吹く風ねっと

一生は未来の記憶を散りばめた一本の道。人生は未来の記憶をひろいながら歩く旅。

2003年07月

7月31日午前11頃だった。
後ろの方から「しんたさん、バケツ持ってきてっ!!」という声がした。
何事かと振り向くと、ぼくの売場の並びにある化粧品コーナーが大変なことになっていた。
天井のいたる所から水がジャージャーと、滝のごとくに落ちているのだ。
床は当然水浸しになっている。

ぼくは思わず外を見た。
先々週の大雨の時も、この売場はやられている。
その大雨の再来かと思ったのだ。
ところが、外は真夏の日差しがいっぱいに照りつけている。
「では、何の水漏れなのか?」
そんなことを考える暇はなかった。
自然とぼくの体は倉庫に向かっていた。
モップを取りに行ったのである。
改装前は、何度もぼくの売場が被害に遭っていた。
そのため、倉庫のどこに何があるかということは充分に把握している。
モップ、水切りモップ、ほうき、ちりとりなど、そこにあるもの全部を化粧品コーナーに持って行った。

それらの掃除用具を化粧品コーナーに置くと、ぼくは再び倉庫に走った。
化粧品コーナーの照明を切りに行ったのだ。
すでに照明器具の中に水が進入しており、蛍光灯がついたり消えたりしていた。
このままでは漏電してしまう。
ところが、配電盤のどこを切っていいのかわからない。
とりあえず、ここにレジの電源があるから、並びから言ってここだろうと、当てずっぽにスイッチを切ってみた。
が、外れだった。
他の売場の電気を消してしまった。
もう一度挑戦した。
今度は正解だった。

次にぼくは、こういう日のために用意しておいた秘密兵器、バキュームクリーナーを取りに行った。
昨年購入したこの機械は、雨が降るたびに水に浸るバックヤードで、その力を遺憾なく発揮した。
4月の改装で、ぼくの売場のバックヤードが閉鎖されたため、4ヶ月近くも男子更衣室のロッカーの上に眠っていた。
久しぶりの始動である。
ぼくは、けっこう重量のあるバキュームクリーナーを急いで下ろし、売場まで持って行った。
ところがここで困ったことが起きた。
コンセントがない。
いや、あることはあるのだが、水浸しになる可能性があるようなコンセントは使えない。
他の場所を探した。
3メートルほど離れたところに一つあった。
コードが足りるかと思ったが、さすがに緊急時用のクリーナーである。
かなり長いコードが付いている。
関係者、野次馬など、かなりの数のギャラリーが売場周りに集まっている。
ぼくは、そのギャラリー達の目の前で、「バキュームクリーナーの威力を見よ」とばかりにスイッチを入れた。
人々の目がバキュームクリーナーに集まる。
バキュームクリーナーは期待通りに水を吸い取る。
その感触が手に伝わる。
まさに快感である。

会社に行く準備をしている時だった。
ふと鏡を見ていると、鼻毛の先が出ている。
ハサミを持ってきて、さっそく処理したのだが、この鼻毛なかなか手強くうまく切れない。
「何で、時間のない時に限って、こんなのが出てくるんか!」
数分間、これにかかり切りだったが、結局イライラが募るばかりで、埒が明かない。
しかたなく、「会社に行ってから処理しよう」ということにして、いったん除去作業を打ち切った。
ところが、会社に向かう車中でも、鼻毛が気になってしかたない。
何度も何度もルームミラーをのぞき込んでいた。

さて、会社に着いてから愕然とした。
鼻毛処理用のハサミを、家に忘れてきたのだ。
しかたがないので、そのへんのあったハサミを持ってきてやってみた。
が、ぜんぜんだめである。
専用の細かいハサミでさえ切れないものが、工作で使うような大雑把なハサミで切れるはずがない。
結局、何もせずに一日を過ごした。
家に帰ってから、専用のハサミで心ゆくまで鼻毛を切っていた。
ということで、今日は人に会うのが嫌な一日であった。

かつて、北九州は大気汚染に悩まされていた。
その頃は、ぼくの鼻毛も伸びるのが早かった。
「えっ、この間処理したばかりなのに、もう出てきた!」、という経験を何度もしたものだ。
それも1本や2本ならともかく、数本が束になって出てくるのである。
家にいる時に気づけばハサミで処理するのだが、例えば出先などで気づいた時は、もう抜くしか方法はなかった。
ところが、ぼくは鼻の中の皮膚が弱いせいで、いつも炎症を起こす。
炎症を起こすと、すぐに首のあたりのリンパが腫れる。
そのためにいつも熱っぽく、気分が晴れなかったものである。

その後、何かの本に「鼻毛を抜いてはいけない」と書いていたのを見て、ぼくは鼻毛を抜くことを止めた。
その代わりに鼻毛カッターなるもの利用することにした。
しかし、この鼻毛カッター、鼻の皮膚が弱いぼくには不向きだった。
使った後にヒリヒリするのだ。
もし、そのために炎症など起こしたら、抜くのを止めた意味がない。
さらに刈った後の毛は鼻の中に残るので、後の処理に時間がかかったものである。
そのため、買ってからしばらくは使っていたが、電池が切れると同時に使わなくなった。
それ以降は、ずっと鼻毛用のハサミを使っている。

ちなみに、使わなくなった鼻毛カッターだが、今も実家のどこかに眠っているはずである。
もう錆びているだろうけど、まだ使えるとは思う。
もし欲しい人がいたら、抽選で一名様にさしあげます。

梅雨明けして4日目、またもや大雨だった。
別段暑くない毎日といい、梅雨明け宣言は、いったい何だったのだろう。
8月に入ると、台風シーズンも到来することだし、今年の夏は本当に大丈夫なのだろうかという気がしてくる。

ところで、ぼくは夏になるといつも楽しみにしていることがある。
それは休みの日の午前中にする、森林浴である。
近くの貯水池を散策するのだ。
午前中と言っても、真夏時はすでに暑い。
そのため、散策し始めてすぐに汗だくになるのだが、木陰に入るとひんやりとした風が吹き、実に心地いいものである。
池の周り6キロほどの小径を散策すると、気分的にもすっきりするし、散策後のビールがことのほかおいしい。

ところが、今日のように雨が降ると、その楽しみを奪われる。
外に出るのも億劫になるから、もう一眠りしようかということになってしまう。
気がつくともう午後である。
その時点で、気分的に休みは終わりなのだ。
午後になると、明日の準備をしなくてはならない。
また最近では、今日を終えるために、日記のネタを考えるという作業まで加わった。
ここでぼくは声を聞く。
「せっかくの休みだし、日記3日分くらい書きだめしておいたらどうか」
『せっかくの休みを、日記に奪われていいのか?』
「もっと他のことを書いてみてはどうだろう」
『もっと他にやることあるだろう』
「本の感想でもいい」
『本も読めないじゃないか』
「もうすぐ日記も1000回目になる。もう少し頑張れ」
『一日ぐらい日記を休んでも、体勢に影響はない。どうせ大したサイトでもないんだし』
などと、神と悪魔が交互にぼくに語りかけてくる。
ぼくは、そういう言葉の板挟みになって、悩んでしまう。
結局は、神の声に押され、ぼくは日記を書いているのだが。
あ、もしかしたら、それが悪魔の声かも…。

とにかく、雨が降るとやることがない。
気はくさくさするし、ギターを弾く気にもならない。
元々掃除などをする人間ではないのに、そういう日に限って「掃除でもやるか」などという気が起きる。
パソコン周りを整理して、床に落ちているタバコの灰や、そのへんに散らばっている本やCDを片つけて、掃除機をかける計画を立てる。
だが、いつも途中で挫折してしまう。
今日も、そういう気持ちになることはなったが、結局何もやらなかった。

ということで、今、一日の仕上げである日記を書いている。
ま、朝の更新になることが多いこの頃は、仕上げというより、一日の始まりになっているのではあるが。

ネズミが嫌いということは書いたが、そのついでにぼくの嫌いな物を羅列しておく。

【病院】
嫌いと言ってすぐに思い出すのは、言うまでもなく病院である。
これはエッセイなどにも書いているので、別に説明の必要もないだろう。
で、病院のどこが嫌いなのかといえば、すべてである。
病院の臭いが嫌いである。
注射が嫌いである。
薬が嫌いである。
医者が嫌いである。
看護婦が嫌いである。
・・・である。

【ピースご飯】
次に、食べ物で嫌いなものはといえば、これも前に書いたことのあるピースご飯である。
炊きあがった時の臭いといい、食感といい、あんなに人を小バカにした料理はない。
だいたいご飯というのは、あのネチャッとした歯ごたえを楽しむものである。
そこにグリーンピースのような、歯ごたえのない物が混ざっていると、楽しさも美味しさもなくなってしまう。
ま、これに反論されても困るので、ぼくだけの感じ方だと言っておこう。

【ゴルフ】
スポーツではゴルフ。
前の会社にいた時、それまで無趣味だった同期の男が、急にゴルフを始めた。
本人は「前から興味があった」などと言っていたが、その男の興味はゴルフにあったのではなかった。
上司の嗜好に合わせることに興味を持っていたのだ。
彼のごますりは露骨だった。
上司の言われるままに動いていた。
だから受けは抜群によかった。
ひねくれ者のしんたをはじめ、同期の者を尻目に、彼はドンドン出世していった。
でも、こういう奴は下から嫌われる。
彼の部下から、何度もグチを聞かされたものである。
元々ゴルフに興味のないぼくだったが、この男のせいで嫌いになった。
もちろん、ぼくはゴルフをやらない。

【日曜日の午後3時半頃】
野球シーズンの日曜日の昼間は、KBC(九州朝日放送)ラジオで野球中継をやっている。
ところが、3時半頃になると、突然「ここから○分間、競馬中継をお送りします」というアナウンスが入り、野球中継が中断される。
この間の、ダイエーが安打数の日本記録を作った時にも中断された。
この秋、もし日曜日のその時間帯で、ダイエーの優勝が決まるとしても、KBCは競馬中継をやるのだろうか。
もしもそうなら、ダイエーファンとして断固抗議する。
実に迷惑な話である。
だいたい競馬なんかは、結果を言えば事足りるのである。
わざわざ中継なんかする必要はないじゃないか。

【パチンコ屋】
元々ぼくはギャンブルに興味がない。
前の会社にいる時、電車の時間待ちでパチンコをやったことがあるが、目の色を変えてやっていたわけではなく、ゲーム感覚でやっていたのだった。
だから、勝っても負けても、せいぜい千円止まり。
それ以上の欲が沸かないのだ。
前の会社を辞めてからは、まったくパチンコ屋には足を運んでいない。
そのパチンコ屋に嫌悪感を抱くのにはわけがある。
ぼくの住んでいる地区には、大きなパチンコ屋が5店建っている。
仕事の行き帰りや、買い物に行く時には、必ずその前を通らなければならない。
ところが、パチンコ屋から出入りする車のマナーが、まったくなってないのである。
パチンコ屋に入る車は車間も考えずに割り込んでくるし、駐車場から出てくる車は左右を確認せずに飛び出してくる。
「何で、遊んでいる奴らのために、こちらがヒヤヒヤしなければならんとか!?」
ぼくはパチンコ屋の前を通るたびに、パチンコ屋から出てくる車を睨み付けている。
もちろん、入れてあげない。

さて、最後に気がついたことがある。
今日の日記を書いていて、何かしっくり来ないものがある。
「何だろう?」といろいろ考えていたのだが、それがようやくわかった。
それは『嫌い』という言葉にあった。
北九州の人間は、日常『嫌い』という言葉をあまり使わない。
例えば、取引先のTという人間が嫌いだとする。
その時「Tさんは嫌いだ」とは言わない。
では何と言うか?
「Tさんは好かん」と言うのだ。
「嫌いだから、来ないでほしい」ではなく、「好かんけ、来んでほしい」である。
『嫌い』だと、何か冷たい感じがする。
一方の『好かん』のほうは、少しは温もりがある。
ということで、『嫌い』を全部『好かん』に訂正しようかと思ったが、面倒なことは好かんからやめておく。

それからしばらくの間、ぼくはネズミ恐怖症に襲われた。
家に入るのに怯え、ガサッという音に怯えた。
その後、駆除したせいで、家の中でネズミを見ることはなかった。
が、それでも心休まることはなかった。

再びネズミにお目にかかったのは、ずっと後のこと。
社会に出てからだった。
小倉の旦過市場付近の屋台でラーメンを食べている時、体長50センチほどの生き物がウロウロしているのが見えた。
一瞬、ぼくは固まった。
ラーメン屋の親父に、「あれは何ですか?」と尋ねると、親父は「ああ、あれはドブネズミ。大きいやろ」と言う。
何でも、市場に住んでいるせいで、食べ物に不自由せず、あそこまで大きくなったとのことだった。
小学生の頃の記憶がよみがえる。
さすがに、ネズミ恐怖症に陥ることはなかったが、それでも数日間はその大きなネズミの姿が目に焼き付いて離れなかった。

話は戻る。
ぼくは嫌々ながら、休憩室に向かった。
「しんたさん、そこです」
見ると、小さなネズミがいた。
生まれたばかりだろうか、目も開いてない状態だった。
しかし、一人前にネズミ色の毛が生えていた。
どうしたものか、と思ったが、このままにしておくわけにはいかない。
ぼくは休憩室をいったん出て、倉庫に段ボールを取りに行った。
戻ってから、そこにあった割り箸を手に持ち、恐る恐る子ネズミをつまんだ。
プニュっという感触がして気味が悪い。
そして、持ってきた段ボールの切れ端に子ネズミを移し、そのまま外に捨てに行った。
途中風にあおられ、子ネズミがアスファルトの地面に落ちた。
痛かったのだろう。
悶えている。
しかし、ぼくは情を殺し、店の前にある土手に子ネズミを捨てた。

ぼくが売場に戻って、ホッとしたのもつかの間。
数分後、また電話がかかった。
もう一匹出たとのことだった。
再びぼくは、休憩室に向かった。
今度は店長がいた。
ぼくは店長が始末してくれるものと、内心ホッとした。
店長はティッシュを何枚か取った。
そのままつかんで捨てるのかと思いきや、そのティッシュをぼくに渡した。
ぼくにつかめというのだ。
もうどうにでもなれという気になった。
ぼくはティッシュを受け取り、子ネズミをつかんだ。
箸でつまんだ時より鮮明にプニュ感が伝わる。
そして、またさっきの場所に捨てに行った。

この子ネズミも、捨てたのは店の前にある土手だった。
そこに捨てた理由は、そこにある豊富な植物と水気で、もしかしたら生き延びるかもしれない、と思ったからである。
しかし、目も開いてないことだし、鳥や昆虫に襲われて死ぬことも考えられる。
なぜか、「悪いことをした」と懺悔の気持ちになった。

ネズミをティッシュを通してだがつかんだ時には、すでに恐怖心などはなかった。
しかし、これでネズミ恐怖症は克服されたのだろうか?
その問には、クエスチョンマークがつく。
家で走り回られると、やはり怖いに違いない。

 『ねずみ通り15番地』
  ― 部屋の灯りが消える
  おれたちの世界が始まる

 小さな穴から抜け出して
 大きな箱を横切って
 台所の街まで急ぐんだ
 寝坊したらお終いだ
 もうご馳走は残ってない
 今日一日は飯抜きだ
  ここはおれたちの天国
  ねずみ通り15番地

 ところでメリーはおれの生きがい
 みんなが彼女を狙っている
 彼女の家は戸棚の向こう
 犬の遠吠えが激しくなると
 そろそろメリーのお出ましだ
 みんな彼女のご機嫌をとる
  ここはおれたちの天国
  ねずみ通り15番地

 ホントは誰もメリーを愛してないんだ
 ただ、彼女と一発やりたいだけ。

  ― でも、おれの愛は本物だ
  ここはおれたちの天国
  ねずみ通り15番地


我ながら、実に楽しい詩だと思っている。
高校3年の時に書いたものである。
ネズミに、プラトニックな自分の気持ちを託したのだ。
実はここにイメージするネズミは、ネズミであってネズミではない。
『トムとジェリー』のジェリーである。
そう、マンガ化されたネズミである。
ぼくの中にある本物のネズミ像は、こんなにかわいいものではない。

売場に立っている時だった。
携帯電話が鳴った。
誰からだろうと見てみると、その時間食事に行っている、うちの部署の子からだった。
「しんたさん、今、休憩室に、ネズミの赤ちゃんがいるんですよ」
「え、ネズミ? 早く外に捨てるか殺すかせんと、後々大変なことになるぞ」
「それが、ここにいる人、誰も触れないんですよ」
「触れる奴なんかおらんやろ。箸かなんかでつまんで、外に捨てたらいいやろ」
「でも…、かわいいですよ」
「かわいいとか言うとる暇はないやろ」

要はぼくに退治してくれと言ってきたのだ。
ぼくはこれまで、スズメバチ、ムカデ、ゴキブリなど、人が嫌がる虫を退治したことがある。
また、益虫と言われるトンボや蜘蛛は、手づかみで外に逃がしたりしてきた。
店の中に迷い込んだ鳩にも、はたまた犬の糞にも、勇敢(?)に立ち向かってきた。
そういう実績を見込んで、ぼくに言ってきたのだろう。
しかし、そんなぼくにもだめなものがあるのだ。
その最たるものが、ネズミである。

小学6年のある日のこと。
学校から戻り、家の中に入った時だった。
突然、ガサッと言ういう音が聞こえた。
音のする方を見てみると、一匹の大きなネズミが走り回っていた。
ぼくが入ってくると、ネズミは立ち止まり、じっとこちらを凝視した。
そのとたん、ぼくは固まってしまった。
生まれて初めて見るネズミは、想像した以上に大きく、想像した以上に汚い。
「どうしよう?」という思考より、「怖い!」という感情が先に立った。
胸はドキドキ、足はワナワナしだした。
なすすべもなく、ぼくはしばらくそこに立ちつくしていた。
が、そのままでは何も出来ない。
そこで、ぼくは猫の鳴き真似をした。
ところが、ネズミは動じない。
何か物を投げようと思ったが、近くに何もなかった。
しかたなく、ぼくはネズミが去るのを待った。
ようやくネズミが動いたのは、それから10分ほど経ってからだった。
その後も、ぼくは震えが止まらなかった。

今、半病人状態である。
右側の背中から首にかけて、かなり痛みが走っている。
おそらく、背骨のどこかがずれたのだろう。
首を動かすと痛い。
腕を動かすと痛い。
当然、マウスやキーボードを扱うのが辛い。

今日は朝からこの状態で、寝たり起きたりしていた。
体を動かさないのがいけないのだと思い、ラジオ体操やストレッチを繰り返してみたが、一向に良くなる気配がない。

ガソリンがE付近までになっていたので、ガソリンを入れに行かなければならないし、そのガソリン代がなかったので、お金を下ろしに銀行にも行かなければならない。
車を運転するだけだから、別に大した労力は使わないし、そう時間のかかることでもない。
しかし、どこか痛い時というのは、こんな大した労力を使わないことでも億劫になってくる。
痛みをかばうから動きはぎこちなくなり、腕が振れないから歩き方も変である。
変な人と思われないように、なるべく人とは目を合わさないようにしていた。

家に帰ってから寝ることにした。
自然矯正を期待したわけである。
寝ること1時間半。
起きてみると、あら不思議、痛みがなくなっているではないか。
立ち上がってみた。
調子がいい。
これで楽になったと思い、パソコンに向かった。
ところが、しばらくやっていると、また肩が痛くなってきた。
その痛みが、背中に走った。
首も痛い。
元に戻ったのである。

温浴療法も試みてみた。
ぬるま湯に長い時間浸かっていた。
これで筋肉や筋がほぐれ、痛みが半減するかもしれない。
風呂から上がると、期待通り痛みは半減した。
しかし、体が冷えてくるとまた痛みが復活する。
「今日はもうだめばい」
と諦めて、日記を書くことにした。

いったい何が原因で、こんなことになったのだろう。
おそらく、昨日の寝相のせいだろうと思う。
普段ぼくは、寝る前に、寝るための準備運動をしている。
その運動というのがラジオ体操であるが、それをやって寝ると、寝疲れしない。
そのおかげで、数週間前にあれだけ悩んでいた腰痛も、かなり緩和されたのだ。
ところが、昨日は酒を飲み過ぎたせいか、食事が終わると、すぐに横になってしまい、そのまま寝てしまった。
それがいけなかったのか、起きた時、腰に鈍い痛みがあった。
その痛みを変な姿勢でかばったために、背中に負担がかかり、骨がずれたのかもしれない。

さて、「今日はもうだめばい」と宣言したから、今日はこれで日記を終わることにしよう。
明日は早出だし、湿布を貼って、さっさと寝ることにしますわい。

昨日の夕方のことだ。
店の入口前に犬の糞が落ちていた。
二つ転がっていたようで、ぼくが気がついた時、一つの固まりにはもう何人かの人が踏んだあとがあった。
放っておくわけにはいかないので、ぼくはトイレットペーパーを持ってきて、まず踏まれてない固まりをわしづかみにし、トイレまで持って行った。
まだ少し温もりが残っているようで、何となく気持ち悪かった。

一方の踏まれたほうは、水を引っかけて、デッキブラシで磨こうと思った。
が、そのデッキブラシが見当たらない。
その代用となるような物もない。
しかたがないので、これもトイレットペーパーで拭くことにした。
店の前はレンガが敷いてあるのだが、その目地に入った糞がこびりついて取れない。
水を少しずつ流しながら、慎重にやったのだが、それでもだめだ。
しかも悪いことに、トイレットペーパーは水が染みこむと溶けていく。
指に水の感触がするたびに、指を臭っていた。
そのうち面倒になってきて、最後は水をバシャーっと流して終わりにした。

あとで話を聞くと、ぼくが糞に気がつく少し前に、大きな犬が入口付近にいたとのことだった。
飼い主がついていたらしい。
こういう場合、ちゃんと飼い主が始末をするのが筋ではないだろうか。
ペットを飼う人のマナーはなってないと、よく囁かれている。
自分が他の犬の糞を踏んだ時のことを考えてみろ、というのだ。
マナーの悪い人に限って自己中心的な人が多いから、きっと目くじらを立てて怒るだろう。
たちの悪い奴なら、慰謝料を請求してくるかもしれない。

そういえば、以前もこんなことがあった。
ある若い男性客が飼い猫を抱いて買い物にきていた。
そのお客が、ぼくの売場の前を通りかかった時である。
手が疲れたのか、猫を床におろしたのだ。
その瞬間だった。
猫は小便をした。
ぼくは、その光景を見ていたのだが、その客が慌ててポケットの中を探ったりしていたので、てっきり後始末をするものだと思っていた。
ところがである。
何と、そのお客はその猫を再び抱えて、こちらの方を睨み付け、その場を立ち去った。
追いかけて行って一言言ってやろうと思ったが、そのまま濡れた床を放っておくわけにもいかず、キッチンペーパーを持ってきて、拭き上げた。
そのお客はさっさと出て行ったようで、もう店の中にはいなかった。

まあ、ペットを連れてくる人すべてが、こんなマナーのない人たちではない。
中には、「すいません。犬がおしっこをしたので、何か拭く物貸して下さい」と言ってくる人もいる。
こちらが「手伝いましょうか」と言っても、「いいえ、うちの犬がやったことですから」とちゃんと自分で後始末をやっている。

ペットは人間性を映す鏡だとも言われる。
ペットに、己のマナーの悪さを語ってもらうのも、寂しいものである。

【べろーん】
明日、梅雨明けするという。
が、あいかわらずの雨である。
それにしても、今年の梅雨は雨が多すぎる。
先日テレビで、そのことの説明をしていた。
東シナ海方面で大陸と太平洋からの風が合流して湿気が集中、それが舌状に延びて、九州地区を覆ったために積乱雲が次々と発生し、今回のような大雨をもたらしたという。
そのことを専門用語で「湿舌(しつぜつ)」というのだそうだ。
九州は「べろーん」と舐められたというわけだ。

【坊ちゃん刈り】
さて、昨日は床屋に行った。
1ヶ月半ぶりになるだろうか。
ある人から「髪の長さがちょうど良くなったね」と言われたのが、たしか先々週だった。
それから一気に伸びた。
ぼくの髪は癖があって、髪が伸びると、まっすぐに下に降りずに、カーブを描きながら降りていく。
そのために、おひな様のように頭が膨らんだような形になる。
元々堅い髪質であるため、こうなると、どう手を施してもおひな様からは逃れられない。
ぼくが床屋に行く時というのは、そういう時である。

その前日、パソコンと格闘していたために、ほとんど寝てない。
そのせいもあって、床屋のいすに座り、「ちょっと短くして」と言うと同時に、ぼくは眠ってしまった。
途中「頭洗いますよ」などという声に目が覚めたものの、ほとんど寝ていた。
完全に目が覚めたのは、床屋の人から「はい、出来ました」と声をかけられた時だった。
目を開けてみると、鏡には、おひな様から坊ちゃん刈りに変化したしんたが映っていた。
「短くしすぎだ!」と思ったものの、もう取り返しがつかない。
今年のしんたの髪型夏バージョンは、坊ちゃん刈りで決まりとなった。

【契約の箱】
先日、アーメン系の保育園主催の祭があり、そこで御神輿を担いでいたということを書いた。
異質の文化が合流したような風景である。
が、実はここには深いつながりがあるのだ。
あの御神輿というものは、元々イスラエル(ユダヤ)人が持っていた『契約の箱』の名残だという説がある。
ということは、日本人とイスラエル人は、歴史のどこかで交流があったことになる。
『祇園』は『シオン』の訛ったものだとか、『太秦』はイエス・メシアを意味する『イシュ・マシャ』から来たとか、日本とユダヤの関係を暗示する言葉は、枚挙にいとまがないほどだと言われている。
風習にしても然りである。
神道行事はそのままユダヤの行事だとも言われている。
キリストは日本で死んでいるという説までも存在する。
あげくに、日本人は聖書の民だという説まで飛び出している。
もしこういうことがすべて本当ならば、アーメン系の保育園は、隠された日本人の歴史をかいま見せたことになる。
ま、このことは改めて書くことにしよう。

黒崎を過ぎ、数分走ったところ右手に、帆柱連山がそびえている。
この帆柱というのも神功皇后ゆかりの地で、新羅征伐の際、この連山の杉を朝鮮半島に渡る船の帆柱に使ったという言い伝えがある。

その連山の一つに、花尾山というのがある。
ここは昔、山城があったところで、今も尚、その当時の井戸の跡や、階段が残っている。
高校時代、ぼくはよくこの山に登っていた。
階段がくせもので、細かい石がたくさん敷き詰めてある。
そのため、靴を履いて上っても足の裏が痛い。
昔は草鞋くらいしか履き物がなかったはず。
よくこの痛さを我慢出来たものだと思う。
よく友人と「その頃の人は、階段を上り下りするたびに、『痛いでござる』とか言いよったんかねえ」と、冗談を言ったものだった。

さらに進んで、左手に新日鐵八幡製鉄所がある。
日本史の教科書に、官営八幡製鉄所の溶鉱炉を建設中に撮った写真(下記参照)が掲載されているが、あの溶鉱炉、実はまだあるんです。
真っ白に化粧をされて、『1901』という看板がついている。
つまり、1901年創業というわけだ。
写真を見ればわかるが、その当時の写真には、溶鉱炉の他は何も写ってない。
まことに殺風景である。
まあ、九州の一寒村に、インフラ整備もないまま一大製鉄所が出来たのだから、それもしかたないことではあるが。
で、今はどうなっているかといえば、その上を都市高速が走り、その後ろをJRが走っている。
その差が百年の歴史である。

さて、その溶鉱炉の隣には、北九州市最大のテーマパーク、スペースワールドがある。
スペースキャンプが体験出来るというのが売りだったこのテーマパークも、今ではそのへんのテーマパークと同じくアトラクションでしかお客を呼べない状況になっている。
あいかわらずお客さんは多く入っているようだが、もしも予定通り県内にパラマウント映画のテーマパークが出来たら、終えてしまうだろう。
ぼくは会社帰り、いつもそこにあるアトラクションの一つである大観覧車を眺めている。
しかし、それを眺めてこころを癒やしているのではない。
この観覧車は、夜になると色とりどりのネオンがつくのだが、そのネオンがたまに所々切れていることがあるのだ。
それが気になって、つい眺めてしまう。
「あのネオンを付け替えるのは大変やろう」「脚立で上るんやろか」「落ちたら死ぬわい」などと思いながら、見入っている。

スペースワールドから先はバイパスを通っていく。
このバイパスは、ぼくが小学生の頃に開通した。
その頃の社会科の副読本『よい子の社会』には、そのことが誇らしげに書いてあった。
バイパスとはいうものの、曲がりくねって走りにくい道である。
しかし慣れとは恐ろしいもので、みんなここを時速80キロ以上出して走っている。
また、大型トラックなどが頻繁に走るため、水はけが悪くなっている。
雨の日は、決まって対向車線から跳ね飛んできて、一瞬何も見えなくなってしまうが、これが怖い。
その上、毎年交通量が増えているにもかかわらず、出来た当時からずっと片道二車線である。
土地がないといえばそれまでだが、主要幹線なのだから、何らかの手を打って欲しいものである。

さて、ぼくの家から会社までの所要時間はおよそ20分である。
今まで見てきたように、その20分の間に、千年以上の旅をしていることになる。
何気なく走っている道ではあるが、その歴史は実に重い。

ちなみに、ぼくの住んでいる場所であるが、源平の合戦の時、源氏側が平家を迎え撃つために立てた城があったという。
実際、壇ノ浦で敗れた平家が、ここまで落ち延びたどうかは知らない。

何気なく通っている通勤路だが、今日ふと、いろいろな歴史を持っているというのに気づいた。

家を出て、まず最初に目に映るのが洞海湾である。
昔は「洞海(くきのうみ)」と呼ばれたところで、その名は日本書紀にも見えている。
熊襲征伐の時、仲哀天皇は神功皇后を同行した。
その際、仲哀天皇は筑前芦屋(芦屋釜で有名である)の山鹿を経由し、神功皇后は洞海を経由して九州入りしたという。
日本書紀には載ってないが、その時、神功皇后が海の中で光るものを見つけた。
引き上げてみると、それは石であった。
神功皇后は丁重にその石をお祭りしたという。
それが、若松恵比寿神社のご神体だと言われている。

洞海湾から工場地帯に入っていく。
三菱マテリアル・三菱化学といった大工場を過ぎると、黒崎に入る。
この黒崎には、長崎街道の面影が残っている。
北九州プリンスホテルの横に、曲里の松並木という通りがあるのだが、そこがそうである。
江戸時代、下関から黒崎へ行く連絡船があった。
豊前に入らずに、直接筑前に入る船である。
太宰府などに行く場合は、そちらのほうが速い。
以前、小倉から黒崎まで歩いたことがあるのだが、およそ2時間かかった。
門司港からだと、3~4時間は優にかかるだろう。
しかも、江戸時代は今みたいに道路の整備などされてなかっただろうし、国境には関所もあっただろうから、そんなに早く黒崎に着くことはなかったのではないだろうか。
船だとその時間が短縮される。
あの坂本龍馬もその船を利用したと、司馬遼太郎の『竜馬が行く』に書いてあった。

黒崎にはもう一つ歴史がある。
話は古代に戻る。
神武天皇が東征の際、拠点としたのが筑紫の国・岡水門(おかのみなと)である。
現在、この岡水門は、遠賀郡芦屋町にある岡湊神社のことというのが定説になっている。
しかし、黒崎の岡田神社という説もある。
ぼくはその説をとる。
なぜなら、神武天皇は豊前宇佐から登ってきたと言われている。
ということは陸伝いでも海伝いでも、地理的には黒崎のほうが手前にあるということだ。
東に攻め入るのに、わざわざ遠い場所を選ぶだろうか。
また、洞海湾は自然が作った要塞である。
現在若戸大橋がかかっているところが自然の水門になっている。
そこを固めておけば、そうそう敵に侵入されることもない。
しかるに、芦屋の場合はどう見ても門という感じではない。
ただの河口である。
これでは敵の侵入をやすやすと受け入れてしまう。
この岡湊神社と岡田神社、どちらも祭神は神武天皇だと聞く。
ちなみに、岡湊・岡田の岡は、遠賀の旧名である。

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