九州電力のCMで、「煙も出ない、火も出ない、ガスも出ないし、汚れない~♪」という歌が流れていたのだが、これは『勇敢なる水兵』の替え歌だった。
ぼくが高校の頃だったか、酒か何かのCMの中で、松村達雄が「遼陽城頭(りょうようじょうとう)夜はたけて~」と歌っているシーンがはあったが、あれは印象的だった。
その歌『橘中佐』という歌は、あの頃けっこう流行ったような気がする。

高校野球の応援も軍歌が多かった。
『敵は幾万』なんかは今でもやっている。
しかし、今の高校生は、それが軍歌だということを知らないだろう。

なぜ今頃軍歌の話をするかといえば、実は昨日カラオケテープの卸元から『軍歌』のCDが入ってきた。
何が入っているのかと見てみると、ぼくが小さい頃に母が歌っていた歌がほとんどである。
『麦と兵隊』『紀元は二千六百年』『加藤隼戦闘隊』『空の神兵』『ラバウル小唄』『月月火水木金金』『雪の進軍』などなど。
中には、ぼくが中学の時に遠足で歌った『戦友』も入っていた。
そういうタイトルを見て、ふと昔を思い出したわけだ。

今時軍歌などと言い出すと、普通に引いてしまうものだ。
なぜなら、軍歌には戦争という負のイメージがあるからである。
しかし、それを言うなら、ロックだって元は不良の音楽だったし、矢沢永吉にいたってはヤンキーのカリスマ的存在である。
はたして今時、そういうイメージでロックや永ちゃんを聞く人がいるだろうか?

歌というものは文化なのだ。
時代背景がどうであれ、それをやっている人がどうであれ、いいものはいいのだ。
軍歌だってどんどん歌い続けていけばいいのだ。
きっと今の日本人が忘れている、『勇気』を与えてくれるだろうから。

【金さん殺害】
実は、痛ましい映像を見てしまった。
痛ましい映像とは、イラクの武装勢力に拉致された金鮮一さんの殺害シーンである。
テレビのニュースでは、犯人たちが声明文を読み上げているところで終わっているが、ネットではその後の映像が流れていた。
その後犯人たちは、金さんを蹴り倒し、体を押さえつけて、何か呪文のようなものを唱えながら、巧みに金さんの首を掻き斬った。
最後に犯人は、首を片手に何かわめき、その首を胴体に乗せた。
映像はそこで終わっていた。

実に残酷なシーンだった。
が、実にあっさりとしたものだった。
食事前に見たのでちょっと刺激が強かったものの、人間の首とはああも容易く取れるものなのかなどと、冷静なことをぼくは考えていた。
斬首シーンは時間的には比較的短いものだった。
しかし、その場に座らされてから息絶えるまでの金さんにとっては、長い長い恐怖の時間だったのだろう。
ご冥福をお祈りします。


【介錯】
現代では、首を斬るという行為は、残酷かつ野蛮ということになっているが、つい100年ちょっと前までは、日本でも頻繁に行われていた行為である。
江戸時代には打ち首という刑があった。
その首をさらすことを獄門と言った。
また、武士の世界には切腹という刑・自決法があった。
切腹の際、必ず介錯人というのがついたのだが、腹を切ったのを確認して、彼らは首をはねていた。
首を斬るのは、切腹した人を早く楽にさせるためだったという。

居合に、その『介錯』という型がある。
居合は「静中動ありの武術」だが、この『介錯』の時だけは静で行う。
それは介錯というのが、厳かな儀式であるからだ。
ちなみに、この介錯、一歩間違うと自分の身に被害が及ぶ。
間違いというのは、首を斬り落とした時である。
介錯には、首の皮一枚だけでも胴体と繋がっていなければならない、というルールがあったらしく、もし切り落としたりすると、今度はその介錯人が罪に問われることになる。
つまり、腹を切らなければならないのだ。

ということは、だ。
今回の武装勢力の斬首の場合、完全に首を切り落としていたから、日本式であれば、武装勢力は腹を切らなければならないことになる。


【巌頭和尚】
江戸時代、白隠という名僧がいた。
彼が大悟したきっかけが、実は斬首であった。
白隠は19歳の時に、唐の巌頭和尚が賊のために首を斬られ、数里に聞こえるような大きな叫び声を出して死んだという記事を読み、「仏門の修行をしても賊難でさえ避けることが出来ないではないか」と落胆する。
ところが、その5年後、暁の鐘の音を聞いて彼は大悟した。
その時白隠は、「巌頭和尚はまめ息災であったやわい」と叫んだという。
白隠が何を悟ったのかは知らない。
が、おそらく巌頭和尚の中に生死を超えたものを見たのだろう。
だからこそ「まめ息災」なのだ。
巌頭和尚は、生死を超えたところで首斬りを受け入れたということになろうか。
ということは、巌頭にとって賊の刃は、きっと春風が首をなでているようなものだったのだろう。
金さんの斬首シーンをハラハラしながら見ていたぼくには、その心境にはなれない。

こんばんみ~。
今日は昨日の続きで~す。

【6月22日『タマコの伝言』】
『「ORさんから皆さんへ」
まだ決まってはないみたいなんですけど、親戚の方が亡くなるみたいで、22日23日24日3日間(他の日になるかも…)休むそうです。
タマコが出たかったんですが、休みの日は用事が入ってるんで出れないんで、すみません。
またORさんから電話するみたいなので、、、。』
ORとは、タマコと同じ部門でバイトするタマコよりは九九が出来る分何ぼかマシな女子高生である。

この伝言はもちろんタマコが書いたのだが、普通なら『ORさんから、皆さんへ伝言でーす』などと書くはずである。
さすがにタマコでも、こういうことは真面目に書かないといけないと思ったのだろう。

が、それにしても変な伝言である。
『まだ決まってはないみたいなんですけど…』と、まるで旅行にでも行くような軽いノリ、それに加えて『親戚の方が亡くなるみたいで…』、おそらくタマコのことだから『危篤』という言葉を知らなかったのだろうが、すでに死ぬことを見通しているような書き方である。
捉えようによっては、予言とも思える。
ということは、タマコは会ったこともない、ORの親戚の方の死を予言していることになる。しかも日にち指定で。
天才タマコは予言者でもあったのだ。

さて、タマコが言っている『休みの日は用事が入ってる』ということだが、いったい何の用事だったのだろう。
翌日タマコにそのことを聞いてみると、何とその日はデートだったらしいのだ。
彼氏が家に遊びに来たらしい。
だが、疲れていたらしく、すぐに寝てしまったというのだ。
面白くないタマコは、しばらく一人でビデオを見ていたのだが、それも飽きて、眠っている彼氏にちょっかいをかけた。
ところが、それが原因でけんかになったという。
一時は別れ話まで出たらしいが、ほどなく仲直りしたらしい。
「よく彼氏が許してくれたのう。で、おまえ、何と言って仲直りしたんか?」
「何も言うてないよ。ただチューしただけ」
タマコには、『チュー』という言葉は似合わない。


【タマコの弱点】
タマコには弱点がある。
いや、脳が弱いということではない。
実は、タマコの鼻の下に、ニキビを潰した跡があるのだ。
最近潰したらしいのだが、タマコはそれを気にしている。

ぼくがその部分を見つけた時、なぜかタマコがソワソワしだした。
「もしかしたら」とぼくは思い、別の折に、その部分を見ていると、やはりタマコの様子がおかしい。
そこで、ぼくはタマコに聞いてみた。
「お前、そこどうしたんか?」
すると、タマコは急に真っ赤な顔をして「クーン」と犬の鳴くような声を上げて、逃げていった。
『これはいいことを知った』と思ったぼくは、それ以来タマコが大きな口を叩くたびに、その部分を凝視するようになった。
案の定タマコは大口を叩くのをやめ、頬を真っ赤に染め、何ともむず痒そうな顔をして逃げていく。
そろそろそのニキビの跡も目立たなくなってきているが、なるべくこちらが治ってないように振る舞って、タマコ・カードが途切れないようにしなければならない。

【6月15日、16日】
『こんばんみ~。タマコの日記でぇ~す。二日分の日記を書いちゃいます。
15日はバイトが14時~20時までの勤務でしたぁ。
この日はしんた兄ちゃん(しんたさん)は休みだったので平和な一日でした。だけど、この日はかなり調子悪くて、テンションダウンでしたぁ。イライラの日でしたぁ。
16日今日は、私は朝学校に行ってピアノのレッスンをしましたよ。
ピアノは本当に難しいので大変だけど~私は天才なので楽勝ですっっ(笑)バイトは五時半からで、相変わらずしんた兄ちゃんは私の事バカにしてる感じがするのですが、一番変な人はしんたさんなので…私はそれを理解してるんで大変です。まぁ今日はこんな感じです!!
以上タマコの日記でしたぁ。 ーおしまいー』

『こんばんみ~』っちゃ何かのう?
こんな言葉が流行っているのか?
もしくはタマコ語なのか?
後日そのことをタマコに聞いてみた。
正解はタマコ語だった。
友だちへのメールは、いつも『こんばんみ~』から始めているらしい。
これをもらった友だちは、「やっぱりタマコって…」と思っていることだろう。

あ、そうだった!
この日記はメールでぼく宛に届いたものである。
ということは、タマコはぼくのことを『友だち』と思っているのだろうか?
それは困る。大いに困る。
いや、別に若い子からメールが届くのが困るのではない。
タマコがぼくのことを、友だちと同等に扱っていることが困るのである。
もしかたらタマコは、ぼくも『こんばんみ~』などと言っていると思っているのではないだろうか?

ところで、ピアノのレッスンで学校に行くのはいいけど、先生に迷惑かけてないだろうか。
それが心配である。
あ、もしかしたら、ピアノの先生もぼくたちみたいに、タマコに「これなんて読むか知ってる?」などと言っているのかもしれない。


【6月19日】
『こんにちは。タマコです。台風が近ずいて来てますねぇ。今日は14~20までのバイトだったのですが、かなりひまでした。客さんはすくないし、、、。だけん、日記も書くことがあんまし無いです。
なので、、、今日はおしまい、、、。
IQ200タマちん
     本当はIQ200以上☆
   {天才の中の天才}』

「ず」は、「づ」やろうが!
しかし、前日の日記で、ようやくタマコは24時間の使い方を覚えたのかと思っていたのに、またこの日は『14~20』と書いている。
これでは、初めて読んだ人には、この数字が何なのかよくわからないだろう。

ところで、この子はいったい何の天才なんだろう?
おそらく天才の意味も知らないで使っているのだろう。
ついでにIQの意味も。


【6月20日】
『今日は、10:00~14までの勤務でした。明日には台風が来るみたいだけど、バイトが14~あるので大変。
今日は、バイト終わって、ピアノの練習します。
ベートーベン並みにプロ級なので練習する必要ないけど、今日はヒマ②なのでします。
皆さん台風には注意して下さいね。。』

ベートーベン並みのプロ級なら、何も幼稚園の先生を目指さなくても、ピアノや作曲だけで充分に食っていけるはずである。
それにそれだけうまいのなら、逆に先生を教えているはずだ。
タマコ、だんだんボロを出す。

選挙のたびに思い出すことがある。
それは高校2年生の時のことだ。
その当時ぼくは、担任との仲がすこぶる悪かった。
担任はクラスで何か事が起きると、すべてぼく絡みだと決めつけていた。
簡単に言えば、担任はぼくを不良だと思っていたわけだ。
おかげで、父兄会の時、ぼくの母は他の誰よりも時間が長くかかったという。
担任はその時、母に面と向かって、
「おたくの息子さんが、クラスで一番素行が悪い」
と言ったそうだ。
当然母は憤慨して家に帰ってきた。
が、憤慨していたのはぼくに対してではなく、担任に対してだった。
「いくらあんたの素行が悪くても、言い方というものがあるやろ!」
と言っていた。
そういうことがあって、ぼくは担任に対して『嫌い』を通り越し、敵愾心まで抱くようになった。
担任もそれに気づいたのだろう。より以上に、ぼくに対する態度が硬化した。

ところが、そういう担任が一度だけぼくに笑顔を向けたことがあった。
参院選前のことだった。
ぼくが廊下を歩いていると、向こうから担任がやって来た。
担任はぼくを見つけると、急に笑顔になって、珍しくぼくに声をかけてきた。
「おい、しんた」
妙に上機嫌である。
「ちょっと話しがあるんやけど、いいか?」
そう言って彼は、ぼくを物理室に連れ込んだ。

「まあ、座れ」
ぼくは一瞬『何かやらかしたかなあ?』と思ったが、思い当たることがない。
「何ですか?」
「いや、他でもないんやけど…」
「?」
「お前んとこ母ちゃん、どこか支持政党あるんかのう?」
「えっ、知りませんけど、何か?」
「実は今度の参院選のことなんやけど…」
「参院選?」
「ああ。お前から社会党(現社民党)に入れるように言ってもらえんかのう?」
「えっ?」
「いや、無理にとは言わんけど」

ぼくはまだ若かった。
こういう時、何と答えていいのかわからない。
ぼくが躊躇しているのを見て、担任は
「あっ、そうか。お前んとこは新日鐵やったのう」
「はあ…」
「じゃあ、だめかぁ」
「えっ?」
「いや、いい。新日鐵は民社党(現いちおう民主党か?)やったか。そうかそうか…」
「・・・」
「あ、悪かったのう。もういい」
そう言うと担任はさっさと物理室を出て行った。

ふざけた男である。
そういうことに生徒を利用しなくてもいいじゃないか。
父兄会の時と同じように、面と向かって「社会党に入れて下さい」と母に頼み込めばいいのだ。
確かに母は新日鐵に勤めてはいたが、会社の支持政党である民社党はけなしていたのだ。

それ以来、ぼくと担任の溝はいっそう深くなった。
重ねて、こういうことをやらせる社会党も日教組も大嫌いになった。
それが現在まで続いている。

「参議院選か。ということは、またあれが始まるのか」
今日はそんなことを思いながら家にいた。
「あれ」とは、ご無沙汰電話のことである。

以前、古い友人から突然の電話をもらったことがある。
「はい、しんたですが」
「おお、しんたかぁ!」
「えっ…」と、ぼくは電話の前で困った笑みを浮かべた。
あまり聞き慣れない声なのである。
「えーっと…」
「ああ、おれおれ」
「『おれ』…??」
「○○よ。○○」
「○○…さん?」
「前に一緒にバイトしてた」
「ああ、ああ!○○ね。久しぶりやのう」
「いやね、電話帳めくっていたら、しんたの名前を見つけてねぇ。懐かしくなって電話してみたんよ。元気か?」
「おかげさまで」
「奥さんは…。ああ、しんた結婚しとったんかのう?」
「いちおうね」
「そうか。あの時の彼女か?」
「ああ」

それからお互いの近況報告をし、昔の話に花が咲いた。
彼は「今度飲みに行こう」と言ったあと、間を置いて「ところで…」と話を変えた。
「今度選挙があるやろう」
「ああ」
「誰か入れる人決まっとるか?」
「いや、別に決まってないけど…」
「そうか。じゃあ××さんに入れてくれんかのう」
「××さん?」
「おう、公明党の」
ということで、この電話は『懐かしくなってかけた』ものでないことが判明した。
それと併せて、○○が学会さんだということも判明した。
もちろん「飲みに行こう」は口実である。
なぜなら、それから選挙のたびに電話が入るようになったのだが、一度も飲みに行ったことがないからだ。

嫁さんにも同じような経験があるらしい。
電話をかけてきたのは嫁さんの高校時代の同級生だった。
彼女は唐突に「選挙行くやろ?」と言った。
そこで嫁さんが「いや、その日は8時から仕事やけ行かれん」と答えると、その人は「じゃあその日、私が会社まで送っていく」と言う。
嫁さんが『おかしなこと言う人やね』と思っていると、彼女は「だから、会社に行く前に、選挙につきあって。で、公明党の××さんに入れてくれん?」
と言ったらしい。
電話を切ったあと嫁さんは、「大人しい人やったけど、まさか学会の人だとは思わんかった」と言っていた。
「迎えに来てくれるなら、いいやないか。別に××に入れんでもいいんやけ」
「よくないよ」
「で、その人どこに住んどるんか?」
「下関」
「えっ…」
海の向こうである。
嫁さんが会社に出る前に迎えに来る、しかもその前に選挙に行くとなると、彼女は6時過ぎに家を出なければならない。
熱心な信者さんである。

ということで、まもなくぼくと嫁さんにこの二人から電話がかかる。

「参議院選か。ということは、またチラシ攻撃が始まるのか」
そんなことを思いながら家に帰ってみると、さっそくポストに入っていた。
表紙に、-こんにちは 日本共産党です-、と書いてある、ぼくが一番見たくない党のパンフレットだった。
その場で破って捨てようかと思った。
が、思い直して家まで持ってきた。
「日記のネタにしてやれ」と考えたのである。

そのパンフレットの2ページ目は、
-日本共産党は こういう日本をめざします-
である。
日本を陥落させようとしている売国党には、もう日本という言葉は無かったんじゃないのか。
しかも、『国民が主人公』と書いている。
えーっと、おたくは『国民』じゃなく、『地球市民』じゃなかったっけ?
都合のいい時だけ、『国民』という言葉を使わないでほしいものだ。
しかし、このパンフレットはわざとらしく『国民』という言葉を多用している。
ふざけるな、である。

さて、注目したのは『外交』のページだった。
-安保条約をなくし、独立・平和・非同盟の道をすすみます-
『平和外交にとりくみ、非同盟・中立の流れに合流する』
と言っているが、平和外交とは中国・韓国・北朝鮮という馬鹿三国にひざまずく外交のことを言っているのか?
すべての国に、「先の戦争では、多大なるご迷惑を…」と謝罪することを言っているのか?
さらに『憲法9条の完全実施にすすむ』である。
非同盟の上、自衛隊の軍縮ときている。
もし外国からテロ攻撃を受けた時、いったい誰がどうやって国を守るのだろうか?
よく言われているように、一国平和なんていうのは絵空事にすぎないのだ。
彼らが好む言葉、「話し合いましょうよ」で、いったい何が解決するというのだろう。
実際の話、銃を持っている人間を目の前にした時、「話し合いましょうよ」と言える人間が何人いるというのだろう。
丸腰相手、しかも味方が多数いるからこそ、居丈高に「話し合いましょうよ」と詰め寄ることが出来るのだ。
映画『ダイ・ハード』で、「交渉してくる」と言って、犯人グループのもとに話し合いにいった人間がいたが、確か殺されたんだったよなあ。
世の中、そうは甘くない。
話し合いで片を付けようとする場合は、相手に何らかのメリットを与えないことには無理なのである。
そのメリットについて、売国夢見党の共産党さんは、どういうお考えを持っておられますか?

最後に、『未来』というページ。
-人間の自由・個性が花ひらく社会へ-
あのう、中国と、北朝鮮はいまだ共産主義なんですが、いったいどこに『人間の自由』といったものがあるんでしょうか?
さらに北朝鮮に関しては、『個性』も認めていない。
あの国にあるのは、金正日の個性だけである。
さすが絵空事の好きな売国夢見党、現実が見えていない。

さて、このパンフレットだが、これは例の『マニフェスト』なるものなんだろうか?
ああ、そうか。
元々『マニフェスト』というのは、共産党宣言のことだった。
ということは、『マニフェスト』で間違いないのか。

台風6号が近づいている。
が、こちら北九州のほうは天気予報が外れ、終日快晴の日曜日だった。
しかし日差しが強く、最高気温37度という暑い一日となった。
で、風のほうはというと、多少はあったものの昨日ほどではなかった。

ぼくの売場にはテレビが置いてあるため、仕事中に他の売場の人が何度も「台風はどうなった?」と聞いてきた。
が、テレビが置いてあるとはいえ、テレビを見ているわけではない。
それにいつ天気予報をやっているのかを、ぼくは知らない。
そこで「知らん」と答えると、「じゃあ、見とって」と簡単に言う。

しかたなく、今日は暇が出来たらテレビを見るように心がけていた。
が、なかなかその暇が出来ない。
時折、テレビの前に行ってみたが、ニュースなどやっていない。
やっていたのは、ダイエーの負け試合や、競馬やゴルフだった。

台風情報に出くわしたのは、夕方の5時半を過ぎた頃だった。。
NHKで、現在の台風状況と予想進路図が映っていたのだ。
その予想進路図を見ると、今回の台風は鹿児島から直接四国に抜けるルートのようだ。
ということは、北部九州への直撃はない。
せっかく台風対策を充分にやっていたのに、またしても台風に振られることとなった。

北部九州というのは、全国の人が思っているよりも、ずっと台風の少ない地域である。
年に何度か鹿児島から九州に上陸し、そのまま北上する台風があるのだが、その台風は、途中で阿蘇山や九重連山などに遮られ、北上出来ない。
遮られた台風がどこに行くのかというと、東向きに進路を変える。
つまり豊後水道方面に向かうのだ。
そして、四国に抜ける。
ということで、多少風の影響はあるものの、北部九州に直撃することはない。

ちなみに北部九州を直撃するルートは、東シナ海から対馬海峡に向かうルートである。
平成3年、北部九州や東北地方に大被害を及ぼした台風19号は、このルートを通っている。
元寇の時に吹いた『神風』も、おそらくこのルートを通ったのだろう。

7時を過ぎて、ぼくはタバコを吸いに外に出た。
明日が夏至ということもあって、空はまだまだ明るかった。
で、風のほうはというと、さほどでもない。
少し風が強いかな、という程度だった。

「もしかして進路を変えて、こちらに向かっているのか!?」と思ったのは、帰宅時間である8時を過ぎた頃だった。
7時の風よりはるかにひどくなっていたのだ。
運転中、何度かハンドルを取られそうになった。
道上を舞い上がる紙くずも、「台風近し」の演出をしている。
しかし、その風もそう長くは続かなかった。
10時にコンビニに行った時には、7時の風に戻っていた。

で、今はというと、生ぬるい風が吹いている、が、強い風ではない。
予想進路図を見ると、台風は明日の午前6時頃に、関門に接近するらしい。
が、その時間、ぼくは夢の中である。
会社に行く頃には、風もやんでいることだろう。

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