吹く風ねっと

一生は未来の記憶を散りばめた一本の道。人生は未来の記憶をひろいながら歩く旅。

2003年08月

ダイエーホークスのマジックが点いたり消えたりしている。
昨日、ロッテに勝ってマジック19が再々点灯した。
ところが、今日負けてしまい、マジックの対象になっている西武と近鉄が勝ったため、またマジックが消えてしまった。
後半戦に入ってだいたい2勝1敗のペースできているのだから、別に調子が悪いわけではない。
あいかわらず打線はいいし、若干疲れ気味ではあるものの投手陣もそれなりに頑張っている。
ところが、その1敗の時に限って、西武と近鉄が勝つのだ。
そのため、この2チームに再び自力優勝の可能性ができてしまい、マジックが消えることになる。
これは、今季セリーグの覇者になるだろう阪神タイガースにはない現象である。
死のロード期間中にあれだけ負けを喫したのに、マジックが消えることはなかった。
それだけ貯金が多かったのだろうが、ダイエーに対する西武や近鉄みたいな強力なライバルチームが、セリーグにはないと言ってもいいだろう。

このところ、どうもマジック点滅に一喜一憂してしまうのだが、要はあと19勝すれば、いやでも優勝するのだ。
ぜひとも、自力で優勝を勝ち取ってもらいたいものである。

今季、ダイエーに初めてマジックが点灯したのは8月17日だった。
その日から地元は大いに活気づいた。
もう優勝したかのようにはしゃぎまわっている。
ぼくが店でダイエー戦をかけていると、周りに人が集まってきて、にわか応援団をやっている。
また、どう見ても野球に興味のなさそうなおばちゃんまでが、「今日はダイエーはどうなってますか?」などと聞いてくる。
こういうことは、5年くらい前までは考えられなかったことだ。
マンガ家小林まことが『柔道部物語』の中で、「ホークス今日も負けたたい」と書いているくらい、ホークスは弱いチームだった。
そのせいか、アンチホークスもいたように記憶している。
ところが、99年に優勝してからというもの、それまで野球などぜんぜん興味のなかったうちの母でさえが、日常会話にホークスの名前を出すようになった。
実家に行くと、決まって「ホークス、どうなっとう?」と聞いてくる。
「今、1点差で負けとう」
「負けとるんね。歯痒いねえ。で、西鉄はどうなっとうと?」
「西鉄じゃないやろ。西武」
母は元々、西鉄と巨人しか球団名を知らなかった。
最近やっと『福岡ダイエーホークス』という球団名と、選手の名前を覚えたのだ。

おそらく情報源は、地元の夕方ワイド番組だろう。
現在、3つの放送局で夕方ワイドをやっているが、どの放送局もホークス情報には力を入れている。
鉄腕・稲尾和久がレギュラーをやっている番組もあるくらいだ。
母のような野球無知な人間にここまで語らせるのだから、番組はマジックでかなり盛り上がっているのだろう。

【朝風呂】
眠い時は何をやってもだめだ。
会社から帰り、食事がすんだ後、パソコンの前に座った。
さあ日記を書こうと思った時だった。
突然睡魔が襲ってきた。
おそらく、昨日、一昨日の寝不足がたたったのだろう。
こうなると何をやってもだめである。
モニターの画面を見るのが精一杯で、何も考えつかない。
しかたないので、一度寝ることにした。

起きたのは7時前。
しかし、すんなりとは目が覚めなかった。
あいかわらずボーっとした状態が続いて、思考回路がストップしたままだ。
このままではいかんと思い、風呂に入ることにした。

そういえば、ここ数ヶ月、ずっと朝風呂生活が続いている。
ちょっと前までは「帰宅→風呂→食事→就寝」というパターンだったのに、最近は「帰宅→食事→就寝→風呂」というパターンになっている。
このパターンだと、夜に自由な時間が多く持てるし、朝髪を洗うので寝癖を気にしなくてもいい。
これだけ考えるとメリットがあるように思えるのだが、デメリットもある。
ギリギリまで寝ることが出来ない。
朝に日記を書く場合、時間が少ない。
風呂に入る時間が制約される。
ぼくはドライーヤーを使わないため、会社に行った時、まだ髪が濡れている。
、などである。
ということで、どちらのパターンのほうがいい、などとは言えない。


【毎日が8月末】
ぼくは昔から、物事をコツコツやるタイプではない。
せっぱ詰まってから、やっと腰を上げるタイプである。
そう、いつも8月末の感覚でやっているのだ。
つまり、夏休みの宿題を8月末に一気にやる、ということである。
日記も同じで、朝に日記を書く時は、「出かけるまで、あと15分しかない」といった極限状態に自分を置かないと、どうもうまくいかない。
そのため、日記を書くのは、いつも出かける準備が終わってからである。

この日記も、出かける準備が終わってから書いている。
現在8時51分だから、あと9分で家を出なければならない。
「さて、何を書こう?」なんて、迷っている暇はない。
そんなことを考えている間にも、時間はなくなっていく。
とにかく何かを書くのだ!

・・・。

とはいえ、書けない時は、何も書けない。
タイムリミットである。

【朝のコンビニ】
昨日は、今日が休みということもあって、日記を夜中に仕上げた。
そのため寝るのが遅くなってしまった。
それでも、朝は通常通りに目が覚めた。
ところが、今日は家に誰もいなかったため、朝食の準備がなされてない。
しかたがないので、近くのコンビニに食料の調達に行った。
まだ夏休み中ということもあって、さすがに学生の姿はなかったが、それでもお客は多かった。
きっとぼくのような人たちが、朝飯の調達にきているのだろう。
この間食べた直巻きおにぎりがおいしかったので、今日もそれを食べようと思っていたのだが、もはや売り切れた後だった。
しかたなく、パンを買うことにした。
最近よく食べているパンは、ヤマザキの『薄皮クリーム』とフランソワの『ロングシュガーマーガリン』である。
これらのパンも危うく売り切れ寸前で、どちらも一つずつしか残ってなかった。
やはりおいしいものは、誰が食べてもおいしいのだろう。

その他には、コーヒー牛乳とコミックを買った。
コーヒー牛乳は雪印のものだった。
今まで気にもとめなかったが、そうか、復活していたのか。
いろいろゴタゴタがあったけど、乳製品といえば雪印だ。
どんどんいい物を作って、汚名を返上してもらいたいものである。

コミックは、文庫版の『ブラック・ジャック』の17巻を買った。
最近出たものだろう。
ぼくは何年か前から、この本を買っているのだが、14巻以降は出るペースが極端に遅いような気がする。
20年以上も前に連載は終わっているのに、この遅さは何だ。
こういうものは一挙に出すべきである。
たしか13巻まで出た時に、セット販売をしていたが、全巻揃わないセットものに何か意味があるのだろうか。
解せぬ。


【夜のコンビニ】
この日記を書き始める少し前に、コンビニに行ってきた。
午前1時を回った頃だったろうか。
さすがにこの時間には人はいないだろうと思っていたが、甘かった。
10人ほどのお客が店の中にいた。
若いカップル、家族連れ、立ち読みしている兄ちゃんなどである。

夜中のコンビニに何をしに行ったのかというと、のどが渇いたからビールを買おうと思ったのだ。
まあ、日記を書かなければならないから、長居はせずに、買ったらすぐに帰ろうと思って家を出た。

ところが、ひょんな事から帰るのが遅くなってしまった。
一連のテレビ番組の雑誌に目が行ったのである。
その何冊かの表紙に、『ウォーターボーイズ』5人組が載っていた。
読むまいとは思ったが、つい手が行ってしまい、インタビューやエピソード、おまけに次回のあらすじまで読んでしまった。
何という意志の弱さだ。
これで、来週の楽しみは半減したことになる。

さて、夜中のコンビニにビールを買いに行ったぼくだったが、結局ビールをレジには持って行かなかった。
ぼくがレジに持って行ったものは、『おなかにやさしいカルピス』だった。
サブタイトルの「カロリーオフ」と、タイトルの「おなかにやさしい」に惹かれたのである。
この文字を見た時、なぜかぼくは幸せな気分になった。
ということで急遽ビールを取りやめ、この『おなかにやさしいカルピス』にしたのである。

帰ってからさっそく飲んでみると、これがおいしい。
カルピスウォーターどころではない。
もちろん自分で作ったカルピスなんか、足元にも及ばない。
今もそれを飲みながら、この日記を書いているのだが、眠気は吹っ飛ぶし、筆は進む。
まさに魔法の水である。
夜中のコンビニは、たまにこういう発見があるから、嬉しい。

火星が出ている。

要するにどうすればいいのか、という問は、とりあえず置いといて、明日の休みに何をするのかを考えよう。
明日は晴れるらしいから、何もしないで、家でゴロゴロしているのももったいない。
かといって、どこかに出かけるのも面倒だ。
スーパー銭湯に行くことも考えたが、月に一度で充分である。
夜景は当分見なくてもいいだろう。
一昨日映画に行ったばかりだから、映画に行く気もしない。
じゃあ、何をしようか?
それを考えるのも面倒になってきた。

火星が出ている。

昨日あれだけはっきり見えた火星が、今日は雨雲に隠れて見えなくなっている。
週間予報でも、明日は晴れるものの、それ以外は曇り及び雨マークが続いている。
この、約6万年に一度の出来事を、子孫に語り継ぐためには、一日見ただけでは不足である。
もう少し見せてくれないと、火星に関する物語さえ作れない。

火星が出ている。

火星が接近する時、乱世になると言われているらしい。
が、その根拠は何なのだろう。
6万年前の記憶が残っているとでもいうのか。
ただイメージで言っているだけなのだろうか。
アメリカのラジオで「宇宙戦争」というドラマをやっていたところ、それを火星人襲来のニュースだと勘違いして、全米がパニックに陥った、という話を聞いたことがある。
今回の乱世説も、真に受けてパニックに陥る人がいるかもしれない。
また、火星接近を不況の原因と決めつけて、責任回避する政治家が現れるかもしれない。
いずれにせよ、根拠のないことをマスコミが口にするのは、やめてほしいものだ。

火星が出ている。

あいかわらずダニの被害に遭っている。
右足に3ヶ所、左腕に1ヶ所が、ダニの犠牲になり、その部分はツベルクリンの陽性反応のように赤く腫れ上がっている。
ズボンとの摩擦で痒みが増し、気が狂いそうになる。
この痒みは尋常なものではない。
ところで、ダニは家にいるのではなく、どうも会社の倉庫にいるようなのだ。
カーペットを外し、バルサンを焚いて以来、裸で寝ころんでいても、もう腹などを噛まれることはない。
店に立っていて痒くなるようなことはない。
ということは、残るのは倉庫である。
会社の倉庫という広範囲な場所にいるダニを、どうやって退治したらいいのだろう。
ところで、このダニの異常発生は、今年の異常気象と何か関係があるのだろうか。
例年もこの時期はダニの被害にあうのだが、今年は特にその被害が多い。
気温といい、湿度といい、ダニの発生しやすい条件が整っているのだろう。
これも、火星接近と何か関係があるのだろうか。

火星が出ている。

今日は火星接近の記念として、高村光太郎の『火星が出ている』という有名な詩を、ここで引用しようと思った。
が、家のどこを探しても詩集が見つからない。
おそらく実家に置いてあるのだろうが、取りに行くのも面倒だ。
ということで、ぼくの記憶にある詩句だけを、ここで引用した。
「火星が出ている」と、冒頭の「要するにどうすればいいのか、という問は」がそれである。
けっこう感動した詩なのに、これだけしか覚えていないとは-。

火星が出ている。

【車検】
一昨日、車を車検に出した。
今回が3回目だから、今の車にもう7年乗っていることになる。
走行距離はとうに10万キロを超えている。
そろそろ買い直す時期なのだが、先立つものがない。
というより、今は車にぜんぜん興味がわかない。
それよりも、いいギターが欲しいと思っている。

さて、今回の車検だが、バッテリーがかなり劣化していたとのことで、このままだと秋まで持たなかったとのことだ。
他にも悪いところがあったのだが、なんといっても一番驚いたのは、後ろのタイヤがパンクしていたと聞いた時だった。
かなり前に釘を踏んでいたらしく、そこから徐々に空気が漏れていたというのだ。
いつ踏んだのかは定かではないが、もし8月頭に踏んでいたとすれば、ぼくはパンクしたまま、都市高速を走ったり、大分に行ったりしていたのだ。

そういえば、以前もそういうことがあった。
それは数年前、仲間と宮崎に行った時のこと。
出発前に、仲間の一人から「前のタイヤの空気が減っているんじゃないか」と言われたが、別に気にせずにぼくは車を走らせた。
朝早く家を出て、目的地である都井岬に着いたのは夕方だった。
そこまで、食事休憩以外はずっと走りっぱなしだった。
翌日、1時間ほど走った頃から、車がガタガタしだした。
最初は田舎道だから、道がデコボコなのだろうと思っていた。
が、そうではなかった。
そう、パンクしていたのだ。
そこで、近くのガソリンスタンドで修理してもらったのだが、そこまで500キロ以上の道のりを、パンクしたままで走っていたということになる。
その大半が高速道路の上だったのだから、ゾッとしたものだった。


【代車】
車検の時にいつも問題になるのが、代車である。
ぼくはタイミングが悪いのか、車検や修理の時に、いい代車に当たったことがない。
最初に借りたのはボロボロなミッション車で、クラッチの利きが極端に悪かった。
次に借りたのもミッションで、今度はクラッチが故障していて、クラッチを踏まなくても、ギヤチェンジするものだった。
そこで、ディーラーに「ミッション車は怖いけ、オートマ車にしてくれ」と頼んでみた。
すると、持ってきた車はスポーツカータイプの車で、座席が極端に低い位置についているものだった。
ぼくの車はワゴン車なので、座席はけっこう高い位置についているので、家にあるようなイスに座る感覚で乗ることが出来る。
ところが、代車は穴の中に潜るようにして乗り、穴から這い出すようにして降りなければならなかった。
そのため代車を借りた端は、降りる時にこけた。
その後も何度かこけそうになった。

今回もオートマ車だったが、いつもと同様ひどい代車に当たった。
とにかくスピードが出ない。
登り道では、40キロ出すのがやっとだった。
しかもエンジンのかかりが悪い。
今朝、出がけにエンジンをかけた時のこと。
エンジンがかかったと思ってブレーキから足を離すと、「ポロポロポロ…」という音とともに止まってしまった。
再び挑戦したのだが、結果は同じだった。
これを繰り返すこと5分、やっとの思いでエンジンはかかった。
ところが、ギヤの接触が悪い。
ドライブに入れているのに、前に進まない。
パーキングに戻し、もう一度ドライブに入れ直した。
しかし、前には進まない。
もしかしたらと思い、少し2nd側にギヤをずらしてみた。
すると、前に出た。
運転中も、いつエンストするかとヒヤヒヤしながら運転していた。
おかげで、今日は遅刻だった。

車検が終わり、車が戻ってきたのは夕方だった。
2日間お目にかからなかっただけなのだが、妙に懐かしさを感じる。
これも代車のせいなのだろうか。

昼から映画『踊る大捜査線』を見に行った。
劇場で映画を見たのは、宮崎駿の『おもひでぽろぽろ』以来だから、実に12年ぶりということになる。

ぼくは、昔からあまり映画には興味がなく、映画館にもそう多くは行っていない。
映画館に一番多く通った時期は小学生の頃だが、それでも夏休みや冬休みに限定されていた。
各学期の終業式が近くなると、学校の前などで、よく『マンガまつり』や『ゴジラ』などの怪獣もの映画の割引券を配っていたが、それを見に行っていたくらいである。

中学の頃、多くの友人が洋画に目覚めていった。
しかし、ぼくはそういうものには、まったく興味を引かれなかった。
とはいえ、友人との付き合いで、たまには映画館に行くこともあった。
『小さな恋のメロディ』『ある愛の詩』『レッド・サン』『トラ・トラ・トラ』などを見に行ったのだが、ぼくは映画を見ずに、外の売店のお姉さんと話ばかりしていた。
映画を見るよりも、そちらのほうが楽しかったのである。
映画が終わると、友人たちから「しんた、お前どこに行っとったんか?」とよく言われたものだ。
翌日、クラスの人から、「しんた君、あの映画どうだった?」と聞かれても、感想などは当然答えられないから、「ああ、面白かったよ」とぶっきらぼうに答えていた。

高校の頃に行った映画は、『帰って来たドラゴン』と『山口組外伝』の2本だった。
ちょうどブルース・リーがブームになっていた頃、友人たちと『燃えよドラゴン』を見に行こうということになった。
しかし、時すでに遅く、『燃えよドラゴン』の上映はすでに終わっていた。
しかたがないので、同じドラゴンものの倉田保昭の主演映画を見ることにした。
が、どうも二番煎じのような気がして、面白くなかった。
それの比べると『山口組外伝』のほうは面白かった。
九州が舞台となっていたので、親しみがあったせいもあるだろう。
主演の菅原文太が、やけにかっこよかったのを覚えている。

それ以降に見に行った映画というのは、数えるほどしかない。
『八甲田山』『サタディ・ナイト・フィーバー』、ずっと飛んで『ダイハード2』『バック・トゥ・ザ・フューチャー2,3』『インディ・ジョーンズ3』『ゴースト』『ゴーストバスター2』と、先に言った『おもひでぽろぽろ』である。
最初の二つは、招待券で行ったもの。
後の映画は、仕事の延長で行ったものだった。
そういう理由から、あまり印象には残っていない。
ぼくの場合、映画は劇場で見たものより、ビデオで見たもののほうが、より印象に残っている。
特に洋画はそうである。
理由は、字幕がゆっくり見られるから、である。

【蚊】
今年は蚊が少ない。
冷夏のせいもあるのだろうが、それにしてもこれまでの人生において、ここまで蚊の少ない夏を経験したことがない。
ぼくは、四十数年前に今住んでいる場所に引っ越してきたのだが、その頃には、近くに池やどぶ川があって、蚊が異常に多かった。
夏は毎晩蚊帳を吊るしていた記憶がある。
ぼくが物心ついた頃には、すでに池はなくなっていた。
そのため蚊帳を吊るすことはなくなったが、まだどぶ川が残っていたので、蚊は多かった。

20年ほど前から、市の再開発で、多層階の団地が増えていき、下水道の整備が行われた。
それにつれ、蚊は徐々に減っていった。
そして、何年か前、蚊の発生源として唯一残っていたどぶ川が、道路拡張のために埋め立てられた。
これで極端に蚊の数が減っていった。
とはいえ、まったくいなくなったわけではない。
年間何度かは、蚊取り線香を焚いたりしていた。
ところが、今年はその蚊取り線香も焚いていない。
いったい蚊はどこに行ってしまったのだろうか。


【ダニ】
今年はダニが多い。
毎年体のどこかをダニから噛まれていたことはいたのだが、今年ほどではなかった。
手足はもちろん、腹や背中も所々赤く腫れている。
一度掻くとさらに痒さが増し、掻きむしるまで掻いてしまうので、なるべく我慢しているのだが、無意識のうちについ手が伸びてしまう。
かゆみ止めの薬を塗っても、そう長く効果は続かない。
結局、腫れが引き、痒みがなくなるまで、必死に耐えなければならない。

そういうダニの害はぼくだけかと思っていた。
が、そうではなく、店の従業員もけっこう多くやられている。
女子の場合はキュロットをはいているので、脚をやられているとすぐにわかる。

また、お客さんの中にも、脚や手に赤い斑点がついている人をよく見かける。
先日、お客さんと話していると、そのダニの話が出た。
「今年はダニが多くてねえ。ほら見て、ここひどいでしょう」と、お客さんは袖をまくり上げた。
見ると、肩の当たりがかなり腫れ上がっている。
「ああ、これはひどい。皮膚科に行ったほうがいいんじゃないですか」
「いや、行ってきたんよ。でも、薬を塗ったところで、すぐに痒くなるけねえ。掻くなと言われてもかいてしまうもんねえ」
「ダニの痒みはしつこいですからね」
「そうそう。しつこいんよねえ」

そのダニは、いったいどこにいるのか。
まず、家の中だろう。
ぼくは、あまり掃除をしないから、それはしかたないことである。
もう一つが会社である。
什器の隅などに、いつも綿ぼこりがしているが、そこに潜んでいるのだろう。
後一つが、倉庫である。
ここは、床だけではなくて、段ボールなどにも付着している。
倉庫整理をした後で、ふと気づくと、腕にダニに噛まれたあとがある。
おそらくそれは、段ボールについたダニのせいだろう。

会社や倉庫にいるダニは、個人の力ではどうしようもないが、せめて家にいる憎きダニだけは自分の手で始末したいものだ。
そう思って、前の休みに、部屋の中を何度もクリーナーをかけた。
それだけでは気がすまず、床やイスをマイペットで拭き上げた。
「これで一安心」と持ったのもつかの間だった。
その翌日、また新たなダニの噛み後を見つけた。
それも4箇所も。
そう、ダニの被害は一向に減ってないのだ。
かえって被害が増えているようにも思える。

きっとこれは、天井にこびりついているダニが退治出来ていないからである。
ぼくの家は8階建てマンションの6階である。
防音設備はしっかり出来ているのだが、それでも7階に住んでいる人が走ったり暴れたりする音は聞こえる。
ということは、天井は震動しているということである。
その震動で、天井にこびりついたダニが降ってきているのだろう。
そのため、床を何度掃除しても、効果がないのだ。

そこでぼくは、薬局に行き、ダニ用のバルサンを買った。
これで根こそぎ退治してやろうと思ったのである。
ということで、次に休みに、ダニたちの大虐殺を計画している。

【死に風】
先週、前にいっしょに働いたことのある人のお母さんが亡くなった。
ということで、その日お通夜に行ってきた。
今日の夕方、うちのパートさんのお父さんが亡くなったという連絡が入った。
そのため、明日はお通夜に行かなければならない。
そういえば、午前中には本社の人のお父さんが亡くなったとの訃報が入っていた。

このところ、不幸ごとが続いている。
その3件とも、ぼくの知っている人の親御さんである。
おそらく偶然だろう。
しかし、偶然ではないと唱える人もいる。
前に、葬儀社の人からこういう話を聞いたことがある。
例えばAという場所とBという場所で、それぞれ人が亡くなったとする。
すると不思議なことに、次に亡くなる人は、AB線上もしくはその延長線上から出るらしい。
その線上には、死に風が吹いているのだという。

前の会社にいた頃。
ある時期、部下たちの親が次から次に亡くなったことがある。
あまりに立て続けなので、そのことを気味悪がった上司がぼくに「しんた、お前の部署は祟られてるんじゃないか。なんなら、お祓いしたらどうか」と言ったくらいである。
ぼくは「そんなの偶然でしょう」と言っておいたが、実際ぼくも気味が悪かった。

葬儀社の人の話を聞いたのは、それからずっと後のことである。
それを聞いて、ようやくその時期の不幸続きに合点がいった。
それらの不幸ごとが、地理的線上にあったのかどうかは確かめてはいない。
が、同じ部署という線上にあったのは確かである。
おそらく、その時期、ぼくの部署には死に風が吹いていたのだろう。

【ミエコ】
お通夜といって思い出すのは、『やんぽう通信』でおなじみのミエコのことである。
あれは、ミエコが会社に入った次の年のこと。
ある女子社員のお祖母さんが亡くなった。
仕事を終えると、ぼくは仲間と連れだってに通夜の会場に向かった。
その中にミエコもいた。

ミエコはなぜかソワソワしていた。
ぼくがその理由を聞くと、通夜に出るのは初めてで、どうやってお参りしていいのかわからないと言う。
そこで、ぼくたちは歳の順にお参りをすることにした。
ミエコが一番年下なので、人がしているのを見て覚えるだろうと思ったのである。
ぼくが「おい、ミエコ。人がするのをちゃんと見とけよ」と言うと、ミエコは「うん、わかった」と言った。


まず遺族に一礼し、線香を上げ、リンを叩き、お参りする。
そのあと遺族の人に挨拶して終わりである。
次々とお参りをすませ、ミエコの番が近くなった。
「ミエコ、覚えたか?」
「うん」
「大丈夫か?」
「大丈夫っちゃ」
ついにミエコの番がやって来た。
ぼくたちは、ハラハラしながら見ていた。

ミエコは、遺族に一礼し、線香を上げた。
そこまでは大丈夫だった。
ところが、リンを叩く段になって、本領を発揮した。
リンの横に、木魚が置かれていたのだが、ミエコは何を思ったか、木魚のバチを手にし、リンを叩こうとしたのだ。
遺族の人たちは、それを見てキョトンとしている。
ぼくは、小さな声で「ミエコ、それ違う」と言った。
それを聞いたミエコは、後ろを振り向き「え?」と言った。
「それじゃない。横、横」
「え? わからん」
「それは木魚のバチ。リンを叩くのは、その横の小さな棒」
ミエコは舞い上がってしまい、キョロキョロしている。
その姿がおかしくてたまらない。
しかし、場所が場所なので、笑うに笑えない。

と、遺族の人たちがクスクスと笑い出した。
それにつられて、そこにいた全員が笑い出した。
ミエコは、何でみんなが笑っているのかがわからずに、キョトンとしている。
手にはあいかわらず木魚のバチを持ったままであった。

数日前の話。
日記を途中まで書いて、急に眠たくなった。
もうどうしようもないので、日記は朝に書くことにして、とりあえず寝ることにした。
ところが、床についてからしばらく眠られずにいた。
「あの眠たさは何だったのだろう」
そんなことを考えていると、耳の中に「シーン」という音が広がった。
こういう状態になる時、決まって金縛りにあう。
ぼくは、そうはさせじと、力を振り絞って金縛りにかからないように踏ん張った。
が、無駄な抵抗だった。
場が変った。
体は動かずに、神経だけが、ピリピリと研ぎ澄まされていく。
目を閉じているはずなのに、周りの状況がわかる。
その時、ぼくの上を何かが通っていった。
通り過ぎた後の風が、ぼくの手に触れる。
「今のは何だろう?」と考えていた時、ぼくは肝心なことを思い出した。
息をしてないのだ。
いや、息が出来ないのだ。
胸筋に力を入れて息を吐き出そうと試みたが、出ない。
「このままでは死んでしまう」と思ったぼくは、下腹に力を込めることにした。
気管に空気が通るまで、しばらく時間がかかった。
「フーッ」
やっと鼻から息が漏れた。
すると、元の場に戻った。
ぼくは目を開けた。
いつもと変らぬ、寝室の風景が目に映る。

ぼくが金縛りにあう時はいつもこんな具合である。
しかし、今回のように、何かがぼくの上を通り過ぎるなどという体験は初めてである。
息が出来ないことを考え合わせてみると、あれは死神だったのかもしれない。

ぼくは、死神から何度か命を狙われたことがある。
最初にぼくの前に現れた死神は、からし色の袈裟を着た、ドクロだった。
彼は、そのへんにいた死霊を集め、ぼくをその世界に誘い込もうとした。
ぼくは般若心経を唱え、必死に抵抗した。
すると、金縛り状態は解け、いつもの場に戻った。
しかし、場に戻った時、呼吸は乱れ、心臓は高鳴っていた。
金縛りに合っている最中、おそらくぼくは死んでいたのだろう。

よく、霊を見たという話を聞く。
しかし、その話を聞いた時、ぼくはいつも疑っている。
なぜなら、霊といういうものは肉眼で見えるものではなく、心の目で見えるものであるからだ。
ある専門家は、「幽霊を見た時、あなたは一時的に死んでいるのだ」と言っていた。
つまり、同じ次元でないと、物事は見えないということである。
幽霊と同じ次元といえば、死後の世界である。
死後の世界が見えるということは、その人は死んでいるということになる。

「何か白い影が見えた」
いったいどの目で見たのだろう。
肉眼で見たというのなら、残念ながら、それは目の錯覚である。
ただ疲れているだけである。
本物の幽霊を見たいのなら、一度死んでみるがいい。
そのへんにウヨウヨしているはずだから。

どこかでか見たことがある場所なのだが、それがどこかわからない。
どこかで経験したことがあるのだが、それをどこで経験したのかわからない。
そんな夢を見ることが、時々ある。

目が覚めて、「さて、どこで見て、どこで経験したのだろう」と記憶をたどってみても、それがどうも今の人生に繋がらない。
しかも、それらの夢に出てくる風景は、ひと時代もふた時代も昔の風景なのだ。
ぼくが知らない時代の風景なのに、実にリアルなのだ。
その夢が心を占めた時、なぜかカビ臭いモノクロ映画を見ているような状態になる。

何度かそういう夢を見たのだが、はっきり覚えているのは次の三つの夢である。
一つは、花街の夢で、真夜中、そこを屋根伝いに逃げているのだ。
月が辺りを照らしているが、街灯などは一切ない。
おそらく、かなり古い時代のものだろう。
二つ目は、昭和20年代の工場の風景で、当時の電気配線や作業着が、実にリアルに描かれていた。
夕方のサイレンが鳴り、友人たちと、「さて野球でもしようか」などと言っている夢だった。
三度目は、明治の頃だったろうか。
大きな風呂敷包みを背負い、どこかの街道を歩いている。
すると、急に雨が降り出したため、農家の軒先で雨宿りしている情景である。
どの夢も、どこかで見たことがある風景で、どこかで経験したことなのだ。

今日、そういうことを描いたマンガに出会った。
そのマンガによると、どうもそれは前世の記憶らしいのだ。
『生命というのは一種のエネルギーで、エネルギーは不滅だから、たとえある生き物が死んだとしても、その生命はすぐまた別の生命体にやどる』
そのマンガの作者である手塚治虫は、こういうふうに述べている。
ぼくが今までに見たその手の夢は、いつも時代が違っている。
もしかしたら、前世、前々世、前々々世の時代にぼくが経験したことが、ランダムに夢として出てきているのかもしれない。

ということは、今の人生の風景も、次の人生の中で夢見る可能性もあるということだ。
それはいったい、いつの頃の風景や出来事なのだろうか。
追試の勉強で焦っている姿や、浪人時代の夢などは見たくない。
いつも辛い思いをしていた、前の会社時代なんかの夢もだめだ。
日記のネタで苦闘している姿も見るのは嫌だ。
胃けいれんで死ぬ思いをしたこととか、歩道橋の手すりで頭をぶつけ流血したことも却下する。
また、虫歯の痛みを感じるような夢もだめだ。
願わくば、高校時代の一番輝いていた時期のことを、夢見させてほしいものである。

会社帰りに実家に寄った。
実家は団地の3階にある。
いつもぼくはここの階段を一気に駆け上っている。
ところが、最近運動不足のせいなのか、息が切れてしまった。
おまけに家の中に入るってからも、動悸が激しく、少し気分が悪くなった。

そんな時、さらに気分の悪くなる話を母から聞いた。
「今日ね、掃除しよったんよね。」
「ふーん」
「そこの台所の隅に、“ゴキブリほいほい”を仕掛けとったんやけど、それを捨てようとして持ってみたら重いんよ」
「何か入っとったんね?」
「うん。何と思う?」
「ネズミ?」
「いや」
「鳥か何かね?」
「そんなんじゃない」
「うーん。わからん」
「ヘビよ。ヘビ」
「ヘビ!?」
「うん。たぶん壁チョロを追いかけてきたんやろ。ヘビの前に壁チョロがおったけ」
「どこから入って来たんかねえ」
「わからんけど…」
実家のある団地には、3階に面している木や電柱などは一切ない。
そのため、他の場所から飛び移ることなどできない。
階段伝いに上ってきたとしても、玄関が開いてない限り、家の中には入って来られない。
ということは、壁伝いに這い上がってきて、いつも開いている台所の窓から入ってきたのか。
そうするためには、地面と垂直に建っている団地の壁を上ってこなければならない。
ヘビにはそういう芸当が出来るのか。

それはそうと、母はヘビが嫌いである。
その話をするたびに、ブルブルと震えていた。
ぼくとてヘビは得意なほうではない。
犬猫や昆虫のように子供の頃から親しんできたというのなら別だが、実際にヘビを見たのは、ヘビの猛毒に当たって死んだ人の話や、ヘビにまつわる祟りや悪霊の話を聞かされたあとだった。
そのために先入観でヘビを見るようになってしまっている。
つまり刷り込みされたわけだ。
その点は、伝染病を運ぶと聞かされたあとから、初めて見たネズミと同じである。

それにしても、おかしな話である。
ぼくは物心ついた時から、この土地に住んでいる。
子供の頃、このへんは今よりもずっと自然が多く、土の中で暮らしていたと言っても過言ではない。
しかし、その頃ヘビなどにお目にかかったことはない。
現在のような完全に加工された団地の中に、どうしてヘビなんかが出てくるのだろうか。
いったいいつの時点に、どこから移り住んできたのだろう。
わざわざ、こんな人間しか生活出来ないようなスペースに越してこなくてもよさそうなものなのに。
まさかカラスのように、残飯を求めて山から下りてきたわけではあるまい。
もしそうなら、ゴミ出しのたびにヘビにお目にかからなければならない。
それは嫌だ。

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