吹く風ねっと

一生は未来の記憶を散りばめた一本の道。人生は未来の記憶をひろいながら歩く旅。

2003年02月

仕事が終わってから家に帰り着くのは、だいたい午後9時頃になる。
さすがにこの時間帯は、街灯やビルや工場の灯りがあるとはいえ、車道以外は暗く感じる。
特に住宅街を人が歩いている場合は、非常に見にくいものだ。

この間帰る途中でのこと、住宅街を運転している時、路肩で白い物が動いているのが見えた。
どうも生き物のようだ。
「犬か?」と思い、少しスピードを緩めて見てみると、予想どおり小さな犬だった。
その犬の横、歩道の上を人が歩いていた。
飼い主だ。
犬に車道を歩かせ、自分は歩道を歩いていたというわけだ。

ふと考えた。
もしこういう状況で、犬をはねたらどうなるのだろうか。
道交法違反で点数を引かれるのだろうか。
暗い夜道を、それも車道で犬を歩かせているアホな飼い主のおかげで点数を引かれることほど馬鹿らしいことはないだろう。
そういうことは別として、飼い主から「○○ちゃん、○○ちゃん…」などと言って目の前で泣かれ、罵倒され、賠償金を取られるのもシャクである。
そういうことにならないためにも、飼い主は安全な場所で散歩をさせるようにしてもらいたいものである。

それにしても、世の中には「この人は大丈夫か?」と疑問をいだかせるほど、生き物を溺愛する人がいる。
そういう人に限って、人づき合いが下手なように思える。
知り合いに大変な犬好きがいる。
その人のことをよく知らない頃のこと、その人がぼくに愛犬の写真を送ってきた。
別にこちらから送ってくれと言ったわけではなく、あちらが勝手に送りつけてきたのだ。
写真を見ると、その犬も世間一般の溺愛犬と同じように、服を着せられていた。
最初「かわいい犬やね」とお世辞を言ったのが間違いだった。
それで気をよくしたその人は、調子に乗って犬の写真を送ってきた。
こちらとしてはいい迷惑な話だ。
その人が自己中心的な性格で、周りの人とトラブルばかり起こしていると知ったのは、しばらくたってからだった。
相手は犬とはいえ、愛する心を持った人なのだから、もっと周りの人を気遣ってもらいたいものである。

スーパーに行くと、よく「衛生管理上、生き物の持ち込みはお断りしております」という放送がかかっている。
しかし、いるんですねえ、犬を持ち込む大馬鹿者が。
それも、抱えるなり、かごに入れておくのならまだしも、ふつうの散歩のようにひもにつないで歩かせている。
いったいどういう神経をしているのだろう。
おそらく飼い主には、「うちは人間と同じように育てているから、しつけもよく、大変衛生的です」などというような言い分があるのだろうが、しつけがよく、衛生的だと知っているのは、飼い主だけじゃないか。
いくら人間ふうに服を着せていようとも、犬は犬である。
どう見ても衛生的だとは思えない。
だいたいしつけのいい犬だからといって、店の中でおしっこをしないとでも言うのだろうか。
いいにおいがすれば、鼻を近づけてにおってみるのではないだろうか。
そういう無神経なお客は、特に若い人に多い。
お年寄りは、いくら小さなお座敷犬といえども、ちゃんと外につないで待たせているものだ。
英語で犬をしつける暇や、犬の服を作る暇があるのなら、まず自分たちが世間の常識やマナーを勉強しろ!

冬らしい雨は一夜で終わりました。
ひび割れた曇りガラスの隙間から、
朝のくたびれた陽光(ひかり)が洩れてきます。
「おはようさん」
ぼくは待ってます。
「おはようさん」
ぼくは待っています。

予告どおり、翌朝に書いている。
ぼくは小さい時から朝型の人間ではないので、こうやって、いわゆる朝と呼ばれる時間にパソコンの前に座っているのもけっこうきついものがある。
小学校の頃、夏休みの宿題にはよく「朝の涼しいうちにやりましょう」などと書いてあった。
もちろん朝型人間でないぼくは、やったことがない。
夏休みの朝、それは宿題やラジオ体操のためにあるものではない。
ぼくにとってそれは、寝るためにあるものだった。
前の晩に夜更かしし、翌日は9時10時に起き出し、テレビで『夏休みマンガまつり』などを見る毎日だった。
登校日、早起きの辛かったことといったらなかった。
で、宿題はいつやるか?
当然8月末にならないとやらない。

冬休みもいっしょだった。
昔は今よりも寒かった。
また暖房設備も今のように発達しておらず、火鉢とこたつくらいしか家になかったので、どうしても布団に執着する毎日を送るようになる。
そのため、夏休みよりも始末が悪く、起き出すのはいつも昼前だった。

春休みにしても、代わり映えなく、暖かい分少し早く起きた程度である。
まあ、春休みの場合は、夏や冬と比べると精神的に楽な面があった。
夏休みや冬休みは、「この世に宿題なんかない」といった毎日を送っていたものの、潜在的には「宿題をやらなければならない」という一種の焦りのようなものがあった。
しかし、春休みには宿題がなかったので、その焦りはなかった。
ただ惜しむらくは、春休みは、休みの期間が短かった。
そのため、夏や冬とは違った焦りがあった。
「後何日したら、早起きをしなければならない」という焦りである。

『早起きは三文の得』と言われるが、ぼくは早起きして得した覚えはない。
休みの日に遅くまで寝ていると、時間を損した気になることはあるが、早く起きたからといって決して得したという気にはならない。
眠い目をこすって嫌々起きるのに、何の得があるだろう。
布団の中という一種天国のようなところから、現実という娑婆、いや地獄に出なければならないのだ。
『早起きは三文の得』というのは、実は悪魔の言葉である。
文明の発達とともに夜更かしする人間が多くなった。
そのため悪魔は活動しにくくなってしまった。
「これは困ったことだ」と嘆いた悪魔は、一計を案じた。
欲張りな人間を見つけては、彼の耳元で「早起きすれば、儲かりまっせ」とささやくことにしたのだ。
ところが、世の中には実に欲張りな人間が多い。
一夜にして「早起きすれば、儲かりまっせ」という言葉が広まった。
この言葉をことわざ化するにあたって、「『儲かりまっせ』という表現はあんまりじゃないか」という意見が出たため、『早起きは三文の得』ということになったのだ。
有名なことわざだからといって、鵜呑みにしてはならない。
早起きする人間が多くなれば、その分悪魔が活動しやすくなるのだ。

ところで、先ほどちょっと外に出てみたのだが、実にすがすがしい朝である。
少し肌寒くはあるが、それが妙に心地よい。
今日は午後から曇りという予報が出ているものの、今のところは雲一つない青空が広がっている。
今日はきっと悪魔にささやかれている日なのだろう。
何か得したような気がする。

最近ナンバープレースというものにハマっている。
マスの中に、ダブらないように数字を入れていくパズルである。
文藝春秋や週刊文春を読んでいる人には、『数独』と言ったほうがわかりやすいだろう。
昨年の夏にプリンターを買ったのだが、年賀状を作るでもなし、デジカメで撮った写真をプリントアウトするわけでもなし、宝の持ち腐れ状態になっていた。
この頃、せっかくあるのに使わないのももったいない、と思うようになった。
じゃあ、何かプリントアウトしてやれと思い、いろいろ印刷する物を探していた。
そういう時、文藝春秋等でよくやっているこのパズルのことを思い出した。
そして、ネット上にあるこのパズルを印刷して、暇な時間にでも解いてみようということになった。
ところが、最近は暇な時間どころか、忙しい時にもやるようになってしまった。
というより、ナンプレをしない時間に他のことをやるようになったのだ。
テレビを見ていても、本を読んでいても、頭の中はいつもナンプレのことでいっぱいだ。
『あそこが9だから、ここには5か6が入ることになる。ということは、ここには7か8が入る』というようなことを考えているわけだ。

一昨日、取引先の人が来たのだが、商談の最中もナンプレのことを考えていた。
「しんたさん、今度新製品が出るので、この商品の処分をお願いしたいのですが」
「(ということは、あそこには8が入らんのか。うーん、わからん)あ、何か言うた?」
「いや、今度新製品が出るので…」
「ああ、新製品ならバイヤーに言うとって」
「いや、処分の件なんですが」
「え、何か処分せないけんと?」
「だからですねぇ…」
心ここにあらずである。
元々ぼくは、あまり人の話を聞かない質なのだが、何かに集中している時にはさらにひどくなる。
結局、この取引先氏は同じことを三度言わされる羽目になった。

ここ数日、日記の更新が遅いのも、このナンプレのせいである。
昨日書いた『宿題』と同じで、先に日記を書いてからナンプレをやればいいものを、ナンプレが終わってから日記を書くものだから遅くなる。
さらに、日記を書いている最中にもナンプレのことを考えているから始末が悪い。
昨日の日記の更新は午前3時を過ぎていた。
おかげで、今日はひどい寝不足で、体調は最悪だった。
しかし、それでもナンプレのことを考えている。
こうなれば、もう病気である。

さて、このナンプレ病はいつまで続くのだろうか。
とりあえず、今日は時間はかかったが、なんとか難易度4をクリアした。
明日は、難易度5に挑戦する。
おそらく、今日以上に時間がかかるだろうと思われる。
もしかしたら、そのせいで明日の日記の更新はその翌日になるかもしれない。
しかし、いくら時間がかかろうとも、難易度5はクリアしたほうがいいと思う。
そうすれば、熱しやすく冷めやすいぼくのことだから、サッとナンプレ熱が冷めるにちがいない。
まあ、仕事や健康に支障を来さないためにも、早く熱を冷ましたほうがいいだろう。


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ナンバープレース


小学校に行っていた頃、ぼくは宿題をいつも午後9時頃から始めていた。
「あんた、まだ宿題やってなかったんね。学校から帰ってすぐに宿題をすれば、後でゆっくり遊べるのに、何で早くせんとね」
当時母からよく言われた言葉である。
しかし、それは出来なかった。
なぜか?
それは、学校から帰ってから9時までが、ぼくのゴールデンタイムだったからだ。
帰ってからすぐというのは、友だちと遊ぶためのゴールデンタイムである。
友だちと遊んだ後の時間というのは、テレビでマンガをやるゴールデンタイムである。
風呂に入る、飯を食う、9時頃までダラダラとテレビを見る、というのは生活のゴールデンタイムである。
その間、宿題をやる時間というのはどこにもなかったのだ。

小学生の頃に一番嫌いだった宿題は、漢字の書き取りである。
この宿題が出ると泣きそうになったものだ。
しかし、今考えてみると、あんな簡単な宿題はなかった。
何せ、頭を使わなくていい。
ただ同じ漢字を10字とか20字とか書いていけば、それで終わりなのである。
では、そんな簡単なものが何で嫌いだったのか?
それは、書くペースが人よりも遅かったからである。
ぼくに手作業をさせると、とにかく遅い。
図工・習字・技術・家庭科などは、いつもろくな点数をもらえなかった。
その理由は、作品を作るのが遅かったからだ。
ほとんど時間内でやりあげたことはなかった。
そのため提出するのはいつも未完成作品で、提出しないこともままあった。
そういう理由から、午後9時から始めた漢字の宿題が終わるのは、だいたい11時を過ぎだった。
おかげでぼくは、小学生の頃には、既に寝不足に悩む人間だった。

苦手ではなかったが、面倒くさい宿題もあった。
算数の分数や小数点の計算である。
算数ドリルには、「これでもか」というくらい計算問題が載っていた。
計算は速かったが、おっちょこちょいだったのでポカが多かった。
そのため、検算という面倒な作業をしなくてはならない。
検算には時間がかかったものだ。
間違いを見つけると、また計算をやり直さなければならない。
これが嫌だった。
せっかく書いたものを、消しゴムで消すというのもむなしいものである。
また、最初の計算が正しくて、検算のほうが間違っている場合もあったが、その時の悔しさと言ったらなかった。
悔し紛れに消しゴムを投つけて、物を壊したことも一度や二度ではない。

たまには好きな宿題もあった。
社会科である。
ぼくの社会科に対する情熱は、並々ならぬものがあった。
趣味とも言ってよかった。
いまだになぜ社会科が好きだったのかはわからないが、おそらく一番現実味のある教科だったからだろう。
先生が通信簿に「他の授業の時は落ち着きがなくふざけてばかりいますが、社会科の時間だけはまるで人が違ったようになります。とにかく目の色が違います」と書いたほどだった。
それだけ好きだった社会科だから、宿題はすぐに終わった。
あまりにも早く終わるので、時間をもてあましてしまい、予習までやっていたものだ。

とはいえ、全般的にぼくは宿題というものが嫌いだった。
その後遺症か、今でも仕事を家に持ち込むことをしない。
前の会社で、よく上司から「家でやってこい」と言われていたが、決して家に持って帰るようなことはなかった。
何時になろうが、会社に残ってやったものだ。
今ならなおさらである。
もし、会社から宿題などを出されたら、この日記が書けなくなる。
そういえば、ぼくがもし日記を書く情熱をなくしたら、この日記もただの宿題になってしまう。
それだけは避けなくては…。

ぼくのカラオケの定番を紹介します。

『時の過ぎゆくままに』(沢田研二)
高校の頃に流行ったジュリーの名曲である。
最近よく思うのだが、学生時代は、どうしてあんなに簡単に歌が覚えられたのだろう。
今の歌などは、覚えるのに一苦労する。
歌のスタイルが変わったせいもあるのだろうが、一番大きな原因は、ぼくの記憶力が低下していることにあるのだろう。
この歌は、ぼくの記憶力がまだ良かった頃に流行ったものだ。
聞き覚えというのだろうか、何かのドラマでかかっていたこの歌が自然と耳に入り、記憶に残ったのだ。
ぼくが初めてこの歌を歌ったのは、それから何年か後のことである。
音をはずさずに歌えたのは、やはり若い頃の記憶力のせいだろう。

『夕焼けの歌』(近藤真彦)
マッチはこの曲の前に、『あぁ、グッと』という拓郎の歌を歌っていた。
この『夕焼けの歌』も、その曲調からして拓郎のものと思っていたが、それは違っていた。
しかし、この歌は拓郎ファンのぼくとしては歌いやすいものである。
特にサビの絶叫部分は、嬉しい。
ぼくのカラオケレパートリーで、歌詞を見ないで歌えるのはこの歌くらいだ。
他の歌はうろ覚えでしかない。
普段ぼくはカッコつけて目をつぶって歌っているが、実は片目を開けて歌詞を見ているのだ。

『時代おくれ』(河島英五)
最近はあまり歌わなくなったが、30代の頃によく歌っていた歌である。
小倉のスナックでこの歌を歌った時、誰かがぼくに「あんたの歌やのう」と言った。
あの時代、きっとぼくは、この歌の内容ほど老け込んでいたのだろう。
ということは、最近歌わなくなったのは若返った証拠だということか。


『恋』(松山千春)
カラオケがブームになった頃から、歌っていた歌である。
これも若い頃だったので、それほど努力をしないで覚えた歌の一つだ。
言葉の力は偉大だ、と思い知らされた歌である。
それまでのぼくは、あまり詩の意味を考えずに歌っていた。
ところが、あるスナックで、ぼくがこの歌を歌っている時に、ある女の子が泣き出したのだ。
どうしたんだろうと聞いてみると、詩に感動したと言う。
その時ぼくは、「ああ、言葉にはこういう力があるんだ」と思ったものだ。
彼女が感動したのは、“男はいつも待たせるだけで、女はいつも待ちくたびれて~♪”の部分である。
確かにそのとおりなのだが、きっと彼女はそれに似た経験をしてきたのだろう。
このことがあって、ぼくは詩の意味をかみしめて歌うことを心がけるようになった。


『津軽平野』(千昌夫)
小倉に一風変わったスナックがあった。
そこのマスターがこの歌が好きでよく歌っていた。
ぼくはこの歌を、そのマスターの歌で好きになった。
その後、作曲者である吉幾三のCDを買って、この歌を覚えた。
しかし、彼のヒット曲『雪国』は、このCDを買った後に流行ったため、当然このCDには入ってない。
ということで、『雪国』今でもは歌えない。
『津軽平野』に関して言えば、この歌は民謡の要素が多分に含まれている。
千昌夫よりも、三橋美智也とか細川たかしが歌ったら、もっと生える歌なのかもしれない。
ぼくは冬になると、よくこの歌を歌っている。
東北が舞台になっている歌は好きだけど、ぼくはこの歌以外は歌えない。
前々から、新沼謙二の『津軽』を歌いたいと思っているが、やはり最近の記憶力では歌を覚えるのに時間がかかるようだ。
で、いまだに歌えないでいる。


『流星』(吉田拓郎)
10年ほど前までは、カラオケボックスのメニューに入っている拓郎の歌というと、『結婚しようよ』と『旅の宿』くらいだった。
しかし、今はけっこう多くの歌が入っている。
中には、アルバム曲の『高円寺』がメニューに入っているところもあるのだから、時代も変わったものである。
さて、この『流星』も、最近のカラオケボックスのメニューには必ず入っている。
この歌はTBSのドラマ『男なら』のテーマソングだった。
北大路欣也主演で、ずうとるびの山田隆夫なんかも出ていた。
ドラマの最後頃に、山田がギターを弾いて他の出演者とこの歌を歌っていた。
あの頃はみんなで歌う歌だったのだ。
しかし、最近この歌を歌うのは、ぼくの周りではぼくしかいない。
前の飲み会でこの歌を歌った時、「誰の歌?」と言われ、寂しく思ったものである。
しかし、それでもぼくはこの歌をうたっている。
気分が乗らない時でも、この歌だけは歌っている。
そう、この歌は数ある拓郎の歌の中で、一番好きな歌なのだ。


ぼくは知っているからといって、闇雲に歌うタイプではない。
気に入った歌しか歌わないタイプだから、そのレパートリーは誰よりも少ない。
レパートリーは、上にあげた歌以外にもあることはあるが、それらの歌はあくまでも、上にあげた歌を歌う前の前奏曲に過ぎない。
ところで、上の歌を歌うのは、だいたい最後の最後、つまり店を出る前である。
時間が押しているのに、前に人が長い歌を歌うと、定番が歌えないこともある。
そういう時、フラストレーションがたまる。
「おれに歌わせろーっ!!」
むなしいものである。

伊藤の車の助手席には『彼女以外乗車禁止』というステッカーが貼っている。
この間、ぼくが伊藤に「お前はバカか。 何か、あのステッカーは」と言うと、生意気にも伊藤は「当然じゃないですか。彼女以外の誰を乗せると言うんですか」と答える。
「じゃあ、一生誰も乗せられんやないか」とぼくが突っ込むと、伊藤は黙っていた。
その後、ぼくはこっそりと『彼女…』の写真を撮り、彼の部署のH子にメールで送っておいた。

ところが、そのメールがちょっとした問題を起こすことになる。
昨日のこと、何と伊藤の助手席に女の子が乗っていたらしいのだ。
部署の子は、さっそく伊藤にメールを送った。
(しんたさんから写真を送ってもらったんですが、『彼女以外乗車禁止』ということはあの人は彼女ですか)

そして今日。
ぼくが食事をしていると、伊藤が入ってきた。
彼はぼくを見つけるなり、「しんたさん、H子さんに車の写真送ったでしょうが」と言う。
ぼくが「ああ、送ったよ。何かまずかったか」と聞くと、伊藤は「昨日、助手席に女の子を乗せてたのを、H子さんに見られたんですよねぇ。あんな写真送られたら、バレバレじゃないですか」と言った。
「それは彼女か?」
「まあ、いちおう…」
そう言って、伊藤は嬉しそうな顔をした。
彼は、彼女のことをぼくに話したがっているように見えた。
そこで、ぼくはわざとはずしてやった。
「ふーん、よかったやん」
「ええ、まあ…」
「ところで、お前いくつ?」
「え? 今年22歳ですけど…」
「22歳か。小便恋愛やのう」
「え、小便恋愛なんですか?」
「どうせ、またすぐふられるんやろうが」
「いや、今度は…」
「まあ、小便恋愛なんかに興味ないし、別にお前が誰とつき合おうと、おれは気にならんわい」
「はあ、そうですか」
伊藤が答えた後で、ぼくは一呼吸置き無表情に言った。
「で、相手は誰なんか?」
伊藤はあ然とした顔をし、急に笑い出した。
「何がおかしいんか」
「いや、あまりにしんたさんが真顔で言うもんで」
「そうかのう。で、相手はバイトか?」
「はい」
「誰かのう」
「しんたさん、昨日最後までいましたかねえ?」
「ああ、おったよ。あの中におるんか」
「はい」
「M君か?」
「男じゃないですかぁ」
「そうよ」
「…『そうよ』って、ぼくにそんな趣味があるように見えますか?」
「おう」
「ホントにもう…。ぼくはまともです」
「そうなんか」

「ところで、お前の妹は元気か?」
「えっ、妹ですか?」
彼はもっと彼女のことを聞いてほしかったようだが、ぼくが突然彼の妹の話をしだしたので、ちょっと戸惑ったようだった。
彼の妹も、以前うちの店でアルバイトをしていたことがある。
「妹は元気にしてますよ」
「あの子、かわいかったのう。『YAWARA!』に出てくるキョンキョンみたいやった」
「キョンキョン…? 知らないなあ。最近、妹はまた男を変えてですねぇ…」
「で、お前の相手は誰なん?」
「あ、またその話ですか」
伊藤はそう言いながらも、嬉しそうな顔をした。
「もしかして、N子か?」
「N子は、妹と同い年ですよ」
「そうそう、お前の妹は、前に酔っぱらったことがあってのう」
「妹がですか?」
「おう。あの時は大変やったわい」
伊藤は(また妹の話か)と、ちょっとがっかりした顔をした。
そうこうしているうちに、伊藤の休憩時間は終わった。
結局、伊藤はぼくに彼女の名前を告げられなかった。
食事が終わって、店内で伊藤に会ったが、ぼくはわざと彼を無視していた。

実は、ぼくは今朝H子から伊藤のことを聞いて、彼女の名前を知っていたのだ。
伊藤が誰とつき合おうと、大したことではないのだが、彼をからかうには格好のネタになった。
ぼくは、当分の間、伊藤にそのことを触れないでおこうと思っている。
そうすれば、また彼が『伊藤君3』を提供してくれることだろう。

昨日は久しぶりに飲みに行った。
12月の忘年会以来である。
年末に風邪を引いてからは家でもあまり飲まなくなったから、少しの酒でもすぐに酔ってしまう。
普通の焼酎のお湯割りがえらく濃く感じたものだった。

さて、酒の席で、Hさんという人の話題が出た。
Hさんは、一昨年まで某大手企業で働いていたが、倒産の憂き目に会い、職を失ってしまった。
その後、失業保険をもらいながら職探しをしていると聞いていたが、50歳を超えたHさんには、就職先がなかなか見つからないということだった。
ぼくたちが「Hさん、大変やねえ」などと話していると、ある人が「何を言いよるんか」と言った。
「あの人凄いんぞ。おれ、あの人が会社を辞めてから、毎日パチンコ屋で会うんやけど、毎月の稼ぎが30万を下らんらしいぞ」
「何しよると?」
「だけ、パチンコ」
「パチンコで? でも、波があるやろうもん。今までの平均で30万やないんね」
「いや、あの人には波はない!」
「じゃあ、毎月コンスタントに30万稼ぎよるということ?」
「おう」
「凄いねえ」
「それだけやないんよ。最近、また一段と凄くなってのう。いつも懐に6,70万は入っとるぞ」
「6,70万!?」
「おう、軍資金らしい。生活費の30万は別でぞ」
「でも、負ける時もあるんやろ?」
「おう。でも、あの人は3万負けたら、見切りつけてさっさと帰るけのう。でも、勝つ時が凄い。30分で10万円分くらいすぐにたまるけのう」
「へえ」
「あの人、博才があったんやのう」
「うん」
ぼくはよくわからないのだが、ここまで来ればプロと呼んでもいいのではないだろうか。

北九州市はギャンブルの街である。
市内には中央競馬場、競輪場(何とドームである)、競艇場といった公営ギャンブル場が揃っている。
中でも特記すべきは競艇場で、ご丁寧に隣の芦屋町にもある。
市内の若松ボートと隣の芦屋ボートの間は、10キロも離れてない
市内にはないものの、オートレース場も、ぼくの家から車で4,50分の飯塚市に行けばある。
また、ぼくの住んでいる地区には大きなパチンコ屋がいくつもあり、パチンコの街と呼ばれている。
ぼくはそういう街に生まれ育ったのだが、なぜかギャンブルには縁がない。
というより、興味がない。
馬券は東京にいた頃に一度だけ買ったことがあるが、それもつき合いで買っただけで、どんな馬がいるのかも知らなかった。
それ以外の競輪や競艇などは一度も券を買ったことがない。

とはいうものの、一度だけパチンコに凝ったことがある。
東京にいた時だ。
夕方になると、いつもぼくは仲間と新宿歌舞伎町のパチンコ屋に入り浸っていた。
パチンコのほうは1勝1敗といったところだが、何よりも仲間といることが楽しかった。
ある日のこと、丸井に用があり、パチンコ屋にバッグを置いたまま出かけた。
仲間がいたので安心していたのである。
ところが、30分ほどして戻ってくると、その鞄はなくなっていた。
中には、お気に入りの写真と、数編の自作詩が入っていた。
どちらももう二度とお目にかかれない。
また、それから数ヶ月後のこと、上着の胸のポケットの入れておいた財布がなくなっていた。
中には、定期券と丸井のカードと生活費2万円が入っていた。
一度も上着を脱いだ覚えはない。
パチンコ屋の中を歩き回った覚えもない。
座ったままスリにやられたのだ。
ぼくはその都度、歌舞伎町交番に被害届を出したのだが、結局どちらも出てこなかった。

また、こちらに戻ってからのことだった。
その日、仕事が早く終わった。
あまり早く帰るのも何だから、というので久しぶりにパチンコでもやってみようという気になった。
ところが、財布を見ると500円しか入ってない。
「じゃあ、バス賃だけ残して、300円だけしよう」ということで、パチンコを始めた。
3分と持たなかった。
「あと100円だけ」
しかし、結果は同じである。
「あと100円」
ついにぼくの財布は空になった。
しかたなく、ぼくは小倉から歩いて帰った。
2時間かかった。

そういった苦い出来事の積み重ねは、自然とぼくの足をパチンコ屋から遠ざかせた。
よく周りでギャンブルの話などをしているのを聞く。
どれも景気のいいものばかりである。
確かに、Hさんのように、短時間に何万ものお金を手に入れるというのは魅力ではある。
しかし、ぼくには出来ないことである。
自分に博才がないのを充分に自覚している。
勝った覚えがないから、イメージがわかない。
イメージがわかないことをやるほどの性根を、ぼくは持たない。
何よりも、ギャンブルが好きではない。
そのへんのところは、占いにも出ている。

『皇国の興廃この一戦にあり』
「各員いっそう奮励努力せよ」という言葉が続く、日本海海戦での東郷平八郎の言葉である。
今の日本に欠けるもの、それはこの言葉の背景にある危機感だろう。
日本よりも中国や韓国の反日感情を大切に思っている人や、いまだに革命などと口走っている人には関係のない言葉だろうが、日本を愛する人たちはぜひともこの言葉を吟味してもらいたいものである。
最近この皇国は、いつも興廃の危機に曝されている。
心ある国民は一歩踏み込んだ覚悟が必要だ。

『無為にして為さざるなし』
ぼくの老子好きはこの言葉から始まった。
無為と言えば「何もしないこと」と思われがちだが、ここには「何もしないことを為す」という意味が隠されている。
元来は政治論であるこの老子が、「何もしないことが最高」などと言うことはない。
要は無為という作為である。
攻撃的な無為である。
この呼吸が難しい。
何かを為そうと思う人は、一度すべてを捨て去って、無為に徹するべきだ。
そうすれば何かが見えてくる。

『随処に主となれば、立処みな真なり』
臨済禄にある言葉で、前に書いた「一灯を頼め」と同意である。
主、即ち主体。
しかしどこかの国の主体思想とかいう、とってつけたような低次元なものではない。
ここでいう主とは、心の主体、真の自分である。
真の自分の発見は、そのまますべてを真に変えることとなる。
さて、その真とは何か?
観の目である。
見るもの、聞くもの、感じるもの、すべてがこの観の目に帰する。
そして、これこそが観音の本体である。
前に日記に書いた、『観音の三大パワー』などと言うかぶれた宗教人は、その語呂がいいから使っていただけだのことだ。
きっと観音の本体も知らなかったに違いない。

『ゼロから数字を生んでやらう』
高村光太郎の『天文学の話』という詩の一節である。
高校を卒業した頃、テレビで『あこがれ共同体』というドラマをやっていた。
主題歌の前に、郷ひろみがこの詩の朗読をやっていた。
「それはずつとずつと先の事だ。
 太陽が少しは冷たくなる頃の事だ。
 その時さういふ此の世がある為には、
 ゼロから数字を生んでやらうと誰かが言ふのだ。」
この後、山田パンダの『風の街』という歌がかかる。
高村光太郎については、いろいろな思い入れがある。
高校時代、現代国語で同じく高村光太郎の『ぼろぼろな駝鳥』という詩を習ったことがある。
が、この詩が反戦詩だと教えられ、また「『駝鳥』は何を意味するか」というちんぷんかんぷんな暗号解読授業ため、今ひとつ光太郎に興味がわかないでいた。
ところが、この詩の朗読を聞いてから、光太郎に対する見方が変わった。
さっそく光太郎詩集なるものを買い込んで、吟味しだした。
何度も読んでいくうちに、光太郎の頑固な面が大いに気に入った。
以来、ぼくは光太郎詩集が手放せないでいる。
それはともかく、この言葉、いい言葉ではないですか。
目を輝かせて、こういう言葉を吐いてみたいものだ。

『柔よく剛を制す』
ぼくはこの言葉を知って、柔道を始めた。
弱い者が強い者に勝てる方法があるのなら、ぜひ学んでおかねばならない、という好奇心から、ぼくは柔道を始めた。
だからぼくは自分から攻撃を仕掛けることは嫌いだった。
技も正当な攻撃技はあまり好きになれなかった。
どちらかというと、「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ」で、捨て身技を好んでやった。
だから相手が仕掛けてこない限り、ぼくの技は冴えなかった。
ぼくの柔道人生最後の試合は、全国大会(自由参加)の金鷲旗高校柔道大会だった。
その試合で、ポイントにはならなかったものの、100キロ近い男を捨て身技でひっくり返した。
当時のぼくの体重は62キロだった。
まさに「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」である。
が、そのまま押さえ込まれ、結局は負けた。

『自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、千万人といえども吾れ往かん』
自分が間違ってないと思うのなら、人がどう言おうと、自分の信じる方向に歩いていく。
孟子の有名な言葉である。
就職して以来、威圧的な上司にたくさん出会った。
彼らは力ずくで、自分の意見に従わせようとする。
ぼくはそういうのが大嫌いだ。
そこで、彼らに流されないようにしようと思い、精神修養を始めた。
精神修養、ぼくの場合、それは中国思想の勉強であった。
20代から30代にかけて、とにかく中国の古典を読みまくった。
この言葉はその時に出会った。
かの吉田松陰は、獄中で孟子の講義をやっている。
おそらく、この言葉を教える時は、力が入っただろう。

『断じて敢行すれば、鬼神もこれを避く』
上の言葉に続いて、この言葉に出会った。
確かこれは、史記にある言葉だ。
前の会社にいた時、ぼくは「強気の男」で通っていた。
その強気はこの言葉によって養われた、と言っても過言ではない。
なるほど、断じて行えば誰も文句を言わないものである。
いまだに自分を曲げない偏屈な面がぼくにはあるが、それはおそらく上記の孟子の言葉とこの言葉の影響だろう。

『ただ一灯を頼め』
江戸時代の儒学者、佐藤一斎の有名な言葉である。
全文を紹介すると「一灯を提げて暗夜を行く。暗夜を憂うるなかれ、だた一灯を頼め」となる。
確固たる自分を持つことが肝要だということだ。
確固たる自分を確立しておけば、決して人に流されることはない。
前の会社にいた時、「強気の男」で通っていたぼくだったが、その反面、風当たりは強かった。
左遷の憂き目にあったこともある。
この言葉に出会ったのはそういう時だった。
ぼくはこの言葉に出会う運命を持っていたことを、素直に喜んだものである。
くじけそうになった時、何度この言葉に助けられただろう。
そのおかげで、自分を見失うことなくやることができた。
そうこうしていると、自然に評価が好転してきた。
彼らは「しんたは変わった」と言っていたが、ぼくが変わったのではない。
変わったのは彼らのぼくを見る目だった。

毎日でもその歌を聴いてみたいというほどでもないのだが、たまに聴いてみたくなる懐かしい声がある。
ぼくの場合、それはボブ・ディランである。
曲がとりわけていいとは思わない。
詩は何を言っているのか、さっぱりわからない。
肝心の彼の歌声はというと、決して洗練されたものではない。
どちらかというと野暮ったい。
しかし、その野暮ったさが味となっている。
時に優しく、時に怒っているように聞こえる彼の歌は、時にぼくの心をいやしてくれる。

ぼくがボブ・ディランを知ったのは中学3年の時で、あのガロの歌った『学生街の喫茶店』を聴いてからだった。
「ボブ・ディランとは何者?」という疑問を抱いたが、ぼくの周りにはボブ・ディランのことを知っている者はいなかった。
ぼくとしても、それほど興味を持ったわけではなかった。
例えば、キダムのCMで「象は出ないの」と言っているのは「辻か?加護か?」くらいの軽い疑問で、別に知らなくてもどうということはなかった。

ところが高校に入ってから事情が変わってくる。
高校1年の時、『たくろうオンステージ第2集』というアルバムを聴いた時、なぜか引っかかるものがあった。
そのアルバムのトップに『準ちゃんが吉田拓郎に与えた偉大なる影響』という歌があるのだが、そのメロディはボブ・ディランの『ハッティ・キャロルの寂しい死』だと拓郎が言っていた。
またその歌の歌詞の中に“その頃ぼくはボブ・ディランを知った”というフレーズが出てくる。
「ボブ・ディラン? そういえば前にも聞いたことがある名前だ。いったいどんな人なんだろう?」
この時初めて、ボブ・ディランという名前に興味を持った。
さっそくぼくはレコード屋に走った。
そのレコード屋にはそれほど多くディランのLPを置いてなかったのだが、それでも拓郎の言っていた『ハッティ・キャロルの寂しい死』の入ったアルバムはあった。

『時代は変わる』というアルバムだった。
ジャケットはモノクロで、一人の疲れたおっさんが写っている。
「もしかして、これがボブ・ディラン? ガロや拓郎はこんなおっさんに夢中になっていたのか」
そう思いつつ、ぼくはそのレコードを買った。
家に帰り、レコードに針を落としてみた。
「何か、この声は!」
これがディランの歌を初めて聴いた時の、ぼくの第一印象である。
アルバム全体を覆うけだるさ。
どちらかというと暗い曲調。
はっきり言って何も感動しなかった。
こんなレコード買わなければよかったとも思った。

次の日、何となくまたそのアルバムを聴いてみた。
その日は2度聴いた。
しかし、やはり何も感動しない。
相変わらず「こんなののどこがいいんだろう」と思っていた。
ところが、レコードを買って3日目の朝のこと。
無性にディランが聴きたくなったのだ。
さっそく、レコードをかけた。
それまで、けだるいとか暗いとか思っていた歌が、やけに新鮮に聞こえる。
耳障りなディランの声も、その日は心地よいものに思えた。
ディランの何かに触れた瞬間だった。

それから30年近く経つ。
あのアルバムのおっさんはやはりディランで、ただ写真写りでああなっただけだというのが判明した。
実際のディランは、もっとかっこいいこともわかった。
ディランに、かなり入れ込んだ時期もある。
そのファッションを真似たこともある。
コンサートを見に行ったこともある。
そして今、ぼくにとってのディランは、「たまに聴いてみたくなる懐かしい声」である。
ということで、今日は「たまに聴いてみたくなった」ので、ディランを聴いた。

最近、高校の頃に触れた「ディランの何か」について考えることがよくある。
あれはいったい何だったのだろう。
相変わらず疑問は解決しないが、一つだけわかったことがある。
それは、あの時ぼくの耳がディランの声に慣れた、ということである。
まあ、それはそうだろう。
もし慣れていなかったら、「たまに聴いてみたくなる懐かしい声」などとは言わないだろうから。

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