吹く風ねっと

一生は未来の記憶を散りばめた一本の道。人生は未来の記憶をひろいながら歩く旅。

2003年04月

やったー!
ついに休める。
今月の19日からずっと出ずっぱりだったから、今日まで12日間休んでないことになる。
その間、朝7時に起き、8時半に家を出、9時に会社に着き、夜8時過ぎに会社を出、9時に家に帰り、翌午前3時に日記を書き終える生活をしていた。
実労10時間、しかも肉体労働。
睡眠時間4時間、しかも熟睡してない。
おそらく今までの人生の中で、こんなにハードな生活をやったことはないだろう。
しかし、それもやっと解放されるわけだ。
来月の6日に…。

そう、まだ休めんとですよ。
本当は明日休むつもりでいたのだが、どうも休めるような雰囲気ではない。
何人かの人に、さりげなく「いつ休みますか?」と聞いてみると、みな異口同音に「他の店から応援を出してもらっとるくらいやけ、しばらく休めんやろう」と言う。
ということで、泣く泣く明日の休みを取り消した。
あーあ、あと5日もこんな生活が続くのか。

17日間休みなし。
今まで、こんなに長く休まなかったことがあるだろうか。
あ、そういえば、浪人時代にやった中国展のアルバイトで、33日間休みなしで働いたことがあった。
それが最長ということか。
しかし、あのバイトは土日以外は暇で、いつもボーっとしていたから、それほど疲れはしなかった。

長崎屋でバイトをしていた時、23日間休みなしで働いたことがある。
ちょうどエアコンの売れる季節で、この時期に在庫を全部吐いてしまおうという意気込みで頑張った。
しかも、3日に一度は飲みに行っていたから、けっこうハードだったと言える。
とはいえ、肉体労働をしたわけではない。
あの時は、いつも在庫の数と格闘していたので、精神的に疲れていたわけだ。
意地になって休みをとらず、飲みに行ったに時まで「あと○台」「あと○台」などと言っているぼくを見かねた上司が、「しんた君、もう在庫のことはいいけ、明日は休みなさい」と言った。
最初は拒んでいたぼくも、最後には折れた。
明日一日休んで、また在庫と闘えばいいと思っていた。
ところが休みの翌日、店に行ってみると何か様子がおかしい。
上司に「どうしたんですか?」と聞くと、上司は「ああ、もうエアコンの季節は終わったよ」と言う。
「えっ? だって、おとといまであんなに売れてたじゃないですか」
「いや、不思議なもので、エアコンの場合は突然潮が引くんよね」

今でこそ冷房・暖房・除湿と年中使うものになっているが、当時のエアコンは『クーラー』という言葉が示すとおり、冷房専用がほとんどだった。
そのため、エアコン販売は梅雨明けの1週間が勝負となった。
エアコンの取付工事の人は、年収の大半をこの時期に稼ぐと言っていた。
パッと売れ出して、サッと売れなくなっていく。
まるで、花火のようなものだった。
その時期にいかに見事な花火を打ち上げるかが、担当者の腕の見せどころだった。

このことを知った時、ぼくはエアコン販売に『男のロマン』のようなものを感じた。
ぼくがその後家電販売の道を選んだのも、この時感じた『男のロマン』が大きく影響している。

区内の、高倉健の実家近くに吉祥寺(きっしょうじ)という浄土宗のお寺がある。
藤で有名なところで、毎年この時期になると『藤まつり』を催している。
参道に出店が出るなどして、たくさんの人出でにぎわっている。

吉祥寺の藤まつりの頃になると、いつも思い出すことがある。
それは、10年ほど前、この祭に行った時に思わぬ人を見たことである。

ぼくはそれ以前にも、何度かこの祭に行ったことがあるのだが、いつものように人通りの多い狭い参道を歩いていた。
すると突然、後ろのほうで、「こらー、○○!!お前は…」という怒鳴り声が聞こえた。
どうも子供を叱っているようだった。
まあ、子供を叱るくらいは日常茶飯事のことで、大したことはないのだが、ぼくはその声に思わず振り返ってしまった。
なぜなら、とにかく声が太いのだ。
しかも、その声は女性のそれである。
その声を聞いて、どんな人なんだろうと興味をそそられた。
きょろきょろと周りを見回すと、おそらくその声の持ち主だろうと思われる人がいた。
とにかく背が高い。
周りにいる人より、頭一つ出ていた。
しかも、体格がいい。
『おそらくこの人だろうな』と思っていると、その人が口を開いた。
ドスのきいた低い声。
まさにその声の持ち主であった。

ぼくは、一緒に祭に行っていた友人に「凄いのう、あのおばさん」と言った。
すると友人は、「おい、あの人…」と言った。
「あのおばさんが、どうかしたんか」
「あの人、横山樹里ぞ」
「横山樹里?」
「おう」
横山樹里といえば、元女子バレーボールの日本代表だった人だ。
「まさかぁ、樹里はあんなデブやなかったやろうもん」
「いや、引退してからデブになったらしい」
そういえば、横山樹里もこの吉祥寺の近くに実家があるのだ。
ここにいても別におかしくはない。
しかし、ぼくは半信半疑だった。
あのおばさんの顔と、テレビで見ていた樹里の顔とが、どうしても結びつかなかったのだ。

しばらくして、その半信半疑に終止符を打つ時がやってきた。
ローカル番組で、あるママさんバレーチームの紹介をやっていた。
そこに、吉祥寺で見た、あのおばさんがいたのだ。
レポーターが言った。
「この方をご存じの方も多いと思います。元全日本のエースアタッカー、○○樹里、旧姓横山樹里さんです」
「こんにちはー」
ドスのきいたあの声である。
やはり、あのおばさんは横山樹里だったのだ。
しかも、あの時よりもさらに肥えていた。
その後樹里は、ビートたけしのトーク番組に出て、たけしからさんざんからかわれていた。
もちろん、その体型について突っ込まれていたのだ。

さて、今日は藤まつりの最終日だった。
「今年もあの人は行ったのだろうか」
と、ぼくが横山樹里を思い出す季節になった。
いよいよ初夏である。

先日、高校3年時のことを書いたが、そのことで思い出したことがある。
高校を卒業してから18年後、ぼくが36歳の時のことだ。
7月、『同窓会のお知らせ』なるハガキが舞い込んできた。
これはクラスの同窓会ではなく、学年全体の同窓会だった。
同窓会そのものには興味はなかったのだが、「もしかしたら、あの頃好きだった人に会えるかも」という甘い期待があったので、参加することにした。

当日、友人二人と駅で待ち合わせ、会場である駅前のホテルに向かった。
会場に行ってみると、数十人の人たちが集まっていた。
ぼくはさっそく、その好きだった人を目で探した。
しかし、来てなかった。
その時点でぼくは帰ろうと思ったが、友人二人のを誘った手前、すぐに帰るわけはいかない。
仕方なく、しばらくそこにいることにした。
他の二人は同じクラスになったことのある人が来ており、楽しそうに談笑していたが、ぼくの場合、同じクラスになった人間はほとんど来ておらず、一人白けていた。

ぼくがふてくされて座っていると、後ろから「しんた」という声が聞こえた。
振り向くと、そこには3年の時に一緒のクラスだったMがいた。
彼も3年の時、ぼくと同じく担任からしこたま叱られた口だった。
そういう共通点があったせいか、仲間意識を持つようになり、よく行動を共にしていた。

「おう、Mか」
「今日担任が来とるんやけど、しんた、お前挨拶したか?」
「いいや」
「なし挨拶せんとか。お前が一番迷惑かけたやないか」
「迷惑かけたのはお前のほうやろ。おれは事故起こしてないぞ」
Mは3年の時、バイクで転倒し入院したことがある。
それまで、担任はぼくよりもMのほうを叱っていたのだが、彼が入院してからというもの、担任はMの分までぼくを叱るようになった。
Mは、「とにかく、挨拶してこい」と言う。
「いやっちゃ」
「いいけ、来い」
と、Mはぼくの腕を引っ張っていった。

「先生、しんたを連れてきました」
担任は「しんた…?」と一瞬首をひねった。
ぼくが「お久しぶりです」と言うと、担任は「ああ、久しぶりですねえ」と言う。
ぼくが「先生、おれのこと忘れたでしょ?」と聞くと、担任は「い、いや、そんなことはないですよ。はは…」と答える。
おそらく忘れているのだろう。
覚えているのなら、そんな他人行儀な受け答えはせずに、「おう、しんたか! 母ちゃんに心配かけんで、ちゃんと真面目にやっていきようか!?」など言うはずだ。

担任はぼくに「今、どこに勤められてますか?」と聞いた。
「今、○○に勤めています」
「ああ、○○か。私の教え子もそこに勤めているのがいてねえ」
「あ、そうなんですか」
と受け答えしながらも、『あのねえ、ぼくもあんたの教え子なんですよ!』と思っていた。

ぼくが担任と話している途中に、Mが横から「先生、しんたも更正したでしょ?」といらんことを言いだした。
彼は、高校3年時の担任とぼくとの関係を、再現させたがっていたのだろう。
しかし、担任の記憶はさかのぼることはなく、相変わらず他人行儀に「はは…」と笑っているだけだった。

話しているうちに、ぼくはだんだん寂しくなってきた。
しばらく担任と話してから、「じゃあ、失礼します」とその場を去った。
ぼくが席に戻り、一人で酒を飲んでいると、Mが戻ってきた。
そして「やっぱり担任は、しんたのことだけは覚えとったみたいやのう」と言った。
「どこが覚えとるんか!」
「親しそうに話しよったやないか」
「お前、あれが親しそうに見えるか? ずっと他人行儀やったやないか」
「そうは見えんかったけど」
彼はいったい何を見ていたのだろう。

いくらその当時印象に残った生徒でも、時間が経てば忘れるものである。
それは仕方ないことだ。
ぼくたち生徒が生涯に出会った先生の数よりも、先生が生涯に出会った生徒の数のほうがはるかに多いのだから。
しかし、そうはいっても、記憶のどこかにぼくの存在をとどめておいてほしかったとは思う。
もしそれがあったら、もう少し楽しい同窓会になっていただろう。

前の会社にいた時、レーザー・ディスクのコーナーを担当していたことがある。
吉幾三が『俺ら東京さ行ぐだ』の中で、“ディスコも無ェ/のぞきも無ェ/レーザー・ディスクは何者だ?”と歌った、ちょっと後のことだ。

その当時、ぼくの勤めていた地区では、二つの販売店がレーザー・ディスクの覇権争いをやっていた。
その一店がぼくのいる店で、もう一店がBという店だった。
売上高はほぼ同じだったが、販売内容はちょっと違っていた。
こういう趣味嗜好商品というのは、販売する人によって売れるジャンルも違ってくるらしい。
販売する人の趣味が反映するというのだ。

うちの店は、ぼくが担当だったため、ぼくの趣味が反映した。
売れたのは言うまでもなく、音楽ものだった。
いろいろなアーティストのライブものや、プロモーションビデオ、さらにカラオケまで、音楽と名の付くものなら何でもよく売れた。
松任谷由実のセットものが発売になった時だったが、他の店は良くて4,5セット程度の売上げだったのだが、うちの店は30セットほど売り上げた。
また、1セット売れればいいほうと言われた吉田拓郎のセットものも、うちの店では10セット以上売れた。
あまりに格差があるので、他の店が「値段を下げて売っているんじゃないか」とメーカーにクレームをつけたほどだった。

一方のBはアニメだった。
アニメといえば、その当時から宮崎駿ものがよく売れていたが、『魔女の宅急便』が発売になった時、うちの店でもそこそこ売れたのだが、Bではうちの10倍近くの売上げがあったということだった。
Bでアニメがよく売れたのは、担当者がアニメファンだったというのもあるが、うちがアニメを敬遠していたというのも影響していたと思う。

その当時、業界ではアニメファンは神経質な人が多いという見方が一般的だった。
ある時、一人のお客さんがやってきた。
「すいませーん。これ、おたくで買ったものなんですが、11分58秒のところに白いノイズが出るんですけど」と言う。
調べてみると、11分58秒のところで、一瞬、目を凝らしてみないとわからないほどの、小さな白い点が出る。
普通の人ならまったく気にならないようなノイズだが、その人は大いに気になるらしかった。
仕方なく交換したのだが、数日後、その人はまたやって来た。
「やはり前と同じところでノイズが出るんですけど」と言う。
修理のきかないディスクなので、こちらとしては、交換する以外に対処する方法はない。
しかし、何度交換しても、同じ結果しか出ないと思ったぼくは、メーカーに対処させることにした。
さすがにその後は何も言ってこなかったが、そのお客とメーカーは、かなりやりあったという。
うちの店がアニメを敬遠したのは、こういうクレームがけっこう多かったからである。

じゃあ、Bではそんなクレームがなかったのかというと、そうではなく、うち以上に売っている分クレームも多かったそうだ。
ある時、メーカーからBでの面白い話を聞いた。
アニメに限らず、こういうソフト関係は、初回版にプレミアムが付いてくることが多い。
それ欲しさに、初回版を予約する人もけっこういるのだが、アニメファンはその傾向が特に強かった。
そのプレミアム欲しさに、あるアニメを予約した30代の男性がいた。
ソフトの発売日、その男は開店と同時に現れたという。
ところが、店の手違いで、その男の予約分が漏れていたことがわかった。
ソフトは行き渡るのだが、そのプレミアムは限定だったので、もう手に入らない。
そこで、店の人はその旨を男に説明し、丁重に詫びを入れた。
「他のプレミアムを準備させてもらいますので…」
そう言ったとたん、男はベソをかき、その場に座り込んだ。
そのまま小一時間座り込んでいた。
いくら店の人が詫びても、立ち上がらなかったという。
たしかにミスを犯した店が悪いのだが、男もベソかいて座り込むことはないだろう。
いい歳した大の大人が何をやっているんだ。
そのメーカーさんは、「アニメファンというのはホント疲れますわ」と嘆いていた。

アニメファンといっても、こういう人はごく一部にすぎないだろう。
そのごく一部の人が、いろいろと問題を起こすので、業界の中で偏ったアニメファン像というのが出来たのだろう。
ぼくも、どちらかというとアニメ好きの人間ではあるが、重視するのはプレミアムやディスクのちょっとしたノイズではなく、あくまでも作品の内容である。
おそらく、アニメファンといわれる多くの人たちも、ぼくと同じ意見だと思う。

おっ、もう1時を過ぎとうやん。
早よ書かいて寝らんと明日がきつい。

今まで何をやっていたのかというと、新しい『月明り掲示板』を探していたのだ。
今朝、掲示板を開いてみると、
《サーバー移転の為
4/26 0:00よりサーバーを完全に停止します。
現況報告とお詫び:作業開始前の停電により、発言ログデータサーバーに障害が発生しました。
最悪の場合、全データが飛んでいるかもしれません。
ご迷惑をおかけし、大変申し訳ありません。
復活予定は、運送屋さんの到着時刻に依存するところが大きいですが、目標としては4/28中のサービス再開、最悪で4/29中には、と考えています。
が、やってみないとわかりません。
以上 ご協力お願いいたします。 》
と書いてあった。
「突然停止されると困るんよね。ちゃんと連絡してもらわんと」と一人でブツブツ文句を言った。
「さて、どうしようか」と思ったが、時間がなかったので、とりあえず会社に行ってから考えることにした。
ところが、昨日の日記の通り、今日は改装オープンの二日目で、そんなことを考える暇もないほど、次から次へとお客さんがやってくる。
帰る頃には放心状態で、掲示板のことなどすっかり忘れていた。

掲示板のことを思い出したのは、午後9時半過ぎに家に帰り着いた後のことだった。
「そういえば、掲示板…」
と思って、掲示板を開いてみたが、相変わらず《サーバー移転の為…》の表示のままだ。
「29日…。あと3日もある。待てるか!」
と、新しい掲示板を探すことにした。
『無料 レンタル掲示板』などと検索窓に書き込んで、検索結果の1から順に開いてみた。
しかし、見るとどこも似たり寄ったりである。
「これ以上探しても無駄だ」ということで、一つの掲示板を決めた。
そこは、このサイトを始めた頃に借りたサーバーだった。
つまり、また元に戻ったわけだ。

当初借りていたそのサーバーをなぜ止めたのかというと、それはゲストさん同士がけんかを始めたからである。
お互い意地の張り合いで、一歩も譲らなかった。
このままだと見ている人が不愉快になるだろうと思い、サイトごと移転した。
もちろん掲示板は、新しいところを借りた。
もちろん二人には新しいサイトのことを教えずに、残ってもらうことにし、あとは知らん顔をしていた。

ということで、今日からは新しい掲示板でございます。

いよいよ開店にこぎついた。
人混みに酔ったというのだろうか、今日は久々のお客さんにもまれ、少し頭が痛くなってしまった。

朝8時半の集合という、朝の弱い、しかも昨日の日記が出来ていなかったぼくにとって、ちょっときつい改装オープン初日となった。

夜中の2時まで起きて日記を書いていたのだが、どうも文章がまとまらない。
そこで、朝少し早めに起きて書くことにした。
ところが、朝起きてもうまく書けない。
最後の部分がどうしてもまとまらないのだ。
何度も書き直しをした。
しかし、納得のいく文章が書けないままに、時間が来てしまった。
「仕方ない。これでいくか」
と妥協したのが、昨日の日記だった。

会社に着いたのは、8時半のちょっと前だった。
かなり早めに出たつもりだった。
予想された渋滞はなかったものの、今日はよく信号に引っかかる日だった。
そのため、渋滞に巻き込まれたのと同じくらいの時刻に着いてしまったのだ。

店に着くなり、店長が「朝礼します」と言った。
今日の朝礼は、本社の人間が来ているせいか、幾分長め朝礼となった。
朝礼の最後に、「いらっしゃいませ」の訓練をいつもやっているのだが、その声が今日はやたら大きい。
本社の人が来ているので、みな少し興奮気味だったのだろう。
ちなみに、ぼくはいつも口だけ動かしている組である。
今日もそうした。

さて、朝礼が終わり、売場に帰ろうとした時だった。
Kちゃんというパートさんが、「しんちゃん」とぼくを呼んだ。
ぼくが「あっ?」と振り向くと、Kちゃんはぼくの頭を指さし、「はねてるよ」と言った。
最初、何のことを言っているのかわからなかった。
「頭?」と、ぼくは自分の頭を触った。
すると手のひらに毛先の感触が走った。
『もしかしたら』と、ぼくは慌ててトイレに駆け込んだ。
洗面所で鏡を見ると、後ろ髪が雀の尾っぽのように、束ではね上がっていた。

昨日、頭を洗ったのだが、風呂に入るのが遅かったせいで、十分に乾かないまま床に就いてしまった。
そのせいで、朝起きてみると、髪の毛が爆発していた。
上記のように、日記に専念していたものだから、出掛ける準備に時間を割けなかった。
いちおう爆発は整えたのだが、後ろまで目が行き届かなかったのだ。

さっそくぼくは髪を水で濡らし、念入りに寝癖を直した。
おかげで、何とか寝癖は収まった。
と思ったが、数本の髪の毛はまだはねている。
しかし、そう目立つほどではないので放っておいた。

ところが、夜になって、事務所の窓に映っている自分の姿を見た時、あ然としてしまった。
何と、朝よりもはね方がひどくなっていたのだ。
いつのその状態になったのかは知らないが、この格好でお客さんを相手にしていたのかと思うと、情けなくなってきた。
ぼくは、よくお客さんから「白髪のにいちゃん」と呼ばれているが、これからは「雀のにいちゃん」と呼ばれるのかもしれない。

3年の時、何よりもぼくが目立ったことといえば、遅刻だった。
とにかく毎日遅刻する。
これは交通事情のせいであり、わざと遅刻していたわけではないが。

初めて遅刻した時、ぼくは教室の後ろから入った。
すると担任が、「こら、しんた。どうして後ろからコソッと入ってくるんか。遅刻したなら前から入ってこい」という。
ぼくはすでに席に着いていたのだが、また鞄を持って後ろから廊下に出、前から入り直した。
それからは、毎日前から入るようになった。
その入り方がおかしかったのか、いつもクラス中が笑いの渦だった。
ホームルームで担任が熱弁をふるっている頃、突然教室の前の扉を開け、のそのそと歩いて、教壇の前に向かった。
教壇の前に立つと、ぼくは担任の顔をにらみつけた。
そこから担任とのやりとりが始まる。
「こら、しんた。お前、なし(何で)遅刻してきたかっ!?」
「はあ、バスが遅れました」
「バスが遅れた? 他の人間は遅れずに来とるやないか!」
「はあ、ぼくの乗ったバスが遅れたんです」
「なし遅れるようなバスに乗るか!?」
「はあ、そのバスしかなかったからです」
担任はせっかちにしゃべり、ぼくはのんびりとしゃべっている。
その間合いがおかしかったのか、みんなクスクス笑っている。
「もういい。1時間目が終わったら職員室に来い!」
いつもこの繰り返しだった。
このことがあって、ぼくは行動で笑いをとることの面白さを知った。
一方の担任も、ぼくと掛け合うことの面白さを知ったようで、ぼくが遅刻してくるのを楽しみにしているようなふしがあった。

しかし、こんなことをやっていたからといって、孤立を止めたわけではなかった。
・クラスの連中とは、必要以外のことは話さない。
・相手が馬鹿やっても、反応しない。
・笑わない。
・クラス単位の活動などは、すべて無視。
という孤立化4項目は忠実に守っていた。

さて、ぼくはそのうちクラスにいることすら馬鹿らしく思うようになった。
朝は遅刻してくるので当然ホームルームに出席しなかったのだが、とうとう帰りの掃除やホームルームにも参加しなくなった。
その間何をしているのかというと、クラブの部室で寝ていたのだ。
さらに、「こんなクラス面白くない!」と言い捨てて、他のクラスに遊びに行くようになった。
時には、授業を他のクラスで受けることもあった。

そうやって、ぼくの孤立はどんどん深くなっていった。
ある時、2年の頃のぼくを知る、数少ないクラスメイトの一人が言った。
「人は変わると言うけど、お前みたいに極端に変わった奴はおらん」
この一言を聞いた時、ぼくの孤立化は成功したと思った。

高校卒業間近に、ぼくはあることに気づいた。
それは、ぼくだけに限らず、クラスの一人一人が孤立していたということである。
いつも馬鹿ばかりやって、そのクラスの中心的な存在になっている男がいた。
ぼくは、その男の中に空元気を感じた。
本気で馬鹿をやってないのだ。
彼はいい大学を目指していたこともあって、家ではかなり勉強をしていた。
そういう人間が、本気で馬鹿をやるわけがない。
彼は馬鹿をやることで、受験勉強の憂さを晴らしていたのだ。
つまり、彼にとってのクラスというのは、受験勉強のはけ口だったのだ。

おそらくその時期、クラスの全員がそうだったのだと思う。
彼らにとって、クラスというのは、受験という孤独な闘いから逃れられる唯一の場所だった。
つまり、孤立と孤立、心の通わないコミュニケーションを、クラスという場所で展開していたにすぎないのだ。
みんな空元気だったわけだ。

それに気づいた時、ぼくは「なんと無駄な一年間を過ごしたんだ」と思ったものだった。

 「気が楽だったり、時々狂ったり」

 ここに来て半年、おれはみんなを無視してきたし
 誰も信じようと思わなかった
 だから彼らもまったく、おれを相手にしない
 気が楽だったり、時々狂ったり

 主人はおれたちの落ち度を見つける、頑固な人で
 みんなから嫌われるのも当然だ
 もちろんおれも、彼を信じちゃいない。
 彼にすべてを、任せようとも思わない

  今日も日記帳につづられた日々が笑っている
  病に衰えたおれのことを
  今日も日記帳につづられた日々が泣いている
  どうやらこの賭は失敗だったらしいね

 おれのあこがれた連中が、「諦めるか」と聞く
 おれはただ、「なに今に福音が降りてくるよ」
 誰もがおれの目は、何かもの悲しそうだという
 気が楽だったり、時々狂ったり

  今日も日記帳につづられた日々が笑っている
  病に衰えたおれのことを
  今日も日記帳につづられた日々が泣いている
  どうやらこの賭は失敗だったらしいね

 ここに来て半年、おれはみんなを無視してきたし
 誰も信じようと思わなかった
 だから彼らもまったく、おれを相手にしない
 気が楽だったり、時々狂ったり


またつまらん詩で始まった。
この詩は高校3年の頃に作ったものだ。
その頃、ぼくは一つの実験をやっていた。
それは、クラスから孤立することだった。
小学校1年から高校2年まで、いつもぼくは何らかの形でクラスの中心にいた。
というより、そういう自分を演じていた。
高校2年が終わる頃に、「そういう自分を演じることも飽きた。せめて最後の1年だけは、目立たない自分を演じてみよう」と思った。
春休みが終わり、ぼくはそのことを実行に移した。

それは、
クラスの連中とは、必要以外のことは話さない。
相手が馬鹿やっても、反応しない。
笑わない。
クラス単位の活動などは、すべて無視。
というものだった。

幸い、新しいクラスには、2年までのぼくを知る人が少なかった。
おかげで、『新しい自分』演出は障害もなく遂行できた。
もはや中心ではないので、ずいぶん気が楽だった。
面白くもないことに、相づちを打って笑う必要もなくなった。
体育祭などの面倒なイベントにも参加しないで、さっさと帰る。
当然、その打ち上げにも参加しない。
そのうち、クラスの連中も、ぼくのことを相手にしなくなった。
「うまくいった」と、ぼくはほくそ笑んだ。

ところが、無理矢理違った自分を演出しているため、いろいろとほころびが出てきた。
長年中心でいたので、中心であるためのツボというのが身に付いている。
それが、ついポロッと出てしまうのだ。
自分でも気がつかないうちに、目立つようなことをしたり、物言わず笑いをとったりすることがあった。

《午前0時40分》
連日、日記の更新が午前3時を過ぎている。
おかげで、今、凄い睡魔に襲われている。
もしかしたら、今日の日記は、このまま終わってしまうかもしれない。

何も書かずに寝るのもしゃくだから、とにかく何か書こうともがいている。
もがけばもがくだけ書けなくなるし、もがけばもがくだけ眠さが増す。
一度寝た方がいいのかもしれない。
しかし、最近の体調からいって、いったん寝てしまうと、そのまま朝まで眠ってしまいそうだ。

《午前4時40分》
おっと、もう5時前やん。
3時に起きてから書こうと思い、いったん寝ることにした。
布団に入ると、朝まで寝てしまいそうだから、布団に入らずに寝たのだが、やはり3時には起きられなかったか。

学生時代を思い出す。
中間や期末テストといった定期試験の勉強は、すべて一夜漬けでやっていた。
というより、それ以外に勉強することはなかった。
初日、二日目は、夜を徹してやれたのだが、三日目はさすがにだめだった。
で、一度寝てからやろうと、今日と同じように布団に入らずに寝た。
たいがい予定していた時間に起きられたのだが、たまに起きたら7時を回っていたということもあった。
それでも得意な科目の時なら大して慌てなかったのだが、苦手な科目の時はさすがに真っ青になった。

「頭の中は眠たさでいっぱい、徹夜だったのです。
 あくびは限りなくでるし、目は真っ赤なのでしょう。
 朝の風に打たれてこよう。それが一番でしょう。

 太陽の光はまだ見えないけど、空は明るくなっていきます。
 初夏だというのに朝はまだ寒く、厚着をしています。
 朝の風に打たれてこい、父のよく言った言葉です。」

高校3年1学期の中間テスト、その一夜漬け中に作った詩である。
その時の成績は散々だった。
そう、詩を書いている暇なんかなかったのだ。

《午前6時40分》
もう一度寝てしまった。
学校に行っている夢を見てしまった。
やはり、日記のことが気になっているのだろう。
ぼくも、いよいよ日記依存症になってしまった感がある。
このまま起きていようか、それとももう一度寝ようか。

《午前7時50分》
また眠ってしまっていた。
出掛ける準備をしなくてはならない。
こんなことばかりやっているから、ここ数日は新聞も読んでいない。
一応その日の新聞は車に積んである。
しかし、読む暇もない。

それにしても眠たい。
だけど、もう寝るわけにはいかない。
このまま一日を乗り切れるかどうかが問題である。

【その1】
大変疲れている。
改装工事も大詰めを迎え、ここ数日、仕事が終わるのは午後7時を過ぎている。
朝は9時からだから、10時間ぶっ続けで、慣れない肉体労働をやっていることになる。
そのため、日記の書き始めから、すでに居眠りモードに入ってしまっている。
テーマが見あたらない。
考えることすら出来ない。
書けない…。
もういいや!
昨日あれだけ書いたのだから、今日の日記は勘弁して下さい。

『勘弁して下さい』…?
いったい、誰に向かって言っているんだろう?

日記を書いていると、時々むなしくなることがある。
例えば、日記の中でたまに『みなさん』などと呼びかけることがあるのだが、いったい誰と誰と誰が『みなさん』なんだろう。
もしかしたら、『みなさん』は誰もいないのかもしれない。
そうだとしたら、『みなさん』は実にむなしいものだ。
家に帰ってカウンター(タイトルの下の[00001]ではない)を見てみると、そこそこ数字が増えているが、その増えた数字分の人が、その日の『みなさん』だと理解することにしている。
が、そのみなさんは本当に『みなさん』という呼びかけを見ているのだろうか。
それはわからない。

【その2】
今日、家に帰ると、ポストにチラシが入っていた。
それを取り出した瞬間、『頑張れダイエーホークス! 半額』という文字が飛び込んできた。
「え?」と思い、よく読んでみると、そこに書かれていたのは「頑張れダイエーホークス! お鮨 《茶碗蒸しをつけると》半額」だった。
それでも何のことかわからない。
説明を見てようやく納得した。
『ダイエーホークスの勝った翌日におすしご注文のお客様には、「なんでも半額券」進呈!!』ということである。
最近、「ダイエーホークスが勝った翌日は…」、とホークス勝利にあてがった商売が多くなったような気がする。
先日聴いていたラジオでも、「この店では、ホークスが勝った翌日は、2000円割引の券をプレゼントします」などと言っていた。
そこも寿司屋だった。
もしかしたら、こういうチラシや宣伝を出す店の経営者というのは、こういうことをやっているうちに、ホークスファンでなくなっていくかもしれない。
最初のうちこそ、「やったー! ホークス勝ったー! 明日は半額だー!」とやっているのだろうが、時間が経つにつれ、「チッ、今日もホークス勝ちやがった。商売あがったりだ」に変わっていくのではないだろうか。
こんな理由から、ファンが減っていくのも寂しいものである。
こういう企画は、ぜひやめてもらいたい。
とはいえ、半額で食べてみたい気もする。

古いノートに、送る宛のない手紙の下書きを見つけた。

「風の噂で、君が三児の母親だということを聞きました。
21歳の時、ぼくは覚悟していたのです。
だから、それを聞いた時、それほどのショックは受けませんでした。

まあ、そんなことはどうでもいい。
21歳の頃、ぼくは思ったものです。
「本当に君が好きなのだろうか」と。
確かにあの頃に作った歌や詩は真実です。
おかげで、ある程度自分を発見できたのです。
だけど、あの頃思ったものです。
「本当に君が好きなのだろうか」と。
「好きだっただけではないのだろうか」と。

お互い、今年で29歳になりますね。
この8年間、ぼくは疑問を持ってきました。
愛というのは特別なものではなく、その生活の節々が愛なのだということは、何となく理解できるようになりました。
だけど、あの時持っていた「本当に君を好きなのか」という疑問には、いまだ答えることが出来ません。
あの頃と同じで、いつもぼくは、何ものにも縛られたくない、という気持ちを持っています。
だから誰彼に教えられるのを拒み、自分なりにいろいろな勉強をしてきたつもりです。
だけどぼくには解りません。

君を好きだったのかという疑問は、大変深いものだと思います。
君を好きだったんだ、と言うことは簡単です。
否定するのも簡単です。
「君を好き」というのは、ぼくにとっての啓発の手段だったのか。
それもぼくには解りません。
今になっては何も解らない。
ただ解っているのは、ぼくは18歳までの君しか知らないということ。
ただそれだけです。」

29歳の時、友人から「○恵、三人目を生んだらしいぞ」という話を聞いた。
「○恵」とは、ぼくが高校時代からずっと好きだった子のことである。
高校を卒業してからその時まで、ぼくの中では音信不通だった彼女の近況報告であった。
下ネタ好きのその友人に、「じゃあ、最低3回はやったんやろう」と茶化しておいたが、内心は複雑だった。
なぜなら、ぼくの中で彼女のことが終わってなかったからだ。
さすがに、その時には、もう『好き』という感情はないに等しかった。
では、何が終わってなかったのか。
それが、21歳の頃に抱いていた疑問である。
その疑問とは、
「今、本当に彼女のことを好きなのだろうか。もしかしたら、あの頃の『好き』を今に引きずっているだけのことじゃないのだろうか」
ということである。

ぼくは人を好きになった時、「いったい、いつから好きになったのだろう」と、いつも自問している。
しかし、その答は出てこない。
わかっているのは、「その人と出会ってから後のことだ」ということだけである。
同じように、その『好き』から冷めた時期というのも、よくわからない。
しかし、その場合は「その人と会わなくなってから後のことだ」と言い切れないからややこしい。
21歳の頃、ぼくは初めてそのことに気がついた。
で、「ぼくは、本当に今でも彼女のことが好きなのだろうか」という追求が始まった。

それから2年後に、ぼくはこういう詩を作っている。

 『想い出に恋をして』

 メルヘンの世界に 恋しては
 ため息をつきながら 扉を右へ
 行き着くところもなく ただひたすら
 影が見える公園へと 続いて

 帽子をかぶった 小さな子供たち
 楽しそうに 何かささやいて
 ひとつふたつ パラソル振って
 空の中へ 向かっていく

  明日は晴れるといいのにね
  小さな雲に映った夕焼けが
  君たちのしぐさを見守っているよ
  そのうちにパラソルも消えて

 悲しいのは 今じゃない
 想い出にこだわる ぼくなんだ
 気がついてみれば 君を忘れ
 ただつまらぬ 想い出に恋をして

結局は結論が出ず、『想い出に恋をして』いることにしたわけである。

だが、疑問は終わってなかった。
それが、冒頭の下書きである。
しかし、この下書きを書いたことで、ぼくはそういう疑問から解き放たれた。
なぜなら、この文章にあるひとつの事実を発見したからだ。
それが、『ぼくは18歳までの君しか知らない』ということである。
確かにそのとおりで、ぼくがその人に接していたのは18歳までだった。
それから後は会っていない。
もちろんそういうことはわかっていた。
が、わかっていたから、そういうことに目を向けなかったのだ。
文章を書いたあと読み返してみると、ここの部分が胸に突き刺さった。
「ああ、あの時点で終わっていたのか」
ようやく、ここでぼくの疑問は解けた。
おそらく、ぼくの深層心理はこの結論を知っていたのだろう。
だから、ぼくに『想い出に恋をして』を書かせたのだろう。

かつて好きだった人に再会した時、なぜか心がときめくものである。
そして、「え!? おれ、まだあいつのことが好きだったんだ」と思う。
そう、まだ好きなんですよ。
想い出が。

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