吹く風ねっと

一生は未来の記憶を散りばめた一本の道。人生は未来の記憶をひろいながら歩く旅。

2003年06月

【Leeのジーンズ】
ぼくは21歳から40歳まで、ずっとLeeのジーンズを愛用していた。
何度も言っているが、21歳の時、ぼくは東京にいた。
ある日、友人と代々木の街を歩いていると、ジーンズの即売会をやっているのに出くわし、興味本位でその会場に入っていった。
狭いながらも、いくつかのブランドがブースを作っていた。
最初は何も買うつもりがなかったので、ただ店の中をぐるぐると回っていたのだが、あるブースの前でぼくは動けなくなった。
そこに、ぼくが長い間イメージし続けてきたジーンズがあったのだ。
そのブースこそが、Leeのコーナーだったのだ。

とにかくファンションに関しては疎いぼくだったので、Leeと言われてもピンと来なかった。
当時ぼくの頭の中にあったジーンズのブランドは、あのエドウィンだけだった。
そこで、ぼくは友人に尋ねた。
「おい、Leeっちゃ何か?」
「有名なブランドだよ」
「リーというくらいだから、香港か韓国のものか?」
「いや、アメリカ製」
「ふーん」
値段を見ると、1万円を超えているではないか。
今でもそうだが、1万円を超えた衣服などを見ると、ぼくは構えてしまうのだ。
「えらく高いのう」
「いや、安いよ。これは」
「でも、1万円を超えとるやん」
「でも、これはお買い得だよ」
「へえ、そうなんか」
ぼくはしばらく悩んだが、買うことにした。
「よし、決めた!」
「え、買うのかい?」
「おう。どうせ買おうと思っとったけ」
ぼくは、バイトで稼いだ1万ちょっとのお金を出し、店の人に渡した。

それから40歳になるまで、ぼくはLeeのジーンズを愛用した。
とはいうものの、Leeを買い足していったわけではない。
その時に買った1本を、19年間はき続けたのである。
会社にはスラックスをはかなくてはならなかったし、家ではジャージをはいていた。
そのため、遊びに行く時以外は、ジーンズをはくことがなかった。
つまり、買う必要がなかったのである。

さて、40歳を境に、ぼくはLeeをはかなくなった。
というより、はけなくなったのだ。
理由は、あまり言いたくないが、ウエストが合わなくなったのだ。
Leeを買った当時のウエストは79センチ、40歳時のウエストは86センチだった。
これではとうていはけない。
ジーンズのほうもかなり痛んでいたので、渋々捨てることにした。

その後、Leeをはくことはなくなった。
40歳から6年間に買ったジーンズといえば、サンバード(長崎屋)製、ユニクロ製、それと最近買ったVAN製の3本である。
いずれも5千円以下の安物である。
確かにLeeは長持ちした。
だけど、もうジーンズに何万円もかける気はない。

ぼくのズボンのポケットの中は、いつもいっぱいである。
何が入っているかというと、右のポケットには家や車の鍵が入っている。
夏場はタバコとライターも入っている。
タバコはマイルドセブン・スーパーライトBOXである。
箱が角張っているので、どうしてもポケットは膨らんでしまう。
ライター。
愛用しているのは、3本組98円のライターである。
ぼくはZIPPOのライターをいくつか持っているのだが、使ったことはない。
オイルを入れるのが面倒であることと、ポケットに入れるとかさばるからだ。
ポーチか何かに入れて持ち歩けばいいじゃないか、と言う声もある。
しかし、ぼくはそういうものを持ち歩く習慣を持ってないし、基本的におっちょこちょいであるぼくのことだから、ついうっかりして、どこかに忘れてくるに違いない。

左のポケットには、千円程度入った小銭入れ。
お金はそれ以上持ち歩かない。
持っているだけ遣ってしまうからである。
つまり、自分へのセキュリティである。
夏場はその上に携帯電話も入れている。
これも、タバコと同じ理由からである。

後ろの左ポケットには、免許証入れ。
中には免許証・キャッシュカード2枚・クレジットカード2枚・メンバーズカード2枚、数々の領収書・本屋の請求書・お守り袋などが入っている。
なぜか刑事さんの名刺なんかも入っている。
そのため、革の免許証入れは、BOXタイプのタバコの箱より厚くなっている。
領収書や本屋の請求書に関しては、期限が来るまでは入れている。
大切なものなので、別の所に保管していたほうがよさそうなものであるが、ぼくの場合はそうではない。
家で保管する場所といえば、机の引き出しの中である。
しかし、ぼくの机の引き出しは開かない。
なぜなら、ぼくが大切だと思っているものがたくさん入っていて、詰まっているのである。
無理して開けようとすると、書類などはすぐに破れてしまう。
そういう意味で、免許証入れの中が一番安全なのである。

後ろの右ポケットには給料袋。
もちろん明細のみである。
これは給与明細を貰った時、入れるところがないので仕方なくそこに入れているだけのことで、別に深い意味などはない。
ズボンを履き替える時、どういうわけか、鍵や小銭入れと同様に、給与明細も替えたズボンのポケットに入れ直している。
給与明細などは1回しか見ないので、後は別に家に置いていてもいいのだが、その時は何も考えずに入れ直している。
ポケットから出すのは、その愚を悟った時である。
しかし、次の月になると、そのことを忘れ、同じことをやっている。

ふと思ったことだが、美空ひばりの『東京キッド』という歌の一節、「右のポッケにゃ夢がある…」は、右のポッケには何も入ってないということなのではないだろうか。
何もないから夢が持てるのだ。
給与明細や請求書なんかが入っていたら、夢を持てないだろう。

 『ひとりぼっち』

 気がついてみればいつもひとりぼっち
 気楽につきあっていけそうな皆さんですがね
 振り向いてみれば誰もいなくなってね
 そんな毎日がぼくをつつんでる

 寂しいというのが本音なんだけど
 いつもひとりっきりで強がってみてね
 ひとりぼっちなんですね、もともとが
 そうそう、どこへ行ってみたってね

 だから今だけは笑っていましょうよ
 ね、今夜はとてもビールがおいしいんだから
 ひとりぼっちの部屋で乾杯してね
 青春、ああこれがぼくの青春でしょうよ

 寂しげな街がぼくによく似合う
 なんてかっこいいこと言っているけど
 つまりひとりぼっちのいきがりでしてね
 さよなら、また明日逢いましょうよ

  気がついてみればいつもひとりぼっち
  そんな毎日がぼくをつつんでる


最近、ここもお客さんがめっきり減り、寂しいサイトになったようだ。
ま、元々お客さんを呼ぼうというサイトではなかったんだし、そういう現状を気にせずに頑張ろうと思う。

しかし、考えてみれば、いつもぼくはこうなのだ。
上の詩の通り、気が付いてみたらいつもひとりぼっちなのだ。
泣き言でも負け惜しみでもなく、これがぼくの宿命なのだと思う。
19歳の頃に書いていた日記ノートのタイトルは『孤独と焦燥』であるが、それは、漠然とそういう宿命を感じ取っていたからだろう。

振り返ってみると、ぼくは小学生の頃から、いつもクラスの中心メンバーの一人だったが、そのわりには放課後や休日に、友人たちといっしょに遊んだ記憶というものをあまり持っていない。
いっしょに遊んでいたのは、ほとんど近所のガキである。
ま、別にぼくは除け者にされているわけではなかったので、気にはしなかったのだが、それでも休み明けの月曜日に「昨日○○達と、××に遊びに行ったっちゃ」などと聞くと、あまりいい気持ちはしなかった。

社会に出てからも然りである。
例えば、20代の趣味が中国思想や仏教思想だったというように、人とはちょっと違ったものに興味を持っていたため、同世代の話題について行けないことが多かった。
それでも、他人の趣味に合わせるようなことをしなかったので、そういう人たちとの溝を深めていった。
「しんた、あいつ変っとるけなぁ。考え方も年寄臭いし」
というのが、その当時のおおかたのぼくに対する印象だったようだ。
ところが、最近は逆にぼくの考え方が若返ってしまって、同世代の人たちとの溝が出来てしまっている。

そういう経験を繰り返していくうちに、いつしかぼくは、ひとりぼっちの宿命を持っているんだと思うようになった。
今の会社は中途採用であるが、どうも肝心の所で仲間はずれになっているような気がしている。
まあ、そういうことを気にしても何もならないことを知っているから、極力そのことは考えないようにしているのだが。

9月になって、例の友人が「ポプコンに応募した?」と聞いてきた。
「いいや」
「どうして?」
「もう、あの歌はうたわん」
「え?」
「難しいんよ。おれにはとうてい歌えん」
「そうか。もったいない…」
ということで、その後『ショートホープ・ブルース』を人前で歌うことはなくなった。

それから10年が経った頃のことである。
ある友人から、「今度結婚するんよ。ぜひ弾き語りやってもらいたいんやけど」と言われた。
「弾き語りか…。拓郎の歌でいいか?」
「いや、しんたのオリジナルがいい」
オリジナルと言われても、ぼくがその頃人前で歌っていた歌は、すべて別れの歌ばかりだった。
「別れの歌しかないぞ」
「いや、あれだけオリジナルがあるんやけ、何かあるやろ」
その時、ぼくの頭に『ショートホープ・ブルース』が浮かんだ。
「ないことはないけど、ずっと歌ってない歌やし…」
「そうか。じゃあ、それ歌って」

「ショートホープ・ブルースか…」
ぼくは途方に暮れた。
10年以上も歌ってない歌である。
しかも、披露宴には200人以上の人が来るという。
渋々引き受けたものの、ぼくはその時から緊張してしまった。

とにかく練習である。
幸い、その当日勤めていた会社には、使っていないスタジオがあった。
ぼくは、仕事が終わったあとで、そのスタジオで練習することにした。
さすが10年のブランクである。
元々うまく歌えない歌が、さらにうまく歌えなくなっている。
それでも、毎日1時間以上は練習した。
家に帰っても練習で、結婚式までの2ヶ月間は、まさに『ショートホープ・ブルース』漬けだった。

そして当日。
午前中、ぼくは家で最後の練習をした。
ところが、その時不思議なことが起きた。
『ショートホープ・ブルース』を歌っている時、急に思考と体がバラバラになるような感じがした。
そのとたん、勝手に口が動き出した。
どこにも力が入ってない。
おそらくこういう状態を自然体と言うのだろう。
ぼくはそう思いながら、勝手に歌う自分の口を見ていた。

さて、いよいよ本番である。
やはり自信がない。
横に後輩が座っていた。
彼はかつてバンドをいっしょにやっていたメンバーで、この『ショートホープ・ブルース』を知る、数少ない人間の一人だった。
「おい、やっぱり他の歌をうたう」
と、ぼくが弱音を吐くと、後輩は「何言いよるんね。ちゃんとショートホープ歌って下さい」と言う。
そこで、ぼくは開き直った。
もう矢でも鉄砲でも持ってこい、といった気分だった。

「では、新郎のお友達を代表して、しろげしんたさんに歌ってもらいましょう」という無責任なMCの声と共にぼくは登場した。
「今日は何を歌ってもらえますか」
「はい、オリジナルで『ショートホープ・ブルース』という歌を」
「では、お願いします」

ぼくは歌い始めた。
昼間の状態がまだ続いているようで、勝手に口が動き出した。
意識は、そこにいる人、一人一人を見る余裕があった。
およそ4分後、歌い終わったぼくに待っていたものは、大きな拍手だった。
人前で歌って、これほど感動したことはなかった。
席に戻ると、友人たちがぼくに駆け寄った。
「しんた、よかったぞ」
彼らは異口同音に、ぼくの歌を讃えてくれた。

それ以来、ぼくは人の結婚式で歌を依頼されると、決まってこの歌をうたってきた。
なぜなら、生まれてからこの方、一番多く歌った歌であるからだ。
あいかわらず自分のものにはなってないが、練習の重みはどのオリジナル曲よりも勝っている。
その分、この歌の持つ独特の特徴や癖を熟知しているつもりである。
おそらくこの先も、この歌をうたっていくだろう。
いつか、「やさしすぎる君の頬」に再開する日のために。

ちなみに、歌のおにいさんに入っている『ショートホープ・ブルース』は39歳の時に録音したものである。

前にも話したが、ぼくは高校時代から8年間想い続けた人がいた。
『ショートホープ・ブルース』を書いたのは21歳の時だから、その真っ最中に書いたということになる。。
当然、ここに出てくる『君』はその人のことだ。
その人のどこが好きだったのか?
まあ、そういうことは一概には言えないが、その要素の一つに頬というのがあった。
その頬を見ると、なぜか落ち着いた。
今で言う『癒し』ということになるだろうか。
その頬を見るたびに、優しくなれる自分がいた。
この歌詞は、そんな自分を思い出しながら作ったものである。

さて、歌詞と言うくらいだから、当然この歌詞には曲がついている。
あらかじめストックしてあった曲を引っ張り出して、この歌詞で歌ってみた。
数ある曲を引っ張り出してみたのだが、何か一つピンと来ない。
そこで、新たに曲を作ることにした。
モチーフはサディスティック・ミカ・バンドの『さよなら』という曲だった。
いろいろとギターコードをいじくりながら作った。
出来上がってみると、なかなかいい。
曲が出来た直後、「これは人に聞いてもらわないと」と思い、さっそくギターを持ち出して、代々木公園で歌いに行った。
ところがである。
歌のおにいさんを聴いてもらったらわかるが、この曲は派手な曲でない上に、ガンガンやる曲でもない。
そのため、あの広い代々木公園では誰一人見向きもしなかった。

数日後、何人かの友人の前で歌う機会があったので、この歌をうたってみた。
歌い終わったあと、「どうせ目立たん歌やし」などと悲観していると、友人の一人が「もう一度歌って」というアンコールがかかった。
二度目を歌い終わったあと、その友人が言った。
「この歌、いけるよ。ポプコンか何かに出してみたら?」
「そんなに良かった?」
「ああ。コード進行がユニークだ」

おれを聞いて気をよくしたぼくは、この曲でポプコンを受けようと思い立った。
ところがである。
この曲は単調な曲ではあるが、細かい節回しが所々にある。
そのため、歌うのが非常に難しいのだ。
もし、その節回しを適当にやってしまうと、この歌は生きてこない。
そこで、練習する必要が出てきた。
しかし、狭い下宿で練習をしていると、下宿のおばさんからは小言を言われ、他の部屋の人たちから白い目で見られる。
スタジオでも借りて、とは思ったものの先立つものがない。
考えたあげく、思いついたのはトラックの荷台であった。

当時、ぼくは運送会社でアルバイトをしていた。
帰りにいつもトラックの荷台に乗せてもらっていたのだが、そこでだったら、どんなに大きな声を出しても誰も咎めない。
ということで、トラック荷台はスタジオと化した。
バイトは3ヶ月半やったので、その間毎日荷台で歌っていたことになる。

ところがこの曲、歌えば歌うほど難しくなっていくのだ。
それまで歌ってきた曲はすべて消化出来ていたのだが、この歌だけはどうも消化出来ない。
そのうち、ぼくはこの歌をうたうことに嫌気がさしてきた。
バイトを辞めた頃は、すでに諦めていた。

 『ショートホープ・ブルース』

 ねえ、ちょっと目を閉じると
 君の姿が見えてくるんだよ
 ねえ、ちょっと君が笑ってくれると
 ぼくはまた眠れなくなるよ

 ねえ、寝付かれない日々だけど
 いつもぼくはショートホープを
 ねえ、いつか君にあげたいんだけど
 君にはとってもわからないだろうね

  ねえ、だからさ わからない君に
  ブルースを歌ってあげるよ
  ねえ、優しすぎる君の頬に
  ショートホープ・ブルースを

 ねえ、いつか君と暮らすんだよ
 だからぼくはショートホープ・ブルース
 ねえ、いつか君と暮らすんだよ
 だからぼくはショートホープブルース

  つかの間の夢に うつむいたぼくの心を
  静かになだめてくれる
  ねえ、だからそんな君の頬に
  ショートホープ・ブルースを

 ねえ、いつか君と暮らすんだよ
 だからぼくはショートホープ・ブルース
 ねえ、いつか君と暮らすんだよ
 だからぼくはショートホープブルース


『ショートホープ・ブルース』、無理矢理和訳すれば『短望節』になる。
これを作ったのは1978年だから、もう25年前になる。
ちょうどぼくが東京に出た年である。
ようやく一人暮らしにも慣れてきた頃だった。

当時、ぼくはマイルドセブンを吸っていた。
それがどうしてショートホープなのかというと、それは一種の憧れからである。
高校時代から、ぼくはショートホープにカッコ良さを感じていた。
「これぞ男のタバコ!」という感じである。
もちろん、当初はこのタバコを吸っていた。
味も好きだったし、安かったし。
だけど、どうもぼくにはきつかった。
そのうち、当時の流行りだったセブンスターに換え、マイルドセブンが発売されるとそれに換えていった。
吸いたいけど吸えないジレンマが、一種の憧れを作ってしまったと言ってもいいだろう。

とはいえ、その後、ぼくは何度かショートホープを口にしている。
ただし、軽くするために市販のフィルターをつけてである。
しかし、フィルターをつけると味は落ちる。
何本か吸っていると、ヤニがたまり、さらに味がまずくなる。
自動販売機で2箱買うのだが、どうしても1箱余ってしまう。
そのうち、馬鹿らしくなって止めてしまった。
ところが、何年か後に、また『憧れ』が頭を持ち上げてくる。
そしてまた同じことを繰り返している。

さすがに最近は、ショートホープを吸うのを遠慮している。
やはり、馬鹿らしいからである。
体がマイルドセブン・スーパーライトに慣れすぎたせいもあるだろう。
たまに他のタバコを吸ったりすることもあるのだが、どうも体が受け付けないのだ。
そうはいうものの、やはり心のどこかに、ショートホープの憧れというのは残っている。
いつかまた挑戦してみたいものだ、と密かに思っている。

現在、翌朝の7時44分である。
実は、今から昨日の日記を書き出すのだ。
許された時間は、午前8時40に出かける準備をするので、あと56分である。
「どうせ下書きしてるんだろう」と思われるかもしれないが、下書きはしてない。
「でも、ネタくらいはあるだろう」
ネタもない。
つまり、ぶっつけ本番である。

『ぶっつけ本番』
ぼくは、何度この言葉を実践したことだろう。
古くは学生時代。
中間や期末といった定期考査の時は、ほとんどこの『ぶっつけ本番』をやっていた。
しかし、授業をまともに聞いてないし、「予習復習はもってのほか」と思っていたぼくにとって、この『ぶっつけ本番』はちと荷が重かった。
元々基礎がないものだから、つぶしがきかない。
ということで、この『ぶっつけ本番』は、いつも玉砕に終わった。

卒業してからの『ぶっつけ本番』といえば、就職活動をしていた時の面接があった。
最初は「おれのすべてをぶっつけてやる!」などと意気込んでいったため、ここでもあえなく玉砕。
しかし、幾度も実践で鍛えていくうちに、面接の要領を得ることになる。
20歳の頃の面接成功率が10%に満たなかったのに対し、22歳の頃の面接成功率はほぼ100%であった。
前に勤めていた会社の面接の時は、髪の毛が長いという理由から、危うく落とされそうになった。
「やばい!」とは思ったが、そこは面接の『ぶっつけ本番』慣れしている身。
ぼくはとっさに話題をかえ、そちらのほうに相手の関心を持っていかせた。
その話題とは、それまでのアルバイト遍歴である。
それをとうとうと述べ、合格に結びつけた。

30代半ばに転職したのだが、その時の就職活動も、すべて『ぶっつけ本番』だった。
その頃になると、面接などというものはもう余裕であった。
履歴書にそれまでのキャリアを詳しく書いていたので、それを説明するだけですんだ。
あとは企業がそのキャリアを好むかどうかの問題である。

『ぶっつけ本番』といえば、ぼくはよくライブの夢を見る。
内容はいつも同じで、これからステージ本番という時に、歌詞やギターコードを忘れてしまって、焦る夢である。
「えーい、なるようになれ!」と開き直っている。
で、幕が開くところで目が覚める。
けっこうリアルな夢なので、目が覚めたあとも、しばらく興奮していることが多い。

その焦りというのは、人の結婚式に行って、係員から「突然で申し訳ありませんが、新郎が『ぜひ、しんたさんに歌ってもらいたい』と言っておりますので、ここで歌ってもらえませんでしょうか」と言われた時の焦りである。
こちらは歌うつもりで言ってないので、何も準備してない。
周りを見回すと、100人以上のお客である。
昼間なので、当然昼酒を飲んでいるため気分が悪い。
新郎の頼みなら、無碍に断ることも出来ない。
そこで、「えーい、なるようになれ」と開き直るのである。
歌ったあともしばらくは興奮している。
おそらく、その夢は、その経験を再現したものだろう。

さて…
あ、もう予定時間を過ぎている。
現在、8時46分である。
これはいかん。
あと14分で出かける仕度をしなくてはならない。
ここからが、ぶっつけ本番である。

「いつの頃からだったろう、君の存在に気づいたのは」
(またその話か)
「いや、今日こそははっきりしておきたいんだ」
(別にそんなことどうでもいいじゃないか)
「じゃあ、君はいつからここにいるのか覚えていると言うのかい?」
(そういうことも忘れたなあ。ごく最近と言えばそんな気もするし、ずっと以前からと言えばそういう気もする)
「わからないな」
(そう、それでいいんだよ。ぼくは君が気づく前から、君のそばにいるんだから)

「生まれた時のぼくはどうだった?」
(どうだったって、今と何ら変わらないよ。見えるものを見て、聞こえるものを聞いていただけなんだから)
「生まれた時と変わらないってことはないと思うんだけど」
(変わってないよ。変わったと思うのは君の錯覚だよ)
「でも、現にぼくは成長しているじゃないか」
(成長ねえ。ただ服を着替えただけと思うんだけど)
「ああ、毎日服は着替えているよ」
(そういう意味じゃない。人は誰も、存在という服を着ているのだ。その時その時、その場その場で、その服は変わっていく。しかし、服はいつも変わるけど、それを着る人はいつも同じなんだ)
「よくわからない」
(わからなくていいんだ)

「ぼくには多くの敵がいる。いったいどう対処したらいいんだろう」
(気にするな)
「気にするなと言われても、気になるものはしょうがない」
(君が敵だと思うから敵なんだ。敵と思わなければ気にならないだろ)
「敵と思うななんて、そんなことできるわけないじゃないか」
(相手の存在が嫌なんだろ?)
「そうだよ」
(『嫌』を心の中から追い出せばいいじゃないか)
「そんなこと出来るはずないだろ」
(じゃあ、『嫌』を楽しんだらどうだい)

「ぼくは小さい頃から、ほら吹きって言われてるんだけど」
(それはしかたないだろう)
「何で?」
(ぼくがガイドラインだからさ)
「誰がそんなこと決めたんだ?」
(誰がって、君が生まれる前から決まっていたことさ)
「誰が決めたんだ?」
(君だよ)
「ぼくが生まれる前に、君をガイドラインと決めたというのか?」
(ああ、そうだよ)
「それはおかしい」
(どうして?)
「無の状態のぼくが、君を認識するわけがないじゃないか」
(もちろんだ。だけど、君はちゃんとぼくを選んだんだよ。というより、生まれる前から、君はぼくで、ぼくは君だったんだ)
「君は君、ぼくはぼくじゃないか」
(それは違う)
「どう違うんだい」
(ぼくは君だから、ぼくでありうるんだ)
「またわからないことを言う」
(わからなくていいよ)
「君はいったい何者なんだ?」
(ぼくか。ぼくはペテン師さ)

披露宴でのこと。
困ったことが起きた。
ぼくが座っていたテーブルに5本のビールが運ばれてきたのだが、そのテーブルに座っていた人は、ぼく以外誰も酒を飲めなかったのだ。
乾杯の後、親戚の一人が「しんちゃん、このビール、あんた全部飲まなよ」という。
ただでさえ、寝不足や腰痛に悩んでいる身に酒は応えるのに、今日は慣れない礼服を着、窮屈なネクタイをしている。
普段のラフな格好で飲むのとは、勝手が違う。
飲む時は、無意識のうちに適度な運動をしているものである。
そのため、酒の攻撃をもろに受けないですむのだ。
しかし、窮屈な格好をしていると、それも出来ない。
しかも、昼間である。
ぼくは夜の酒は強い方なのだが、なぜか昼間の酒には弱い。
かつて、昼間にビール1杯飲んだだけで、吐いたことがある。
その晩、また飲み直しをしたのだが、その時はビール3本を空けたのにケロッとしていた。
体調が悪いわけではなかったのに、なぜ昼間吐いたのか、理由がわからなかった。
ぼくが昼酒に弱いと悟ったのは、ずっと後のことである。

「このビール、他のテーブルに回わすとか、人に注ぎに行くとかすればいいやん」
「だめ、あんたが全部飲み!」
しかたなくビールを飲んでいると、他の親戚の者が、「しんちゃんは日本酒のほうがいいやろ」などと言って、日本酒を注文した。
ビールでさえ手こずっているのに、この上日本酒なんて飲めるはずがない。
しかし、その時はすでに、「もう、どうにでもなれ」という気分でいた。

ということで、ぼくは注がれるままにビールや酒を飲んでいった。
最初は気分がよかったのだが、宴たけなわの頃、ついにやってきた。
下腹が痛い。
それも、激痛である。
ぼくは慌ててトイレに駆け込んだ。
下痢状態だった。
しかし、用を足した後、腹のほうはすっきりした。
「もう大丈夫」と思った矢先だった。
今度は頭痛が襲ってきたのだ。
後頭部が脈打ちだし、だんだんそれは頭全体を覆ってきた。
経験上、この頭痛は翌朝まで治らないのを知っている。
「明日の朝まで、この頭痛と闘わなければならないのか」、と思うと憂鬱になった。

披露宴が終わった後で2次会に誘われたのだが、ぼくはそれをキャンセルし、タクシーに乗って家まで帰った。
激しい頭痛が襲ってくる。
他にすることがなかったので、とりあえず寝ることにした。

起きてみると、もう午後8時である。
5時間ほど寝入っていたようだ。
まだ頭痛は続いている。
しかし、翌朝までこれは治らないとわかっているから、それについてもう頓着しなかった。
「飲み直し」
そう言って、ぼくはまた盃をとった。

明日、親戚の結婚式がある。
実を言うと、行きたくない。
しゃちこばった結婚式や披露宴も嫌だが、何よりも嫌なものは、あの礼服である。
仕事上必要がないので、ぼくはスーツを持っていない。
いや、あることはあるのだが、前の会社にいた時に作ったものなので、体型が変ってしまった今、もはや着ることは出来ないだろう。
何せ、その当時の体重は68キロ、今の体重は79キロなのだから。
それに伴い、ウエストは5センチもアップしている。
もはや、人に譲るか、もしくは『青山』や『はるやま』に買い取ってもらうしか、方法は残っていない。

まあ、スーツは持たなくても不自由しないのだが、冠婚葬祭時に普段着で行くのもなんである。
ということで、礼服だけは持っている。
何度か着たことはあるのだが、スーツを着慣れないせいか、どうも様にならない。
そのせいで、なぜか人目を気にしてしまう。
そういうことが気になってくると、冷静に自分が見えなくなり、自分が自分でなくなるような気がするものである。

また、礼服にスニーカーを履くわけにはいかず、どうしてもあの堅い革靴を履かなければならない。
前の会社は、スニーカーなどはもってのほかというような風潮があった。
ぼくはそれが嫌だったので、「楽器屋やレコード屋にネクタイや革靴は似合わんでしょうが」と上司に食いついていた。
が、上司は耳を貸さなかった。
ジーンズ・スニーカーが認められたのは、ぼくが辞める2年前からだった。
ぼくはそのために何度も稟議書を提出したものだった。

なぜ、革靴が嫌かというと、それは昨日書いた腰痛に関係がある。
かかとの部分が堅いために、どうしても腰に負担がかかるのだ。
前の会社にいた頃、昨日書いたような状態になったことは何度もある。
しかも、かかとの堅い革靴なんかを履いているので、歩くたびに強い衝撃が走った。
会社を辞めた時、「もう革靴を履かなくていい」と思うと、ホッとしたものだった。

今、翌朝の9時20分である。
そろそろ時間である。
10時半挙式なので、準備して出かけなければならない。
まあ、タクシーを使って式場まで行くので、その間の人目は気にしなくていいのだが、革靴だけはどうしようもない。
なるべく腰に負担のかからないものを履いていくつもりだが、例の電気風呂に入ってから、よけいに痛みが増したような気がする。
サポーターなんかをして行ったら、礼服が入らないだろうし…。
こうなったら、杖でもついて行くかなあ。

何度かここで書いているが、ぼくは腰痛持ちである。
元々が立ち仕事である上、大型テレビやエアコンの室外機といった重たい物を20年以上も抱えてきたため、腰にかなりの負担がかかってしまったのだ。
さらに最近は、パソコンの前に座ったまま動かない生活まで加わった。
同じ姿勢のままでいることが、腰や肩に負担がかかるということを体験的に知ったのは、ついこの間のことである。
それまでは、正しい姿勢をとり続けていることで、腰痛や肩こりは治ると思っていたのだから、何と長い間、腰や肩に悪いことを続けてきたことかと思っている。

6月に入ってのことだが、また腰に鈍い痛み、というより重いだるさが出てきた。
まあ、雨期という特別な気候のせいもあるのだろうが、要は運動不足である。
そこで、だるさを軽減しようとして、つい無理な体勢をとったり、よかれと思って変な体操をやったり、自己流のマッサージをやったりしている。
それがまた腰に負担をかけているのだ。
まさに悪循環である。

さて、今日のことである。
今日は昨日とはうってかわって、終日青空の広がるいい天気だった。
おまけに、休みときている。
今日が給料日ということもあり、さっそく月例になっている銀行回りをすることにした。
いつもは銀行の駐車場に停めているのだが、腰にいい運動になると思って、今日は少し遠くの駐車場に停め、そこから歩くことにした。
ところがである。
今日は新しいサンダルを履いていったのだが、慣れないせいで、足にまめを作ってしまった。
当然、痛みをかばうため歩き方が変になり、そのせいでまた腰が痛くなり始めた。

これはどうにかしなくては、と思いついたのが、例のスーパー銭湯である。
温泉の効用に、腰痛・肩こりにいいと書いてあったし、そこには泡風呂やジェット風呂・電気風呂といった、数々のマッサージ風呂がある。
これを利用しない手はない。
と、銀行から帰り、すぐさまスーパー温泉に向かった。

金曜日だからということでもないだろうが、今日は人が多かった。
おかげで、マッサージ風呂にはなかなか入れなかった。
とりあえず体を洗い、順番を待った。
風呂に入ってから30分ほど過ぎた頃、ようやく一つの風呂が空いた。
それは電気風呂である。
『電電の湯』と書かれたこの風呂、実は低周波の風呂だった。
さっそくぼくは電極と電極の間に座った。
その時、「ズン!!」という衝撃が走った。
ちょうど腰の部分、というより骨盤の部分である。
腰が抜けるような、重い痛みだった。
しばらくその風呂につかっていたが、腰の痛みは増すばかりである。
我慢が出来なくなって、そこから出ようとした。
ところが立てない。
少し立ち上がると、また沈んでしまう。
沈むたびに、腰に痛みが走る。
風呂の縁に手を当て、何とか這い出した。

風呂から出ても、しばらく痛みは続いた。
以前、他の銭湯で、こういう風呂に入ったことがあるのだが、その時はピリピリする程度で、こんな痛みが走るようなことはなかった。
かなり腰が悪くなっているようだ。
「次の休みは、整骨院に行くか」
そんなことを考えながら、ぼくは銭湯を出た。

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